2024年春、豊心大学セミナーの季節がやってきました。
母は姉の看病があるため、東京で受けることになりました。
父1人で八ヶ岳のセミナーに行くことは難しいため、父の同伴で私も一緒にセミナーに参加したいとお願いしたところ、参加できることになりました。
Contents
セミナーの神理実践シート取り組みの深まり
セミナーでは、先生が神理実践シートを作ってくださっており、父と一緒に取り組みを深めてゆきました。
年初に、父から「姉を救ってほしい」と連絡があり、高橋先生、神様、諸如来、諸菩薩、諸天善神、守護指導霊に導かれ、TL医療の先生方や、多くの光を送ってくださるGLA共同体の皆様に助けられ、病から癒される道が開かれてきていました。
そのことが父にとってはとても大きな感謝になっており、先生に姉を救ってもらったと感謝をするようになってきました。
シートへの取り組みを通して、その恩恵の自覚が深められていったのですが、長い間、宗教としてのGLAを否定してきた父にとっても、考え方が大きく変化するありがたい機会となっていることが伝わってきました。
神理実践シートを通して魂と神様の御心へのアクセス
私も、シートの誘いに導かれて、「感謝の祈り」を深める時を持たせていただきました。祈りの中に
「そして自分が生かされる宇宙の一部である感覚が蘇るまで、心に光を受けてください」
という一節があったのですが、神様が宇宙や自然を美しくつくられたように、私の人生も神様が美を表そうとしてくださっていることが感じられてきました。
魂の願いと、宇宙の意思が響き合うことで、最高の人生を現そうとしてくださっていると感じました。
それまで、自分自身が宇宙の孤児であるような感覚がずっとあり、そこから神理を学ぶ中で少しずつ導かれての人生なのかもしれないと思うようになってきていたのですが、私の人生に先生、神様が究極の美としての菩提心の力を表すことで、宇宙の意思と響き合うことができるのではないかとことが感じられてきました。
魂と宇宙からのエネルギーをいただいて、人生が開かれてゆく感覚へと導かれてゆきました。
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セミナーでのある設計者との出会い
そのような深い感覚へと導かれる中で、同じグループになった九州の皆さんとの出会いも深められていったのですが、その中にMさんがいらっしゃいました。
鹿児島で昔からお世話の働きをされていることは知ってはいたのですが、話したことはほとんどありませんでした。
初日に、30年ほど前に大きな体験を頂いたと、一言だけおっしゃり、それ以上はほとんどお話しされませんでした。
そのことがとても気になっていたのですが、2日目の先生のご講演が終わった後、感想をグループで分かち合うことになったのですが、どのような体験があったのか教えてほしいとお願いしました。
すると、30年ほど前に太宰府研修センターを作られた時に、Mさんが先生から頂かれたユニバース体験を教えてくださいました。
Mさんの過去世について先生が明かしてくださったそうなのですが、Mさんは過去世に大村で生まれた伝道師だったそうです。元々は日本人の漁師で外国の宣教師と出会って伝道師になったそうです。
途中で捕まってマニラに流され、その後、打ち首覚悟で日本に戻ってきて伝道され、最後は捉えられて、処刑されてしまったそうです。
過去世は隠れキリシタンとして、隠れて信仰を貫かれたそうなのですが、今世は皆が堂々と集まって学べる場を作りたいという願いがあって、大宰府研修センターを設計されたことを教えていただきました。
ただ、始まった当初は予算が少なく、雨漏りの改修としてプロジェクトは始まったらしいのですが、お医者さんが亡くなられる際に、〇億円喜捨くださって、大宰府研修センターという大きな建物が建設可能になったそうです。
ちなみに、太宰府研修センターは、GLA初の大型研修施設とお聞きしました。
ただ、設計しても、なかなかOKが出ず、もう自分にはどうすることもできませんと、自らの愚かさに涙をされた時があったらしいのですが、その直後にOKが出たと教えてくださいました。
指導原理、人生潮流へ導かれる歩みの意識化
私自身の歩みを振り返っても、プロジェクトにおいてもなかなか道が開かれず葛藤し、高山右近の劇では馬の後ろ脚の役を担ったり、様々な試練を通して「愚かさの自覚」の極みにまで追い詰められた先に、GLAのオブジェを設計する道が開かれてきているのですが、必要なプロセスだったのかもしれないなあと感じました。
指導原理に導かれる歩みとして、「試練から始まる道」と「直感から始まる道」を示してくださっていますが、私の場合は、入会した後は「直感から始まる道」へと誘われていたのかもしれないと感じました。
しかし、その後は「試練から始まる道」へと誘われていたのかもしれないと感じました。
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また、Mさんの人生についてもお聞きしたのですが、元々、離島で生まれて漁師になる予定だったらしいのですが、本土で学ぶことを促され、特待生として学費を免除されるために努力していたら大学に行く道が開かれ、第二希望としてなんとなく建築科を選んだことで、設計の技術を習得し、大阪の大手のゼネコンで働かれ、それが大宰府研修センターの設計のお仕事をすることにつながったそうです。
今思えば、人生潮流に導かれての歩みを頂かれていたと振り返られていました。
私自身も、八ヶ岳のオブジェの設計をさせて頂いていることをお話ししたのですが、Mさんの話につながる部分が様々あり、人生潮流に導かれての歩みを頂いていたのかもしれないと感じました。
父にとってのこれまでで一番の感動体験
父に感想を聞くと、これまでの講演で一番感動して、涙が出そうになったと言っていました。
どこに感動したか聞いてみると、実践報告で、兄弟間でねじれた関りがあったのを再結された歩みに感動したということでした。
父自身も、兄との関りが決定的にねじれているのですが、その再結を魂は願っているからこそ、それだけ感動したんじゃないかな?と感じました。
これはチャンスかな?と思って、思い切って父が他人の話を聞かないために関わりがねじれていることを伝えたのですが、途中で怒り出してしまいました。
私自身も、もう父とは話をしたくないという気持ちになってしまったのですが、このままだとまずいなと思い、その日の夜の内に神理実践シートに取り組みました。
「全然話を聞いてくれないから、もう話をしたくない」という思いになっていたのですが、「不満を募らせるとき」の祈りを深めてゆくと、この31年をかけて一歩一歩学びを深めてきている自分と同じように、父にも理解してもらうことを求めていたことが見えてきました。
父が反発するのももっともだよなと思ったのですが、まずは「心を心で掴む」歩みから初めて、一歩一歩一緒に学びを深めてゆくヴィジョンを描かせていただきました。
翌朝、煙草を吸っている父と出会ったときに、先生がおつくりくださった、連歌発想法について、どのように取り組むのか説明させていただきました。
父も素直に聞いてくれて、納得してくれていました。前日の反発から考えると、だいぶん厳しいかなと思っていたのですが、こういう一歩一歩の転換が大事なんだろうなと思いました。
神様ポストへの投函
3日目の朝、父とGoGoウォークをさせて頂き、時間があったので人生祈念館に行きました。
神様ポストにも一緒に取り組んで投函することができました。
父は祖父に手紙を書き、私は祖母と曽祖父に手紙を書きました。
父は姉の病気のことを祖父に伝えたそうで、助力をお願いしたそうです。
私は祖母と曽祖父に思いを馳せたのですが、曽祖父は地獄の世界から救われたことを本当に感謝されているように感じました。
祖母が宗教を求めた背景には、曽祖父の苦しみがあったようで、祖母からも癒された思いが伝わってきました。改めて、この3つの「ち」を背負う必然が自分にあったことがつながってゆきました。
3日目の先生ご講演 あげる幸せへ
先生のご講演の中で、「3つの幸せ」についてお話しくださった部分がありました。
改めて「魂、心、現実」という視点からお話しくださったのですが、私自身、この1年の歩みを振り返ると、スキル習得のスピードはぐっと下がっていたのですが、現実の要請に応える内容が上がってきていました。
何でここまではっきりと変化しているのか、自分でも分からなかったのですが、「3つの幸せ」の視点で考えると、「できる幸せ」を求めてスキルアップをひたすらするフェーズから、「あげる幸せ」で、皆さんの幸せのために具体的に技術を使わせていただくフェーズへと移行していたんじゃないかと感じられてきました。
人生潮流に乗って使命の地平に行くためには、「あげる幸せ」の次元へと進化してゆくことが必要であることを実感し、導かれての歩みを頂いていることを実感しました。
家族でのウイズダム取り組みの深まり
セミナーが終わって東京に戻り、家族で一緒にウイズダムに取り組むことになりました。
因の転換を一緒に考えさせてもらったのですが、父から「よく学んでいてすごいね」と言われました。ちょうど父も、「優位→支配/差別」の受信・発信から、「畏敬→同伴」の心を育むことになっていたのですが、転換へと導かれているようでした。
「月の心」の菩提心のエクササイズにある、嫌いな人に対してもいいところを見出す取り組みに対して、父は強烈に反発し、「そんなことしたら病気になる」と言っていたのですが、それでも何とか一緒に取り組むことになりました。
父にとってはここまで因の転換を定められたことは、かなり奇跡的なことだったんじゃないかな?と思います。
神理実践シートに取り組む前の、父との関わりがねじれていた状態からすると考えられないような結果となっていったのですが、本当に大きな転換へと導かれてゆきました。
そして、羽田空港に父の見送りに、母と姉も一緒に行きました。
最後、父は「ありがとう」と涙目になっていたのですが、一緒に空港で父を送り出しました。魂として家族として出会えている感謝が深まるセミナーを頂きました。
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