特別御供養への参加 お爺さんと先生、神様の再結

今年の夏が近づいてきた頃、あるGLAの取り組みをした後で、ふと外に出ると、父方の実家の靴屋の香りがしてきたことがありました。

懐かしい感じと共に、お爺ちゃん来ているのかなとふと感じ、特別御供養に取り組んだ方が良いのかな?と思いました。

今年の夏は、元々取り組むつもりはなかったため、事前に申し込んでおらず、申込期限ギリギリのタイミングだったのですが、母に申込みができるかどうか、確認をお願いしました。

調べてもらった結果、夏期の特別御供養に、九州で参加できることになりました。

特別御供養についてGLAのWebサイトを参照下さい。

Contents

御供養の祈りの行のスタート

特別御供養を受けるときは、GLAブックレットシリーズ⑥「御供養の行への誘い」のテキストに書かれていたように、40日間の御供養の祈りへの取り組みをしてきていました。

特別御供養としては、40日間の取り組みを推奨されている訳ではないと思いますが、私はせっかくなので基本的には40日の祈りの行を取り組むようにしてきました。

今回も、7月に入ってからほぼ毎日、御供養の祈りに取り組みました。

前回の特別御供養の取り組みの時は、祈りへの取り組みが、義務的なルーティンワークとなってしまい、思いをあまり込められなかった後悔がありました。

夜中に眠い状態で祈りしていたために、集中できなかったことも原因の一つと考え、今回は朝の行として、御供養の祈りに取り組むことにしました。

朝の行としては、一日のはじめにの祈りをして、菩提心の祈りと書写行に取り組み、その後、禅定に取り組んでいました。

この期間は、禅定の後で、御供養の祈りを追加することにしました。

禅定まで取り組んで、中心軸が定まった状態で御供養の祈りに取り組むと、御供養の取り組みに、深い思いが込められるようになっていきました。

お爺さんの人生への共感の深まり

これまで、何度か父方の御供養も取り組んできていたのですが、取り組む度に、少しずつお爺さんの人生が見えてきていました。

父方の兄弟は、20年ほど前までは皆で靴屋を経営しており、一時は佐賀での最大勢力にまでなっていたのですが、時代の変遷と共に次々と破綻し、今では私の母が経営するお店だけになってしまいました。

その背景には、親族間の骨肉の争いとも言えるような、激しい兄弟げんかがあったのですが、お爺さんが、どのような思いで子供達の争いを見られているのか、その思いを尋ねていきました。

兄弟げんかの原因として、「親の育て方が悪かったから仕方がない」と、毎回のように言われているのですが、御供養の回数を重ねる度に、お爺さんの人生の背景が少しずつ分かっていきました。

お爺さんは、物心がつく頃から丁稚奉公に出されて、小さい頃から働かされていました。

あるとき産みの親に会いに行ったことがあったらしいのですが、産みの親はあたかも存在を忘れられてたかのごとく、素っ気ない対応をされそのまま帰ってこられたようです。

きっと会いに行くときは、実の親に会えるという期待と不安を抱かれてていたんだと思いますが、実の親からそのような対応をされた時に、どれほど傷つき、そして人間不信の思いを深められたんじゃないかな・・・、

人間とって、その根源とも言える親子の絆が断たれたが故の人間不信があって、子供達との関わりにも出てしまい、親族の争いにも繋がっていったんじゃないかな・・・、そのように共に人生の振り返るように、思いを馳せていきました。

幼い頃に、「みにくいアヒルの子」というアニメを見る機会がありました。

その時にもの凄いショックを受けたことを思い出したのですが、忘れていたので久しぶりに物語を見返してみました。

醜いアヒルの子は、親からも嫌われて捨てられていました・・・。

アニメを見て、自分も醜いアヒルの子だとショックを受け、自分は本当は子供じゃないんじゃないかと、幼心に苦しみを引きずっていたことを思い出しました。

あの思いは、お爺さんから強く流れ込んできていたことに改めて気づかされました。

Ahirunoko

第三の期間の取り組みの深まり

御供養の第三の期間は次のような取り組みをすることが祈りの道に書かれていました。

「最後に自らの気づきや発見を基に亡き魂に愛念をもって語りかける」

そこで、自分自身がGLAの学びを通して気づいたことや発見したことなどを、語りかけていきました。

人生には目的と使命があること、お金儲けが目的では無かったこと、宿命は使命に転じることができ、宿命の闇を背負ったからこそ使命の光を放つことが出来ること、人間は永遠の転生を生き通す魂であり、永遠に深化成長し続ける存在であること、神理実践によって心が変わり、現実が変わり、願いへと近づいてきていること・・・。

先生から教えて頂いている一つ一つの神理によって、どのように世界との関わり方が変わり、現実が変わってきたのかをお伝えしていきました。

そうして、御供養の祈りの最後の方は、お爺さんが光の世界へと向かわれていくようなイメージが自然と湧いてくるようになりました。

実家への帰省と神理の同伴の深まり

お盆の期間の前半の旅において、GLA誌の反芻に取り組ませて頂き、「僕のお陰様デストロイヤー」を転換する方法が見えてきたのですが、その心で家族の同伴にも取り組ませて頂きました。

お正月に、叔母さんが熱心に神理を学ばれるようになってきていたので、神理の取り組みを一緒にできるように誘わせて頂いたのですが、「まだ早いからいい」といって断られていました。

今から振り返ると、「自分の方が神理を知っているので、教えてあげなきゃ」と優位で受信していたために、反感の結果となっていたことが見えてきました。

そこで今回は、「元々叔母さんの魂は智慧を抱かれている。それを思い出して行かれる御縁になろう」と思って、出会わせて頂きました。

すると、叔母さんは次から次に疑問を話して下さり、その疑問に答える形で、自然と先生のことや、神理のことを話すことになりました。そして、叔母さんが求められている、次なる研鑽のステップを自然な形でご紹介することになりました。

母と姉の、カオス受発色融合ウイズダムの取り組みにおいても、同様に発見が深まるところがあり、本当に自分の煩悩が相手の方が神理を深めて行かれる壁になっていたんだなと痛感することになりました・・・。

家族全員での御供養への参加へ

当所母が御供養への参加を誘ったところ、父は行かないと言っていたらしいのですが、ウイズダムを書いて、願いを深めて関わったところ、素直に参加してくれることになりました。

しかし、もう一つの壁として、今回は参加者を3名に絞って下さいと言われていたことを母から聞きました。

後から聞いて分かったのですが、土曜のお昼は、一番御供養に取り組む人が多い時間帯で、人数を絞らざるを得ない状況があったらしいのですが、改めて確認して頂いたところ、少し余裕が出来たので4名で参加できることになりました。

そこで、晴れて、家族4人全員で御供養の場に行けることになりました。

Saga river

写真は佐賀から福岡に向かう途中の山と川です。

御供養の準備の取り組み

少し早めに九州本部に到着すると、佐世保から来られていたYさんという方がいらっしゃいました。

元、佐賀ターミナルの方らしいのですが、父も母も、親しげに話しており、自分の知らないところで、佐賀の方との関わりが深まっているんだなあとしみじみと感じました。

その後、同伴者の方との出会いがあったのですが、同伴者のお爺さんも、糖尿病が悪化して寝たきりになり、その後足を切断して亡くなられていました。

今回御供養するお爺さんも糖尿病で苦しんで亡くなっていったので、不思議な一致点を感じました。

また、養子に出されていたという点や、誰にでも分け隔て無く差別なく関わられていたこという逸話がある点も似ており、同伴者の方との出会いも本当に偶然ではないんだなと改めて感じました。

また、同伴者の方は、家族ぐるみで別の宗教団体をやられていたらしいのですが、GLAに入って、家族がバラバラになる危機を救ってもらったという話しや、前の宗教は拝むばかりで何も変わらなかったことなども話して下さいました。

GLAと他の宗教団体を混同して「宗教は×」と捉えている父にとっては、有り難い出会いを頂いたんじゃないかなと感じました。

聖堂の場での祈りとお爺さんの魂への接近

その後、聖堂に移動し、最初に講師の方が、一人一人の魂をこの場に呼び出して下さったのですが、お爺さんがこの場に来られたことを感じました。

その後、先生の東京の場での祈りをお受けさせて頂いたのですが、本当に先生が、九州の聖堂に来て下さって、祈りをして下さっているように感じ、先生の御心とつながっていくように感じました。

その後、3名の方と、先生との対話を見せて頂きました。

既に亡くなられている魂の思いを、御供養をされているご家族に先生は伝えて下さったのですが、生きていた頃のことを懐かしく語られていくのを見て、お爺さんも若い頃の佐賀の街を思い出され、子供達との出会いを思い出されているんだろうなあとしみじみと思いを馳せていきました。

御供養の取り組みが終わった後で、お爺さんと心の中で語り合う時間が持たれました。

お爺さんの思いにずっと思いを馳せていくと、お爺さんが子供達に対する感謝の思いで一杯になられている思いが伝わってきました。

そして、次の瞬間、お爺さんの魂から「本当の親に出会えた」という感動が伝わってきました。

本当の親とは、神様の御心そのものでした。

無限の愛と、慈しみの心をもって、ずっと見守り導き続けてくださっていた本当の親と出会えた・・・。

お爺さんは血のつながった親に捨てられ、ずっとさみしい思いを抱えられ、人間不信の思いを強めてこられていたんだと思います。

そして、人生の最後は病に苦しみ、子供にも裏切られ、最後は病気の苦しみに耐えかねて「殺してくれ」といいながら亡くなっていきました。

自己不信、他者不信、そして理不尽な苦しみをもたらす世界不信を深めて、癒されぬまま亡くなられていきました。

そのような苦しみを抱えていたお爺さんにとって、本当の親である、神様の心と出会うというのは、どれほどの救いであり、癒やしだったでしょうか。その感謝の思いが自分の魂に伝わってきました。

そして、お爺さんは、悟りの階段を上って、光の世界へと行かれるように感じました・・・。

お爺さんが巨大な魂の足下で見上げられているような様子や、光そのものとの出会
いをされている姿が伝わってきました。

父の中にある唯物主義との対峙

御供養が終わった後で、御供養の場を振り返る場が持たれました。

同伴者の方にも入って頂いて、分かち合いの場が持たれていったのですが、感想を聞かれて、お爺さんが感謝の思いを子供達に抱かれていることをお伝えしました。

伝えている最中に、お爺さんから溢れるような感謝の思いが流れ込んできたのですが、この現象界に生まれて、親子として出会えることの有り難さを魂一杯に感じられており、涙と共にその情動を情動を直接言葉にして伝えました。

次に、お爺さんが本当の親に会えたという歓びがあったことを伝えました。

しかし、父は「そんなことは信じられない、そもそも神様とは何なんだ、そんな抽象的なことを言われても分からない」と言いました。

この父の宗教不信のルーツはお爺さんにありました。お婆さんは、親族の様々な苦しみを解決するために、ある仏教系の宗教団体に多額のお金をつぎ込んでしまったのですが、それを傍目に見ていたお爺さんは、自分は宗教には頼らないと言われていました。

お爺さんを尊敬している父は、お爺さんが宗教に頼らなかったから、自分も宗教には頼らないという思いを持っていました。

「抽象的な神様なんて分からない」という父に対して、自分でもどう表現して良いか分からなくなくて困ってしまったのですが、きっと、お爺さんにとって、神様は抽象的なものではなく、神様の御心そのものと出会わんじゃないか、と伝えしました。

また、これは自分が神様の御心と出会ったということではなくて、お爺さんが神様と出会って感動したと言われていて、自分はその思いを伝えているだけであると伝えました。

「魂なんて信じられない」という父との対峙

また、今回の御供養における先生の対話の中で、魂を信じていなかった方が、亡くなる直前に魂が肉体から出る体験をされており、魂があるというのは本当だったんだなあと伝えてこられたシーンがありました。

父が魂の事も全く信じていないことは分かってはいたのですが、でも死ぬときにはちゃんと肉体から出て光の世界に帰っていかなければならないとことは、いつか伝えたいと願ってました。

そうは言っても、普段はなかなかそのような対話をする機会はなかったのですが、今回は先生がそのような対話をしてくださったこともあり、またお爺さんにも後押しを頂いているように感じ、流れの中で自然と伝えることになりました。

「死んだ後は、ちゃんと肉体から出て、あの世にいかないといけないよ、お爺ちゃんも迎えに来てくれるから」

と伝えました。するとかなり抵抗があったようで

「そがんこと言ったら、こいつきちがいっていわれるばい」(訳:そんなことを言っていたら、こいつはきちがいと言われるよ)

と言われたのですが、

「そがんことゆーても、おいの感じていることじゃなくて、じいちゃんの思いをつたえているだけやけん、仕方なかやん」(訳:そんなことを言っても、自分の感じていることじゃなくて、お爺ちゃんの思いを伝えているだけだから、仕方ないじゃない)

と伝えました。

見ると、何故か父の目は涙目になっているように見えました。

理性的な判断としては、神様が存在するなんてありえない、肉体から魂が出て行くなんてあり得ないとは言ってはいたのですが、理性的な判断を超えたところでは、何かお爺さんが救われたことを感じていたんじゃないかなと感じました。

私の人間不信は、お爺さんから父を経由して流れ込んできていたので、大本であるお爺さんが癒されたことは、父にダイレクトに伝わったんだと思います。

司祭の方との不思議なつながり

写真ができあがるまでの間、しばらく待っていたのですが、そこに司祭の方が来て下さいました。

司祭の方は、佐賀ターミナルのお世話をして下さっている方で、時々相談に乗ってもらったりしていました。

話しの中で、司祭の義理のお兄さんが父の親友であり、父は若い頃、実家にいる時間よりも、その親友の家にいる時間の方が長かったことなどを話してくれました。

佐賀は狭いねという話にもなったのですが、学びに誘われたときに、父は相変わらず、自分は信じられないという話しをしたのですが、司祭の方もかつては全く信じられないところから始まって、今は司祭の働きをされるまでに変わってきた話しをしてくださって、「分かる時が来ますよ」と伝えて下さいました。

「おじちゃんも、あの世で魂の修行の階段を上がっていかれるみたいだから、自分達も学ばないとね」と伝えたのですが、最後は素直に聞いてくれているようにも見えました。

Kyushu gokuyo

御供養を通して頂いた功徳の意識化

こうして、今回の御供養の出会いも結ばれていくことになりました。

御供養の場でのお爺さんが神様の御心と出会い、救われていったことに改めて思いを馳せていったのですが、私自身が先生と出会い、どれほど深い闇を抱えていたとしても、存在まるごと受け止めて信じて下さった先生の御心と出会い、その先生の御心に神様の愛を感じたことを思い出していきました。

お爺さんが、神様と出会えたという思いも、もしかしたら、先生の愛に触れて、その奥にある神様の愛情に触れられたんじゃないかなと感じました。

また、お爺さんの苦しみが癒されていったことを通して、お爺さんから流れ込んできていた三つのちの「血」としての流れが浄化され、大量の光が流れ込んできたように感じました。

それは、私だけではなく、親族全体にその光は波及していくことになるんじゃないかなと感じました。

10年前に神理実践報告を頂いた時に、先生から「父親からの流れが強い」と言われたことがあったのですが、先生はお爺さんの苦しみもずっと見守って下さっていたんじゃないかなと思いました。そして、今回の御供養を通して、とうとう魂の親である先生の御心と出会うことができたんじゃないかなと感じました。

あの世の魂が特別御供養を通して救われて、その後、悟りの階段を上がって行かれる歩みと、この世の親族の中に学ぶ人が増えていくのは、密接に連動しているように感じるようになってきました。

亡くなった親族から、生きている親族に伝えて欲しいとお願いされていると思うのですが、答え切れていない後悔と願いを深めつつ、あの世の親族とも響働しながら、光の命作網を広げていく歩みへと向かって参ります。

2 thoughts on “特別御供養への参加 お爺さんと先生、神様の再結”

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