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3つの「ち」の「血」の発見
今回は、母と一緒に参加することになりました。
佐賀から福岡に向かう道すがら、母が色々と過去のことを話してくれました。
祖父である、母の父についても話してくれたのですが、母からは半身不随になったお祖父さんは、仏様のように見えていたらしいのですが、私には言葉もしゃべることも殆どできず、思いを伝えられずに苦しまれているように見えていました。
話しの中で、かつて若い頃に、お祖父さんが自殺未遂をされていたことを話してくれました。
お祖父さんは、優秀な長男と比較されて、差別される苦しみを抱えていたらしいのですが、そのことで自殺を試みるほど追い詰められていたんじゃないかということでした。
私も神理と出会う直前に、自分が生きていることで周りの人に迷惑をかけているとしか思えず、こんな自分は死んでしまった方が世の中のためになるんじゃないかと真剣に悩んでいたことがありました。
私自身の、個人的な思いだとおもっていたのですが、祖父から母、そして私へと流れ込んできた3つの「ち」の「血」の流れであったことが見えてきました。
また今回、自分自身の皮膚の弱い箇所にクリームを塗っていたときに、母も全く同じ場所に炎症があることを教えてくれました。また、父からは花粉症をもらっていて、肉体においても両親から頂いているものが大きいことを感じました。
意識においても、肉体においても「血」の影響の大きさを改めて痛感しました。
御供養の場を通して注がれた神仏の御光
1時間ほどで九州本部に到着しました。
会場に到着すると、同伴者の方との出会いがあったのですが、色々と問いかけて頂く中で、改めてXさんへの思いを振り返っていきました。
更に、司祭の方との出会いがあり、Xさんが生まれてきて下さったお陰で、免れた災厄もあったことを意識化するように誘われました。
母は、Xさんが親族の痛みを一身に引き受けてくれていたことへと思いを馳せ、感謝の思いを深めていきました。
そうして、御供養の場へと向かっていきました。
先生が異言で祈って下さり、亡くなられた親族を、この場に呼んで下さいました。
御供養の時はいつもそうなのですが、宇宙的な世界につながっている感覚になり、親族の方達が来ていることが感じられてきました。
先生は、ある方との対話を通して、特別御供養の場に来られた魂が、あの世では御自身の心が外に出てしまい、嘘がつけなくなられた話しをしてくださいました。信次先生の御著書に書かれていることは、本当のことだったんだと感じました。
御供養が終わった後で、Xさんの写真が手元に戻ってきたのですが、顔の表情が全く変わっており、きらきらと輝いているようにさえ見えました。
母も、「顔の表情が本当に違う」と言って、一緒に驚きました。
御供養の場からの目覚めの連鎖
帰りの車中でも、自然とXさんについて、話していきました。
Xさんは、家業としての酒屋さんがなくなった時に、仕事が無くなってしまいました。
その後、坂道を転げ落ちるように、様々な問題が起きていくことになったのですが、生活環境の変化が、どのようにXさんにストレスを与えることになっていったのか、母は初めて気づいたそうです。
そして、もしXさんのことを本当に心配してあげることができていたら、家業を続けるとか、もっと違う道を選択できていたんじゃないかという後悔が深まっていきました。
特別御供養の場で、Xさんが御自身の人生についての理解を深められ、その気づき、発見の光が、生きている私達にも伝わってきたように感じました。
母は、こんなにも亡くなられた親族の事を思ったことは、これまで無かったと言って、これまでの御供養で今回が一番深まったと喜んでくれました。