ブログ10年の振り返り 2016年 デストロイヤー発見の先に見えた光

ブログ10年の振り返りの、第6弾になります。

2016年に取り組んだ記事の一覧

数えてみると、24個の記事があったのですが、タイトルを並べると以下のようになっていました。(波濤を超えての最終回は2017年初頭ですが、きりが良いので2016年にしました)

  • 2015感謝の集い「開闢のとき」GLA合唱団での神理実践の深まり
  • 2015年「未来は変えられる」に込められた神意へのアクセス 前編
  • 2015年「未来は変えられる」に込められた神意へのアクセス 後編
  • 2015年度ブログ後智慧そして人生を導く光への托身へ・・・
  • 2016春期特別御供養_因縁側人類への歩みの深まり
  • 2016ネクステージSRS 内なるデストロイヤーの発見
  • 2016善友の集い_GLA合唱団の更なる深化
  • 2016青年塾セミナー 約束の魂達の覚醒への希望
  • 「魂主義という生き方」 青写真へのアクセスの深まり
  • 魂主義という生き方 「マルかバツか」を超える生き方への挑戦
  • 魂主義という生き方 主導権を奪回し内なるデストロイヤーの発見へ
  • 魂主義という生き方 魂の願いを中心に「すべてを条件として」生きる
  • 魂主義という生き方 先生とご一緒に時代の限界突破へ
  • 「僕のお陰様デストロイヤー」発見 「実践哲学Ⅴ」反芻の深まり
  • 2016年劇役者への挑戦 宿命を超えて深い受信へ
  • 2016年劇役者への挑戦 弟子としての後悔の深まりと溢れてきた共同体への愛情
  • 2016年劇役者への挑戦 波濤を越えて上海への霊操の旅
  • 2016年劇役者への挑戦 鑑真和上を訪ねて中国の大明寺への旅
  • 「無知の壁」からの呼びかけ 2500年を超えて開示された「魂の学」
  • 2016年劇役者への挑戦 上海から波濤を超えて日本の唐招提寺へ
  • 特別御供養への参加 お爺さんと先生、神様の再結
  • 2016東北チャリティーコンサート 震災5年後の試練と引き出されてきた魂の願い
  • 2016年劇役者への挑戦 伝研セミナーの劇具現に向かう信と応えの歩みの深まり
  • 2016年劇役者への挑戦 永遠に刻まれた神理劇「波濤を越えて」完結

メニューの、「記事一覧」からも、過去の記事は年代ごとにリスト表示できますので、よかったら活用ください。

2016年の歩みの特徴

2016年は、デストロイヤーの発見を深める一年となっているのですが、これまで無自覚に関わりを壊してきたデストロイヤーの発見と転換にチャレンジしています。

デストロイヤーは、関わりもそうですが、境地の深まりという点でも障害となっていたようで、私の場合は特に、宗教における最大の障害とお書きくださったことがある、傲慢と虚栄心に直結するデストロイヤーだったので、宗教的な歩みの深まりという点でも大きな転換がもたらされた年になっていたようです。

その歩みをたどってゆきたいと思います。

普段の学びでは、自分自身の成長をなかなか自覚できないのですが、長いスパンで振り返ることで、成長させていただいていた3つのポイントが見えてきました。

2016年からの成長の確認1 カオス発想術

ネクステージ SRS の記事を振り返ると、相手が絶対的な悪で、自分が正しいと信じ込んでいたことが書かれていました。

2016ネクステージSRS 内なるデストロイヤーの発見

現時点からすると、ちょっと信じられないようなことが書かれていると感じたのですが、こんなにも自分が正しいと思い込んでいたら、絶対に対立関係になってしまうし、起こさなくてもいいトラブルにどんどん巻き込まれてしまうのは火を見るより明らかなのですが、当時は全くそのような自覚を持っていませんでした。

しかし、先生からカオス発想術を教えていただいて、実践する中で、絶対的な悪など存在しないことがわかるようになりました。

その点だけでも、当時からすると大分成長させていただいたんだなと実感しました。

2016年からの成長の確認2 禅定の取り組みの深まり

また、合唱団の記事では、禅定の取り組みを様々深めていたのですが、当時は一生懸命、自分の中から特別な力を引き出すために、禅定に取り組んでいたことが書かれていました。

2016善友の集い_GLA合唱団の更なる深化

コロナ禍になって在宅ワークになり、毎日のように聖堂に通って禅定の取り組みを深める中で、「GLA会員の基本ライフスタイル」に書かれている、禅定に取り組むようになったのですが、禅定においては雑念を受け流し、神の御心と深く出会ってゆくような取り組みに変えていただきました。

今から振り返ると、2016年時点の禅定は、禅定の事を本当に分かっていなかったなと思いました。

2016年からの成長の確認3 ニヒリズムと比較競争による限界

2016青年塾セミナー 約束の魂達の覚醒への希望

青年塾セミナーの記事を振り返りましたが、読み返すのが辛いと感じる部分がありました。

お1人お1人の青年の魂に対して、圧倒的な光を見いだされ、「私の誇りです」とおっしゃられる先生の眼差しに比して、私自身は青年の中にある光を見出すことができず、煩悩ばかり見てしまい、それで逆縁になってニヒリズムを深めていました。

境地の限界が、お世話の限界を生んでいた後悔を深めました。

仕事においても、自分の内にも、他人の内にも光を見いだせず、比較競争で波動戦争をしていたことが、明らかに見えてきました。

この年の後半にデストロイヤーの発見が始まりますが、そこから続く、内なる浄化の歩みを通して、自己信頼、他者信頼、世界信頼の心を深めてゆくのですが、自分の中にある境地の限界と向き合うことになったのがこのときだったのかもしれないと思いました。

ご著書『魂主義という生き方』の反芻 デストロイヤー発見の始まり

中盤には、豊心大学のプロジェクトを介在に、ご著書『魂主義という生き方』を深め、デストロイヤーの発見を深めていました。

魂主義という生き方
魂主義という生き方
https://www.sampoh.co.jp/books/tamashiishugi/

カテゴリー:魂主義という生き方

「オレ様イヤー」というネーミングも同志から頂き、デストロイヤーの核心に迫ってゆくのですが、最終的に転換まで結ばれるのかな?と期待して読むと、途中から曖昧になって、別の結論になっていました。

途中で鍛錬合宿があり、先生と青年の出会いの中で、嫉妬と比較競争を超えるための重要なアクションまで、以下のようにご指導を頂いていました。

「比較競争に苦しむ青年に対しては、より大きな願いを発見すれば、比較競争は小さくなって超えられるという話しをされたり、嫉妬に苦しむ青年に対しては、相手の幸せを祈り、自らも幸せになることをご指導下さいました」

嫉妬と比較競争を克服するために、答えに近いような内容を教えていただいていたにも関わらず、感動だけで終わっており、転換には結ばれていませんでした。

学んでも学んでも、なかなか成長せず、同じようなテーマをずっと抱えていると感じてきたのですが、今思えば、「カルマ→煩悩→暗転の現実」の強力な束縛から転換に結ぶのはそう簡単な問題ではなく、いくつも乗り越えなければならないステップがあったんじゃないかと思います。

「僕のお陰様デストロイヤー」の発見への進化

豊心大学を経て、同志からの切磋琢磨をいただく中で、「オレ様イヤー」から、「僕のお陰様デストロイヤー」に進化しました。

「僕のお陰様デストロイヤー」発見 「実践哲学Ⅴ」反芻の深まり

光転した結果は、何でも自分のお陰様にしてしまう、「歪曲」の煩悩があったのですが、この命名をしてもらうまで、ほとんどこの煩悩に対して無自覚でした。

父が、何度も同じ自慢話をする人なので、「同じ煩悩を抱いているはずなんだけどよく分からないな?」と思っていたのですが、自分では気づけなかった煩悩を発見してゆくきっかけになりました。

2016年の神理劇「波濤を超えて」へのプロジェクト参加

そして、2016年は鑑真和上の劇、「波濤を越えて」にお坊さん役(法進)として参加しました。

カテゴリー:波濤を越えて 鑑真とその弟子たち

法進は、鑑真和上と一緒に日本に渡り、後を継いだお弟子さんです。

元々、2016年は劇はやらないつもりでおり、今年は参加しませんというメールを書いていたのですが、途中で願いが溢れてきてしまって、今年もよろしくお願いしますというメールに変わってしまい、役者を担うことになりました。

そして、劇のテーマでもある、弟子としての後悔を深めることになるのですが、転生を超えた後悔と願いへとつながっていました。

かけ橋セミナーの後で、劇の霊操を深めるために、海を渡って中国の大明寺に行きますが、よく無事に旅ができたなと思う試練の連続であり、本当に守られて守られての旅だったんだろうなと思いました。

そして、中国から日本に帰る船の中で、道を求めてフランスからチベット、そして日本に渡ろうとしている青年と出会い、更に中国でチベット仏教について教えている大学の先生と出会い、先生、神理をお伝えしていました。

和上の法灯を伝えんとする願いが、時空を超えて道を求める同志に伝わっていくような、不思議な出会いを頂いていました。

旅の時は象徴的に守られていることを実感したのですが、求道、伝道の歩み自体が見守られ、導かれての歩みなんでしょうね。

劇の最中にあった特別供養の深まり

この期間に祖父の特別供養がありました。

特別御供養への参加 お爺さんと先生、神様の再結

先生から、父親からの流れが強いと、実践報告の時にお言葉を頂いていたのですが、父は祖父のことをとても尊敬していたので、私自身もかなり強い影響を受けていたんだと思います。

このご供養の時に、実の親との逆縁があって、自己不信、他者不信、世界不信を抱き、晩年は病の苦しみに耐えきれず、殺してくれといいながら亡くなっていったお爺さんの魂が、先生の御心、神様の御心と出会い、深く癒やされてゆきました。

お爺さんが救われた光が、私自身にも流れ込んできて、深く癒やされたのですが、この鑑真和上の劇の期間に、祖父のご供養があり、転換へと導かれたことは、深い意味があったんじゃないかな?と思いました。

この時のご供養で、父の宗教不信にもかなり切り込んでおり、宗教不信も少しは解消したかなっと思っていたのですが、実は全然信じていなかったことが今年のお正月に発覚しました。

前回の記事に書いた通り、このお正月に父の宗教不信が大きく転換することになったのですが、今年は、人生祈念館の奉納があり、長いスパンでの転換の歩みの中で、一回一回のご供養もあったんだなと感じました。

チャリティーコンサートにおける子どもたちの痛みとの遭遇と魂の願い

ご供養の後で、東北のチャリティーコンサートに行っていました。

2016東北チャリティーコンサート 震災5年後の試練と引き出されてきた魂の願い

東北の痛みを抱える子どもたちとの出会いがあったのですが、親に虐待され子どもたちの思いが深く伝わってきて、子どもたちに取り囲まれるような出会いとなっていました。

祖父の魂が、真の親である神様の御心と出会い、深く癒やされたことと、この子どもたちとの出会いはつながっていたんだなと感じました。

そして、私自身の痛みにも光が注がれて、その先に菩薩への道を歩みたい、魂の願いにまでつながっていました。

改めて、特別供養と、チャリティーコンサートの深まりがかなりあったことが見えてきたのですが、劇のお役を頂いたことと、デストロイヤーの発見が始まったことは大きく影響していたんじゃないかと思います。

伝研セミナーの劇具現へのチャレンジ

伝研セミナー前の出会いがあって、畏敬の念を深める誓願を認めて劇に参加したのですが、このときは如是我聞の取り組みが何度もあり、お1人お1人の救われ物語に注がれている圧倒的な神様、先生の光を感じ、GLA全体に注がれている光がいかにすごいことになっているのかを感じました。

これまで自分の救われ物語にはリアリティーはあっても、他人の物語には、それほど深いリアリティーを感じられなかったのですが、こんなに凄いことが、GLA全体で起こっていたんだという驚きがありました。

ある意味で、自分に注がれている限定的な光しか見えていなかった状態から、GLA全体に注がれている巨大な光に、目が開かれていく体験を頂いていました。

「僕のお陰様デストロイヤー」から、畏敬の念を深めるチャレンジのタイミングで、この劇プロジェクトに参加したことは、かなり決定的な転換になっていたと思います。

そして、劇の最後はもう何もいらない、後はお使いください、といった境地まで一瞬運ばれていました・・・。

この境地が続いたら良かったんですが、また宿命の洞窟に引き戻されてしまいますね。でも一瞬でも、宿命の洞窟から出られたような感覚を頂いたことは、とても大きかったんじゃないかと思います。

もしあのとき、劇をやめてしまっていたら、この体験が全部なくなってしまっていたと思うと、内なる促しにしたがって、劇にチャレンジしておいて本当に良かったなって思いました。

2016年のマイベスト記事

2016年のベスト記事は、「波濤を超えて」の劇の最終回である

2016年劇役者への挑戦 永遠に刻まれた神理劇「波濤を越えて」完結

にしました。

波濤を越えて
波濤を越えて

劇のプロジェクトを通して深められたことが本当に大きく、デストロイヤー発見の歩みと連動して、不連続な深化がもたらされているように感じました。

2006年の青年塾セミナーで神理実践報告をいただいていたので、それからするとちょうど10年目の節目になっていたのですが、先生がお示しくださった宿命の洞窟のテーマに対して、一矢報いる歩みになっていたんじゃないかと思いました。

改めて、先生がお作りくださったGLAのプロジェクトや、様々な神理実践の深まりによる魂進化の歩みは、本当に稀有なる歩みを頂いていることを実感しました。

2 thoughts on “ブログ10年の振り返り 2016年 デストロイヤー発見の先に見えた光”

  1. 「けちをつけられた」「嫌がらせをされている」「みんなでいじめようとしてる」そんな場面に遭遇した時、周りが悪人だとしか思えません。「ちょっと待てよ、これは高い境地から見ている魂が私に何か大切なことに気づきなさいと仕組んでくれたことではないか?」と受け止め方を転換して、「私の慢心ゆえに見えなくなっていた相手の気持ちはなかったか?」「発信すべきことを怠ってなかったか?」「習慣化された低水準のルーチンワークを見なおす必要があるのかも」と出来事として通信してくるメッセージを魂の感知力を全開にして翻訳しながら高次の存在と会話することが、フランチェスカの本当の幸せ、ユーダイモニアではないかと思いました。

    1. 「2つの扉」のご著書の第6章の困難から宝を取り出すですね。
      改めて「試練は呼びかけ」という言葉によって、どれだけ救われてきたかと思いました。フランチェスコの本当の幸せも、今なら少し分かりますね。

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