前回のブログ記事の中で、次のように書かせていただいていました。
『私も、先生から「お待たせしてしまってごめんなさい」とお言葉をいただいたことがあり、すぐにでも自分の技術を採用してくださるのかな?と期待したことがありました。
しかしその後、色々と提案しても返事を頂けなかったのですが、それは青写真にかなう具現がまだできていなかったんだなと思いました。
すごく納得がいったのですが、これまで繋がらなかったものが繋がる感じがありました。』
この内容は、CG関連の提案を様々させていただいて、その返事をなかなか頂けなかった2017年頃にいただいたお言葉でした。
CG関連の提案は、最近になってようやくGLAの葬制システムに関わるプロジェクトで、具体的にお役にたてるような結果を出せるようになってきました。
葬制システムの中に、刻銘碑がありますが、ご存じない方も多いと思いますので、改めてお伝えさせていただきます。
Contents
先生がお作りくださった新たな葬制システム
GLAには、高橋佳子先生がお説きくださる、円環的人生観に基づいた新しい葬制の仕組みが整えられています。
八ヶ岳いのちの里の、祈りの中心として「人生祈念館」があります。そして、「人生祈念館奉納」とは、会員お1人お1人が願いと後悔を重ねながら生きた人生の形見としての「人生記録」を、「人生の記念碑」としてお預かりするしくみです。
奉納された方のお名前は、「人生祈念館」の敷地内に設置されている「刻銘碑」に刻まれます。実在界を旅立ったあとも、同じ道を歩むお1人お1人との「永遠の友情」を
深め続ける──。そのような願いが込められてつくられたのが「刻銘碑」です。
八ヶ岳いのちの里 https://www.gla.or.jp/about/yatsugatake
GLAの葬制システムの一部として刻銘碑があるのですが、私も人生祈念館への申し込みはすでに済ませており、父、母、姉、私、叔父さん、祖父母、そして父方、母方の先祖代々の名前が、刻銘碑に刻まれています。ちなみに5号基の中央付近にあります。
祖父母が4名、家族+叔父さんで5名、先祖代々は6名x2で、合計21御魂が奉納されています。

先生から頂いた公案の答えを求めての長い道程
GLAの葬制システムプロジェクトで、お役に立てるようになってきたとお伝えしましたが、このGLAのお役に立つ具現をするということに対しては、2012年に高橋先生から頂いた公案がありました。
青年塾セミナーの準備のプロジェクトで「仕事でやっていることが(GLA)共同体の役に立ちますよ」とお声をかけていただいたのですが、それから約10年をかけて何がお役に立つんだろうかと探し求めることになりました。
仕事としては、3Dを使った設計をしたり、プログラムの開発をしたり、様々してきたのですが、会社で使っているツールは高価で、個人としては使うことが難しく、一体何の技術が共同体の何に役に立つんだろうかと、様々試行錯誤することになりました。
刻銘碑の前でいただいたユニバース体験
先生から頂いた公案の答えを探し求め続ける歩みの途中で、2018年のセミナー終了後に、先生が刻銘碑の前でお世話役の皆さんにお話しされる機会があり、私もその場に参加していました。
先生は、刻銘碑に刻まれている、既に亡くなられている会員の諸先輩との思い出を様々お話しくださいました。近畿会館を作られたKさん、京都のIさんの物語もありました。
求道者列伝とも言えるような、物語の数々をお聞きしながら、この場にその魂の諸先輩がいらっしゃり、先生との深い交流をされているような情動が伝わってきました。
そして、「この場はこの地上で最も聖なる場所」という直感のような思いが溢れてきて、涙が止まらなくなってしまい、大変な感動に包まれてゆきました。
自分でも何でこんなに感動しているのかわからなかったのですが、その後で葬制システムのプロジェクトにかかわる道が開かれてゆきました。今思うと、先生、神様からいただいたユニバース体験だったんじゃないかと思います。
人生祈念館への奉納、刻銘碑への記名を通していただいた功徳
そして、2020年の伝研セミナーの終了後に、地上の星で先生からお言葉をかけていただく機会がありました。
「人間関係に課題がありますね。もう少し落ち着いて話すことができたら、もう一つ上のプロセスの仕事ができるようになりますよ」
というお言葉だったのですが、その後人間関係で大変に苦労する期間が2ヶ月ほど続き、人生祈念館の申し込みをした直後に大きく流れが変化しました。
そして、先生がお話しくださったように、会社でももう一つ上のプロセスであるデザインの仕事をするようになりました。
それまで、GLA共同体に貢献しようと思ってCGの技術を磨いてきていたのですが、GLAで使われることはあまりなかったのですが、デザインでフル活用されるようになりました。
そうして、仕事のデザイン領域で新たに蓄積してきた技術が、今度はGLAの葬制プロジェクトで活かされるようになりました。もう一つ上のプロセスの仕事というのは、仕事のみならず、GLAのプロジェクトも含まれていたんだと思います。
こうして、10数年の時間をかけて、先生が与えてくださった公案である「仕事でやっていることが共同体の役に立ちます」が形に結ばれてゆきました。
魂の可能性を最大限に引き出してくださる先生の関わり
今回長いスパンで振り返らせていただきましたが、先生がポイント、ポイントで公案を与えてくださったり、ユニバース体験を与えてくださったことがつながって、ゴールデンパスのように導かれていたことが見えてきました。
最近、1977年に先生が19歳でMBGスクールを始めてくださった頃に、当時の青年としてGLA誌のミカエル宣言などのデザインをされていた方達の話を聞かせていただく機会がありました。
先生に何度も何度もデザインを提案されたらしいのですが、なかなかYesが出ず、とうとう原稿締切日の終電も終わってしまい、極限にまで追い詰められたところで最後にYesが出たそうです。
後から振り返って、先生は弟子の可能性が最大限に引き出されるように、あえてNoを出し続けてくださっていたと感謝の思いを語られていました。
私の場合も、10数年という時間をかけて、ずっとNoが出続けてきていたのですが、どうしても諦めることができず、ずっと取り組み続けてきていました。魂願の現れとして「・適当には見過ごせない強いこだわりがある」とありますが、まさにそれだったんじゃないかと思います。
やがて、社会的にも評価されるようになり、GLA共同体でも専門家の諸先輩にもお役に立てるようになり、具体的な成果が出せる道が開かれてきていました。
改めて、先生が77年の先輩の可能性を開いてくださったように、私の魂の可能性を開いてくださったんだと思いました。
一つの大きな環が結ばれ、次なるグレートカオスへの道が開かれてきているように感じていますが、先生、神様の願われる青写真具現に向けて、更なる挑戦に向かってまいります。