かけ橋セミナーで、姉を担当してくださっているTL医療の先生お2人と話すことができ、今が八ヶ岳に行くチャンスとアドバイスをいただきました。
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家族での人生史セミナーの参加へ
今年の夏は、夏季の特別供養を浅草でさせていただくこともあり、実家に帰省しませんでした。その代わりに、人生史セミナーに父を浅草に招待させていただくことを提案したところ、父も快く引き受けてくれました。
その後、順天堂大学病院での診察の結果、姉の治療の段取りが予想よりも早く進められ、その結果、姉は八ヶ岳には行けなくなってしまいました。
そこで、父も浅草に呼んで、家族の皆で家でG.ライブ(GLAが提供するオンライン研修)で人生史セミナーを受けることになりました。日程が重なってしまったため、残念ながら東北復興チャリティーコンサートににボランティアとして参加することはできなくなってしまいました。
奉納した親族の映像拝聴
私が人生祈念館に奉納した祖父母の映像は、既に完成していることがわかりました。
そこで、父方と母方の祖父母4名の映像を、家族で一緒に初めて見せていただくことになりました。
ただ、姉は体調が悪く、受けられなくなったので、父と母と私の3名でお受けしました。
全ての始まりとなった芳雄さんのご供養の深まり
聖堂の横の小さな小部屋でお受けしたのですが、最初に父方の祖父の芳雄さんの映像をお受けしました。
芳雄さんの物語をお受けして改めて思ったのですが、もともと芳雄さんのご供養を最初の頃に実施した時は、芳雄さんが暗い世界にいたように感じたのですが、ご供養を通してあの世の芳雄さんの病気が治り、光の世界に帰ってゆかれるようになったことを感じることができたことがきっかけとなり、この10年ほど親族全員のご供養をすることにしました。
その後芳雄さんのご供養をした時に、「人生祈念館の光の柱の一つとなりたい」という芳雄さんの魂の願いが伝わってきて、そのことをきっかけとして、親族全員を人生祈念館に奉納することにしました。
そして、先生の特別供養の場に初めて参加して、先生を通して語りかけてくださったのも芳雄さんでした。
そう考えると、芳雄さんに導かれた部分が非常に大きいことを感じ、親族全員を導いていただくことになっていたんだなと思いました。
最後の最後まで道を求めたカヨさんの物語
その後、カヨさんの映像をお受けしました。熱心に仏教を求めていたカヨさんが、GLA会員として、感謝・感謝の晩年を生きられ、特別供養を通してずっと救いを求めてこられていた、まことの極楽浄土の世界へと導かれていった感動の思いが改めて伝わってきました。
また、カヨさんのお話は、地域で余命幾許となる方が出てきた時に、カヨさんの最期の姿をお伝えする機会がなん度もありました。その結果、会員になってあの世に帰られることになった方も数名いらっしゃり、カヨさんの信仰心が光となってこの世に伝わってきているなと改めて感じています。
厳しい世界から救われた林平さんの物語
そして、つい先日特別供養をさせていただいた林平さんの記録を見せていただきました。
林平さんに関しては、あまり詳しい人生のことはそれまでわかっていなかったのですが、ここ最近、母から色々とかつての思い出を教えていただくようになり、自殺未遂するほどの苦しみがあり、その後、半身不随になって、どうにもならない理不尽さを噛み締められていたことがわかってきました。
そして、特別供養の場で救われ、光の世界に導かれて行ったことを教えていただくことになりました。映像を流してくださったのは、これまでずっとお世話になってきたKさんだったのですが、その経緯をお伝えさせていただいている時に、本当に救われてよかったというか感極まる思いが溢れてきました。
林平さんもかなり苦しく、厳しい世界にいらっしゃったようなのですが、そこから救われて本当に良かったという思いが涙と共に溢れてくることになりました。
そして幸江さんの取り組みへ
そして、最後に幸江さんを見せていただきました。次の春の供養は、浅草でさせていただこうと思っていたのですが、お兄さんで、美人画の画家の春美さんの供養も一緒にしたいと考えています。
父と母のナレーションでの映像構成を始めてみせていただいて、祖父母の皆さんが本当に特別供養を通して救われてきている実感を深めることになりました。
また、生きている私たちの人生の栞はまだ中途半端な状態なので、人生史セミナーの取り組みを深め、人生の栞の完成に向かいたい願いを分かち合ってゆきました。
浅草でのお葬儀屋さんのTさんとの出会い
父は、八ヶ岳の豊心大学に行ったときに、色々な方と友達になっていたのですが、喫煙所でよく会う、Tさんと特に仲良くなっていました。
TさんはGLA会員の葬儀屋さんとして、総合本館でのお葬儀もよく担ってくださっています。
ちょうど父と同じくらいの年齢の方なのですが、父もTさんの言うことは素直に聞いて、信次先生の「人間釈迦」の本を読んでくれたりしていました。
またTさんにとって父はエリートらしく、Shellの営業マンをしていたそうなのですが、自分が考えているよりも、父は凄いんだぞと教えてくださいました。
また麻雀の話や、父が姉の出産に立ち会わなかったことについても教えてくださり、当時はみんなそうだったと教えてくださいました。
当時は、そういう時代だったんだなと教えていただくことになりました。
人生史セミナー 事件の真相を解明し親族間の再結へ
人生史セミナーではそれぞれ取り組みを深めてゆき、ミーティングも何度か持たれました。
ただミーティングの時間だけでは今一つ深めきれない部分もあったので、セミナーが終わってからも、特に知りたかった事件について詳しく教えてもらうことにしました。
父が祖父から靴屋を受け継ぐことになった時の事件について、GLAで教えていただいたように、事実と感情を分けて、事実のみを明確にしてゆきました。
すると母にとっても聞いていたことと、事実が違っていたことがいくつもありました。
一番近くにいた母でさえ理解していなかったので、親族間の間では更に事実がきちんと伝わっておらず、捻れが増幅していたんだろうなと思いました。
またこの事実が伝わっていないために、誤解されている部分もあるんだろうなと感じることもありました。
父に聞いても、分からないことがいくつかあったので、親族にも記録を見ていただいて、事実をより明確にすることで、骨肉の争いとなっている親族間に再結がもたらされるよう、なんとか神理実践にチャレンジしたいと思いました。
後智慧しての充実した東京観光
スカイツリーは家から1kmほどの場所にあるのですが、1000円ほどかかるので昇ったことは一度もありませんでした。
ただ、せっかく父が来てくれたので、家族での思い出作りと思って、スカイツリーに一緒に登りました。

そのあとでソラマチも回り、家族で中華料理を食べました。
また前回、豊洲観光をしていてteamLabがあったので体験しようとしたのですが、夕方まで予約がいっぱいで入ることができませんでした。
今回は、最終日に事前に予約をしており体験することができました。お台場で一度体験したことがあり、今回は2回目だったのですが、このような体験型のアートを自分も具現できるようになりたいと思いました。
前回の失敗を後智慧して準備したこともあり、今回は東京観光を満喫してもらうことができました。

空港での父の人生曲線への理解の深まり
豊洲での観光の後で、父を送り出すために羽田空港に行きました。
空港の待ち時間に、スタバでコーヒーを飲みながら、改めてじっくりとした出会いの時間を持つことができました。
最初、父にもっと神理を学んでほしいとお願いをしたのですが、父が反発してきました。
これはいつもの関わりになっており、快・暴流で関わっている結果なんだろうなと思いました。
そこで、一旦その関わりをとどめて、「稲穂の心」の菩提心を念じながら出会ってゆくと、自然と父の人生史をじっくりと見せていただく事になりました。
父が作ってくれた人生曲線を見てみると、自分が生まれた後の時代は基本的に快の状態になっていました。
自分としては、様々な試練を幼い頃から経験していたので、父も苦労していたのかなと思い込んでいたのですが、基本的に楽しかったということでした。
父がそうやって、悠々自適に遊び中心に生きており、その分真面目な母が苦労しており、ストレスを一身に抱え込んでいたのですが、父も幼い頃は、食糧不足で食事がまともに摂れなかったり、母親から差別をされて苦しんでいて、その後は基本的に楽しく人生を送ってきていたということでした。
そんな父にとって、姉の病は、人生でも最大級の試練で、自分ではどうすることもできない試練に打ちのめされているということでした。そんな厳しい試練に対して、GLA、先生によって救いへと導かれており、私も支えになっていることで、GLAへの感謝を初めて感じるようになったことが分かりました。
これまで父に神理を勧めても、ずーっと拒絶され続けてきたのは、基本的に父は快の状態にあったので、学ぶ必要を感じていなかったということでした。
スタバでの2時間ほどの待ち時間に、人生史セミナーでわかったことを様々教えていただくことで、「あーそういうことになっていたんだ」と気づくことが多々あり、全体像を理解することになりました。
改めて私自身の人生の相対化
家族がどのような人生を歩んできたのか、理解が深まる中で、自分自身の人生についても相対的に受けとめられるようになってゆきました。
私は幼い頃に母から折檻を受け、自己不信、他者不信、世界不信の塊のような心となり、恨みをたくさん背負い込んで、自分ではどうすることもできないような状況に追い込まれてゆきました。
更に、受験戦争で高校受験に失敗したことも大きく、高校時代は恨みを中心としてなんとか這い上がってやると闘争心で一杯になっていました。また、家の霊的現象に悩まされ、救いを求めて宗教を探すようになりました。
大学受験でも失敗し、更に絶望的な思いになってゆき、19歳の頃に苦しみのピークがありました。自分ではどうすることもできない悩み、苦しみでいっぱいになっており、こんな自分は絶対に救われないという絶望感を抱いていたところで、高橋佳子先生、GLAと出会い、救われていった歩みとなっていました。
母と姉は比較的に早くGLAに入会したのですが、あまり必然はなかったようでbuyanが勧めるから、という理由で少しずつ学ぶようになってきていました。
同じ家族でも受けとめ方が全く違っていることに驚いたのですが、自分にとってはこれしかないという道を選んできていました。
改めて人生がどのように導かれてきたのか全体像が見えてきた時に、どのように救いの御手が差し伸べられていたのかが感じられてきました。
そして、神様の御心、自分自身の魂の願い、そして先生の救いの御業がつながってゆきました。
自己不信、他者不信、世界不信になっていた心から、自己の魂への信頼、他者、世界への信頼、そして神様への信頼とつながってゆき、それら一切の転換を導いてくださっている先生への信、感謝が深まりました。
宿命から使命への大きな転換点につながる人生史セミナーを体験させていただいたんじゃないかと思います。