前回、実家に帰ったときに、母が20年ほど前に亡くなったXさんとの関わりで後悔があると話していました。
何度か御供養に取り組んできたので、もう癒されたのかな?と思っていたのですが、未だに後悔の念に苛まれることがあるということでした。
そこで、2016年春期特別御供養に一緒に取り組むことにしました。
『人生で一番知りたかったこと』から見える御供養の本質
今回の御供養の体験の前に、先生がどのように御供養についてお書き下さっていたのかを振り返らせていただきました。
御著書『人生で一番知りたかったこと』の『26 死は永遠の別れなのか?』という章に、御供養について詳しくお書き下さっていたのですが、その一部を抜粋させて頂きます。
先生は、現代を生きる私たちにとって自然となっている「死んだら終わり」という人間観と、それ故に生じる虚無感について触れられた後で、次のようにお書き下さっています。
人間は、決して「死んだら終わり」ではありません。人間の本質は、魂であり、永遠の生命として生き続けている。人の死は、それがどういう形であれ、実は、あの世への誕生にほかならないのです。その意味で、死は、私たちにとって決して永遠の別れを意味するものではありません。
『人生で一番知りたかったこと』 190P l8〜l12
人間は魂を抱く永遠の生命という前提の上に、供養の本質について次のようにお書き下さっています。
私たちが人間として深化成長してゆくことが、そのまま、あの世の魂にとっての癒しとなり喜びとなるのです。そのように、供養とは、供養する側とされる側の「あいだ」で成就されるものであり、見える世界と見えない世界とが響働する(共に響き合い、はたらき合う)ことによって、初めて成り立つものなのです。
『人生で一番知りたかったこと』 194P
ですから、供養の本質は、心の次元において、何より私たちと亡き方々との絆をいかに再生させるかということが重要となります。その歩みの中で、見えない世界と見える世界の境界が、心の中で次第に揺らぎ始め融け出して、あの世とこの世が切り離されたものではなく、ひとつながりであるように実感できるようになってゆくことでしょう。
死によって、人と人との絆は、決して断たれるものではなく、私たちは永遠の生命として、あの世とこの世で響き合いながら、互いに歩みを深め、成長してゆくことができるのです。
『人生で一番知りたかったこと』の御著書は、2003年に発刊されていたのですが、当時は特別御供養も行われておらず、書かれている内容の意味はほとんど分かっていませんでした。
GLAが40周年を迎えた2009年から、特別御供養が始まったのですが、あの世とこの世が一つに繋がるような体験を頂く中で、この御著書に書かれていた内容が、自らの体験を基とした実感として、感じられるようになってゆきました。
特別御供養が始まる、6年も前から先生がこのような文章を書かれていたことを振り返って、改めて驚いたのですが、先生にはやがてGLAの中でどのように御供養が深められていくことになるのか予見されていたのかな?と感じました。
先生が開いて下さった特別御供養によって、全国のGLA会員の中で様々な深まりがもたらせていますが、そのほんの一例である私の取り組みを分かち合わせて頂きます。