劇チームへのチャレンジ4_愛される側から愛する側へ同伴の深まり

仕事の試練もチャレンジをしつつ、伝研セミナーの劇の上演に向かいました。

伝研の劇の具現に向かって、誓願で次の二つの願いを立てましたが、仕事だけではなく劇でも非常に高いハードルにチャレンジすることになりました。

  • 「先生とご一緒に道を切り開かれている先輩の皆さんと同じように、キリキリの現実の中で神理実践を果たし、劇を観て下さる方の本心が引き出される劇を具現化します」
  • 「劇に携わるお一人お一人の神理実践に同伴し、ご一緒に神理の研鑽を深め、本心に溢れる劇を具現します」

Contents

かけ橋セミナーの後智慧発表へのチャレンジ

かけ橋セミナーにおいて、嵐のシーンで本当に舞台に風が起こって、リアルな波が表現出来たことはお伝えしました。

劇プロジェクトへのチャレンジ2_万次郎の物語に込められた神意へのアクセス

この嵐のシーンで起きた奇跡について、かけ橋セミナーの後智慧として発表する機会を頂きました。

発表に向けて皆で深めることを通して、神理実践によって助力を頂いて、奇蹟のような体験を頂いていた事への感動が深まりました。

先人研究の同伴の始まり

後智慧の発表が終わった後で、次なるミッションを頂くことになりました。

劇チーム内で先人研究を発表することになり、その内の二人の同伴をすることになりました。

最初にお二人に、劇チーム内で発表することになったことをお伝えすると「自分じゃなくていいんじゃないの?」という反応でした。

それぞれ仕事が忙しいこともあり、発表に対して前向きではないところからのスタートだったのですが、同伴を担当するにあたってのウイズダムに取り組みつつ、出会いを深めていきました。

魂の因果律から見た同伴のはたらきの必然

自分の中にはある確信がありました。

それは、今回同伴をすることになった自分自身にも魂としての必然があり、発表することになったお二人にも魂としての必然があるというものでした。

魂の因果律の神理には、現実を生み出しているのは心であり、その心の奥には魂があることが示されています。

魂の因果律
ご著書「魂主義という生き方」 89Pより抜粋
https://www.sampoh.co.jp/books/tamashiishugi/

大本にある魂としての、願いや必然があって、一つ一つの現実が訪れていることが示されているのですが、本当にこの神理の通りになっている確信が年々深まってきていました。

今回は、劇の役を拝命下さったのは高橋先生であり、先生がお二人に托して下さっている深い御心があることは間違いないと感じていました。

どこまで深められるかは分からないけれども、先生の御心を知りたいという願いを深めつつ、神理実践で出会いを深めていきました。

煩悩に切り込む勇気

最初はお役を頂いた先人の人生を深めていったのですが、途中から何でその役を頂くことになったのか、魂としての必然を深めることになりました。

意味の地層の神理で読み解きながら、深めていったのですが、次第にそれぞれの抱えている内なるテーマに迫っていきました。

意味の地層
ご著書「魂主義という生き方」 115Pより抜粋
https://www.sampoh.co.jp/books/tamashiishugi/

その過程で、これまで体験してきた様々な苦しみについても、心を開いて話して下さったのですが、その痛みが自分の魂に突き刺さるように感じられてきました。

これだけ苦しんでいる仲間がいたのに、自分はその痛みを感じることもできず、自分のこと、目先のことで一杯一杯になって歩んできてしまった事への申し訳なさで一杯になりました。

同時に、先生がどれだけお二人の魂を愛され、ずっと見守り、導き続けて下さってきたのか、その思いがひしひしと伝わってきました。

また、お二人の中には、一時期、願いを見失いプロジェクトから距離を置かれていた期間がありました。

そのような、なかなか御自身で気づくことができず、向き合うこともできていない煩悩に対しては、思いっきり切磋琢磨させていただきました。

ただ、煩悩に切り込むのは、切り込む側にとっても非常に勇気が必要となります。

相手の方が受けとめきれない状態にもかかわらず指摘してしまうと、関わりが捻れてしまい、逆縁になってしまう危険もあります。

なので、相手の方への細心の注意を払いつつ、煩悩地図や因縁側人類の曼荼羅を基に、一緒に煩悩への発見を深めていきました。

かなり時間がかかったのですが、最終的に、長年苦しめられてきた煩悩を一緒に見破ることができました。

それは同時に、お役を頂いた先人からの知恵の伝承を頂くことになり、それぞれの役をお与えくださった先生の御心との深い出会いとなっていきました。

木村摂津守からの智慧の伝承

同伴させて頂いたお一人の木村摂津守の場合は、次のように深まっていきました。

霊操を深め始めた頃は、あれだけ恵まれた環境に生まれた木村さんが、何で私財をなげうってまでアメリカに渡航してしまったのか、その理由が全く分かりませんでした。

しかし、一緒に木村さんの人生を深めつつ、御自身の歩みを振り返ったときに、因縁側人類として人生の使命を果たしていった木村さんに対して、果報側人類としてまだ自らの人生の使命を生ききれていない自らの未熟さがハッキリと掴めてきました。

ある意味で、木村さんが自分達より境地が高いために理解できていなかったのですが、先生から頂いた曼荼羅に照らし合わせることで神理への理解が深まり、同時に先人から智慧の伝承をしていただくことになりました。

因縁側人類 : 頂いた役割ははたらきの要請
果報側人類 : 頂いた役割は自分の証

こうして、先生から公案のように与えて頂いた役のいのちを深めることを通して、自らの魂としてのテーマを深め、超えていくチャレンジをすることになりました。

そうして、お二人から、先人研究を通して深まった自らの歩みへの後悔と願いの分かち合いは、劇チーム全体の霊操の深まりにもつながっていくことになりました。

神理実践の同伴する側が頂く功徳の深まり

お二人からは、霊操を深め、長年解けなかった煩悩のからくりを発見できた事への感謝の言葉を頂くことになりました。

しかし、今回は私の方こそ多くの功徳を頂きました。

一つは、この20年、青年塾で歩ませて頂きながら、同志との友情に応えることができなかた後悔を深め、その生き直しをさせて頂くことになりました。

また、もう一つは、どんな状況に合っても見守り続け、導き続けてくださっている、先生、神様の御心を深く感じさせて頂くことになりました。

そして、神理への確信を改めて深めることができました。

青年塾時代、TL教育のお世話をしてきた方から、神理実践の同伴を傍で見せて頂く機会を多く頂きました。

その方からは、神理実践の同伴は、同伴する側の方が頂く功徳が大きいと教えて頂いていました。

これまで、あまり実感が無かったのですが、今回は少しそのことが感じられました。

『「まこと」を伝承する人々』の物語の反芻

また今回の同伴を通して、内村鑑三の人生の反芻に一緒に取り組み、試練の意味を深めていきました。

またもう一つ、先生が「人間のまなざし 正命・出会いの神秘に生きる」という本に書いて下さった『「まこと」を伝承する人々』の物語も反芻することを提案させて頂きました。

提案した手前、私自身もこの物語を何度も反芻することになりました。

物語の中には9人の修行僧が出てくるのですが、異国の村に法を伝えるための旅に出かけていきます。

旅の途中で、様々な試練があり、ある人は「待遇」に、またある人は「権威」に、「情」に、「快」にのまれて、旅から脱落していきます。

脱落していった一人一人の弱さは、私自身がこれまで経験してきた弱さでもありました。時に「権威」を求めたりして、願いからずれてきたことが思い出されました。

同時に様々な事情があって離れていった仲間の姿とも重なっていきました。

そして異国の村に辿り着けたのは、最も体の弱い一人だけになってしまいました。

村人は、途中で脱落していった、8人は失敗したという評価をします。

それに対して、長老のまなざしは全く異なっていました。私はこの長老と、先生のまなざしが重なるように感じられました。

以下に、長老の言葉の一部を抜粋させていただきます。

「彼らは皆、初志に敗れて、脱落していった。だから彼らの信は強いものではなかったかも知れない。しかし、罪の意識を皆が少なからず抱いている。それはどういうことだろうか。その罪の意識には、自らが再び生まれ変わりたいという願いもあるのだ。それは単なるバツの悪い後悔の念なのではない。魂の中心からやってくる願いなのだ。彼らの中の幾人が、その願いに気づいているだろう。私はその願いを皆が見出すことを祈らずにはいられない。」 

(人間のまなざし 正命 48Pより抜粋)

今回、同伴させて頂きながら、直接言葉に表現せずとも、ある罪の意識を持たれてきていることが感じられていました。

心を不自由にさせる束縛のようにもなられていたのですが、そのことが何かとても大切な気がしてならなかったのですが、何でなのかは自分でもよく分かりませんでした。

しかし、この長老の祈りに触れて、その理由が分かりました。

罪の意識は、その中心にある魂の願いがあるからやってきていました。

時に煩悩に飲まれて、例え共同体から離れることがあったとしても、魂の中心にある願い、先生との約束を魂は忘れることはあり得ない。

先生も離れていった仲間のことを、ずっと祈り心で見守り続けてくださっていることが改めて感じられてきました。

命作網_そして伝道へ

こうして、同伴も深めつつ、CGや道具転換など、様々な要請に応えて、伝研セミナーの劇を具現していきました。

それこそ、誓願で書いたように「キリキリの現実の中での神理実践」となっていきました。

いくつもの試練を超えて更なる青写真にアクセスし、ジョン万次郎の劇では最高のレベルに導かれていきました。

その後お受けした、先生のご講演は1977年の「ミカエル宣言」から始まって、本当に衝撃的な内容だったのですが、何十年に一度のご講演だったとお聞きしています。

ご講演の中で、先生は「命作網」についてお話し下さいました。

2014年9月14日 2014八ヶ岳伝道者研鑽セミナー(GLA八ヶ岳いのちの里大講堂から全国8カ所に中継)

それまで、何で先生は自分だけではなくて、母や、お婆ちゃんを救ってくださったんだろう?

会員として日も浅く、ほとんどGLAに来れていなかったのに?

自分が熱心にやっているから、御縁のある方まで助けてくださっているのかな?とどこかで思っていました。

しかし、ご講演を深める中で、私につながる一人一人が先生と御縁のあるお一人お一人であり、先生との約束を抱かれていたことが感じられてきました。

逆に、自分自身が先生に甘えてきたために、御縁のある皆さんを先生にお繋ぎしてこれなかったことが見えてきました。

もう、先生への甘えを卒業しなければならない、そして、今度は私が命作網につながるお一人お一人との約束に応えて、先生の使徒として働ける私に生まれ変わっていきたいという願いが溢れてきました。

「愛される側から愛する側へ」

今回、同伴のいのちを深めることを通して、先生がどこまでも深くお一人お一人を見守り導き続けて下さっていることが感じられてきました。

また、伝研セミナーのご講演を通して、先生が命作網につながる一人一人との約束に応えて下さっていることも感じられてきました。

いずれも、先生は自分を越えて導いて下さっているのに、弟子である私は先生に甘えるばかりで、先生の祈りに応えてこれなかった後悔が深まりました。

「愛される側から愛する側へ」、先生の御心と共に使命に応える私へと変わっていきたいと心に誓いました。

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