色々配慮していたら、遅くなってしまったのですが、昨年末からの歩みを振り返らせていただきます。
年末となり、仕事とお世話のプロジェクトが終了し、ほっとしたところで、まずは年賀状作りに着手しました。
2024年は辰年ですが、Blenderを使った竜のモデリング方法を見つけ、真似して作ったところ、それっぽく見えたのでOKとし、Movieまで作成しました。
もう一つ、12月に3Dスキャンしたオブジェを3Dプリンターで造形する働きがありました。4回目でようやく成功し、年賀状とオブジェをもって名古屋の総合新年祈りの集いに向かいました。
本当は、12/30の21世紀開拓者会議にも名古屋で参加したかったのですが、ぎりぎりまで東京での働きをすることになり、東京で参加しました。
Contents
年末の21世紀開拓者会議での功徳の意識化の深まり
21世紀開拓者会議では、先生がこの一年に説かれた膨大な神理を一つの曼荼羅に集約してくださいました。
先生のお話をお受けしていて、謎が解けた部分があったのですが、私はどんどんデザインの世界に自然と入っていって、新しい仕事を一緒につくり出すようになることも多くありました。その結果、新しいツールの教育業務を始めたり、デジタルテクスチャーを新しい部品に適用したり、新しい要件を作ったりしてきました。
一方で、他の皆さんはあまりデザインの中に入っていかず、外から要請されて、はじめて限られた要請にだけ応えられていたようで、上司の愚痴を聞くことも度々ありました。
どうしてこのような違いが生じるのか分からなかったのですが、菩提心には呪いを解く力があり、「絶対に行けないゾーン」に行くことができる力があることを教えていただきました。
私は高橋先生から菩提心のことを教えていただき、菩提心に導かれてきたがゆえに、通常はありえないような道の開き方をすることができたんだと実感しました。それと同時に、職場の皆さんは、その人の中に可能性があってもその開き方がわからず、それゆえ限られた要請に応えることが精いっぱいの生き方になっていることが、もったいないと思えるようになってきました。
また一年を振り返ると、春に大きな試練があって、40枚以上神理実践シートに取り組むことになったのですが、その結果、青年塾のお世話に導かれ、青年講演会まで青年塾の菩提心チャレンジを体験することになりました。
更に、伝研セミナーで、先生が因縁果報の智慧を使って、どのように青年講演会を成功に導かれたのかを見せていただきました。
また開け行く道では、Beyondへの実践として、業界におけるパラダイム転換を、科学の皆さんと深めさせていただきました。
先生講演会に向けては、地域で夜の磁石映像反芻に取り組んだのですが、その過程で「人生を取り戻す」のご著書を一節、一節輪読し、内容を深めてゆきました。
コロナ禍が終わり、一日一葉特別セミナーがなかったため、これまでのように先生のご著書を深めることがあまりできていませんでした。しかし、夜の磁石映像反芻を通してじっくり深めることができ、「人生のボトムから救われてきた」という実感を深める事ができました。
そのような思いを抱いて、改めて、先生が一枚に集約くださった曼荼羅を見ると、本当に先生に導かれて「人生を取り戻す」から「もう1人の自分」魂の賢者覚醒へと導かれていることがつながって見えてきました。導かれている恩恵を深めつつ、名古屋へと向かいました。
先生の神様への祈り
中京会館で行われた「総合新年祈りの集い」では、年末の先生の祈りを受ける機会がありました。
これまでなんとなくお受けしてきたのですが改めて、一言一句詳しくお聞きしてゆくと、こんなことを祈られていたのかと発見することがありました。
先生は、「これよりの道行をあなた(神様)の光で照らしてください」、といったことを祈られていました。
また、青写真を具現することができますようにといったことや、本当の必要に応えることができますようにといったことも祈られていました。
先生のこの一年の具現を見せていただいて、改めて先生が膨大な神理を説いてくださって、奇跡のような転換を起こしてくださっていることを目の当たりにさせていただいたのですが、先生の具現の根本には、この神様への祈りがたたえられていて初めて具現されてきていたんだなと感じました。
私もこれまで、先生を最高のモデルとして、先生に倣って具現できる人になりたいという願いを抱いてきたのですが、具体的にどのように生きるのかははっきりしていませんでした。しかし、先生の祈りの言霊に触れて、自分も先生のように、神様への祈りを深めて、青写真を具現できる人になりたいと感じました。聖堂に通っているのも、その背景があったことに気付かされました。
中京会館での先生ウイズダムの衝撃
中京会館では、先生のウイズダムやお写真が掲示されていました。私は特に、先生のウイズダムをじっくりと見せていただきました。
2023年の劇は、ジョン万次郎だったのですが、その時代にどのようなことが植民地政策として行われていたのか、逆風の中、民主主義国家を開くことになった阿部正弘の判断、ジョン万次郎とペリーの共時性といった、本当に驚くような考察に溢れていて、知らないことが多く書かれていました。
これを見ることができただけでも、本当にありがたい機会を頂いたと実感しました。
中京会館では、先生のご講演の後で、打ち出した3Dプリンターの結果もお渡しすることができ、必要な打ち合わせも済ませることができました。
早朝に、中京会館の聖堂で、年初の祈りを祈って、佐賀に帰ってゆきました。
両親の夫婦喧嘩の煩悩地図による切磋琢磨
佐賀ターミナルでは、今年は残念ながら母と自分だけの参加となりました。父が来れないのも残念でしたが、姉も腹痛のため外出ができない状態でした。
父とは、叔母さんの家には一緒に行ったのですが、その場で何十年と繰り返されてきた夫婦げんかが始まりました。
最初は、いつものこととあまり気にせずに見ていたのですが、だんだんエスカレートしてきてこれはちょっとまずいなと思い、間に入ってそれぞれどのような煩悩になっているのかを、煩悩地図を使っていっしょに考えましました。
母も頭に血が上っていたのですが、いつもの受発色の繰り返し(不満→荒れ→破壊)があったことに気づき、冷静になってゆきました。
父は、初めて煩悩(優位→支配/差別→枯渇/反感)を指摘され、少し驚いていたようですが、納得しているようでした。
家族での神理実践シートによる転換
翌朝、父と母と姉も一緒に神理実践シートに取り組むことになりました。それぞれの煩悩の繰り返しがどのようになっているのかを一緒に発見し、『新・祈りのみち』の取り組みを通して、「魂の賢者」の声を受けとめてゆきました。
父にとっても、初めて自分の煩悩を意識化できたようで、また『新・祈りのみち』のおなぞりも深められて、祈りの言葉を自分の言葉として書いていました。
姉も、最初は左の煩悩と、右の魂の賢者の声を受けとめるところが、弁別できなくて、シートの取り組み方がよく分からなくなっていたのですが、腹痛への対処方法に対して「投げやりになるときの祈り」を一緒に深めると、本当にこの通りになっているという驚きとともに深められてゆきました。
私自身も「投げやりになるときの祈り」は、何十回、何百回と取り組んできていたのですが、同じような「3つのち」を姉も背負っているため、同じような痛みがあるんだろうなと感じつつ、自分が浄化して深めた分だけ、相手の方が転換するご縁になれる実感を深めました。
父は、いつもは神理に対しても、少し馬鹿にするような、優位の受信で受け止められることが多かったのですが、今回ばかりはその煩悩が砕かれて、しおらしくなっているようでした。
そうして、「このようなかかわりができる人はそういないんじゃない?」と言われたので、「同伴する方からはありがたがられることが多いよ」というと、「そうだろうね」と言っていました。
基本的に父からはずっと馬鹿にされて育ってきたので、そうではない関わりをされることに新鮮さを感じました。
その後、父が自分から洗い物をしたり、「ごみを捨てに行こうか?」といって相談してきたのですが、母も「初めてそんなこと言われた」と言って、何度も驚いていました。
その後、父からも「カオスって何?」「カルマって何?」といった質問が相次いだので、映像を見たり、先生が魂願とカルマについて書いてくださった文章を一緒に見て学んでゆきました。
また、G.メディカルチャンネルを一緒に見て、高血圧や高脂血症などへの理解を深め、ウォーキングにも家族で取り組んでゆきました。
姉の緊急入院と帰省への要請
そうして実家を後にして、東京に戻ってきた直後に、母からの連絡がありました。
それは、姉が死んでしまうかもしれないので、不安で仕方がないから帰ってきてほしいという連絡でした。私が東京に帰った翌日に、ずっと固辞していた病院に行き、そのまま○○医大病院に緊急入院することになっていました。
これは何とかしなければと思い、家に帰るための準備を始めました。
同時に病名を確認して、GLAに入院報告書を提出する手続きをさせていただきました。
そのようなやりとりを進めつつ、病の厳しい中にあっても、高橋佳子先生に見守っていただいていることが深く心に伝わってきました、、、
そして、神様に見守られていることが深く実感されたときに、これだけ愛されて、見守られている、いつ死んでも大丈夫という大安心の気持ちに導かれて涙が溢れてきました。
そのような気持ちで姉に連絡したところ、そこまで大変な問題じゃないから、大丈夫という連絡をいただきました。
一安心して、すぐに佐賀に戻ることは中止することになりました。
G.誌 末期がんについて先生が書かれた文章の共有
ここ最近、「嫉妬を感じる時」の祈りを何十回となく深め続けてきていました。
基本的に、私自身は強烈な劣等感を持っているのですが、周りに認められる人がいると、嫉妬心を深め、同時にダメな自分への自己憐憫の思いを強める繰り返しがありました。
そのような繰り返しが見えてくるに連れて、これまでGLA誌の先生のご文章は生活実践でも深めてきていたのですが、それ以外の先生が様々にお関りくださっている内容については、劣等感と嫉妬心のために苦しくなって、あまり見ていなかったことに気づいてゆきました。
嫉妬心が浄化されるのに従って、様々なGLA誌の内容も読めるようになってきたのですが、丁度、末期がんになった方について、先生が書いてくださった文章が掲載されていました。
なんとなく気になって、そのページの内容を親戚にLineを通じて分かち合いました。するとその直後に姉の病気がガンであることが判明しました。
その後、改めてGLA誌の先生が書かれていた文章を家族に見てもらい、また、経営者の藤井さんが奇跡的に、悪性リンパ腫から回復してゆかれた物語を見てもらいました。
その日の夜に、父から連絡がありました。
父の魂からの切実な訴え
「姉ちゃんがかわいそうでたまらない、何とか助けてほしい・・・」父が本当に姉のことを心配し、何とかして欲しいと魂からの切実な訴えを電話を通して伝えてきました。
可哀想で、涙が出てきて止まらない・・・、生まれて初めて、涙を流している父と出会うことになりました。
姉のことを心から心配する父のやさしさが心に染み入ってきました。そして、「わかった。自分もできることは何でもするから、一緒に引き受けていこう」と心を確かにつつ伝えました。
父も本当に変わる時なんだなと感じ、なんとか家族を繋ぐチャレンジをしてみることにしました。
家族でのLineグループ通話のチャレンジ
前々から家族でラインのグループ通話をやってみたいと考えていたのですが、父も母もLineがほとんど使えなかったので、一度も実施したことはありませんでした。
しかし、そんな悠長なことを言っている場合ではないので、6:30~7:00までの朝磁石が終わった後で、家族会議をすることになりました。
病院にいる姉と、実家にいる父と母、それと東京にいる自分の3者でつないでみたのですが、少し手間取りましたが、なんとかつながることができ、皆で祈って、姉に光を送ることができました。
姉もありがとうと言って涙を流していました。1週間後に、もう一度繋ぐ約束をしました。
その後、失敗しつつも、何度かグループ通話の練習をさせてもらい、少しずつLineでのグループ通話がスムーズにできるようになってゆきました。
一週間後と言っていたのですが、翌日母が勘違いをして連絡してきたため、再度祈りの時を持つことになりました。
その後、これから毎日光を送る行を続けることになりました。
姉は、痛みで眠れない日々が続いていたそうなのですが、光を送ってもらった後で、初めて眠ることができたと言っていました。
改めて厳しい病の状況にあるんだなと感じつつ、少しでも姉の病状が楽になることを願って、光を送る行を続けることになりました。
それまで、黄疸が出ているために、抗がん剤の治療が受けられない状態となっていました。
しかし、ステントの治療がうまくいって、これで抗がん剤の治療が始められるかもしれないという状況になってゆきました。
ちょうど、東東京の集いの中で、先生がGGPのためにお作りくださった神理実践シートを深める機会がありました。
同じように、家族でも取り組めないか模索していったのですが、Lineのグループ通話の機能として、Zoomのように画面を共有する機能があることを発見しました。
それでスライドを写しつつ、一緒にシートの取り組みを深めてゆきました。
病床での神理実践シートへのチャレンジ
最初に姉と取り組んだのは、抗がん剤の治療が始まる前の状態でした。
病気が怖い、恐ろしくてしかたがないという気持ちで、このままだとあきらめて投げやりになってしまう結果になることが見えてきました。そこから祈りの道を探していったのですが「絶望するとき」の祈りがピッタリとなっていました。
そこから、「最善の道がある、光が注がれている、信じている自分がいる、それを求めて生きてゆこう。」と、魂の賢者の声を受けとめてゆきました。
更に、一年後の未来として、病気を克服して、病で苦しんでいる人の気持ちを分かち合えるようになると記されていました。
そのような厳しい状況と向き合いつつ、東京の新年の集いへと向かいました。
新年の集いでのTL医療の先生との出会い
私自身は相談員の働きをさせて頂きつつ、先生のご講演の時には、会場の中でお受けさせていただいていました。
会場内で体調がすぐれない方がいらっしゃり、急遽、救護班の方を呼んで対応をしていただいたのですが、それがTL医療のS先生でした。
S先生とは、15年ほど前、マーナビルで生活実践をしていた頃に、一緒に学んでいたことがありました。
S先生につないでからはいったん私は相談員の働きに戻りました。
その後、新年の集いが終わって、プロジェクト集会まで少し時間があったため、部屋の前で待機していたのですが、青年の頃に横浜地区で一緒にプロジェクトを担っていた、TL医療のTさんと一緒になりました。
Tさんが医者になってからの10年間、どのような歩みをしてこられたのかを教えてもらったのですが、頑張っても理解されず、評価されずに苦しんできた点で共通する部分も多く、私自身がそこからどのようにゴールデンパスのご著書によって転換へと導かれてきているのか、分かち合わせていただきました。
そのような話をしているところで、S先生が来られました。この3名で話すのは初めてだったこともあり、まずは自己紹介から始めたのですが、ふと姉が病気になったことをS先生にお伝えしました。
私が知っている少ない情報をS先生にお伝えしたのですが、S先生は状況を察してくださり、病気の重さについて、改めて教えてくださいました。そして、胆管がんはある意味ですい臓がんよりも厳しい場合が多く、短ければ半年、長くても2年の余命になるかもしれないとお伝えくださいました。
私自身は、そんなに短いとは、まったく予想していなかったため、驚いてしまい、どのように受けとめればいいのか分からない状態となってしまいました。
プロジェクト集会での先生からのお言葉
そのような不安を抱きつつ、先生のプロジェクト集会でのご指導の場に臨みました。先生は、丁度発刊されたばかりの『もう1人の自分』のご著書のプロローグの部分を読んでくださいました。
すると、引き受けることはできないとパニックになっていた心に対して、永遠の生命の人間観を持ち、「もう1人の自分」であれば、どれほど厳しい試練であっても引き受けてゆくことができるという気持ちに変わってゆきました。
そのような覚悟を定め、先生が中央通路をご退場くださるのを待っていました。
先生を前にして、私は次のようにお伝えさせていただきました。
「先生、姉が胆管がんになってしまいました。家族で光を送って、もう1人の自分として引き受けていけるようにします」
そのようなことをお伝えしたのですが、高橋先生は
「お姉さん、なかなか厳しいご病気だけど、なんとか乗り越えて行けるよう、、、
適切な治療が受けられているかどうか、見定めてあげてください」
とお伝えくださいました。
実は、S先生からは胆管がんについて、セカンドオピニオンはないかもしれないと言われていました。しかし、先生から「適切な治療が受けられているかどうか、見定めてあげてください」という言葉をいただいてしまい、医療は専門ではないので、どうやって見定めたらいいのか分からなくなっていました。
ちょうど、帰りの電車でも、たまたまS先生とご一緒になり、改めて先生からいただいた言葉を分かち合ったところ、「私の方で引き受けさせていただきます」という力強い言葉を頂くことになりました。
こうして、先生から頂いた一言によって、TL医療の皆さんとの連携体制が作られてゆくことになりました。
(続く)
この世は大変な試練がありますが、諦めずに行動すれば、深い絆を現すことが出来ることを刻印します。
鋭敏→実行が「火の心」の菩提心チャレンジだと肝に銘じます。
試練は呼びかけ、試練の中で先生、神様の御心を求め、一本の白き道へと導かれる歩みとなっているようです。