「僕のお陰様デストロイヤー」発見 「実践哲学Ⅴ」反芻の深まり

豊心大学のプロジェクトで、それぞれのデストロイヤーへのネーミングの時間を持ったことは、前回お伝えさせて頂きました。

私の場合は、「オレ様イヤー」というネーミングを頂き、マイペースで自分中心の煩悩があることを指摘頂きました。

東京に戻ってきて、一緒にプロジェクトを担っていたA君と、豊心大学でのネーミングを通しての切磋琢磨の取り組みが非常に大きかったことを話し合いました。

ここで話しを進める前に、「切磋琢磨」という言葉の意味について、様々な受け止め方があると思いますので、確認させて頂きます。

goo辞書には次のように書かれています。

「学問や人徳をよりいっそう磨き上げること。また、友人同士が互いに励まし合い競争し合って、共に向上すること」

一方、GLAのプロジェクトで取り組まれる切磋琢磨は、人間の心の光と闇を弁別する煩悩地図をはじめとして、心をみつめる様々な智慧があるため、より具体的な心の成長へと結びつけることが出来ます。

私自身も同志からの切磋琢磨を頂くことを通して、これまで見えなかった自分の未熟を発見できたことが何度もありました。

自分自身の煩悩は、自分で見える範囲が限られているので、他者の視点を頂くことは非常にありがたく感じています。

ただ、煩悩の実体を的確に言葉にすることは非常に難しく、また相手から的確な視点を頂いたとしても、自分の未熟を見たくないと思って拒絶してしまうこともあり、せっかく相手の方が心を尽くして伝えて下さっても、自分が受信できないことも多々ありました。

それに対して、今回デストロイヤーのネーミングは、図らずもこれまでの限界をいくつか超えることになりました。

複数人で試行錯誤しながらデストロイヤーに名前をつけられることで、自分では気づけないけれども回りの人たちには見えている煩悩があるのかもしれないと思えてきて、新しい発見が起っていきました。

A君と共に、その場にはプロジェクトには参加していなかったBさんもいたのですが、取り組みを通しての発見が大きかったことを分かち合い、試しに3人で取り組んでみることにしました。

この3名は、青年塾時代から十数年共に歩んできた同志であり、これまで何度も切磋琢磨し合ってきた仲間ではあったのですが、改めてデストロイヤーのネーミングに取り組んでみました。

(尚、この取り組みは、お互いに信頼関係を作ってきた上で行っていますので、波動戦争をしている相手と取り組むのは危険な場合がありますのでご注意下さい)

Bさんに対しては、これまで、相手のカルマがあるなと感じつつ、ちょっと恐くて言えなかった部分があったのですが、A君と共に踏み込んでお伝えすることができました。

Aくんに対しては、これまで何百回と皆で本人に伝えながら、一向に伝わらない煩悩があったのですが、デストロイヤーを発見できるように、ネーミング案をBさんと様々な角度からを出していきました。

すると、本人には理解されていなかった煩悩を、初めて自覚されてショックを受けられました。

「もし本当だったら、俺ってもの凄く失礼なことをしてきたんじゃない?全く気づかなかった・・・」

という発見が起こりました。

そして、私自身のデストロイヤーのネーミングも、より実体に合うように進化してもらいました。

「オレ様イヤー」

から始まって

「自分中心デストロイヤー」 ・・・

と10案ほど変遷を重ねて最後に

「僕のお陰様デストロイヤー」と定まりました。

言われてみると、この煩悩に対しては何度も切磋琢磨を受けてきていたのですが、普段は無自覚で気づけないことの方が殆どだったんだと思います。

ここ最近、ようやく少し見えるようにはなってきたのですが、どう超えればいいのかまではさっぱり分かりませんでした。

この煩悩の転換方法について探したところ、最新のGLA誌に、まさにその答えとも言えるような内容が書かれていました。

直感的に、すごく大事なことが書いてあるなとは思ったのですが、具体的にどう生きるかまでは結べていませんでした。

そこで、『魂主義という生き方』の御著書をブログを書きつつ反芻することで、非常に発見が深まったので、今回はこのGLA誌を介在に取り組んでみることにしました。

この後の内容は、先生の御文章から一部取り出してその理解を深める内容になりますので、事前に先生がお書き下さった全文を読まれることをお勧めします。(尚、「『魂の学』序説」Web版は、GLA会員になると、2009年1月号から全てのバックナンバーを見ることができます。)

Jissen philosophy small


「魂の学」序説92 − 実践哲学Ⅴ

この御文書の中に次のような一節がありました。

「魂の学」を学ぶということは、外から何かを得ることではなく、自分の中にまどろんでいた力を目覚めさせ、その力を発揮してゆくということです。
決して、何か新たなものによってその人がつくり変えられるというのではありません。その人の中から、もともと持っていた智慧が目覚めて動き出すのです。

(実践哲学Ⅴ 10P〜11P)

この部分を読んで、これまでの学ぶことへの概念が根底から覆されるような衝撃を受けました。

私は、魂の学の智慧について、知っている人と知っていない人がいるような知識として捉えていました。

しかしこの御文章を深めると、魂の学の智慧は、そのような底の浅いものではなく、それぞれが元々抱いている、魂の智慧を目覚めさせるものであることを感じました。

また最近よく読んでいた「畏敬の祈り」には

遙かな永遠の流れを引き継ぎながら
まったく新しい存在として
立ち現れた生命の神秘を想います。

(新・祈りのみち 611P)

とあったのですが、この部分も、人間の魂が遙かな転生を越えて智慧を蓄積してきた存在であることが書かれていたんだと思いますが、そのような受け止め方が出来ず、魂の存在を矮小化して、自分も他人も見てきたことに気づかされました。

GLA誌の後半は、魂の学の視点から新しい自分像について次のように書かれていました。

私たちにとって、新たな自分像とは、世界から切り離された自分ではなく、常に世界と分かちがたく結びつき、それを源として、再生を繰り返している私たち自身なのです。

(実践哲学Ⅴ 15P)

普通は、世界と自分を切り離す見方をしていると思いますが、魂の学の受け止め方だと、世界と自分がこのようにつながり、再生していくことができるのかと新鮮な発見がありました。

そして、この稿の最後の方に次のように書かれていました。

同じように、この「カオス」には、自他の可能性も含まれているということです。私たちと結びつくものもあれば、そうならないものもあります。肝心なことは、一見、関わりないように思えても、私たちになる可能性のかけらが「カオス」には満ちているということです。
向き合う試練の中に、出会いや出来事の中に、未来の自分のかけらが存在しています。

(実践哲学Ⅴ 16P)

この、出会いや出来事に、未来の自分のかけらを見出すという受け止め方も、これまでほとんどできていませんでした。

比較競争の中で、どっちが上か下かという、快苦の受け止め方をするのが自然であり、その差別心を土壌として「僕のお陰様デストロイヤー」も生息していました。

しかし、この魂の学での受け止め方ができるようになると、自他の魂の尊厳が回復し、お互いの可能性を引き出し合える、かけがえのない同志となっていける可能性があることが見えてきました。

そう考えると、先生こそはその究極のモデルであり、この御文章の内容をそのまま生きて証されているように感じました。

具体的にいいますと、先生は神理の力によって、出会われるお一人お一人の魂の力を開放されていかれますが、目覚められたお一人お一人は、それぞれの分野における時代の限界とも言えるような重い困惑と向き合われ超えていく神理実践へと向かわれます。先生はその歩みにもずっと同伴され、一緒に乗り越えて行かれるのですが、その先生の姿と、この御文章がつながりました。

今回のブログのテーマとして、どうしたら「僕のお陰様デストロイヤー」を克服できるのか模索してきたのですが、魂の学の究極のモデルである先生に倣うことが、このデストロイヤーを超える道であり、単純に煩悩を滅するだけではなく、自他の可能性を極限にまで引き出す実践につながっていくことが見えてきました。

GLA誌の反芻の取り組みの伏線として、この期間にネクステージSRSに参加させて頂いて発見を頂いていたことも大きかったと感じました。

今期の取り組みとして、カオス受発色融合ウイズダムという、新しいウイズダムを先行して取り組んできていたのですが、それまでシートの深めに課題を感じていました。

初日が終わった時点では、まだモヤモヤしていたのですが、二日目の分科会で医療の先輩の分かち合いが自分の生い立ちと似ており、また、同じグループになった愛媛大学の脇本名誉教授が環境科学を作られてきた話を聞かせて頂いて、一気に取り組みが深まりました。

そして、自らの生い立ち故に抱えた宿命のテーマと、未来のカオスに対して具現すべき事のテーマがつながって、自分を信じ、他人を信じ、未来を信じて、先生の御心とシンクロナイズして未来の可能性を引き出したいという願いが深まりました。

その後、会社とGLAのプロジェクトの両方で、自分が着手したいと願いながら、なかなか道が開かなかった領域に着手できるようになり、次なるステップへと押し出されていきました。

このシートと実践の取り組みの深まりがあっての、GLA誌の反芻であったことを改めて感じました。

GLA誌の反芻を通して、長年超えられなかったテーマを超えていくヒントを与えて頂いたと感じたのですが、デストロイヤーはカルマにつながっているので、しばらく時間が経つと、無自覚に、また出てくる可能性が大いにあります。

そこで、着実に超えていくために、次のような誓願案を考えてみました。

〇誓願
私は、「僕のお陰様デストロイヤー」によって、関わりを壊しながらもその原因に気づけず、数多くの悲苦を生み出し続けてきました。きっと幾転生、超えられなかったテーマだと感じています。
今生、高橋佳子先生と出会い、魂の学を教えて頂くことを通して、カルマにつながるデストロイヤーを発見し、超えていく道を示して頂きました。究極のモデルである、先生に倣って魂の学の実践を深め、煩悩を転換し、多くの約束の同志と一体となって魂の願いを生きるミッションワークへの道を開いて参ります。

〇課行
・畏敬の祈りを深め続ける。
・出会いに手を合わせる(常不軽菩薩に倣う)

〇自戒
・相手の未熟を見ても下に見ない(魂の智慧を思い出されておらず、御縁になれていない未熟を刻印する)
・相手に感謝されても得意にならない(元々持っていた智慧を思い出される場面に立ち会えた感謝を深める)

伝研セミナーに向けて劇チームが発足するので、その時に上記の内容を参考に誓願を立てて神理実験してみます。

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