6月の海外出張から始まった劇チームの歩みでしたが、伝研セミナーの劇も終了し、残すは後智慧の発表会のみとなりました。
伝研セミナーにおいては、「ジョン万次郎史上最高の劇具現へと導かれた!」という実感が皆にあったので、後智慧の発表もかなり充実したものになることは予想されました。
ただ、その具現への道のりは、当初の予想を遙かに超えた試練に次ぐ試練を乗り越えていく歩みとなっていきました。
Contents
劇本番に向かう飛躍的な進化の歩み
後智慧の発表内容を明確にするために、ホワイトボードに事件や出来事を一つ一つ思い出しながら、書き込んでいきました。
劇は時系列で言うと、前泊の通し稽古、セミナー初日のゲネプロ、そして二日目の本番と進んでいくのですが、その間にどのような事件があったのかを振り返っていきました。
まず、最初に意識化されたのは、1週間前の八ヶ岳での合宿がとても良かったのに、前泊の通し稽古でボトム(最低ライン)に落ちてしまった事実でした。
後智慧の取り組みにおいて「通し稽古はヌルッとスタートし、グダグダだった」と評価しました。
しかしその後、通し稽古のボトムの状態からゲネプロ、そして本番へと飛躍的にレベルが上がっていきました。
単純に練習したから習熟してレベルが上がったという変化ではなく不連続な変化があったのですが、何でそうなったのかは分かりませんでした。
そこで次のステップとして、その原因を解明していくプロセスに入っていきました。
後智慧を深める作業は宝探し
多くのGLAのプロジェクトにも該当しますが、私にとっても後智慧への取り組みは宝探しのような感覚があります。
事態が光転するにしても、暗転するにしても、その背後にはお一人お一人の意識が密接に結びついています。
光転する場合は、それに関わる方々の菩提心があり、暗転する場合は煩悩があります。
後智慧を通して、それぞれの心と現実のつながりを発見することは、時にお一人お一人の人生を変えるほどのインパクトを持つことがあります。
長年抱えてきた問題の原因を発見できることもあります。
また、人間関係の課題を解決していく鍵を見出して、そこから新たな生き方を始めて行くこともできます。
そのような大切な智慧を発見するチャンスが後智慧の取り組みなんですが、この暗転から光転の流れの中に、どのようにそれぞれの意識が関わっていたのか、宝探しのような感覚で取り組んでいきました。
後智慧を通して事実というジグソーパズルの完成へ
暗転から光転への大きな流れを掴めたところで、更に詳細に何が起きていたのかを確認していきました。
しばらく時間が経っており、記憶が曖昧な部分もあったので、一日の終わりに取り組んだ後智慧や、翌日のプログラムを考えたウイズダムを振り返っていきました。
議事録には、ゲネプロが終わった後の重苦しい空気から、どのように自分たちの気持ちを立て直し、チームを立て直していったのか、変化の過程が書かれていました。
その内容の一つ一つが、あたかもジグソーパズルのピースがはまっていくように、大きな絵柄の周りを埋めていきました。
ここでいう大きな絵柄とは、前泊、ゲネプロ、本番の劇であり、ワンピースとはお一人お一人やチームの中で起きていた物語です。
そうして、劇全体の流れの転換と、お一人お一人の意識の転換が見事につながっていきました。
内外エネルギー交流ドキュメンタリーの智慧
こうして、劇の流れの全体像が見えてきたときに、試練の中でチームを支えていたキーワードがあったことが見えてきました。
それは次の二つの言葉でした。
・崩壊の定の川の流れに逆らって、みんなが一つとなって歩み続ける。
・自分革命によってその先を切り拓き、最高の劇を具現する。
この言葉は、伝研セミナーの劇のウイズダム作成時に、皆で作った劇の目的でした。
試練を前にして落ち込んでいるときに、改めてこの目的に立ち返ると、皆で願いを喚起することができ、更なるチャレンジへと立て直すことができました。
この重要な鍵となった言葉を、どのように作っていったかというと、青年塾の収穫のセミナーにおける先生の「内外エネルギー交流ドキュメンタリー」のご指導から来ていました。
2014年8月31日 第21次グローバル・ジェネシスプロジェクト第3回講義(渋谷公会堂から全国44カ所に中継)
このご指導において、先生は3人のAgent(かけ橋セミナー期間中に、直接子供達をお世話する働きを担うプロジェクトの名称)の歩みを、三日間の映像記録としてのドキュメンタリーと共にご紹介くださいました。
先生はこれまでも「一回のプロジェクトは一転生」とご指導くださっており、一回の人生の中での繰り返しに止まらず、幾転生超えられなかった転生の繰り返しを超えていく智慧を、プロジェクトを通して体得することができることをお伝えくださっていました。
かけ橋セミナーのプロジェクトの三日間においても、3人のAgentの歩みには人生の相似形が現れており、三人はプロジェクト期間を通して起こる試練に対して、「試練は呼びかけ」と受けとめて「私が変わります」と自分革命を起こしていく中で、これまでの人生の繰り返しを克服していかれたことを先生が分かち合ってくださいました。
こうして、人間の内なる精神世界と、外なる現象世界の間で起こっている内外エネルギー交流を、ドキュメンタリーとして拝聴することで、お受けてしている私たちにとっても心眼が開いていくような感動的な体験を頂きました。
それを見た道具チームの皆で、あのAgentチームのように試練を超えるチャレンジをしたいという願いが生まれていきました。
その思いを、言葉に結んだのが、二つの目的でした。
道具チーム内に起こった内外エネルギー交流の転換
そのように願って歩んだ期間だったのですが、後智慧をすると、内外エネルギー交流ドキュメンタリーのAgentチームのように、様々な試練に対して、自分革命によって最高の劇へと導かれていたことが見えてきました。
道具チーム全体に起きていた転換も本当に素晴らしかったのですが、その背後には、お一人お一人のメンバーの感動的な人生転換の歩みがあったことも見えてきました。
この時点で、後智慧の分かち合いは、かなり素晴らしいものになりことは予想されました。
ただ、劇全体の転換と、道具チームの転換、そしてお一人お一人の意識や人生の転換を、一つの物語として表現しようとするとかなりのボリュームになってしまうのですが、それを10数分で分かち合うことはもの凄く難易度の高い発表になることも見えてきました。
これは千名程の参加者を対象とするような、セミナー級の分かち合いになることを予測しつつ、更に準備を進めていきました。
試練その1_先輩Aさんとの衝突
道具チームを担当してくださるAさんは、時々道具チームに来て、色々と相談にのってくださっていました。
もう十年以上前になりますが、私はAさん達のグループに対して不満を抱いていた時代がありました。
今から思えば、自分自身の煩悩にも気づけず、苦暴流で責めてしまっていたことを後悔もしていたのですが、そのようなかつて捻れてしまった関わりがありました。
この期間も、何度かAさんと意見の相違でぶつかることがあったのですが、これは10年前の後悔の生き直しだなと自分に言い聞かせ、神理実践シートを介在に関わりの再結に挑戦してきていました。
そのAさんから、後智慧の発表の方法について提案がありました。それは、若手のB君に進行を進めてもらおうというものでした。
試練その2_若手のB君の難しい進行へのチャレンジ
B君は、メーカーに勤めているエンジニアということもあり、これまでも何度かウイズダムを見せて頂いて、同伴してきました。
しかし、これまでなかなかウイズダムの水準を上げることができず、職場の試練も超えられない状態が続いていました。
しかも、これまで分かち合いの進行をした経験も殆ど無く、今回の内容を考えると、進行を担うことは難しいと感じていました。
Aさんからは、チャレンジさせて、結果失敗してもいいからとアドバイスを頂いていました。
ただ、ずっと劇を導かれ、お一人お一人のプロジェクトメンバーに関わってくださってきた先生のお心を思うと、失敗はなんとしても避けたいという強い思いがありました。
また今回の劇を通して人生の大転換をされた、同じチームの仲間の魂の歩みの尊さを思ったときに、その友情にもなんとしても応えたいと思いました。
そのように願うものの、どのように道をつけていけばいいか分からず、八方塞がりの状況に追い込まれていきました。
TL人間学セミナーでの転換
このような試練を抱えつつ、TL人間学セミナーに参加しました。
先生は、セミナーにおいて同志との関わりを見つめ直すシートを与えてくださったのですが、初めは仕事での人間関係について取り組んでいきました。
取り組んでいくと、職場の人間関係の課題と、劇の後智慧の課題において、同じ快暴流の煩悩で壊していることが見えてきました。
「優位ー支配/差別ー枯渇/反感」、「歪曲ー独尊ー孤立」の受発色によって、手応えに執着し、問題を一人で抱え込もうとしていました。
この煩悩がつくり出している限界を突破するために、「稲穂の心」と「月の心」の菩提心を育むことを心に定め、B君がこの働きを担えるように、徹底して同伴しようと心を定めました。
また、Aさんにも、御一緒に同伴して頂きたいと、心を開いてお願いしました。
相手と一緒に転んでけがをする覚悟を持った同伴へのチャレンジ
こうして、B君が発信を担うことができるように、真剣な切磋琢磨の日々が続きました。
それこそ、日々の仕事でのウイズダム実践という基礎的な部分も含めて、一から同伴させて頂きました。
大変に厳しい、試練の連続の歩みとなったのですが、通常の自分で準備して発表するのと比較すると、3倍以上のエネルギーをかけることになりました。
失敗を許容しつつ、できるだけチャレンジしてもらい、できなかった部分は最後的な責任をとって、私の方で準備させて頂きました。
また、B君にとっても、この機会に沢山のことを学ぶことができたんじゃないかと思います。
初め、B君にはまだ難しいからと言って、そのチャレンジの機会を奪おうとしていましたが、今思うと、自分自身が楽をしようとしていたんだなあと思います。
振り返ると、B君よりもっと未熟だった時代から、私は沢山のチャレンジをGLAの場でさせて頂いて、失敗しながらも成長する機会を頂いてきていました。
今度は私が、そのような若手のチャレンジを応援する側に回ることが呼びかけられていたのに、そうしてこれなかったことが見えてきました。
先日、青年塾時代の仲間から同伴の心構えについて、教えて頂いたことがありました。
その方は、同伴する時は相手の方を尊重するが故に、敢えて手を出さずに見守り、失敗するときには一緒に転んで傷つく痛みにも耐えなければならないという話しをしてくださいました。
相手の方を愛し、信じるが故に、同伴者は時にその痛みを引き受ける覚悟が必要であるということでした。
今回はまさにそのような同伴を求められていたのですが、これまでそこまでの真剣な覚悟と、愛念を持って同伴してこれなかったことへの後悔も深まりました。
最後の試練を超えてチーム皆の功徳の分かち合い!
そのようなチャレンジをしつつ、分かち合いの内容の青写真にアクセスしていきました。
登壇された三名の内のお二人は、展開中の止観シートへの取り組みを通して、数年来のリーダー陣の波動戦争をしてきた煩悩をお互い発見し、シェイクハンドによって再結されました。
その後、道具チームの風土を若手の育成へと転換し支える側に回っていかれました。
それまで萎縮していた若手も、積極的に働きにチャレンジするようになり、結果として1時間以上かかっていた作業が26分で終わるという光転へとつながっていきました。
また、九州男児の御自身にとって、あってはならない苦衰退の恐怖心と真正面から向き合い克服していくことによって、講演会の伝道にも道がついた歩みを分かち合ってくださいました。
また、もう一人のリーダーを担われたSさんからは、突然の仕事の解雇の試練を通して、利用者さんに対して無関心だったことを後悔され、道具チームでも心を込めてメンバーさんのお世話することの歓びを体験し、ウイズダム実践でより願いに近い職場へと転職できた歩みが分かち合われていきました。
そして、最後は登壇したメンバーだけではなく、メンバーお一人お一人の功徳が分かち合われていきました。
自分の願いが分からず、神理にも確信が持てなかったCちゃんは、この期間で神理への確信を深め願いを発見し、東京への転職を成就していきました。
Dさんは、苦暴流でずっと壊してきた人生から、仲間のチャレンジを支えたいという願いから感謝を刻印する行に取り組まれ、これまでの人生で体験したことがない穏やかな心境へと導かれていきました。
他にも沢山の方が、劇の展開を通して、それぞれの人生の転換が起こっていった感動的な歩みが分かち合われていきました。
それは、もう一つの目的
・この劇を通して育んだ切れない絆とプロジェクト体験をもって、ターゲットフィールド、それぞれの約束の配置につく10年の始まりの伝研セミナーにする。
を具現していく歩みとなっていました。
こうして、前日のシミュレーションでの大失敗からは見違えるほど、感動的な後智慧の分かち合いとなっていきました。
また、道具以外のチームからの分かち合いも大変に素晴らしく、劇史上過去最高の後智慧会だったねと歓びを分かち合いました。
劇を通して頂いた恩寵 魂の願いへの道
こうして、劇の歩みが結ばれていきました・・・。
始まりは友人に誘われて、何となく始まった劇チームの歩みでした。
十数年前に「波頭を越えて」という劇を担い、その後、青年塾の働きのために、願いながらも担うことができなかったプロジェクトでもありました。
劇のプロジェクトが発足した当初、劇プロジェクトの皆で拝聴した先生のご指導をお受けして、私の中にはずっと大切にしてきた願いがありました。
それは、先生がいらっしゃらない間、このプロジェクトを守りたいという願いでした。それは、今年の劇チームの多くの仲間も、同じく大切にしてきた願いでもありました。
未熟な歩みではありましたが、それでも誘われるままに、共に歩む仲間の苦しみを背負い、先生の願われる劇の青写真具現に向けて一心に歩ませて頂いた期間でした。
そうして、何度も何度も先生に助けて頂いて願いへの道を歩ませて頂きました。
波濤を超えての劇終了後に、先生から次のような対話ご指導を頂きました
「今回分かったじゃない、名もなき一人として、黒子として、劇の中であーそうか、Hさんのあの歌の一節を、最後の一節を聞いたときに、いつも手応えがあって、そして出来る自分をやっていたい。どうだみんな俺はできるだろうと。一番でいなきゃ何かスッキリしない気持ち、認められなければスッキリしない気持ちではない気持ちが、あの瞬間、あー顔が見えずとも誰でもいい、支えさせて頂きたい。やっと一歩目まで来たのよ、ねー、これが捨てられなかったんだもん、やっとここまで来ることが出来ました。始まりの一歩につくことが出来ました。ならばもう後は、砕いて砕いて砕いて、私達が愚かさの自覚を知って、後は神様に使って頂きましょう。」
「愚かさの自覚を知って、先生、神様に使って頂きたい」その願いに導かれての歩みを頂いていたことを改めて思いました。
来年また劇を担えるかどうかは分かりませんが、先生、神様に導かれて遙かな願いへの道を歩んでいきたいと思います。