2016東北チャリティーコンサート 震災5年後の試練と引き出されてきた魂の願い

昨年の夏に、音楽教室のアスパイアの皆さんとチャリティーコンサートとして、東日本大震災の被災地を回りました。

旅が終わった後で、コンサートの内容をつなぐ映像構成を作成させて頂いたのですが、この活動を応援したいなと思い、CGや音楽も追加させて頂きました。

そして、2016年になり、「果てなき荒野を越えて[増補版]」を先生は発刊して下さり、改めて震災のことを思い出すことになりました。

Vast waste land
増補版は、サイズが大きくなっただけかなと思ったのですが、「星を継ぐ者として」という章が、最初に十数ページ追加されていました。

その中には、先生が今年のお正月に東北に行かれたときの出会いや、赴かれたときの写真など、追加されていたのですが、そこには、これまで東北に行くたびにお世話になってきた三陸の皆さんと、先生との深い出会いについても書かれていました。

その中で、佐々木議員の震災の時の体験が書かれていました。

『あの日、必死に奥様を探しても見つからず、夜遅く一人で、一階が浸水した自宅に戻った佐々木さんは、茫然自失の時を送りました。
そして、ふと夜空を見上げると、そこには、今までみたこともない、こぼれるような星々が輝いていたのです。
「ああ、亡くなったみんなが星になったんだ・・・・・・」
止めどなく涙が流れました。罪のない、たくさんの人たちが不意をつかれて亡くなっていった。きっと天に召されたんだ。そうでなければやりきれない。こんなことが起こって、何もないなんて・・・・・・。
燃えるように煌めく星々。本当に、一人ひとりの魂が天に昇ったとしか思えないまばゆい光でした。』

「果てなき荒野を越えて[増補版] 星を継ぐ者として より」

この部分を読んでいて佐々木さんの体験に深く共感するのと同時に、改めてあの震災の時に生じた、人々の苦しみが自分の中に流れ込んできて、涙が止まらなくなりました。

追加された御著書の最後に、「震災が呼びかけた人間の歩みは、これからが本当の真価を問われる日々となるのではないでしょうか」と書かれていました。

旅を始めるにあたって、改めてこの先生の御著書に立ち返らせて頂き、公案を頂いたように感じるところから、東北コンサートへの旅がはじまりました。

昨年のコンサートの曲の中で、子供達に一番人気があったが、「聖者の行進」という曲でした。

行き帰りのバスの中で、子供達から何度もアンコールがあったのですが、英語の曲だったので、あまり意味も分からずに歌われていました。アメリカのお葬式の曲と言われていました。

そこで改めて歌詞を調べてみて驚きました。

Oh, when the saints go marching in,
Oh, when the saints go marching in,
Oh, Lord, I wanna be in that number,
When the saints go marching in.

おお、聖者が行進して行くとき、
おお、聖者が行進して行くとき、
おお、主よ、おれもその中に入りたい、
聖者が行進して行くとき。

何と、イエスキリストの行進に参加したいという、歌であったことが分かりました。

この子達は、表面意識では分かっていなくても、本当は高橋先生と出会いを求めている魂なんじゃないかと感じました。

東北の旅に向けてのウイズダム作りの打ち合わせがあったのですが、「聖者の行進」を歌いたいと言っていた子供達の多くが、今年かけ橋セミナーに参加できことを教えて頂きました。

そして、何と先生への誓願にも並んでいたということでした。

魂の願いが、本当に具現したんだなと思ったのですが、かけ橋セミナーにも参加し、一年経って成長した子供達と一緒に、今年も東北復興コンサートに参加させて頂くことになりました。

Aspire
朝早くに浅草にあるアスパイアから、マイクロバスは出発しました。

Sanriku map
こちらが、訪問した三陸の地図で、パーキングで撮影しました。

Jifukuji jizo
昼過ぎには地福寺に到着し、無くなった方達に手を合わせ、演奏の場が持たれました。

その後、和尚さんから震災当時のことを教えて頂きました。

昨年は、和尚さんは忙しそうにされていたのですが、今年は昨年よりもお時間を取って下さいました。

Jifukuji sea
こちらはお寺からの風景ですが、海岸はかなり遠くに見えました。

Jifukuji wave
それにもかかわらず、震災の時は、このお寺の屋根近くまで波は到達していました。

別れ際に和尚さんが「東北のことを忘れないで下さい・・・」と話されました。

何故か、そのことが心に深く突き刺さったのですが、その意味を深く受け止められないまま、地福寺を後にしました・・・。

翌朝、この地で亡くなった方達のために作られた、海の近くの記念碑に行く予定だったのですが、ミスコミュニケーションがあって記念碑に行けず、そのまま陸前高田の一本松に行くことになりました。

昨年訪れたときは、山から削られた土が、ベルトコンベヤーで運ばれていました。

Doro bridge
今年も作業は続いているんだろうなあと思っていたのですが、作業は終わり、ベルトコンベヤーは撤去されていました。

ただ、トラックの行き来は非常に多く、工事は続いていました。

Ipponmatsu

久しぶりに見た一本松は、綺麗に整備されていたのですが、一本松の奥には津波の激しさを伝える建物が残されていました。

Puneuma food

そして、「ぷねおま」では、オーナーの福田さんご夫妻と出会い、季節のおいしい御食事を頂きました。

このお店ができた経緯と、このお店に先生が来られて、会員さんとの深い出会いをされていった様子についても、「果てなき荒野を越えて[増補版]」には掲載されています。

私も御縁があって、何度もこのお店にボランティアやお客さんとして来ていました。参考に、これまで書いた記事のリンクを添付します。

東北復興支援_陸前高田の喫茶店「ぷねうま」オープンコンサート

東北復興支援_仏国土建設への遙かな祈りと復興支援会社

Pneuma g

庭には、「G.」の花壇が作られ、子供達も仲良くブランコで遊んでいました。

Asahi

そして、「ぷねうま」の近くにある、「朝日があたる家」という綺麗な施設で、コンサートをさせて頂きました。

毎年来て下さる方を含めて、陸前高田に縁のある皆さんが参加して下さったのですが、コンサートが進むにつれて、ドンドン元気になっていかれました。

途中で、子供達の手作りで準備した、マラカスが手渡されたのですが、参加者の皆さんと、演奏する側が一体となっていきました。

復興支援ソングの「花は咲く」は、涙されながら歌われている方も多く、言葉にはされなくても、深い痛みを抱えていらっしゃることを感じました。

この時のコンサートの様子は、岩手めんこいテレビのニュースで放映されました。

コンサートホールからの別れ際に、佐々木議員と少しお話しする機会があったのですが、普門寺に行った方がいいとアドバイスを頂き、行くことになりました。

Fumonji
寺に着くと、外に沢山の羅漢像がありました。

Jifukuji rakan
亡くなった方の姿を彷彿とするような、それぞれの姿に似せた羅漢像が手作りで作られていました。

亡くなった方の魂の冥福を祈り、切実な祈りを込めて、一つ一つの像が作られているように感じました・・・。

Fumonji picture
お寺の中に入ると、全国各地から送られてきた、たくさんの仏像や絵、千羽鶴がありました。

Yami hikari
震災が起きた直後は、このお寺自体が遺体の安置所となっていたらしいのですが、亡くなられた魂の痛みに応えんとする祈りが、全国から届けられているように感じました。

ただ、参加者の中に「この像かわいい」とか、楽しそうに話している場面もあり、これでいいんだろうか・・・と違和感を感じつつ、普門寺を後にしました・・・。

二日目も順調に終わり、旅の振り返りの場が持たれたのですが、その時に、震災の痛みが昨年よりも分かりにくくなっていて、中には痛みを感じられない子供達がいることを危惧していることをお伝えしました。

このままでは、チャリティーコンサートの元々の願いとしてあった、東北の皆さんの痛みに応えて励ますことにつながらないんじゃないかと思い、東北のボランティアでの震災の体験を分かち合わせて頂きたいとお願いしました。

すると、皆さんが快く承認して下さり、急遽、2011年3月の東北での体験を振らせて頂くスライドを作成することになりました。

あの時に撮った写真を改めて振り返り、そして、青年塾セミナーで発表させて頂いた時のウイズダムや原稿を振り返っていきました・・・。その当時のブログ記事のリンクを添付します。

東北復興プロジェクト 震災の翌日には先生の緊急招集、そしてボランティアへ

津波が起きた直後に、波に浸かってヘドロまみれになった家の壁を壊すボランティアをさせて頂いた時に、未来が見えず、絶望的な思いに飲み込まれていらっしゃる思いをぶつけられて、立ち往生してしまったこと。

その苦しみのかけらでも背負わせて頂きたいと願って共に涙したこと。

数年後お宅を訪れたときに、見事にお家が綺麗になって、頑張られている姿に触れて感動したこと。

そして、昨年の合唱の時に、そのお宅のご夫婦が参加して下さり、涙ながらに感動を伝えて下さったことを分かち合わせて頂きました。

そういった、一言では言えないような、様々な苦しみを抱えた皆さんが来て下さっていて、私たちの歌を聞いて癒され、涙を流されていることを改めて分かち合わせて頂きました。

分かち合いをさせて頂いて、スライドを見る皆さんの真剣な思いが伝わってきたのですが、その痛みを引き受けようとされている切実な思いが伝わってきました。

分かち合いをしながらも、裏では急ピッチでコンサートの準備が進められていきました。

そして、時間となり、子供達がやってきたのですが、去年の半分くらいしか子供達はいませんでした。

後から分かったのですが、この日は学校の行事があって、まだ学校に入っていない小さい子供達しか参加できなくなっていました。

人数が少ない上に、子供達は初めからずっと下を向いていました。

しかし、歌われている皆さんは、もっと動揺してもいいはずなのに、真剣そのもので、一生懸命歌われました。

後でお聞きしたら、何とか下を向いている子供達を励まそうと、祈り心で歌われていたことを教えて頂きました。

そうして、合唱が一通り終わり、子供達との出会いの時となりました。

すぐに帰ってしまうかなと思ったのですが、子供達も、先生も一歩もその場を動かれませんでした。

そこで、近づいていって、参加しての感想を聞かせて頂きました。

まだ、4才くらいの小さい子とお話しをしたのですが、その子は、お父さん、お母さんに会えない寂しさを話してくれました。

この施設に来る子供は、虐待やニグレクトなど、辛い体験をしてきたことは聞いてはいたのですが、本当に苦しい思いをし、さみしい思いを沢山抱えて居ることが伝わってきました。

お話しをしていると、もう一人の子が恐る恐る近づいてきて、自分の後ろにおぶさってきました。

そして、怪獣を頭の上に乗せられて、肩車をしてあげることになりました。

しばらくして、一瞬カメラをセッティングするために、その子から離れたのですが、その時に置いていかないでという切実な思いが伝わってきました。

カメラのセッティングを終えて、またその子の所に戻り、お詫びにまた肩車をしてあげました。

「ジャンプして」と指示があったので、ジャンプしてあげるともの凄く喜んでくれました。

何か、深いところで心が通い合い、出会えた喜びが魂の深くから溢れてくるように感じました・・・。

Gakuen
終わった後で、子供達も含めて皆で歌ったのですが、その場には光が注がれているように感じました。

旅立つ直前まで、子供達も先生も近くにずっといらっしゃって、中々去りがたくなってしまったのですが、その場を離れ、一路東京へとマイクロバスは発車しました。

そして、帰りの車中で、それぞれの頂いた思いを分かち合っていきました。

あるお母さんは、小さい頃からずっと歌を歌ってきたけど、今回の旅を通して、御自身の中に「励ましたい」という願いがあり、その願いと歌が繋がっていることに気づいたことを涙ながらに語って下さいました。

東北の痛みに触れることを通して、その方の菩提心が引き出され、魂願とつながっていかれたように感じました。

後で教えてもらったのですが、子供達の生活態度も、この旅の前と後では全く変わってしまって、いつも遅刻してきた子が、1時間も前から準備して、時間ピッタリに来るようになったことを教えて頂きました。

今回の旅を振り返っていて、初めは客観的に、東北の痛みと魂の願いがつながって行かれた方がいらっしゃったんだなと感じていたのですが、他ならぬ自分自身にとっても、癒やしと救いの旅となっていたことが見えてきました。

後から教えて頂いたのですが、自分の周りに沢山の子供達が近づいてきていたのを、他の人たちは不思議だなと感じて見ていたそうです。

子供達の境遇は、自分の境遇と似ていて、私もかつてニグレクトや虐待を体験してきた痛みがあるのですが、子供達も自然とその痛みが分かる自分のところに近づいてきていたんじゃないかなと思いました。

怪獣を頭に乗せてきた来た子との出会いは、痛みを抱えたその子にとっても、同じような痛みを経験してきた自分にとっても、両者に深い癒やしがもたらされていたことが感じられてきました。

震災から5年経って、見た目には復興が進んでいて、痛みは昔よりも大分見えにくくなっていました。和尚さんから「東北のことを忘れないで下さい」と言われた言葉の意味が、つながっていきました。

訪れる人にとってもそうですが、現地で痛みを体験した人にとっても、痛みを心の奥にしまい込んでしまっているため、より一層痛みが分かりにくくなっているように感じました。

しかし、その痛みは消えてはおらず、どこかで癒されることをずっと待たれているように感じました。

今回の東北への旅は、痛みを抱えている方達と出会い、同時に痛みを共に背負い応えたいと願っている自らの魂と出会う旅であったように感じました。

「他人の喜び我が喜び、苦しみ我が苦しみ我が苦しみ」が菩薩の心であると、高橋先生から教えて頂いてきましたが、この東北の旅だけではなく、人生そのものが様々な痛みと出会い、魂の願いに応えていく巡礼の旅なんじゃないかなと思い至りました・・・。

東京への帰路は、交通事故があったため、常磐自動車道を通ることになりました。

Fukushima hinan
放射能に汚染された地帯を通ったのですが、この避難指示区域を横断していきました。

Osen garbage
未だに汚染された土壌が、5年前と同じ状態で各地に置かれていました。

Radiator verify 35
高速道路の横には、放射線量の計測結果が表示されており、この時は3.5μSv/hと表示されていました。

Radiator verify 15
最も高いところから離れるほどに

Radiator verify 05
放射線量は下がっていき

Radiator verify 01
0.1μSv/h となり、しばらくすると表示されなくなりました。

4年前に原発に近づいていったときも、3.55μSv/hだったので、今回もほぼ同じ放射線量がありました。

東北復興プロジェクト 福島放射能汚染 ガイガーカウンターでの現地調査

当時、汚染の除去について話されていたときに、山に降り注いだ放射線物質の除去は難しいと言われていたのですが、あまりイメージが湧いていましたんでした。

今回、広い範囲に山々が連なっているのを実際に一望することができ、これは確かに無理だなと実感しました。

今回の記事を書いていて、原発がある大熊町の住民の皆さんへのアンケートの統計結果を見つけました。

大熊町住民意向調査

Okuma home
未だに4割近くの皆さんが、応急仮設住宅に住まれていました。

Okuma family
家族構成の変化を見ると、大人数の家族が減って、一人、二人の数が増えており、家族がバラバラになってしまっていることが透けて見えてきました。

Okuma kizuna
健康上の不安などから、戻りたいと考えられている方は1割ほどしかいらっしゃらないのですが、それでも、大熊町とのつながりを持ちたくないという方は殆どおらず、多くの皆さんがつながりを求められていました。

この数字の奥に、沢山の苦しみや悲しみを抱えた方達がいらっしゃることを思うと、胸が押しつぶされるように感じました。

人間にとって、家族との絆、地域との絆がどれほど大切であるのかを改めて考えさせられました。

先生の御著書の次の言葉を刻印するところから、今回の旅は始まっていきました・・・

「震災が呼びかけた人間の歩みは、これからが本当の真価を問われる日々となるのではないでしょうか」

この言葉を公案のように感じていたのですが、改めて今回の旅を振り返ることを通して、その重みがひしひしと感じられてきました。

震災によって生じた痛みとどう向き合っていくのか、どう背負っていくのか・・・、それはすぐに答えが出る問題ではなく、人生かけて応えていく、重いテーマであることが感じられてきました。

菩薩への道を歩み深め、より一層その傷みに応えていきたいと願いを確かにしました。

東北復興支援 ←これまでの一連の記事がまとまっています。

「2016東北チャリティーコンサート 震災5年後の試練と引き出されてきた魂の願い」への2件のフィードバック

  1. 素晴らしいカオスの道行きですね
    私も機会がありましたら、ぷねうまに
    行ってみたいと想います❗
    東北の方たちには、北海道の蟠渓での
    かけはしセミナーに来て頂いて、
    大変にお世話になりました。今はもう、蟠渓の研修所は無くなりましたが、
    東北の方たち、特に当時の青年の方達は、エネルギッシュな踊りや子供達に
    いろいろなことを教えて頂きました。

    1. 窪田さん、かつては北海道と、東北で一緒にかけ橋セミナーされていたんですね。

      これからも、地域を越えて、支え合っていきたいですね。

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