2017欧州への旅1 ユダヤ人が大量虐殺されたポーランドのアウシュビッツへ

お盆休みの最初の二日間は、九州の実家で特別御供養をお受けしたのですが、翌日から一週間、今年の劇の舞台となった欧州に行く計画を立てていました。

Contents

欧州への旅への葛藤

3年前は、ジョン万次郎の劇があったのですが、ボストンでの仕事の研修と重なり、到着間際の隙間時間を見つけて、フェアヘーブンに行ってきました。(このことをきっかけとして、劇チームに参入することになりました。)

劇プロジェクトへのチャレンジ フェアへーブンへの旅

昨年は、鑑真和上の劇があり、上海に行ってきました。

2016年劇役者への挑戦 波濤を越えて上海への霊操の旅

2016年劇役者への挑戦 鑑真和上を訪ねて中国の大明寺への旅

今年は、杉原千畝だったので、最初にシベリア鉄道を調べたのですが、かなり人気があり、しかも日数もかかるために諦めました。

また、海外に行くことに対しては賛否両論あり、仕事での試練も続いていて落ち込んでいたため、今年は無理かなと諦めかけていました。

そこで、友人にラインで、行くかどうか迷っていると伝えたら次のような返信がありました。

「やりたいことは全部やった方がいい。人生は短い。そしてみんなに伝えて・・・」

応援してくれる同志がいることに励まされ、ウイズダムに取り組んでみました。

しかし、いざ行こうとしたときに、もの凄い恐怖が襲ってきました。東北の震災直後に「ボランティアに行って欲しい」と言われたときと同じくらい、強烈な恐怖心でした。

そこで、最新の神理実践シートに取り組んで、呼びかけを受けとめてみたのですが、その恐怖心の先にあるミッションワークに応えていきたいという願いが溢れてきました。

それで、心が定まり、欧州への旅にチャレンジすることにしました。

欧州計画の試行錯誤

欧州には一度も行ったことがなかったので感覚が分からず、地図を見ながらどこに行くべきか様々検討しました。

日程と、お金と、移動距離のトレードオフを見ながら、プランを検討しました。

最初、リトアニアに直接行く計画を立ててみたのですが、あまり便がなく金銭的にも、日程的にも難しいことが分かりました。

次に、フランスや、ドイツに行くプランを考えたのですが、フランスからリトアニアへは距離があり、フランスに行くのも実質的ではないと判断しました。

フィンランドのヘルシンキは飛行機の中継地点でもあり、そこから行くことも考えたのですが、もしロシアを通らなければならなくなったときに、VISAの問題がありそうだったので諦めました。(ちなみに、ロシアに行くには一ヶ月以上前から申請が必要だと、現地で分かりました)

ポーランドのワルシャワは飛行機のチケットも比較的に安く、リトアニアに行くにしても、ドイツ、フランスに行けるようになった場合も、便利であることが分かってきました。それで、今回はワルシャワに行くことにしました。

飛行機の便を取り、同時に一泊3000円ほどの安いホテルを選びました。

その後で、地球の歩き方のポーランド篇を購入したのですが、本を読んでいると、アウシュビッツ、ビルケナウがポーランドにあることが分かりました。それで、何となくアウシュビッツに行きたいと思うようになりました。

旅をしながら、プランを作っていったのですが、次のような経路を辿ることになりました。
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日本出発 世界情勢の理解と神理の伝道

九州での特別御供養が終わった翌日、成田11時発のヘルシンキ行きの飛行機に乗り込みました。

お隣に座った方は、スペイン在住の日本人で、通訳をされていたのですが、欧州について、色々とお話し下さいました。

私も、今年の劇の情報収集で、初めてヨーロッパに行こうとしていることなどをお伝えさせて頂きました。

また、旅に行く時に、劇に関する資料を幾つか準備していったのですが、「暴政」というティモシー・スナイダーさんの本を読みながら行きました。

副題として「20世紀に学ぶ20のレッスン」とあり、ヒトラーのホロコーストについても書かれていました。

ヘルシンキに行くまでの時間に読ませて頂いたのですが、後半は、今の時代が1930年代と似ていることが書かれていました。

おして、ロシアのプーチンから、アメリカのトランプ、フランスのルペンといったポピュリスト政治家が、政治の手法を学ぼうとしており、資金的な援助を受けていることやテロとの関係などが書かれていました。

過去の歴史の教訓を学ぼうとしていたら、現代の時代の理解と、未来への洞察が深まり、また先生が世界情勢についてご指導下さっていたことのより深い理解へと繋がっていきました。

それで、 気づいたことをお話ししたら、非常に関心を示され、その流れの中で劇の内容につながり、魂の学をお伝えすることになりました。

パンフレットの説明をさせて頂いたところ、4つの人格に関心を示されたので、一つ一つの人格を説明させて頂きました。

これにも非常に関心を示されて、自分でチェックする方法はないかと質問を頂いたので、自己診断チャートのURLを共有させて頂きました。

自己診断チャートのURLはこちらです

今回は、自分の中では、初めてGLAは宗教ですと、正面からお伝えした上で、それでも他の宗教とはこう違いますとお伝えし、そのことに共感を頂いたことがとても大きかったのですが、本物の宗教を求めている思いは、人類共通のものなんじゃないかなと感じました。

これまで、宗教に対して、偏見の眼差しで見られることを過度に恐れてきたのですが、それよりも、相手の中にある、神理を求める仏性を信じる心が足りなかったんじゃないかなと反省を深めました。

ヘルシンキからワルシャワへ

ヘルシンキを出て、海を越えて行ったのですが、空の境界がとっても綺麗でした。そして、バルト三国の上空を抜けて、ワルシャワへと向かいました。

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ワルシャワ空港に到着し、ホテルへの行き方を相談するとタクシーを勧められ、タクシーでかなり郊外にあるホテルに到着しました。

ホテルも恐そうな気配があったのですが、善友の集いのご講演を聴いていたら、疲れで寝てしまい、目が覚めると菩薩への祈りが終わって部屋が光に満たさたように感じました。

先生に光を送って頂いていることを感じ、これは何とかミッションワークに応えなければと思い、旅がスタートしていきました。

アウシュビッツツアーへの参加計画

ホテルのwifiを使って、アウシュビッツに行く方法をネットで調べてみたところ、ワルシャワから数時間で行けるクラクフからも更に離れており、またツアーでなければいけない場所もあること説明があり、ツアーに参加することにしました。

しかし、いざツアーを選ぼうとすると、沢山のコースがあり、言語も、日本語や英語など各国の言語がありました。そして、近日中のコースは既に埋まっていました。

今から参加するのは難しいかなと諦めそうにもなったのですが、早朝スタートする英語のコースは翌日空いていることが分かりました。朝早いので人も少なく、落ち着いて見学できると紹介されていました。

「これだ!」と思ったのですが、参加するにはクラクフに宿泊する必要が出てきました。

そこで、一泊3000円のワルシャワのホテルは借りっぱなしにし、クラクフに一泊して、早朝のツアーに参加することにしました。

バスでワルシャワのセントラルステーションに到着したのですが、駅のインフォメーションは英語が通じ、クラクフに行きたいと伝えると、チケットを取って下さいました。(ちなみに、ポーランドには、ポーランド語で、文字も言葉も全く分かりませんでした)

欧州のwifi事情

ここで、欧州のwifiについて反省を踏まえて共有させて頂きます。

今回も、上海の時もそうでうが、言葉が通じず、標識も読めない海外では、ネットが使えないと本当に手詰まりになってしまいます。

なので、海外では特に、交通手段を調べるにしても、現在位置を調べるにしても、スマホが使えると大変便利です。

前回の上海で、ホテル以外でスマホが使えず、とても苦労したので、今回は欧州で使えるSimカードを日本で準備して向かいました。(私は元々Simフリーのスマホを使っているので、欧州で使えるSimカードだけ必要です)

ヘルシンキまでは使えたのですが、ワルシャワでは使えない状態になりました・・・。

スタバのFree wifiスポットに辿り着き、調べると、欧州で使えるSimカードも種類があり、値段によって使える国が異なることが分かりました。ちょっと、けちったために、ポーランドでは使えないことが分かりました。

そこで、現地でSimカードを調達することになったのですが、駅のコンビニで売ってはいたのですが、ポーランド語の説明が読めず、忙しいコンビニの店員さんに色々教えてもらいながら、Visaを登録したりして、何とか使える状態になりました。

隣のドイツやカウナスではまた使えなくなりました・・・。

欧州の旅に行く場合は、使える国も確認した上で、ネット環境を準備することをお勧めします。

クラクフ探訪① 聖母マリア被昇天祭

電車で緑豊かな大地を抜けてクラクフに到着しました。

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その日は、丁度、聖母マリア被昇天祭の日で、ワルシャワのお店は、基本的に全部閉店しており、いきなり失敗したなあと思っていたのですが、クラクフに到着すると、町はお祭り一色となっていました。

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クラクフの町の中心には、聖母マリア被昇天教会があったのですが、お祭りの中心地に何も知らずに来てしまいました。

駅から市街地に入る途中に、大きな門(バルバルカン要塞)がありました。

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後で、タクシーの運転手さんから、この門はモンゴル帝国のチンギスハンが攻めてきたときに町を守るために作られたことを教えて頂きました。

また、教会にはモンゴル軍が攻めてきたときに、ラッパを吹いて知らせたそうなのですが、今でも決まった時間にラッパを鳴らしているそうです。

教会の中にも、入ることが出来ました。観光客も多かったのですが、一心に祈りを捧げている方もいらっしゃいました。また、美しいステンドグラスを見ることが出来ました。この教会は、後で見た「シンドラーのリスト」の映画にも出ており、美しさでポーランド一と言われています。

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色々と見て回っていたら、説教の場に紛れ込んでしまい、一緒に賛美歌を歌いました。

クラクフ探訪② ヴァベル城

お祭りを抜けて、更に歩いて行くと、大きなお城がありました。

多くの観光客がお城へと向かっていったので、何となく流れに沿ってお城(ヴァベル城)へと歩いて行きました。

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このお城には、ワルシャワの歴代の王様が住んでおり、お墓があることが分かりました。偶々立ち寄った、このお城と、門にどのような意味があったのかは、旅の後の方で証されていきます・・・。

本当はシンドラーの博物館まで行きたかったのですが、お祭りを見ながら歩いてると、夕方の遅い時間となってきたので、ホテルに向かいました。

とりあえず、寝ることさえ出来ればいいと考えて安いホテルを取ったのですが、バックパッカーが沢山泊まっているホテルでした。

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その中に、一人だけ日本人が泊まっていたのですが、話しかけたらアウシュビッツに行かれていたことを教えて頂きました。

感想をお聞きすると、人が多かったということでした・・・。早朝のコースを選んだことは正解だったようです。

そしてアウシュビッツへ

翌朝、朝の5時半位からホテルを出発して、ツアーの集合場所に向かいました。

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ギリシャやキルギス、様々な国から集まった、約10名程のメンバーが、ツアー用のバンに乗り込み、ツアーがスタートしました。

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アウシュビッツに移動するバンの中で、収容所のドキュメンターリ番組を見せて頂きました。 その中で、残酷な人体実験の映像がありました。子供を、故意に凍傷にさせて、その様子を観察したり、人間を人間と思わないが故にできるような実験の記録を見せて頂きました。新しい薬の人体実験等も行われていたと伝えられて胸が痛みました。

バスを降りると、ガイドさんが付いて下さって、膨大なアウシュビッツの施設の中で、見るべきポイントについて、説明して下さることになりました。ヘッドセットを渡されて、ガイドさんの英語での解説を聞きながら回ることが出来ました。

早朝であっても、既に行列ができていました。

アウシュビッツでの悲しみの歴史との遭遇

ボディーチェックが終わった後で、まっすぐ進んでいくと、有名なアウシュビッツの門に到着し、鉄条網に囲まれた施設の中に入っていきました。

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様々な歴史の事実について記された内容と、展示物がありました。亡くなった方々の膨大な数の遺留品もありました。(写真は山のような靴です)

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亡くなった方達の灰も飾られていました。

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その中に次の言葉がありました。

JEWS ARE A RACE THAT MUST BE TOTALLY EXTERMINATED
「ユダヤ人はこの世から抹殺されなければならない」

1944年、ナチスのポーランド総督だったハンス・フランクの言葉です。

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この、EXTERMINATED という言葉に、何度か触れることになったのですが、そんなことは絶対にあってはいけないという、切ないような、悲しいような、魂からの叫びが伝わってきました。お一人お一人の魂を極みを超えて愛して下さっている、神様の御心からすると、一番遠い言葉がこの言葉になると思いますが、この言葉が実際にこの地で実行されてしまったことの痛みがずっと伝わってきました。

アウシュビッツには、ヨーロッパ全土から、ナチスに差別されていた人々が集められてきていました。

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アウシュビッツはナチの最大の収容所で、1940年から1945年の間に130万人が収容されたそうです。
そして、110万人以上がなくなり、その90%がユダヤ人で、殆どがガス室でなくなったそうです。

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旅の後半で分かったのですが、ポーランドのユダヤ人だけは、捕らえられたら殺されるんじゃないかと、ナチスのことを初めから疑っていたようです。

ただ、それ以外のヨーロッパ全土からはるばる連れてこられたユダヤ人は、アウシュビッツに行けば、仕事が保証されていると、だまされて連れてこられていました。

列車を降りると、最初に男と、女、子供、老人が分類され、二つの列に分類されます。これが今生の家族の別れとなってしまうのですが、そんなことは全く知らされないまま別れることになります。

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男性は、見た目で更に分類され、体力がある者は、過酷な状況で仕事をすることになります。写真中央の軍人の親指の影が映っていますが、生かすか、殺すかを選別している指示だったそうです。

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ただ、生きることになった人も、食事もまともに与えられず、劣悪な環境のなかでの過酷な労働をすることになり、殆どの人は、2ヶ月以内に死んでしまったそうです。

アウシュビッツで届けられた魂へのメッセージ

建物から出て、外の景色を見ていると、とても懐かしいような思いが溢れてきて、自然と涙がこぼれてきてしまいました。この収容所であったようなことは、絶対にあってはいけない、生きていた時代を懐かしむような思いと共に、この場で起きていたことは、もう二度と繰り返してはいけない・・・。そのような切実な祈りがずーっと心にしみ入ってきました。

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思いが伝わってくることに対して、今回の劇に参加していたので、劇で癒された魂が同伴して下さっているのかなと、何となく思っていました。

でも、後で気づいたのですが、この期間ずっとお爺さんの御供養と、劇に登場するユダヤ人のモーシュの御供養に取り組ませて頂いて、ユダヤ人の魂の救いをずっと深めてきた思いが、アウシュビッツに込められた祈りを受けとめることに、つながっていったように思いました。

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数万人が虐殺されたガス室へ

更に施設を回る中で、数万人が殺された、ガス室に入っていきました。

これまでの人生で体験したことがないような、圧迫した空気の中で、押しつぶされるような苦しみが襲ってきました。

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アウシュビッツの 施設を後にして、次にビルケナウに向かいました。

この写真の右下がアウシュビッツで、左上のもっと広大な敷地がビルケナウになります。後から拡張されています。

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この写真の場所が、生かすか、殺すか、選別していた場所となります。

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ここから、数百メートル離れた場所が、ガス室となっていました。
電車から降りた人たちは、そのままガス室に向かい、シャワーから出てくるガスで殺されてしまいました。ガス室では、毒が散布されて20分で全員亡くなったそうです。

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これが、ガス室の跡地で、証拠隠滅のために壊されています。

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ガス室の隣には、焼かれて灰になった死体の一部を捨てていた沼がありました。

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ガス室の模型もありました。

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ZYCLON B という毒が入っていた缶です。

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強制労働時の生活環境

次に、強制労働をさせられていた人々の施設に向かいました。

こちらがトイレですが、一日二回と決められていて、全くプライバシーも考慮されていませんでした。

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そして、こちらが宿泊施設ですが、幅が2mないような3段のベッドの中で一段に多いときは8人ほど寝ていたそうです。極寒の環境の中で濡れたシーツを被って、凍えながら寝ていたそうです。一つの建物に、700人ほど入っていたらしいのですが、水はバケツ2杯しか与えられなかったそうです。

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改めて、収容所の過酷さを刻印しつつ、ツアーは終了していきました。

映画「シンドラーのリスト」の記念館でのカオスとの遭遇

次に向かったのは、シンドラーの工場でした。

「シンドラーのリスト」の映画撮影で使われたゲットーの跡地を通っていったのですが、残念ながら映画を見ていなかったので、あまり背景も分からないまま工場に到着しました。

館内は、大変な人込みで、入場まで30分ほどかかったのですが、帰りの電車の時間が迫る中、駆け足で館内を回りました。

博物館の中には、ドイツ軍とポーランドの戦いや、ゲットーが作られていった歴史などが展示されていました。

その中で、ナチスの当時の写真も多くありました。

実は、最も印象に残ったのは、ナチスの青年の日常の様子や、ナチスを受け入れて、憧れさえ抱いているような子供達の写真でした。

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また、かつてナチスから音楽隊として抜擢されて、そのことを誇らしげに語っているお爺さんの映像などもみることができました。

絞首刑を実行している前で、笑っているような写真もありました。

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今の時代から見ると、異様で信じがたい情景に見えたのですが、その見方自身に亀裂が入りました。

アウシュビッツを回る中で、「ナチス=悪」という構図が、いつの間にか作られていたのですが、当時、ヒトラーの語ることを信じて、祖国のために、一生懸命努力していた人たちもいたことが感じられてきました。

そのことが、かつてGLAの青年塾で、一生懸命プロジェクトをやっていた自分自身とも重なるように感じました。ナチスドイツ軍の彼らは純粋に、一生懸命生きていたのかも知れない・・・、でも信じていたトップが道を誤ってしまった。

GLAに入会する時に別の宗教団体に行く可能性もあったのですが、一つ判断を間違えば、間違った師について大きく人生を暗転させていたかも知れない・・・。GLAで高橋先生という稀有なる師と出会い、導かれていることのありがたさを、改めて深めることになりました。

同時に、善悪の二見で捉えるのではなく、あらゆる出来事をカオスと受けとめる眼差しによって、世界の本質が見えてくるように感じました。

そしてワルシャワを経由してドイツへ

シンドラーの記念館を出る頃には、夕方になっており、夜中にベルリンへと出発するバスに乗るのは、急いでワルシャワに帰る必要がありました。

そこで、観光タクシーにを使って、クラクフの駅に戻ったのですが、途中で旧市街を横目に見ながら、移動していきました。

到着時に見た門の背景については、実はこのタクシーの叔父さんに教えて頂きました。

駅は混雑していて、電車に乗るのが遅れてしまい、ドイツへの出発1時間前にワルシャワに戻ってくることになりました。

(続く)

2 thoughts on “2017欧州への旅1 ユダヤ人が大量虐殺されたポーランドのアウシュビッツへ”

  1. 余りにも重いこの歴史的な事実に対して、人はこれ程までに冷酷になれるのか、人種、民族、国家、宗教の対立が他者を抹殺迄行きつくのか、いつの時代にもいつの国にも起こりうるものかも知れません、しかし我々は先生、神理より何処から人は来たのか何処に向かうのかを実感できるようになりました、人は須らく神より頂いた命、生きる事は万物すべての存在、働き、摂理によって生かされる事、それを我々は生き多くの方に伝えて行かねば同じ過ちを将来起こしかねません。buyanさんの菩提心溢れる行動と文章、写真に感謝致します。

    1. 東山さん、コメントありがとうございます。
      神理をお伝えすることを通して、一人一人が自らの内に闇を発見し、光へと転換していくこと。
      地道な一歩一歩が大切であることを改めて感じました。

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