2023年の夏季特別供養においては、初めて一度も会ったこともない曾祖父のYさんに取り組ませていただきました。
Contents
Yさんのご供養の取り組みの背景
今回ご供養させていただく、曾祖父のYさんは、人生祈念館への奉納の時に、先祖代々のお一人として名前を入れていました。
Yさんは祖母が10歳位で亡くなっていたため、親族で知っている人はほとんどいなかったのですが、叔母さんにお聞きしたところ、保証人になってしまったことがきっかけで、巨額の財産を失うことになり、自ら命を絶たれたことを教えていただきました。
この期間、ずっとYさんに供養の祈りをさせて頂いたのですが、「人生祈念館の奉納をさせてもらったけれども、Yさんは光の世界に帰られたんだろうか?それとも苦しみの世界にまだいらっしゃるんだろうか?」という疑問を抱きつつ、供養の取り組みを深めてゆきました。
供養の祈りをさせて頂いた後で、しばらく光を送る時間を持っていたのですが、佐賀の山のふもとあたりに、大量の光が注がれていくように感じられてきました。
どこから光が送られているのかな?と思いを馳せると、人生祈念館の光の柱から、送られてきているようでした。
「天上界から人生祈念館を通じて巨大な光が注がれているのかもしれない、、、でもYさんはどうされているんだろうか?」という思いを抱きつつ、光を送る行を続けてゆきました。
そうして、ご供養の当日となりました。
ご供養に臨んでの、3つの「ち」の振り返り
ここ最近、ご供養の日は2006年の青年塾セミナーで頂いた、神理実践報告を反芻するようになっていました。
先生が、親族から流れ込んできた3つの「ち」についても様々お話しくださっており、あの世に帰った先祖の皆さんもきっとご存じになりたいんじゃないかな?と思い、反芻するようになってきました。
そうして、ご供養される魂と一緒に、宿命から使命への道を一緒に深めさせていただいてきました。
今回は、自分の魂の中にあるカルマとして示してくださった、「ニヒリズム」「自分がいない方が世界のため」という思いを、もともと魂は抱いていたことに思いを馳せました。
先生は、「それだけ根深いものがあるんだと思います」と言われていました・・・。(先生は私の魂の過去世の歩みも受け止めてくださって、そのように言ってくださっているようなのですが、まだよくわかっていません)
私は物心がつく前から母からの厳しい折檻を受けていたのですが、自分の存在を受け入れてもらえないという環境は、このカルマが現れてくる条件になっていたことが改めて見えてきました。
本当に、魂の中にあるカルマが引き出されるような家庭環境の条件を引き受けていたんだなと実感しました。
今期のGGPで、魂の重心が作られる中で、必要な条件を引き受け、必要な出来事を経験し、必要な人と出会うと教えていただいていますが、改めてカルマが引き出されるような人生の条件を選んで生まれてきていたことが分かってきました。
先生から頂いた実践報告とブログのテーマのつながりの明確化
同時に先生は、善財童子のお話しと共に「僕は善智識にとてもなれない」というつぶやきがあったことを示されていました。
そこから、他人の苦しみわが苦しみ、他人の喜びわが喜びを生きる、「同伴者として生きる」魂願がつながってゆくように感じました。
2024年のG.誌1月号に掲載されている、「魂の学序説 181 大いなる存在との対話Ⅱ」 の「ものみな光り、響き合う――華厳思想」に、善財童子の物語について書かれていました。
『善財童子の物語は、一見、善財童子を中心にした世界を見せています。しかし、善財童子が体験したのと同じことが、ここに登場する53人の善智識それぞれにも起こっているのです。』
2024年 G.誌1月号 魂の学序説 181
と書かれていたのですが、私も善智識の一人になっているのかもしれないと感じました。
ブログのタイトルは、なんとなく「菩薩への道」としていたのですが、実践報告の内容がそのタイトルにつながっていたことに、今更ながら気づきました。
また今年は、20数年ぶりに、先生から神理カードを頂く機会があったのですが、初めて「観音の心」の神理カードを頂いており、魂願、使命に直結するカードを頂いていたのかもしれないとつながってゆきました。
特別供養に臨む願いの意識化
待ち時間に、特別供養の記念カードに取り組みました。
「苦労多く痛み多かった故人の人生が先生の御光によって真に癒され救われ光の世界へと導かれますように。
人生祈念館の光の柱に結ばれ、祖母との再結、再開が果たせますように」
と認めさせて頂きました。
そうして聖堂に移動し、特別供養の場が始まってゆきました。
特別供養の場でもたらされた大いなる癒し
司祭がYさんのお名前を呼んでくださり、なんとなく来られているのかな?どうかな?と受け止めていました。
その後、先生の祈りをお受けする場となったのですが、先生が自ら命を絶って不毛の大地にいる魂のこことをお話しくださったときに、砂漠のような荒野のイメージが伝わってきて、心がその暗い世界に引き込まれるような感覚となりました。
自分では、とても引き受けきれないような重さでした。
その後、先生が異言で祈って下さり、光を注いでくださる中で、闇が光に転換してゆきました。
そして、ある時に、光の中でYさんが号泣されているような感覚が伝わってきました。
私自身、入会したときに、先生の慈愛に触れて、自分の存在が根底から癒されるような体験を頂いて、涙涙で癒され続けた期間があったのですが、もっと大きなダイレクトな癒しが、Yさんに起こっているようでした。
終わった後で、次の会議の前に食事をしていたんですが、祖母と曾祖父がこの特別供養の場で出会えた喜びが伝わってくるように感じました。
特別供養を通していただいた「血」の流れの浄化
今回の特別供養は、曾祖父がどうなっているか分からないところからの始まりだったのですが、ご供養を通して暗い地獄の世界からこの特別供養の大きな光の中で癒されてゆかれる姿を見せていただきました。
Yさんは、祖母が10歳の頃に亡くなられていたので、私が生まれたときにはすでに亡くなられていました。きっと私自身は生まれてくるときに、Yさんの苦しみを引き受けることを承知で生まれてきており、Yさんが救われることも願っていたんじゃないかなと思いますが、その願いを果たすことにつながるご供養の場となったんじゃないかと思います。
自分一人ではとても背負いきれないような深い闇の世界から、光の世界への癒しを頂いたのですが、自分の心の中に癒されることのない闇があったのですが、その苦しみに光が注がれて、癒される体験を頂くことになりました。
先生はかつて実践報告の時に、「ドス黒い塊」が私の心の中にあったとお話しくださっていましたが、この心の背景としてYさんの苦しみがあったんじゃないかと思います。
改めて、特別供養の取り組みは、自分の背負った3つの「ち」の中の「血」をダイレクトに浄化してゆく取り組みでもあることを感じました。
佐賀に帰省しての親族との課題の共有
今年は、東京のプロジェクトも忙しいし、帰省するのは難しいかな?と思ったのですが、磁石映像の反芻をしていると、「やっぱり九州の親族に神理を知ってもらいたい」と思い、帰省することにしました。
ちょうど台風がやって来ていたので、一日遅れていたら、新幹線は全線運行を取りやめとなったため、ギリギリの帰省となりました。
夕方くらいに、佐賀駅まで母が迎えに来てくれました。
そして、こちらの様子を教えてもらったのですが、姉とも妹とも連絡が取れなくなっていることを教えてくれました。そして、姉への不満があり、妹からは不満をぶつけられていることを教えてもらいました。
色々と捻れていることを感じつつ、家に到着しました。
夜に、お世話のZOOM会議に参加し、夜磁石にも参加しました。
その後で、せっかく時間があるので、母と姉と一緒に神理実践シートに取り組むことにしました。
母の神理実践シートによる転換と再結の出会い
いつも母からは愚痴を聞かされることが多いので、最初は『不満を募らせるとき』の祈りを、一緒におなぞりしたのですが、ちょっとすっきりしない感じがありました。
そこで、これは違うかな?と思いつつ、『他人に合わせたくなるとき』の祈りを読んでみると、これがピッタリということでした。
母はいつも相手の顔色を窺って嫌われないように振る舞ってしまい、そのことが結果として他の人を裏切ることになって、事態を混乱させてきてしまったという後悔が深まってゆきました。
そして、祈りの言葉を本心として記し、さらに人生の目的にアクセスしていったところ、姉妹に神理を知ってもらって、一緒に神理を学びたいという願いが深まってゆきました。
それからしばらくして、母の携帯に連絡が入りました。
それは、ずっと音信不通だった母の妹のJさんからだったのですが、Jさんは朝起きるとそれまであったモヤモヤがすっきりと晴れてしまって、これまでの執われが消えてしまったということでした。母もJさんに謝って、再結の出会いとなってゆきました。
さらに、姉のNさんからも連絡があり、お墓参りに一緒に行くことになりました。
母方の実家での永遠の生命の人間観の分かち合い
Nさんにこれまでご供養した方々の話をさせていただいたのですが、祖母の兄の立石春美さんのことを話すと、画集を持ってきてくださって、モデルになっている方が誰であるのか教えてくださいました。
彼岸花を持っているのは、祖母であることも教えてくださいました。
春美さんが一度、家に来られて姉の絵を描いてくださっていたんですが、下書きだけで完成までしなかったのはどういった背景があったのかなど教えていただきました。
甥や、姪の活躍についても教えてもらい、ご著書と一緒に、青年講演会のチラシもプレゼントさせていただきました。
そして、Nさんはもう82歳となられていることもあり、永遠の生命の人間観の映像を見ていただきました。
先生が死んだら終わりの人間観を話されている時は、少し目を背けられていて、大丈夫かな?と心配したのですが、永遠の生命の人間観をお聞きになって、少し涙ぐまれているようでした。
そして、死んだあとは、光の世界に帰って、懐かしい人々と出会えることを話し合うことができました。
父方の実家での八ヶ岳人生祈念館ご招待の約束
一度家に帰ってから、さらに父方の実家に行くと、八ヶ岳の人生祈念館で奉納に立ち会ってくださった、K叔父さんとF叔母さんとの出会いの時をいただきました。
こちらでも、永遠の生命の人間観の映像を見ていただきました。
Fさんは、永遠の生命ということは理解しているので、この続きが見たいと言われていました。そして、もう年だし終活についても考えていると言われていました。
「死ぬ時は八ヶ岳の人生記念館に入れて」と言われたので、いいですよ、とお答えしました。
そして、来年の5月には仕事を引退するので、旅行をしたいと言われていました。
そこで、だったら八ヶ岳のセミナーがあるので、よかったらご招待しますよとお伝えしました。
すると、父が先生と出会った時の様子を話してくれて、「あれだけたくさんの人がいるのに、buyanの父ですと言ったら、自分のことをわかってくれていて感動した」という話や、先生が祖父のことを話してくれたことを分かち合ってくれました。
そして、F叔母さんと、K叔父さんも一緒に八ヶ岳のセミナーにご招待することになりました。
自分としては幼い頃に、K叔父さんに遊びに連れて行ってもらったこともあり、恩返しをしないといけないなと感じていたので、GLAにお繋ぎできたら本当に嬉しいなと感じました。
ぜひ、来年のセミナーに繋いで行きたいと思います。
神理実践シートに取り組んで、お一人お一人が転換することは、本当に現実を転換することになるんだなと実感した帰省となりました。
供養の祈りによって人生記念館の光の柱から佐賀に光が届けられたり、先生の異言の祈りによってひいおじい様が号泣されたり、お母様とシートに取り組んだらおば様達から連絡があったりと、宇宙と響働しながら衆生を救ってゆく観音菩薩の歩みを見せて頂きました。合掌
私自身は、高橋先生、諸如来諸菩薩諸天善神に救われっぱなし、いただくばかりで申し訳ないのですが、先生がお開きくださっている特別供養の場に触れさせていただくだけで、本当にありがたい功徳を頂き続けているんだなと、改めて客観的に見えてきました。