2016年劇役者への挑戦 波濤を越えて上海への霊操の旅

かけ橋セミナーでの劇上演の準備をしている最中に、中国の写真とかの情報を集めて欲しいという依頼がありました。

舞台上に、よりリアルな当時の世界を具現してゆくために、中国の情報を求められていたんだと思いますが、どうせだったら現地に行って情報を集めた方が、よりリアルな情報が得られるんじゃないかな?と感じ、中国に行ってみようかなと考えるようになりました

まず最初に、Google 検索で目的地である「大明寺」を検索すると、半日くらいで行けることが分かりました。

また旅費も、往復で10万円くらいであり、それほど無理は無いことが分かりました。

更に調べていくと、飛行機以外にも船が大阪から出ていることが分かりました。船の名前は、新鑑真号と蘇州号となっていました。ただ、片道二日間かかり、かつ一週間に一便しかないため、日程的には厳しいと感じました。

また、お盆には特別御供養も予約していたため、九州に帰省することも考えると、飛行機でちょっと行くことしかできないかな?思っていました。

いよいよお盆休みが近づいてきて具体的なプランを考える必要が出てきたのですが、ウイズダムに取り組み次の願いを定めました。

「上海への霊操の旅の青写真にアクセスし、波濤を超えていった歩みを一緒に体験することが出来ますように。」

すると、それまでの迷いが嘘のようになくなって、船で行くプランがスッキリと見えてきました。

  • 8/12 大阪 12:00
  • 8/14 上海 12:00 要宿泊(上海)
  • 8/15 揚州へ 要宿泊(上海)
  • 8/16 上海 11:00
  • 8/18 大阪 奈良 佐賀
  • 8/20 福岡 御供養 → 東京

そこから、船の予約、ホテルの予約をネットで済ませて、お盆休みに大明寺に船で行くプランが、次々に現実されていきました。

一昨年前は、ボストンでの仕事の研修の際に、ジョン万次郎の劇の舞台となったフェアヘーブンに行ったのですが、二度目の海外は上海に行くことなりました。

劇プロジェクトへのチャレンジ フェアへーブンへの旅

8/11 上海行きのフェリー(蘇州号)に乗る前日に、新中京新会館の開所式が開催されました。

8月11日(木・祝)、GLA中京会館の竣工式が執り行われました

東京で、中京からの映像を見て参加していたのですが、自民党の幹事長の二階さんや愛知県知事の大村さんが挨拶され、また先生がどのように新中京会館具現のために、弟子の志に応えて下さっていたのかを見せていただきました。

自分にとっても中京本部は第二の故郷でもあり、どうしてもその場に行きたくなってしまいました。

ただ、いきなり行っても中には入れないかも知れないと思ったのですが、先生が中京会館が出来る前から、その場に何度も行かれて祈られていたことを知って、外から見るだけになってもいいので新中京会館を訪ねることにしました。

Chuukyo

幸いにして、入り口で知り合いの方と出会い、新中京会館を案内して頂くことになり、開所にまつわる先生との感動的な出会いについても教えて頂くことになりました。

また、今から約20年前に、貧乏学生だった頃にお金が無くて中京会館に泊めてもらったことがあったのですが、その当時のことを覚えていて話して下さるお世話役の方との出会いもありました。

本当に皆さんに見守られ、支えられての歩みの中で、癒されてきたことを思い出すところから、今回の旅は始まっていきました。

夕食は青年塾時代の友人と一緒に食べて、夜の間に大阪に移動しました。急な移動だったため、大阪のファミレスで一夜を過ごし、翌朝、上海行きのフェリー乗り場に向かいました。

Ferry terminal
これがフェリー乗り場で、コスモスクエア駅から15分ほど歩いた所にありました

Soshu go
乗船した蘇州号という船と、乗船チケットです

Ferry nanbatsu
地図で言うとフェリーターミナルと、栄叡、普照が出発した難波津の関係は上記の通りとなっています。難波津の正確な位置は分からないのですが、この2箇所が有力と言われています。

Departure nanbatsu
そして、いよいよ船は出航していきました。出港地としては、難波津とほぼ同じような位置からの出発となりました。

Trip to yoshu
そして、こちらが今回の航路ですが、大阪から上海まで約1400Kmあり、このように瀬戸内海を通って、下関、そして外海としての東シナ海を渡って、上海へと向かいました。
普照栄叡も、ほぼこの航路を渡って中国に到着しています。

それでは、奈良時代と今回の旅を比較させていただきます。

Compare trip当時は、4月に出航して、8月に到着しているので、約120日かかっています。東シナ海を渡るのは、8日くらいかかったそうです。今回は2日なので、60倍の時間がかかっています。

その差を生み出したのは何かといいますと、科学技術の差といえます。当時は、風力と人力で、2.6ノット、大体人が歩く速度で進んでいました。それに対し、ディーゼルエンジンと巨大なスクリューで、21ノットで、約8倍の速度で進みました。

ここからは主に写真で、海の旅を紹介させて頂きます。普照、栄叡の辿った旅へと思いを馳せつつ、見ていきたいと思います。

Seto sea出航してしばらくした、8/12の午後の風景です。燦々と太陽が照り輝き、岡山や、四国、瀬戸内海の島々が見えていました。

Shimonosekiそして、その数時間後、夕方には九州と本州を結ぶ、下関付近についたのですが、丁度日没の時間となり、沈み行く太陽を見ることが出来ました。このように太陽の光が海に写っていました。


動画も撮りました。

Night moon
そして、こちらがその夜ですが、月の光がこのように海を照らしていました。もう東シナ海に入っているのですが、回りには何もなく、船の回りは真っ暗な水平線が広がっていました。

Peruseusu
そして、丁度ペルセウス座流星群が最接近しており、空を見上げると、流れ星を見ることができました。甲板には、船に乗っている学生の集団がいて、流星を見るために皆空を見上げて、横になっていました。(残念ながら写真は撮れなかったので、絵で説明させて頂きます)

ある青年は小説家になる夢を語ったりしていました。

海の上は、自分と星空しかなく、大宇宙、大自然界と孤独に向き合うことになったのですが、自分って何だろう、人生かけて何を果たしたいんだろうか・・・、そのような根源の問いかけが自然と湧いてきました。

普照と栄叡も、きっと海の上で、自らの魂の願いを尋ね、授戒師を日本に連れて行く願いを深めていたんじゃないかと感じました。

Soto morning
そして、こちらが翌朝の日の出です。

Soto sea
下を見ると、波をかき分けて進んでおり、一歩柵を超えたら、死ぬなと感じました。死と隣りあわせの海の上で、自分のいのちを見つめ、より一層自らの使命を見つめていったんだと思います。

Horizenそして、13日の午後ですが、ひたすら海しかなく、水平線が広がっていました。途中で海の色が、白くなったりして変わっていきました。

Horizen sunsetそして13日の日没、水平線に沈む太陽を初めて見ることになりました。普照栄叡も何度も、何十回もこの光景を見ていたんだと思います。

Near shanghaiそして、翌14日の早朝ですが、ずーっと遠くに陸地が見えて、ライトの光が見えてきました。いよいよ中国大陸が近づいてきました。

Shanghai sea
そして、船も増えてきて、

Shanghai town
上海の都会へと到着しました。

船を下りる直前に、ウイズダムを書いたのですが、隣にいた鈴木さんという経営者の方から中国での過ごし方について色々と教えて頂けることになりました。

鈴木さんは鑑真和上をご存知で、大明寺も行かれていたのですが、鈴木さんのお勧めは、大明寺よりも普陀という仏教の聖地であり、五体投地が見られるということでした。

また普陀は鑑真縁の地でもあり、そこに行って感動した話しを聞かせて頂きました。

中国は夜行バスが発達しており、夜行バスを駆使すれば、行けるんじゃないかと言われて、行く気になってしまいました。そこで、急遽プランを変更して、まず上海に着いたらすぐ揚州の大明寺に電車で移動し、夜中にバスで寧波に移動することにしました。

Course change予約していたホテルはどうしようとか、色々と不安はあったのですが、まずは飛び込んでみることにしました。

そして、いよいよ中国に入ったのですが、早速試練が来ました。

Shiren 1
前回の旅で、ボストンに行ったときは、直ぐにキャッシュカードを使って「ドル」を降ろすことが出来ました。
そのため、円しか持っていなかったのですが、「元」を降ろすには銀行に行かなければならないことが分かりました。

鈴木さんとフランス人のバックパッカーとCD機を探して歩き回り、ようやく町中で見つけることができました。

しかし、キャッシュカードで降ろそうとしたのですが、何度やってもエラーが出てお金を降ろせませんでした。たまたま財布に1万5千円入っていたので、鈴木さんにお願いして1000元に交換してもらいました。こうして、中国での最低限の資金を得ることが出来ました。

後で調べてみると、裏面にPlusマークがついたキャッシュカードしか、海外では換金できないことが分かりました。

鈴木さんに、地下鉄の乗り方など教えて頂いたのですが、上海駅に移動するにあたって、いよいよ一人となりました。

前回のボストンの旅の時は、色々と分からないことがあっても、Google検索すれば行く場所も調べられたし、Google Mapを使って、現在衣位置や目的地への移動方法等も調べることが出来ました。

しかし、中国はネットの使用が制限されており、Google、Gmail、Facebook、Line、一切が使えませんでした。情報鎖国の中で、ネットの活用が一切できなくなってしまい、電話も使えず、助けをもとめることもできなくなってしまいました。

Shiren 2ただ、その日の内に揚州に移動することは決めてしまっていたので、手元にある「地球の歩き方」の本だけを頼りに、体当たりで情報を仕入れていくことになりました。

揚州に行くには、どうもチケットを買う必要があることは何となく分かったのですが、どこにチケット売り場があるのかも分からず、英語もなかなか通じない中で、色々聞きまくって、1時間くらいぐるぐる回って何とかチケット売り場に到着しました。

しかし、たくさんの窓口があり、どこに並べばいいか聞くために、インフォメーションのような場所に行ったのですが、待っていると、次から次に横から人が割り込んできて、中国語での言い争い?が始まり、いつまで経っても話すことが出来ない状態となりました。

何とか粘り強く待って、言われた番号の場所で並んでいると、目の前で突然窓口がCloseしてしまいました。

もうこれは礼儀よくしていたら何もできないと思い、隣の列に強引に移動して、窓口でとにかく揚州に行きたいと筆談で伝えて、勢いでチケットを買いました。

Shiren 3
電車乗り場に移動して、鈴木さんからは、予約と違っても電車に無理矢理乗り込んだ方がいいとアドバイスを頂いていたので、入り口のゲートを、強硬突破しようとしました。

しかし、何故か日本語の分かる中国人の方がいらっしゃって、日本語で話しかけてくれました。

Shiren 3 2
チケットを見て、この電車は揚州に行く際に乗り換える鎮江には止まらないことを教えてくれました。そこで一旦引き下がって、改めて時刻表を確認したところ、今日中に大明寺に行くことは不可能なことが分かりました。

揚州に行くのは諦めて、ちょっとでも涼しい場所でもう一度作戦を考え直したいと思い、ファーストフードのお店に入りました。

上海駅は、クーラーは全くなく、35度以上あり、飲み物も飲んでおらず、肉体的にもかなり限界が来ていました。

適当に注文して出てきたのは、熱々のスープ、ほかほかの肉まん、氷なしの生ぬるいオレンジジュースでした。

しかも、お店の中は蒸気の熱が充満していて、外よりも暑くて、これはもうたまらんと思って直ぐ店を出ました。

Shiren 4そして、コーヒーショップに入ったのですが、そこでアイスコーヒーを頼もうとしても伝わらず、出てきたメニューから適当に選んだら、熱々のホットミルクセーキが出てきて、もう爆発寸前になりました。

ただ、クーラーはなかったのですが、扇風機があり、風に当たりながらウイズダムに取り組むことができました。

ウイズダムに取り組むと、少し落ち着いてきて、一旦ホテルに帰って、体制を立て直すことにしました。

ホテルは、上海の地理が分からないまま、少し安い所を選んでいたのですが、いざ移動してみると、地下鉄の終着点近くの町外れで、食べる場所もなく、回りは工場地帯でした。

Shiren 5ホテルの食事も終わっていて、食事ができずに困っていたところ、ホテルの人が出前を頼んでくれて、カップヌードルのような食事を食べることになりました。

こうして、かなり波瀾万丈の旅のスタートとなり、計画は変更に次ぐ変更を強いられることになりました。

果たして無事に、大明寺には辿り着くことができたのでしょうか?

(続く)

「2016年劇役者への挑戦 波濤を越えて上海への霊操の旅」への2件のフィードバック

  1. 自分も旅をしているような気持ちになりました。続けて読ませていただきたいです。

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