2024合同セミナー 「先生だったらどうされるか」から見えてきた危機克服の道

2024合同セミナーの開催が迫ってきました。

1週間前に、セミナーの事前合宿があった時には、あまり大きな問題もなく、仕事も比較的に順調に進んできており、取り組むテーマがあまりはっきりしない状態となっていました。

そこで、今後生み出すべき、未来の青写真について、思いを巡らせてゆきました。

Contents

テーマの進展ゆえに現れた課題

しかし、この1週間の間に、大きな進展があり、私が入社してからずっと抱いてきたデータに関する違和感の根本原因が明確になってゆきました。

この2年間取り組んできた仕事のテーマが原因を究明する内容だったので、テーマとしては大きな成果が出て良かったのですが、ただ想定以上に大きな問題であったことがわかり、約30年間損害を生み出し続けてきていたことがはっきりしてきました。

ただ主体となるべき部署の人が、その問題を解決しようと主体的になってくれていないように感じられて、悩みつつのセミナー参加となりました。

充実し過ぎ?なグループとの出会い

今回は新研修棟でお受けしたのですが、同室になった人を見ると、集中部門で一緒に支えてきた同年代のメンバーも多く、私にとっては全員知っている人でした。

青年の頃から一緒にプロジェクトを担ってきた医者のTさんや、一級建築士のMさんもいました。

ちょっと充実し過ぎているんじゃないかな?と感じたのですが、このグループになった必然が明確になるようにしたいと願いつつセミナーがスタートしてゆきました。

シートによる転換への期待

シートの取り組みを深める中で、今抱えている問題に対して、『新 祈りのみち』を深める取り組みがありました。

悩みつつ祈りを探していったのですが、「被害者意識にとらわれるとき」の祈りが深まってゆきました。

すると私の因の転換によって、相手の部署の皆さんは自然と問題を自分ごととして引き受けられて、解決へ動き出されるんだろうなと感じられてきました。

この調子でシートを全部取り組むことで、最終的には具体的な解決策がきっと見えてくるんだろうなという希望が感じられて、初日が終わってゆきました・・・。

星空教室 もう1人の自分からのかそけき声

初日の最後のプログラムとして、星空教室が開催されることになりました。

いのちの里にお昼に到着した時は結構雨が降っていて、どうなるかな?と心配していたのですが、夕方にはすっかりと晴れ渡り満月が出てきていました。

たくさんの星々を改めて見てみると、北斗七星があり、北極星も見つけることができました。地上の星から見ると、北極星は人生祈念館の真上にありました。

星を眺めつつ待っていると、間もなく先生がお越しになり、八ヶ岳の自然についてお話しくださり、先生が作ってくださった詩を分かち合ってくださいました。

先生のお話をお聞きしていると、自然と、求め求めて先生の下に集うことができたことが時空を超えて感じられてきました。

幼い頃から、どこかに真実を教えてくださる方がいらっしゃるんじゃないかと、ずっと探し求めてきていたのですが、知りたかったことをすべて教えてくださる師に出会えている感謝の想いが溢れてきました。

先生が語りかけられた時に、先生の呼びかけに応えようとしている、もう1人の自分がいることが感じられてきて、何かとてもあたたかい気持ちになりました。

禅定で深められた「もう1人の自分」と大いなる存在との絆

年初から姉に光を送る行を、家族でずっと続けてきていたのですが、セミナー期間中は、Line通話で家と繋いで祈りの時間を持つことにしました。

少し早めに地上の星に到着し、禅定に取り組んでゆきました・・・。

私自身は、これまで願いに対して道が開かないなという葛藤がずっとありました。

しかし、祈りを深める中でこの世界と人間の関係が感じられてきました・・・。

神様がこの世界に具現されんとする膨大なエネルギー、巨大な意志があり、その意志の下に、必要な人が呼び出されて、お応えするようになっている・・・。

神様、実在界からの巨大なエネルギーがあり、その意志に応えんとする「もう1人の私」の響き合いの中で、神意に叶った具現がされていくことが感じられてきて、これまで道が開かなかったのは、神様のエネルギーも感じられず、もう1人の自分も現れてきていなかったのでそうなっていたんだろうなと思いました。

2日目のシート取り組みの困難

2日目もシートの取り組みを深めていったのですが、セミナーのシートがなかなか引き寄せられず、文字はとりあえず埋めるのですが、ただ紙に言葉がそっけなく並んでいるように感じられてきました。

いつもは「すごい、すごい根本の問題が見えてきた」などと感動しながら深められていくことが多いのですが、こんなに大きな試練を迎えているのにシートが深まらないのはまずいなあと思いつつ、とりあえず進めてゆきました。

「先生だったらどうされるか」によって見えてきた一本の白き道

シートの取り組みも最後の問いかけに近づいていったのですが、先生のお誘いメッセージの中で、「先生だったらどうされるか?」と問いけかけていただくように感じた場面がありました。

それで、ふと「先生だったら今の私が抱える問題に対してどうされるんだろうか?」と改めて考えてみました。

もし先生がこの事態に関わられたら、、、相手の部署の方の気持ちを深く受けとめて、その方の心の中にある煩悩が取り払われて、後悔と願いを持って主体的に動いてゆかれるご縁になられるんじゃないかな?と感じました。

そのようなご縁になれていないのは、私自身の境地の未熟故であり、快苦で一喜一憂する心だから、道も開かれないことがはっきりと見えてきました。

具体的に言うと、問題の原因が分かった時に快の回路に入り、「ほらやっぱり自分の言っていたことが正しくて、あなたたちのやり方は間違っていた、これまでのやり方を改めて頂かないと困る」となっていました。

改めて自分の煩悩を振り返ると、快・暴流の「優位→支配/差別→枯渇/反感」になっていて、祈りとしても「干渉したくなるとき」の祈りがピッタリであることがすっきりと見えてきました。

「先生だったらどうされるか?」そのように受けとめることで、問題の現実と煩悩のつながりがはっきりと見え、それまでただの紙のように見えていたシートが全く変わってしまいました。

「もう1人の自分」と先生にお仕えする魂のイメージの一致

また、手応えを感じつつ自分が主体的に問題を解決しようとしていることに、どこか違和感を感じていたのですが、もう1人の自分、先生の御心にお委ねすることが呼びかけられていたんだな・・・自分自身の手応えを離れて、どうぞお使いくださいという境地になることが呼びかけられていたことが感じられてきました。

かつて、「悟りの九段階」の曼荼羅に現わされた「使徒見参」について先生がお話しくださったことがあったのですが、「宿命の洞窟をくぐり抜けることができました、どうぞお使いください」という境地になると教えていただき、ずっと憧れていました。

たしか「約束の丘」について先生がお話しくださった頃だと思いますが、私の魂(ヨーロッパ風の外国人のイメージ)が先生の御前に片膝をついて頭を垂れ、使徒見参しているイメージが心に浮かんでくるようになりました。

憧れの境地と、先生にお仕えしている魂のイメージがつながってゆくように感じました。

そうして、「もう1人の自分」について改めて考えてみたんですが、もう1人の自分である自他の境を越える魂の次元には、諸如来、諸菩薩、諸天善神、そして如来界の最高責任者でいらっしゃる先生の御心が含まれているんじゃないかなと思いました。

前回の読書会の時に、先生が姉に握手していただく機会があったのですが、その時に「先生が姉の病気を引き受けてくださっている」と強く感じました。

そして、先生が引き受けてくださっているのは姉の病気だけでなく、私の仕事を含めて、あらゆることを先生が引き受けてくださっているのかもしれない・・・。

そう考えると、善友の集いでのYさんの実践報告や、TL人間学シンポジウムでのTさんの実践報告でも、先生が仕事や会議の進め方についてまで、かなり具体的なアドバイスをしてくださって道が開かれた分かち合いがあり、まるで先生の実践報告をお聞きしているように感じたのですが、もう1人の自分を生きるということはそういうことなのかもしれないと思いました。

かつての青年塾の仲間の活躍

午後は、シンポジウムがあったのですが、登壇されているのは、かつて一緒に青年塾で活動してきた方がほとんどでした。

一緒にやってきた方が使命を果たされているように感じて、自分も続かないといけないなと思いました。

また、先生のご講演では、快苦に振り回されている心から、願いと後悔を抱く魂の次元を加えることで、呼びかけを聞いて、重い困惑の現実を願いへと運べるようになるということを教えていただきました。

このセミナーの直前に、地域のお世話の皆さんから色々と不満を聞かせていただく機会があり、どのように転換すればいいんだろうかと悩んでいたのですが、快苦に振り回される心から、魂の次元に重心を移すことで、地域の皆で試練を乗り越えて行ける希望が感じられてきました。

そして、神理実践報告は、かつて青年塾でご一緒にプロジェクトをされていた大手ゼネコンのHさんであり、理不尽だと感じることがあれば怒りが止められない時にはアトピーがひどく仕事も休みがちになって会社から最低の評価をされていたのに、「もう1人の自分」を感じて「このままの自分じゃだめだ」と心と現実の関わりを変え、理不尽だとも思える仕事の試練に向かったときに道がつき、異例の出世を果たされていった歩みが分かち合われました。

ここでもかつての青年塾の先輩が、社会で神理実践し、活躍されていることをお聞きして、私も営みでの結果を出せるようになりたいと思いました。

私自身も大分大きなスケールの取り組みになってきたなと引き気味に感じていたのですが、先輩はもっと大きなスケールでの神理実践をされていると感じ、自分の実践もまだまだと励ましていただいているように感じました。

このグループになった必然の喚起

部屋に戻って、同じグループの皆さんとご講演の感想を分かち合いました。私は、途中で少しぼーっとしていた所があり、先生のご講演の大事なポイントが抜けていてよく理解できなかったことを正直に話すと、メモを取っていた仲間が分かりやすく教えてくださいました。改めて、善友と一緒に神理を学べるありがたさを実感しました。

また、自然と私自身の実践を分かち合うことにもなり、姉の病気の同伴の実践、GLAのオブジェの創造での実践、また、八ヶ岳の先祖代々の御霊の奉納の歩みを分かち合わせて頂きました。

これまで、Buyanは何をやっているのかわからないと、仲間からも理解されず、評価もされない状態が続きてきたのですが、共同体に役立つ具体的な成果物が形になってきており、皆さんから様々質問をいただいて説明する関わりに変化してゆきました。

このグループになった必然を感じるとともに、関わりが変わってきたことを感じました。

神様ポストでの夏季特別供養取り組みのお知らせ

最終日の朝も、人生祈念館の傍で家族をLineで繋いで祈りをさせていただき、その後、人生記念館で神様ポストに母方の祖父、曾祖父、曾祖母にお手紙を書かせていただき、夏に特別供養をさせて頂くことを報告しました。

そのため、講堂に入るのが遅くなってしまいました。それでも仲間が席は取ってくれていたのですが、中央通路から少し外れてしまったため、先生と握手することは今回は難しいだろうなと思いました。

思いがけない先生との出会いへ

プログラムをお受けしていると、後ろの人が急に咳込み始めました。姉が病気なので、風邪を持ち帰るのだけはなんとか避けたいと思い、一旦後ろの方に退却しました。

最後列から、あらためて全体をみてみると、一番後ろの列の中央通路側が空いていることを発見しました。これはチャンスと思って、移動し、同じグループの皆さんも近くに来ていただきました。

ご退場時に先生はどんどん近くに来られたのですが、私たちの隣にいた皆さんが先に握手をされて、その後さっと引いてくださり、グループの仲間と中央通路の最前列で先生と握手する機会を頂きました。

私は、「姉のことを引き受けていただいて、ありがとうございました」と感謝の言葉を伝えさせていただきました。

すると先生は、「ええ、先日はお母様とお会いしましたね」とお言葉をかけてくださいました。

先生は姉だけでなく、家族全体を引き受けてくださっていると感じました。

そして、グループの皆さんにも、具体的なアドバイスとして、ウイズダムの取り組みについても触れてくださり、本当にありがたい出会いを頂くことになりました。

試練を引き寄せていたのは他ならぬ私自身の魂でした!

今回のセミナーで特に心に残ったのは、全てを先生が引き受けてくださっており、「もう1人の自分」を生きるということは、先生の御心、智慧につながる自分を引き出すということでもあること、、、。

そしてもう一つが、これまで普通の人がなかなか出会わないような非常に大きな問題に遭遇することが多く、何でこんなに理不尽な目にばっかり合うんだろうか?と感じてきたのですが、試練より先に魂の願いがあり、大きな試練に出会っているということは、それだけ大きな魂の願いを抱いており、ほかならぬ自分自身の魂が、試練を引き寄せていたということが心底実感できました。

そうして、試練の先には、応えたい願いと現実があることを深く受納させていただきました。

セミナーシート紛失の危機を乗り越えて問題の解決へ

セミナーの翌日、シートに取り組んだ内容についての仕事の会議がありました。

相手の部署の方からは強い理不尽さと不満が炸裂し、非常に危うい状態となったのですが、周りの皆さんが両者の気持ちのずれを整理してくださり、最終的にはBuyanに任せますという結果となりました。

もしセミナーに参加せずにこの会議に臨んでいたら、周りの皆さんの助力を得られず、決裂する結果になっていたんじゃないかと思います。

ただ、そのまま進めることに違和感があり、いったんペンディングして、もっと様々な角度から問題を確認してゆきました。そうする中で、関係も改善してゆきました、、、。

そこから更にどのように進めようかと悩んでいた所で、このブログ記事も書いていたのですが、なんとセミナーシートが紛失する事件が発生しました。

かなりショックだったのですが、これは再度深めなさいという呼びかけかもしれないと感じ、家族のシートをコピーさせていただいて、再度取り組みなおしてゆきました。

今度は、自分の快・暴流をしっかりと意識化し、祈りも「干渉したくなるとき(世話を焼きたくなるとき)」を設定して取り組むと、一気にシートが深まってゆきました。そして最後に、「もう1人の自分」として先生だったらどうされるかを深めていった所、相手の部署の皆さんに喜んでいただきながら改革を進めてゆく段取りがすっきりと見えてきました。

快苦で一喜一憂する心では、暗転の現実しか生み出せないけれども、先生の御心にアクセスし、菩提心に転換することで、宇宙と響働して、ゆくべき道へと運ばれてゆく道筋がサーっと見えてきました。そして具体的な現実の転換へと導かれてゆきました。

今回のセミナーは、計らずも終わった後で深める重要性を教えていただくことになったのですが、一回一回のセミナーを大切に深めつつ、更なる神理実践に向かって参ります。

2 thoughts on “2024合同セミナー 「先生だったらどうされるか」から見えてきた危機克服の道”

  1. 1976年法の継承の後にGLAが混乱したことの後悔から、「全員がリーダーであり全員がメンバーであり、全員が教師であり全員が生徒である場を作りたい」と願われた先生。自分の愚かさも、試練を受ける厳しい現実も包み隠さずにお話し出来て、「私が変わります」を実践していける私達会員は本当に幸せです。改めて先生ありがとうございます。

    1. 「全員リーダー全員メンバー」という先生がお作りくださったGLAの風土があるからこそ、自分の未熟をブログに書けるんでしょうね。もしこの原則がなかったら、薄っぺらいことしか書けなかったんだろうなと思いました。

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