GLAの豊心大学セミナーで、大船渡のTさんが父を先生に繋いでくださって、そのお陰様で父が先生と話すことができ、先生は父に特別供養の話をしてくださいました。
私はGLAの地域のお世話のプロジェクトが忙しくなってきていたのですが、それでも少しでも東北に恩返しをさせていただきたいと思い、なんとか調整して東北のチャリティーコンサートのお手伝いに行かせていただくことになりました。
Contents
東日本大震災を経験されたおばあさんとの出会い
松野やという食堂でお昼ご飯を頂いたのですが、店主のおばあさんがマイクを片手に若いころの話を始められました。事前に何も聞いていなかったので、驚いたのですが、途中から震災の話になりました。
癌の大病をされて、もう生きている時間もわずかという時に震災を体験されていました。
かつてチリ地震で身内を亡くされた体験をされており、東日本大震災が発生した時に、ものすごい津波が来ると思ったそうです。
病院に津波が押し寄せてきて、皆さんに押し出されるように、なんとか屋上にたどりつかれたのですが、そこでの看護師さんの言葉は強烈でした。
「あなたたちは生き残ったということは、神様に選ばれた人たちです。それは生きて果たすべき使命があるからで、飛び込んでも救うことはできません」
そのように言われて、飛び込んで救うことを諦めたそうです。
そして、ステージ5の癌を患っていたにもかかわらず、困っている人を助けるために炊き出しを続けたそうです。
そうしているうちに、いつの間にか癌が消えてしまったそうです。
その後、もっと多くの人に食事を届けるために、食堂をオープンし、家族を失った仮設住宅の皆さんのために、10年以上食事を提供してきたということでした。
一生懸命みんなを助けようとしたことが、結果として自分を助けることになられたんだろうなと感じました。
合唱の中でもたらされたユニバース体験
東北のチャリティーコンサートの合唱の練習の時間は、ずっとカメラ撮影をさせていただきました。
時々、歌が心に入ってきて、涙とともに深い情動が溢れるようなことがありました。
『翼をください』の曲はGLAに入会する前から、曲を聴いていると魂からの深い情動が溢れてきて、涙が溢れてきていました。
2023年の青年講演会の準備をしている最中に、1995年の青年セミナーを思い出していたのですが、この当時は先生から『旅立ち』という曲を頂いて、セミナーでいつも歌っていました。
「ある日 あなたは私に 永遠の翼をくれた
どんなに風が強くとも
勇気を胸に 試練を超えて 大空に飛び立てるように」
この曲を歌っていると、先生から翼を頂いているイメージが浮かんでくるのですが、この『翼をください』と繋がってゆきました。
魂としての自分に回帰し、あの世とつながるような感覚になっていると、先日ご供養したYさんの感謝の思いが伝わって来ました。
改めて、Yさんが光の世界につながったんだろうなと実感しました。
東日本大震災 津波の恐ろしさ
翌朝、東日本大震災の記念館に行きました。震災の写真や、破壊された車など様々掲示されていて、改めて津波の破壊力の大きさを実感しました。
また、炊き出しの様子の写真もあり、前日お聞きした内容は、このような状況だったんだなと引き寄せられました。
海外から、日本の復興のためにこられていた写真も多くあり、世界中からの支援が様々あったんだなと思いました。
震災が起きた時の状況が詳細に残っていたのですが、最初に小さい波が到達し、「今回も大したことなかったね」と安心して戻ってしまった方が多くいたという話でした。
その後、超巨大な津波がやってきて、亡くなった方も多くいらっしゃったという話でした。
また、津波は土砂を含んでいるために黒くなっており、通常の波よりも破壊力が大きいことも書かれていました。
また、この1週間で起こった地震が世界地図上にマッピングされている展示物があったのですが、太平洋の周りの地域が多く、特に日本は集中していることがわかりました。これから南海トラフの地震が来ると予想されていますが、準備の必要性を実感しました。
熱中症との過酷な闘い
コンサート会場に到着して、準備を始めて行きました。
熱中症の警戒アラートが温度湿度計を確認すると、熱中症になるリスクがかなり高い状態となっていました。
「これは危険だ、このままだと熱中症になる人が出てくる」と思い、熱中症になる人0を目指して対策を様々実行して行きました。
学校にはクーラーがなかったので、まずは体感温度を下げるためにサーキュレーターを適正に配置して行きました。10個ほどのサーキュレーターや扇風機を、できるだけ風が流れるように配置して行きました。
ただ、それでも限界があり、ご高齢の方の中には暑さでリハーサルに出られなくなる方も出てきてしまいました。
しかし、アスパイア(チャリティーの合唱を主催する音楽塾)のメンバーの中にお医者さんが2人もいらっしゃり、またクーラーの効いている部屋も途中から使えるようになったお陰様で、ギリギリのところで乗り切ることができました。
気仙喧嘩太鼓から感じられてきた魂願とカルマ
そうやって準備していたところで、気仙喧嘩太鼓の子ども達の演奏を見せていただくことになりました。
太鼓の響きに感動しつつ、笛の音の大切さも見えてきました。
笛の音は、どちらかというと裏方のような感じがしたのですが、陰徳の支えがあって太鼓の良さも引き出されるように感じました。
私は小学校の頃にブラスバンドに入ったのですが、学校の先生からは大太鼓を依頼されたのですが、太鼓よりも管楽器をやりたいと言ってトランペットを選びました。音楽の先生にはとても残念な思いをさせてしまったようなのですが、その当時は、大太鼓の働きが単純でつまらないと感じ断ってしまいました。
でも、今考えると要請に応える選択もあったんじゃないかな?と、子ども達の演奏を見ながら思いました。大太鼓は陰徳で全体を支え、皆を輝かせるような働きだと感じたのですが、自分の魂願としての働きに近そうだなと思いました。
高橋先生から、「上の人と捻れ続けてきた」とお言葉をいただいたことがあったのですが、ブラスバンドでも捻れ続けてきていたんだろうなと気づかせていただきました。
アスパイアの東北復興チャリティーコンサートスタート
気仙太鼓で、地元の皆さんが多く来られていたこともあり、部屋に入りきらないほどの多くの皆さんが参加されることになりました。
私は、今回は2台のビデオ撮影と、写真撮影を担うことになり、歌っている人と共に、会場の様子をずっと見せていただきました。
一曲目はカントリーロードだったのですが、会場には涙されている方がいらっしゃいました。その方もそうですし、きっとこの場に来ている震災で故郷を失った魂の思いもあったんじゃないかなと感じたんですが、その痛みが自分の魂深くにも伝わってきて涙が溢れてきました。
Oh Happy Day では、会場の皆さんもノリノリになり、会場から溢れた皆さんも一緒にダンスをされていました。
途中でブラームスの人生史が放映されました。ベースの動画は私が作成していたのですが、時間も経過したので、中身は変えられているんだろうなと思ったんですが、最後以外はほとんど変わっていませんでした。
みなさんと一緒に作った作品が、こうやって色々な人を励まし続けていくのは、本当にありがたいなと感じました。
ドラえもんの主題歌から深められた「観音の心」の菩提心
さらに演奏が進み、『ひまわりの約束』というドラえもんの映画の主題歌が始まりました。
「どうして 君が泣くの まだ僕も泣いていないのに 自分より
悲しむから 辛いのがどっちかわからなくなるよ」
という歌詞の一節が魂深くに染み入ってきました。
「そばにいたいよ 君のためにできることが 僕にあるから いつも君に ずっと君に 笑っていてほしくて」
ずっと見守ってくださっている観音様の御心が感じられ、自分の魂の中心のある祈りと繋がってゆくように感じました。
自分が苦しんでいる時に、先生は自分以上に苦しんで、涙を流してくださっていたんじゃないか、、、入会してすぐの頃に、先生のご映像を見ると涙が溢れてきて仕方がなかったんですが、自分の苦しみをすくい取ってくださろうとしている、先生の御心が自分に伝わってきていたのかもしれないと思いました。
「観音の心」の菩提心とは、観音様の心、先生の御心、そして自分の魂の中心にある仏性が一つになっているように感じました。
父を先生につないでくださった大船渡のTさんとの再会
コンサートは大盛況のうちに終わり、最後にきてくださった皆さんとの挨拶の時間となりました。
私の旅の目的の一つとして、豊心大学セミナーの時に父を先生に繋いでくださった大船渡のTさんに、感謝の思いを伝えたかったのですが、最後にお会いして一緒に写真を撮ることができました。
そうして、そのことをきっかけとして、叔父と、叔母も来年の八ヶ岳の豊心大学セミナーに来てくれるようになったことをお伝えしました。
すると、「来年はその叔父さん、叔母さんとも八ヶ岳で会わないとね」と言ってくださいました。なんとかそのような結果につながるように、私も心を尽くしたいと思いました。
日輪の祝福の下 先生のご講義へ
こうして、なんとか演奏を無事に終え、その日のうちに奇跡の一本松と、被災したユースホステル、復興中の松林を見に行きました。
翌日、東京に戻ってくる途中で、空が虹色に輝いていたのですが、日輪の一部だったことがわかりました。
先生のご講義が大阪で行われる日だったので、天上界も祝福してくれているのかな?と感じました。
そうして、先生のご講演が始まるタイミングでアスパイアに到着し、そのまま先生のご講演をお受けすることができました。
東北復興を通していただいた功徳の意識化
今回の旅は、豊心大学でTさんにお世話になったので、その恩返しをしなければと思って、行かせていただいたのですが、たくさんの東北の痛みに触れて、またそこに注がれている観音様の慈悲、高橋先生の御心を深く感じ、自分自身が癒される旅となりました。
でも、もっと長いスパンで考えた時に、何度も何度も東北に赴かせていただきましたが、そのことを通していただいたものが本当に多くあったことに気づかせていただきました。
今期のGGPで、高橋先生より、「必要な条件を背負う」「必要な人と出会う」「必要な出来事を経験する」と教えていただいていますが、自分にとっては本当にそのようになっていたんだなと感じました。
そう考えると、仕事であったさまざまな試練、そしてGLAのプロジェクトで経験した試練も、必要と必然があったのかもしれないと感じられてきました。
今年のGGPの学びを深めて改めてその先にある真我によって開かれる世界に向かいたいと思いました。
東日本大震災の時、翼を持った天使が救済してる姿を見たとか、映像に映っていたとか聞きました。大船渡のまつのやの女将さんのように肉体を持って天使と同じ働きをした人達もたくさんいたのでしょうね。私にとっての翼は「火の心」の菩提心です。
Junjinoさん、震災を通して、使命に目覚めて、働かれるようになった方たくさんいらっしゃるんでしょうね。
先日行われた青年講演会でも、大森さんが東日本大震災のプロジェクトで体験された内容が実践報告で分かち合われていましたね。
Junjinoさんは「火の心」なんですね。菩提心チャレンジこれから楽しみですね。