前回の記事で書いたように、私は劇の霊操を深めるために、普照と栄叡が難波津から半年掛けて、東シナ海を渡って、蘇州に辿り着いたほぼ同じ航路を渡って、上海に辿り着きました。
その後、鈴木さんと出会い、急遽、大明寺から寧波、普陀に行く計画に修正したのですが、5つの試練を経て、その日のうちに揚州に移動する計画は断念し、一旦ホテルへと移動しました。
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ウイズダム実践再起動
中国ではGoogleは使えないのですが、Yahoo検索は使えたので、ホテルのWifiを使って情報収集することにしました。
寧波から普陀に行こうとしたのですが、飛行機を使って2日ほどかけている人もおり、今回の中国初挑戦の旅では無理があるように感じ、揚州に的を絞ることにしました。
次に、揚州への移動方法を調べてみたのですが、電車よりも高速バスの方が簡単そうだったので、高速バスを活用することにしました。
このように計画を修正しつつ、改めてカオス受発色融合ウイズダムに取り組みました。
今回の旅の願いを深めたときに、鑑真とその弟子達が試練を乗り越えて願いを成就していったように、私も今回の旅の試練を乗り越えたいという願いが溢れてきました。
また、過去の出来事を振り返ると、ジョン万次郎の劇におけるフェアヘーブンでの試練が思い出されてきました。試練に立ち向かう心の構えを模索していったときに、劇の青写真具現を願われている先生の御心に托身し、この旅のいのちに応えていきたいと中心が定まりました。
こうして、揚州の大明寺に行く準備を整え、一旦休むことにしました。
劇の背景となった中国大陸の位置関係
ここで、今回の劇の背景となった中国の地理について確認させて頂きます。
まず、劇で出てくるお寺の位置ですが、今回の旅の目的地でもある揚州の大明寺、そして劇前半の主要な場面である洛陽の大福千寺、道抗さんに会いに行った長安の大安国寺を地図に示します。

劇中に、長安から揚州まで半年かけて約1400kmの旅をしたとありましたが、難波津から上海までが1400kmあったので、上海から同じくらい離れた場所に長安はありました。
5回の渡航計画の失敗
まずは、4回の渡航計画の失敗を見てみます。上図の紫色の枠の領域を拡大します。

1回目は如海が密告するのですが、大明寺が舞台となっていました。
2回目は長江を下って海に出て、上海の少し下の島付近で座礁してしまいました。
その後、寧波に辿り着き、阿育王寺に収容されるのですが、3回目はこの阿育王子で越州の僧に密告され、栄叡が捕縛されます。
4回目で、法進は先に福州に行って船と食料の準備をしていたのですが、和上一行は禅林寺で捕まって、揚州に送還されてしまいます。
弟子の霊祐は大明寺にあって和上の旅を妨害したのですが、和上が大明寺に戻ってから60日間、夜の8時から翌朝4時まで謝り続けたという話しが残っています。

そして、5回目ですが、台風で海南島に流されます。これも半年くらいかかっているのですが、多くの船員や弟子が海に投げ出されて死んだり、衰弱したり病気になって死んでいます。また、ここから揚州に戻るのも大変な長旅となり、栄叡が亡くなり、一番弟子の祥彦も亡くなり、和上も失明しています。
本当に命がけの、過酷な旅であったことを改めて感じました。
大明寺への旅 高速バスでの移動
当時の旅に思いを馳せつつ、旅を再開させて頂きます。
朝の6:30にホテルでの食事を摂りました。(ちなみに、一番まともな中国での食事はこのホテルの朝食でした)
地下鉄を使って上海駅へと向かったのですが、ここからは、一切ネットやGoogleマップが使えない旅となります。
上海駅の高速バスのターミナルに行って、揚州までのチケットを買いました。電車に乗るときの大混乱が嘘のようにスムーズにチケットを買うことができました。
こちらが、揚州行きのバスの発着場でしばらく待っていました。
そして、バスが到着しました、上海、揚州と書かれていました。
バスの中に入ったのですが、日本人はもちろん私一人しかおらず、昭和を感じさせるような内装でした。
地図でバスの旅を確認させて頂きます。
まずは揚州の位置ですが、上海からは比較的に近い距離にあります。
この赤枠の部分を拡大して、高速バスの経路を確認します。
高速バスを使って、このように移動し片道約4〜5時間の旅となりました。
高速バスで移動していると、いきなり警察官がバスに入り込んできてチェックを始めました。
私はパスポートを提出したのですが、中国の皆さんも身分証明書のようなものを提示されていました。
高速道路を移動していると、マンションのような建物が、時々見えてきたのですが、日本のマンション群と違って規模が巨大であり、数十棟同じ建物が並んでいました。
中国は、土地バブルによりゴーストタウンが作られている話しが聞かれますが、人が住んでいないと思われる建物もありました。
大明寺への旅 長江横断
そして、潤揚長江大橋に辿り着きました。全長が35kmで世界3位の、中国1の吊橋です。

長江は、劇中では第2回の渡航で下った川となります。
アマゾン川、ナイル川に続いて、世界3位の長さで、6300km、日本が北海道から鹿児島まで、1900kmくらいなので、3倍以上の長さでとなります。
「隅田川の何倍くらい大きかったの?」と言っていた人がいたので比較してみると、上野駅からスカイツリー程の距離がありました。
川を渡っていると、水平線が見えました。川の水平線を見たのも人生初の体験でした。
また、川岸には巨大なタンカーがとまっていて、まるで海にいるようでした。
川を渡って揚州のバスターミナルに着きました。
大明寺への旅 揚州ローカルバスでの移動
ここから更にローカル線に乗り換えて、大明寺を目指したのですが、ローカル線のバス乗り場が分からず、上海に戻るバス乗り場に行きそうになりました。
中国語でのアドバイスの意図も掴めず、勘だけを頼りに歩き回っていると、道路を挟んだところにバスターミナルが見つかりました。
25Wのバスに乗ればいいことは、ネットで調べていたので、25Wのバス停に行きました。
25Wのバスに乗ると、大明寺と書かれていました。
こちらがローカルバスの様子です。
そして、揚州の街を移動して、
30〜40分程で大明寺に辿り着きました。
大明寺到着 中国のお寺の様子
そしてとうとう大明寺の入り口に辿り着きました
中に入ると池があって、森もありました。
そして、日本では聞いたことがない蝉の声がしていました。
そして、大明寺の建物です。
中には猫がたくさんいました。きっと当時も猫いたんじゃないかなと思いました。
建物の中には、先人のスライドが沢山掲示されていたのですが、中国語が読めないため、全然分かりませんでした。(後で調べたら、唐宋八大家の文人でした)
そして、仏像はこのように金ぴかで、奈良や京都とは大分違います。
中国は50年前の文化大革命の時に、マルクス主義によって宗教が徹底的に否定され、寺院や仏像が壊されたため、古い仏像があまり残っていませんでした。
そして、現在の僧侶もいらっしゃいました。
中では、お参りする方もいて、このように膝をついて、祈られていました。
ただ、手から汗が滴り落ちるほど汗だくになって、霊操を深める思いにはなれそうもないなあと思っていたのですが、どこからかお経が響いてきました。
和上との対面 真の師を求めての旅の果てに訪れた思い
シュバラーヤボディーサットバ、オンカラカラチリチリトゥルトゥル・・・、
サンスクリット語のお経を聞いていて、何故か胸からこみ上げてくるものがありました。
道を求める悲願の祈り、道を求め、真の法を求める求道者達の熱い願いと祈りがこの場に満ちていることを感じました。
そのような魂からの深い祈りに誘われつつ、鑑真の資料館に到着しました。
日中友好の歴史が掲示してあり鑑真和上に対する資料もありました。
そして、日本の唐招提寺を模した、鑑真記念堂に行きました。
鑑真和上の像が安置された建物の中で、和尚と対面しました。
また、この建物の中には、遣唐使船の模型もありました。

和上と対面した後で、建物の裏に回って、今回の旅の意味を尋ねていったのですが、目の前の自然の風景と重なるように、大陸を渡った求道者達が真の師、真の教えを求めて旅をしている風景が心に浮かんできました。それが実在の人物なのか、自分の過去世の物語なのか、よく分かりませんが、真の教えを求めて旅をしている思いが伝わって来るようでした。
そして、今生、私たちが先生の下に集えていることが、転生かけた求道の果てに、その願いが成就していることを思いました。
同時に、辿り着いて終わりじゃなかったんだなと思いました・・・、終わりではなく、師の教えをどう生きて、神理を修得し、法を伝えていくのか、願いが成就した先の歩みを頂いていることを思いました。
大明寺を後にして揚州バスセンターへ
和上との出会いを果たした頃には、帰らなければならない時間が迫ってきていました。

入り口で見えていた、塔に登れることが分かり、登ることにしました。
塔に登って、揚州の街を一望しました。
塔の中には、善財童子が53人の善知識と出会っていく華厳経の中の物語が、絵として掲げられていました。確か2004年の鍛錬合宿で、先生が善財童子の話しをして下さったことがあったのですが、その時は落ち込んでしまって、先生の話をまともに聞けなかったことがありました。
その後、2006年の青年塾セミナーにおける神理実践報告で、「僕は善知識にとてもなれない」という私のつぶやきを、先生がボードに貼って下さったのですが、どんな意味があったんだろうと改めて思いを馳せました・・・。
去りがたい思いを抱きつつ、大明寺を後にして、揚州のバスセンターに向かったのですが、街には帰宅途中の大量の電動バイクが溢れていました。
揚州のバスターミナルに辿り着き、上海の高速バスに乗りました。
最終バスの一つ前のバスに乗ったのですが、ほぼ満員で、一つ間違うと上海に戻れない危険もありました。
上海駅に到着して食事を取ったのですが、閉店間際の最後の客となっていました。
そして、ホテルに戻ったのは、夜の23時過ぎで、ギリギリ戻ってくることが出来ました。
こうして、何とか旅の第一目的であった、大明寺への旅を成就することができました。自分が思っている以上に、導かれ、支えられての歩みを頂いていたんじゃないかなと感じます。
後は、船で日本へ帰るだけとなったのですが、本当に無事戻れるんだろうか・・・という不安を抱きつつ、床に就きました。
(続く)