青年塾時代に、響働研究という取り組みがありました。
夏の集中鍛錬等、一定期間の鍛錬の後に、頂いた功徳を先生にご報告するレポートに取り組むのですが、約20年ほど毎回欠かさず取り組ませて頂きました。
ちなみに本ブログも、その土台は青年塾時代の響働研究がベースです。
先生に神理実践の歩みをご報告するのは習慣のようになっており、ここ数年は、一年の歩みを先生にレポートとして提出させて頂いてきました。
本ブログについても、一年の歩みを振り返りご提出したのですが、記事の後智慧ができていなかったことに気づきました。
記事の中身を振り返ることは、自分の生み出した光、闇と向き合うことであり圧迫がありました。
しかし、自らの未熟と向き合うことの必要性を感じ、一念発起して一つ一つの記事を振り返っていきました。
Contents
一年間の記事の主なトピック
この約一年で25本の記事を書いていたのですが、大別すると主な内容は次の通りでした。
・1995年の青年塾の体験
・職場での神理実践
・劇チームにおける神理実践
・GLA合唱団での神理実践
・家族の神理実践の同伴、親族への伝道と再結、遺産相続問題解決
・特別御供養への取り組み
フレームワークとしての苦集道滅
そして、一つ一つの物語の主なフレームワークは苦集道滅の流れに自然となっていました。
・苦:「今現れている現状」をよく知り、
・集:「その現状を生み出している原因」を洞察し、
・滅:「向かうべきヴィジョン」を確かにし、
・道:「そこに到るための方法」を明らかにする。
上記はウイズダムの構成ですが、功徳の意識化の場合は、滅と道の順番が入れ替わって、苦集道滅となり道(神理実践)を歩んだ結果、滅(願い)へと到った歩みを振り返る構成となります。
この苦集滅道は、仏教では四諦と言われていますが、響働研究もこのフレームで取り組んできたので、自然とそうなっていました。
「試練は呼びかけ」 「私が変わります」
こうして一年を振り返ると、今期のGGPで降ろされたシートの通り、試練を呼びかけとして引き受けて、私が変わりますで解決する歩みとなっていました。
ただ、改めて振り返ると、同じような煩悩が繰り返し出てきていることも改めて見えてきました。
私の神理による転換のパターン
よく起きていたのは次のような転換のパターンでした。(ちなみに、私のベースの煩悩は苦暴流です)
試練との遭遇:まず問題が発生し、試練と遭遇。
煩悩に飲まれる:試練に対して怒りや不満が引き出され、煩悩に飲み込まれる。
神理による転換:怒りの心のままでは、願いを壊してしまうので、煩悩を神理実践シートや止観シート、祈りの道で浄化。
※煩悩が浄化できたか判別するポイントは「こうなってしまった」という受け止め方から「こうさせてしまった」へと転換できたかどうかであり、転換できたと思う所まで徹底して取り組みます。
現実の転換:煩悩が浄化され、菩提心に転換すると、魂願に導かれるように明運力が働き出し、助力者が現れ、思わぬところから道が開かれるという転換が起こる。
このように「暗運力の5つの症状」から、「明運力の現れ」へと到るプロセスそのものとなります。
カルマによる繰り返しの呪縛
このような転換が起こること自体、神理の抱く力であり、かつてからすると信じられないような転換が起こるようになってきました。
しかし、別の視点から見ると、カルマ故に生じる煩悩が何度も何度も繰り返し出てきていて、似たような転換を毎回しているようにも感じていました。
しかし、一年の流れとして振り返ることで、単純なカルマによる繰り返しから少し変わってきていることも見えてきました。
3つの「ち」の浄化 特別御供養への取り組み
カルマは3つの「ち」と結びつくことによって、宿命の洞窟をつくり出すことになるのですが、3つの「ち」が少しずつ浄化されてきていました。
一つは、GLAの特別御供養への取り組みによって、3つの「ち」の、特に「血」の流れが浄化されていました。
亡くなられた祖父母や、様々な痛みを抱えた状態で亡くなられた親戚が、御供養を通して神仏の光と出会い、魂の底から癒されて光の世界へと帰って行かれました。
そうして、あの世の親族が癒されるのと同時に、この世の親族の関わりも浄化され、関わりの再結が起こっていきました。(以下、関連するこの一年間のブログのリンクを掲載します)
GLA特別御供養 自ら命を絶った魂をも救われる神仏の限りない光
GLA特別御供養 今は亡き祖父母に届けられた恩寵の光
GLA特別御供養 突然人生が終わってしまった幼き魂からのバトン
私の怒りのルーツには、父の抱えていた家族への怒りがあったのですが、その背景にあった祖父母の関わりが見えてきたときに、怒りの思いが浄化されていきました。
その転換が、遺産相続の問題の根本解決にもつながってきています。
おばあちゃんのGLA入会と弁護士さんとの出会い_ペイフォワードへの挑戦3
2015年九州新年の集いへの旅_命作網のネットワーク光転へのチャレンジ
3つの「ち」の浄化 会社やプロジェクトでの再結
また昨年は、青年塾の働きを一つ環に結び、改めて一会員としての自分自身と向き合うことになりました。
その歩みの中で、立場故に快暴流になっていたことを発見し、陰徳の行として徹底して下支えをさせて頂きました。
また、同伴の行にも取り組ませて頂き、同志の痛みを共に背負わせて頂きました。
劇チームへのチャレンジ4_愛される側から愛する側へ同伴の深まり
陰徳の行、同伴の行は快暴流を転換していく行なのですが、自然と取り組んでいました。
その歩みの中で、GLAの中での十年来の捻れていた関わりの再結が起こっていきました。
快暴流が浄化されていく過程で、他人の眼差しに一喜一憂し、快苦に呑まれていた自分が砕かれ、先生に托身する歩みへと導かれていきました。
その結果、職場での組織間やマネジメント層との再結が起こっていきました。
劇プロジェクトへのチャレンジ2_万次郎の物語に込められた神意へのアクセス
Nexstage SRSでのシート取組 快苦を超えて「強く、深く、悠々と生きる」
GLA合唱団での「響働」体験_プロジェクトと営みを一つに結ぶ挑戦
合同ワンデイセミナーでの転換_先生に托身し約束の同志との響働へ
自分を取り巻くエネルギーの流れが、人生の節目となるような環境の変化の中で、転換してきたことが見えていきました。
宿命から使命へ 菩薩への遙かなる道
こうして改めて一つ一つの記事を振り返り、その時、その時の転換が連なった時にどのような変化が生まれたのか、全体像が少しずつ見えてきました。
「かつては恨みを抱いていた人達に対して、怒りの思いが出なくなってきたな?」
「昔だったら、興奮して他人の意見を聞かずにドンドン進めていたのに、あまり興奮しなくなって、他人の意見を尊重するようになってきたな?」
心境の変化を感じることが時々あって、不思議に思っていたのですが、背後で起こっていた転換とのつながりが見えてきました。
どの神理がこの変化を表現しているんだろうかと探していて、以下の図と出会いました。
この希望の原理の神理は、20年ほど前に初めて出会ったときに、大変な衝撃を受けた神理です。
人生に絶望し、どうにもならない宿命に飲まれ、自分が死んだ方が世界のためになるんじゃないかと真剣に悩んでいたていた自分にとって、まさに「希望」そのものでした。
憧れでしかなかったこの神理が、先生、神様に導かれる中で、本当にこの図の通り、宿命から使命へ導かれてきていることを感じました。
本ブログのタイトルは、「菩薩への道 あるGLA会員の物語」ですが、改めて、GLA会員として菩薩への道を歩ませて頂けることの有り難さが心深くにしみ入ってきました。
改めて「魂主義という生き方」スタート
と、ここでこの記事を終わりにしようとしていたのですが、昨日GGPの修了式がありました。
年初から先生は、最新刊の「魂主義という生き方」の輪読会を、一章ずつ誘って下さっていました。
そして、昨日はその取り組みの最終日であり、第五章の「すべてを条件として –魂に軸足を置いて生きる」に取り組みました。
この「すべてを条件として」は、印象に残っていたのですが、次のような「見出し」がありました。
「人生の眺めを持つー宿命から使命への物語」
その中に、次のような御文章がありました。
魂のカルマ。それが引き寄せる3つの「ち」。それらが、様々な心の闇を引き出し、すべてが相まってつくり出される「がんじがらめの現実」こそ、私が「宿命」と呼んできたものです。
御著書「魂主義という生き方」237ページより抜粋
重要なことは、どの人生も、この「宿命」に呑まれるところから始まるということです。そして、その「宿命」を転じ、魂に刻まれた「使命」を生きることを約束として抱いている–。つまり、「人生とは宿命から使命への物語」なのです。
最新の御著書に、今回の振り返りに通じる内容が、とても分かりやすく書かれていたのに、そのことに気づけず、入会当初に印象に残っていた「希望の原理」の御著書を参照していました。
この「魂主義という生き方」は、非常に深い内容が簡潔に分かりやすく書かれており、もっと深めたいと感じていたのですが、まさに、あまり理解できていなかったことがハッキリしてしまいました。
先生も、5回の輪読会を締めくくるにあたって、本の内容を更に深めていくことを誘って下さっていました。
ということで、この御著書の反芻行に今年はしっかりと取り組ませて頂き、本ブログでも一章ずつ取り組んでいきたいと思います。
「魂主義という生き方」を反芻することで、どのような境地へと到ることができるのか、本当に楽しみです。
是非皆さんとご一緒に取り組んでいきたいと願っています。本年もどうぞ、よろしくお願いします。