東北復興プロジェクト 福島放射能汚染 ガイガーカウンターでの現地調査

東北復興プロジェクト第四弾です。

2011年は様々なボランティア等が推進されましたが、2012年になって物資の調達や、瓦礫の撤去等のハード面のサポートは一旦収束し、次に何ができるか模索する間に、どんどん時間が過ぎてしまいました。

そして、2012年6月に先生は新しい御著書「彼の地へ」を発刊下さいました。

そこで、まずはこの御著書を一日一回は反芻することにしました。

毎日深めることで、詩と写真に込められた深い先生の御心が伝わってきました。

よく、この御著書を東北の皆さんにお渡ししたときに、「この方は、私たちの気持ちを本当に分かって下さっている」という声を聞きますが、本当に深く、東北の皆さんの痛みを我が痛みとされているんだと思います。

また、先生は最も忙しいにもかかわらず、何度も福島ターミナルに訪れ、東北を回られているとお聞きしました。

私にとって、最も憧れる先生は、自分がそうしていただいたように、苦しみの底に居る人々と共にその苦難を一緒に背負って歩んでくださる先生です。

今、日本で一番苦しむ人が多い場所はどこかというと、やはり東北になると思いますが、先生は本当に東北に何度も行かれており、会員さんを支えられていました。

弟子である自分たちが、何もしないのは申し訳ないと思い、東北の秋田出身のK君や、仕事で気仙沼の支援に行ったMさんと3名で東北復興に向かうウイズダムを作り、話し合う中で、何ができるか模索するためにも、まずは東北に赴くことになりました。

お盆の最終日に二日ほどかけて東北に向かうプランを立て、レンタカーを借りて一路東北へと向かいました。

夜中の12時に東京を出発し、東北道を通って福島に向かいました。

私は特に福島原発の放射能汚染が気になっていたので、友人にガイガーカウンターを借りて、計測しながらできるだけ原発の近くまで行くことにしました。

まずは浅草で計ったのがこの写真です。大体0.04~0.05μ?/hであり、震災以前とほとんど変わらない値だと思います。(今回は東京の基準値を0.04μ?/hとします)

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そこからまずは、福島ターミナルに向かい、朝の5時位に到着しました。まだ、日も出ておらず、真っ暗だったのですが放射線量を計測しました。

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すると、0.52μ?/h あり原発からかなり離れている福島ターミナルでさえ、既に13倍の放射能がありました。

ここから更に、最も汚染の厳しい地域に向かいたいと思い、ネットで汚染マップを調べたところ、原発の北西部が汚染が厳しいことが分かりました。

汚染マップ

立ち入り禁止区域

そこで、この汚染マップで赤くなっている場所に向かうことにしました。

浪江町へと向かっていったのですが、原発から15km位離れている場所になると、除染が行われている地帯へと入って行きました。

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所々にブルーシートに放射能に汚染された土が集められていました。

その近辺には交番があって、おまわりさんは中にいらっしゃったのですが、それ以外の人は見かけませんでした。朝早い時間だったからかもしれませんが、時折車は通っていました。

車から降りて、放射線量を計りました。

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約1.5μ?/hあり、東京の約40倍近くになっていました。

更に福島原発に近づいていき、車から降りて線量を計りました。ここには立ち入り禁止の看板がありました。

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3.28μ?/h 東京の約80倍ありました。このあたりは、人の住む気配もなく、既にゴーストタウンとなっていました。

更に、川の橋の近くで計測すると、3.55μ?/h 東京の約90倍で、これが今回の最大値となりました。直感的にこの場所には居てはいけないと思いました。

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見えない圧力が、自分の存在の中心を貫くように感じました。

更に原発へと近づいていきました。

途中で、看板が有り、検問所の場所が書いてあったので、検問所まで向かうことにしました。

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看板を超えたあたりから、道の草も生え放題になっていて、道路まではみ出してきていました。

更に、震災によってできた道路の破損が直されておらず、パイロンが至る所に立っていました。

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そして、検問所に到着しました。

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大阪府警の方が門の前に立たれており、これ以上は進めないことを教えて下さいました。

そこで、引き返したのですが、このあたりの線量も計測してみました。

0.86μ?/h となっており、少し前のポイントよりも小さい値となりました。

単純に原発に近いほど値が高いという訳ではなく、風や地形や様々な要因によって、セシウムが飛散した場所によって差が出ていることが確認できました。

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そして、次の目的である南三陸に向けて、この地域から離れることにしました。

この地域から離れるほどに、どんどん放射線量は下がっていきました。
南相馬のコンビニに到着し、計測すると東京とほぼ同じ線量だったのですが、コンビニから出て、田んぼの近くで計測すると、0.52μ?/hあり、土にセシウムが付着していることが分かりました。

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福島で、放射線量を計測したことによって、関心が深まり、これまでよく理解できなかった線量などの基準についても、きちんと調べみました。

まず環境省が出している除染の基準ですが、0.23μ?/h となっており、自然の放射線(0.04μSv/h)を除くと0.19μSv/hとなります。ちなみにチェルノブイリ原発があった、ウクライナでは 0.11μSv/h が移住権利ゾーンとなっています。

計算で現すと 1mSv/(365日x(8時間 + 0.4<低減係数> × 16時間))=0.19μSv/h

まず年間1ミリシーベルト(1mSv=1000μSv)ですが、ICRPで定められた国際基準があり、それを1時間あたりで換算したものとなっています。

次に時間ですが、一般の人の生活モデルとして国の原子力安全委員会で採用している方法を参考にします。1日8時間屋外活動を行い、残りの16時間は木造の家屋にいると仮定しています。木造の家屋にいた場合の「低減係数」は、原子力安全委員会発行の「原子力施設等の防災対策について」※に記載されている「平屋あるいは2階だての木造家屋0.4」を使用しています。

チェルノブイリは24時間で計算しているため、チェルノブイリの方が厳しい基準となっています。日本はできるだけ放射線の影響が小さくなるような計算をしていますが、このような計算は今後至る所に出てきます。

この基準を適用すると、今回計測した東京以外の全域が、除染の対象地域となり、ウクライナだったら移住権利ゾーンとなります。

目には見えず、すぐには影響も出ないので分かりにくいのですが、かなり深刻な状況になっています。放射能の影響が人間の体の異常として現れるのは4~5年後だと言われており、そのことを思うと胸が押しつぶされるような気持ちになります。

高橋先生は、「彼の地へ」の御著書の中で、福島の放射能汚染についても書かれています。

何となく読んでいた文章が、現地に赴いて、改めて被害の実態を自分に引き寄せることで、その深い意味が迫ってきました。

また、「彼の地へ」の御著書のプロローグの部分に、先生が福島県伊達市在住の高橋一子さんと出会われたことが書かれていますが、先日、GLAのセミナーでその出会いの一部を映像で見せていただきました。

一子さんは農家の主婦で、当初、政府の調査では米の汚染は問題ないとされていたのですが、不安があり、出荷する米の検査を再度依頼したところ、高い数値が出て、出荷停止となり、そのことがメディアでも大きく報道されました。

その結果、食品の検査は精密で広範な範囲へと見直されることになったのですが、そのきっかけを作られた方です。

先生は、一子さん達ご家族ともずっと一緒に歩まれており、「皆さんのことを思うと針のむしろです」と言われていました。

一子さんが悩まれ、恐怖し、そして農家の良心に従って勇気を持って決断された歩みも、全て受けとめられ、同伴されていたことを感じました。

また、高橋先生は福島の皆さんのために、放射能汚染から身を守るために、化学物質による汚染のエキスパートである愛媛大学の脇本教授や、栄養学の専門家などの皆さんによる学習会を開かれました。

更に、食品の汚染度を検査できる高価な検査機まで福島ターミナルに寄贈されていました。

本当にどこまでも会員さんを大切に思い、あらゆる手を尽くして、会員さんのいのちを守って下さる先生の御心が伝わってきました。

私も先生に倣って、どこまでも福島の痛みを自らに引き寄せて、私にできることをさせていただきたいと願います。

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