2016善友の集い_GLA合唱団の更なる深化

2016年の善友の集いに向けて、3月の初旬から合唱団プロジェクトがスタートしました。

練習の初日にはオーディションが行われたのですが、波乱の幕開けとなっていきました。

仕事で遅くなってしまい、何とか練習会場に到着すると、既にオーディションが始まっていました。
早速、誓願の書に取り組み、今回の合唱団に向かう願いを定めました。
その後、オーディションの順番待ちをしている間、お一人お一人の歌を聞かせて頂いたのですが、これまで何百回も歌ってきたはずなのに、「希望の故郷へ」の歌詞を間違えてしまう方が多くいらっしゃいました。

最初は不思議な感じがしたのですが、合唱ではなく、一人で歌うことに対して、もの凄く緊張されていることが伝わってきました。

順番が来て私も歌ったのですが、歌詞を間違えこそしなかったのですが、「どう見られているんだろう?」、「音程は間違っていないかな?」そういった不安が次々に浮かんできて、不安との葛藤の間にオーディションが終わってしまいました。
終わった後で、感想をお聞きすると、プロの方でも、普段の自分のコンサートよりも緊張したという方もいらっしゃり、多くの方が煩悩に飲まれて力を発揮できなかった後悔を深められていました。

菩提心合唱団は、発足当初から先生より、菩薩の心を音にすることをテーマとして与えて頂いていますが、菩薩の心は遙かに遠く、それぞれの煩悩のテーマが明確になったところからスタートしていきました。

菩提心合唱団では、神理の研鑽への取り組みをとても大切にされています。

これまで、止観シートへの取り組みは定着してきていたのですが、今回は更なる挑戦として禅定への取り組みを、更に深く実践することになりました。

禅定への取り組みは、10年ほど前から、セミナー等で取り組まれるようになってきていたのですが、当所、なかなか日々のライフスタイルとして継続することが困難でした。

私の場合は、生活実践に古くからの会員さんがいらっしゃって、信次先生の頃に行われていた禅定の話しをお聞きして、禅定の重要性を実感し、それから徐々にライフスタイルになってきていました。

禅定への取り組みは、セミナー以外の場で研鑽として取り組むことは殆どなかったのですが、菩提心合唱団として取り組むことになりました。
練習において、まず光を受けるための祈りを祈って、そのまま禅定に入っていきました。
ここまでは普段個人で取り組んでいる禅定と、ほぼ同じでした。
私の場合は心に浮かんでくる雑念を流していくと、魂としての自分自身が、天と地をつなぐ柱のようになっていくような感覚になっていきました。

禅定を解いた後で、禅定の落ち着いた心を保ったままで、力みをなくして、声を出していく発声練習に移っていきました。

生まれてこの方、このように落ち着いた心で自分自身の声と向き合ったことはなかったのですが、この機会に実験するように、どのような声(音)が出るのか、色々と試してみました。

音を試していると、音を出していて心地いい音程と、そうでない音程があることが感じられてきました。
この練習をしてから、普段出す声も自然と心地いい音程を出すようになっていきました。
その後で、少しずつ歌詞を入れて歌を歌っていきました。

できるだけ、禅定の気持ちで歌ったのですが、歌いながら色々な雑念が湧いてきました。

音程は間違ってないだろうか、もっと大きな音を出した方がいいんじゃないか・・・。こんなにも普段は色々な思いがあって、その様々な思いがミックスされて、一瞬一瞬の声を出していたことが見えてきました。
本当に、カオスに対して、心が形を一瞬一瞬作っていることが感覚として感じられてきました。

その後で、止観シートに取り組み、恥を気にするときの祈りを読んだのですが、心深くに祈りがしみ入ってきました。
祈りのみちと対峙していると、恥ずかしいという思いの奥にあった様々な情動が見えてきました。
認められたい、受け入れて欲しい、特別になりたい、・・・。いかに普段は無自覚に、縛られた心で生活していることが感じられてきました。

翌朝、一日の初めにの祈りを読むときに、自然と声に出して祈りを読んでいました。

祈りは声に出した方がいいと前から言われていたのですが、どうしても黙読で済ませてしまうことが多くありました。
心のどこかに、自分の声を恥ずかしいと感じていたり、嫌っている部分があったんだと思いますが、一連の合唱の練習をして、心を見つめ、菩薩の心を音に出すことに取り組む中で、声を出して祈りを読みたいという気持ちに自然となっていきました。

そして、声に出して祈りを読むことの歓びが内側深くから溢れてくるように感じ、日々の祈りも声に出して祈るようになっていきました。

更に、禅定の取り組みは、回を増す毎に深まっていきました。

禅定の心で、音を出していると、自然と周りの声がよく聞こえるようになっていきました。
そして、周りの皆さんの声と、自分の声の間には関係性があり、時々とても綺麗なハーモニーが生まれるようになっていきました。

それまで、自分の声と、周りの声の関係性が分からなかったので、歌っていると「認められたい」という思いが湧いてきて、自然と競争するように力んで声を出していました。

しかし、綺麗なハーモニーを体験してからは、歌うことの目的も変わってきて、自分を主張するように歌うことより、自然と綺麗なハーモニーを作ることを意識するようになっていきました。

祈り・禅定の取り組みを通しての自分の気づき発見は、合唱だけに止まらず、武道の練習にも連鎖していきました。

武道においても、力むことで本来の力を発揮できず、すぐに息が上がってしまうことは頭では分かってはいたのですが、追い詰められるといつの間にか力が入っていました。

合唱で力まない歌い方を模索しつつ、武道でも模索していったのですが、あるときに力むことで筋力の一部だけしか使えず、体全体が使えなくなっていたことが体感できました。
それから武道の技も進化してきて、一部の筋力に頼るのではなく、体全体を使うことで、より効果的な技を使えるようになりっていきました。

さらに、祈り・禅定の取り組みを通しての自分の内なる変化によって、力まないことが自然とできるようになって、仕事においても成果を出しやすくなっていきました。

それまで、技術的に難易度が高い内容については、グループ内でなかなか認めてもらえない状態が続いていました。
提案するこちらの方が、いつの間にか力んでいたんだと思いますが、そういった内容もあまり構えずに、自然体で提案できるように変わっていきました。

すると、抵抗も少なくなり、自然と受け入れられるようになっていきました。

結果として、やりたかった仕事が、グループ内で承認されて、取り組めるようになっていきました。

こうして、合唱での取り組みをきっかけとして、自らの内なる変化が、仕事や武道など色々な場面での現実の変化に連鎖していったのですが、そもそも禅定にはどのような意味があるのか、改めて確認したいと思い、「GLA会員の基本ライフスタイル」の御著書を振り返ってみました。

禅定していると、ふと自分が天とつながるような感覚になることは最初の方で触れましたが、そのこと自体が何を意味しているのかはよく分かっていませんでした。

GLA会員の基本ライフスタイルの中に、

『「祈り」とは神の心と自らの心を一つにする対話であり、「禅定」とは「祈り」によって整えられた心に深く自らを安定させていくことです』

(「GLA会員の基本ライフスタイル」 38P)

と書かれていました。禅定をしていて、天と繋がるような感覚になっていたのですが、それは神様の波動に合わせていった結果もたらされていたことが分かっていきました。

また禅定の取り組みとして、「調身」「調息」「調心」というステップで進めていくことが書かれているのですが、「調心」の所で雑念を流していくことについて、次のように書かれていました。

『「禅定」とは、まさにその人生の成り立ちの条件=「3つの『ち』』や「感情の脚本」による心の波立ちを、たとえ一時的であても静めることによって、少しでも公平で正直なまなざしをもって、自分や世界をあるがままに受けとめてゆく心の構えを育むことにほかならないのです。』

(「GLA会員の基本ライフスタイル」 54P)

この「3つの『ち』」から自由になっていくという部分が、色々な場面での現実の変化とつながっていきました。

今回合唱において、比較競争の心で、力んで歌うのではなく、ハーモニーを生み出すことを願うようになったのですが、この気づきは禅定の取り組みにも変化を与えました。

これまで禅定をしていても、比較競争でより高い境地を求めて取り組んでいたのですが、それは力んで歌うことと同じ事をしていたことが意識化されていきました。

より高い境地を求めるのも、「3つの『ち』」に縛られた雑念であったことが意識化され、その雑念も流していくと、より深く自ら自身と向きあえるようになり、神の御心と更に深く一致していく禅定へと変わっていきました。

こうして、回を追う毎に、合唱団全体としても進化し続け、TLミュージックの先輩からも様々なご指導を頂いて、最後の最後まで進化し続けていきました。

善友の集い直前の練習の時には、魂、心、歌が一つになっていき、何度も歌っている歌でありながら、魂からの震えるような感動が歌となって、自然と涙が溢れてきていました。

善友の集いの本番の舞台では、GLA合唱団史上最高の「開闢の時」を歌わせて頂くことになっていったのですが、これまでにない透明で美しい響きが生まれていきました。

終わった後で感想をお聞きすると、あまり他人のことをほめない方も、今回の合唱は感動したと伝えて下さいました。
また、普段はGLAにあまり共感されていない知り合いも、近くにいらっしゃったらしいのですが、その方も感動して涙を流されていたことを教えて頂きました。

blue_tie_s
写真は合唱の本番で着用したブルータイ

その後、先生の御講演となったのですが、合唱団のメンバーのお一人が神理実践報告として舞台に上がられました。

名前が呼ばれたときに、合唱団の仲間からも驚きの声が上がっていたのですが、改めて仲間の人生がGLAに入会してどのように変わっていったのかを見せて頂き、歓びを共有させていただきました。

今回、実践報告された方のように、合唱団お一人お一人の神理実践の深まりが、合唱団としての境地の深まりとしてもたらされていることを実感しました。
そして、ご講演の最後に、「菩薩の祈り」をお享けすることになりました。

これまで、菩薩の祈りをお享けするときは、祈りに集中しようとして力んでいたのですが、今回は敢えて力まずに禅定の心で深くお享けしてみることにしました。
すると、祈りが自然と自分の魂にしみいっていったのですが、魂からの情動が溢れてきました。

これまでの人類の苦しみ、悲しみ、嘆きの歴史・・・、それら一切を転換していく菩薩への道を、先生にこうして降ろして頂いていることが、人類にとってどれほどの福音であり、悲願の成就であるのか、その深いいのちが改めて思い出されてきました。

私の魂は、この道を説かれる、先生の下にどうしても集いたかった・・・、そして、先生のお手伝いがしたかった・・・、魂に刻まれた約束が思い出されていきました。
魂としての原点に深く回帰し、先生との出会いの必然に改めて回帰させて頂きました。

今回の合唱団の歩みにおいても、本当にたくさんの気づき、発見を頂き、先生に導かれて菩薩への道を歩み深めさせて頂く感謝が深まっていきました。

先生がお導き下さる菩薩への道は、未だ遙か遠く、どれほどの高みがあるのかもまったく分かりません。

悟りの九段階の曼荼羅には、声聞、縁覚、菩薩、仏への階段が示され、意味の地層の曼荼羅には、魂願に至ることを通して、神意と遭遇していく道のりが示されていますが、菩薩への道を更に歩み深めていきたいという願いを確かにしました。

意味の地層
ご著書「魂主義という生き方」 115Pより抜粋
https://www.sampoh.co.jp/books/tamashiishugi/

2 thoughts on “2016善友の集い_GLA合唱団の更なる深化”

  1. NHK「ためして合点」で瞑想の効果について興味深く見てから座禅とか瞑想に興味を持ち名古屋市博物館での能登総持寺展覧会などで座禅体験などに参加しました。また臨済宗のお寺のページでも座禅を見ました、、あなたのページでも、、、座禅瞑想時の呼吸についての初歩的質問です。時間に余裕ができたら教えてくださると助かります。「呼吸は息を吸うとき腹をふくらます、息を出すときはへこます」一般的な腹式呼吸ですが、、、
    私は息を吸うときは腹がへこみ、息が出る時はよけいな考えや欲とともに出すのだから腹が少し膨らむと思うのですが、、、GLAではどうしてるのか教えてくださるとうれしいです。どのページでもこの呼吸法での具体的なことが書いてないので、、、。座禅は「道具」で自転車のごとく毎日練習すれば上達できると信じ実行してみたいので質問しました。花園大佐々木教授の本を愛読してます。 「神」のような不思議な超越者にすがれば、自分の苦悩はなくなると信じ切れませんが、、、自己救済のプログラムとしての座禅に興味を持ったのです。呼吸方法を教えてくださると助かります。

    1. >GLAではどうしてるのか教えてくださるとうれしいです。

      GLAのセミナー等で、呼吸法についても話されていた時には、最初に息を吐ききると、次に自然と吸気されるといったことは教えて頂きました。
      お腹を膨らませるかどうかについては、話されていたかも知れませんが、私は記憶していません。

      >座禅は「道具」で自転車のごとく毎日練習すれば上達できると信じ実行してみたいので質問しました。

      私も禅定に取り組むようになって、少しずつ大いなる存在とのつながりを感じられるようになってきました。
      「祈りのみち」で心を整えてから、禅定に取り組めていることが、とても大きいと感じています。

      http://www.sampoh.co.jp/takahashikeiko/shin-inori/

      >「神」のような不思議な超越者にすがれば、自分の苦悩はなくなると信じ切れませんが

      神様にいくらすがっても、神様は苦悩をなくしてはくれないように、超越者にすがっても、苦悩はなくならないと思います。
      先生は、菩薩と成りゆく修行の道を教えて下さっており、実践すれば菩薩への道を歩み深めることができると信じています。
      神理実践することによって、奇蹟のような「運命の逆転」を起こす方が、多数輩出されてきています。

      Webのだけでは、なかなか分からないので、一度体験されることをお勧めします。
      https://www.gla.or.jp/sp/studysessions/shiseijitu/2017NewYearGathering.php

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.