2014年のかけ橋セミナーが終了しました。
今年は初めて、青年としての参加ではなかったのですが、ありがたいことに劇チームに入ることができました。
色々な背景があって、今年の劇に携わることになったのですが、昨年末に取り組んでいた、新渡戸稲造の反芻行も起点の一つとなり、導かれての歩みとなっていきました。
Contents
世界からの要請に応える、人生転換への道
稲造の人生の後半生は、本人の願いからの選択よりも、世界からの要請に応える形で、人生が開かれていきました。
私も、そのように人生が開かれていくことを願うようになっていったのですが、仕事も新しい部署に移り、海外での情報収集の必要性も高くなっていきました。
また、稲造の反芻を深める中で、英会話にも改めて取り組み始めていました。
(本ブログの英訳もその一巻としてチャレンジしていました。)
そして、あるソフトウェアの情報収集のために、仕事でボストンに行くことになりました。
実は、十年以上前に、海外に行くことを予測して、パスポートは取っていたのですが、結果として一度も使うことなく期限切れとなっていました。
しかし今回は、世界から押し出されるように、すっと海外出張への道が開かれていきました。
神様からの呼びかけ 劇プロジェクトからの情報収集の依頼
今年の劇は、神理の大河シリーズとして「ジョン万次郎」の物語となっていました。
私は、劇の道具チームの中にできた、CGチームにチャレンジすることになりました。
最初は、新しいチームで必要になるスキルを身につける方に重点を置いました。
そのため、「ジョン万次郎」という劇の内容にはそこまで関心がありませんした。
劇チームの中心には、青年塾で一緒にプロジェクトを担ってきていた仲間も多くいました。
その中の一人に、ボストン出張に行くことが決まったことを話したところ、ジョン万次郎の調査に行ってきて欲しいと依頼をされました。
その時は、予定も分からなかったため、とりあえず曖昧な返事をしておきました。
試練その1 フェアヘーブンに向かう時間の制約
その後、準備を進めていき「地球の歩き方」のボストン編という定番の本を買いました。
ある時、その友人に「地球の歩き方」を見せたところ、ジョン万次郎の記念館に関する情報を探し出して、再度行ってきて欲しいと依頼されました。
見てみると、ボストンからフェアへーブンへは、片道1時間以上かかることが分かりました。
海外出張の計画では、半日ほどしか自由時間はなく、移動時間を考えると、行って帰ってくるだけで終わると予測しました。
今回はプライベートではなく、仕事で行くので無理ですと一度断りました。
試練を超えるウイズダム実践起動
一度断ったものの、何故か気になって仕方がありませんでした。
そこで、ボストンに発つ直前の成田空港において、もう一度地球の歩き方の内容を詳しく見てみました。
すると、ボストンからの旅順が書かれており、バス会社の名前まで書かれていました。
そこで、バス会社の時刻表を確認してみました。
すると、1時のバスに乗ることが出来れば、2時間ほどフェアヘーブンで時間がとれることが分かりました。
ボストンに到着するのが、12時くらいであり、ランチを一緒に食べることになっていたのですが、それさえキャンセルできれば、行ける可能性が出てきました。
また、記念館の予定を確認したところ、土日以外は予約制になっていることが分かり、行くとしたら着いた当日しかないことも分かりました。
そこで、ボストンに向かう飛行機の中で、以下のようにウイズダムに取り組みました。
〇願い
・フェアヘーブンへの旅を通して、ジョン万次郎からのメッセージを受信して、劇の青写真具現へと貢献することが出来ますように。〇暗転の果報
・今年の劇のことを伝えておらず、個別の行動がとれるかどうか分からない。〇暗転の因
・どうしよう、本当に行けるんだろうか?アメリカで一人で移動するなんてどうしたらいいのかよく分からない。〇光転の因
・「風」のごとき颯爽としたこころを育みます。我意を越えた切なる願いを自他の心に起こすことが出来ますように。
このようにウイズダムに取り組んで、上司に相談したところ、あっさりとOKを頂きました。
試練その2 英語の壁
ボストン空港に到着し、初めてアメリカという日本以外の国に入りました。
そこで、いきなり試練がありました。
なんと、半年勉強していたにもかかわらず、検問での担当者からの質問が聞き取れず、指紋チェックさえ手間取ることになりました。
後で分かるのですが、現地の日常会話とニュースとかの英語は別であり、日常会話を聞き取るためのトレーニングはやってきていませんでした。
ただ、躊躇している余裕はありませんでした。
タクシーでホテルに到着し、荷物を置いて、一人でタクシーに乗ってボストンのサウスステーションに行きました。
この時点でバスの出発10分前でした。
急いでチケットを買おうとしたものの、バス会社が複数あることも分からず、英語も聞き取れず、夕方に出発する全く違う場所に行くチケットを買わされそうになったりしました。
運良く、バス会社の名前を覚えていたので、その窓口に移動し、チケットを買ってゲートに到着したのが出発5分前でした。
長い列ができていたので、その列に並ぼうとしたのですが、間違ってニューヨーク行きのバスに乗るところでした。
試練その3 バス遭難事件
こうして、ようやくバスに乗ったものの、日本人は私一人であり、しかも時差ぼけと乗り物酔いのダブルパンチで、ふらふらしながらバスの旅が始まりました。
バスの中で、Wifiの設定をしてネットの接続環境を設定し、Google マップで自分の位置を確認しました。
順調に、フェアヘーブンへと移動していることが分かりました。
ニューベッドフォードに近づくと、のどかな風景が広がっていきました。
乗り物酔いも解消し、もうすぐ到着すると思うとワクワクしてきました。
そして、ニューベッドフォードのバス停でほとんどの人が降りてしまい、私ともう一人だけとなりました。
もうフェアヘーブンまでも歩いて行けるような距離になっており、少し余裕も出てきてバスの運転手さんに話しかけたりしました。
フェアヘーブンに行くことを英語で何となく確認しました。
この時点で到着時刻は既に過ぎていました。
終着点のフェアヘーブンまで、後数分だろうなと思いつつ、バスが出発しました。
Google MAPを確認しながら見ていると、バスが北上していきました。
「あれー?少し遠くなったな、まあいいか、少し歩けばなんとかなるか!」
と思ったのも束の間、バスはフェアヘーブンとは反対の西へと進み始め、どんどんフェアヘーブンから離れていきました。
言葉も通じないため、確認することもできず、何か大きなミスを犯してしまっているんじゃないかと感じ
「あーもうこれで、今回の旅は終わったかも知れない。せっかく近くまで来たのに、何も収穫なく帰ることになるかも知れない・・・、もしかすると、このままどこかに連れ去られてしまいボストンにさえ帰れないかもしれない・・・」
と不安な思いが次々と湧いてきました。
ただ、全く言葉が通じない場所で暮らし始めた万次郎は、本当に大変だったんだろうなあ・・・と万次郎の試練が肌身に感じられました。
バスは更に遠くへと離れて行ってしまいました。
そして、MITのキャンパスのような場所で私以外の乗客が降りて、私と運転手さんの二人だけとなってしまいました。
もう一度、フェアヘーブンに行くか聞いたところ、これから向かうという返事がありました。
そこからバスは東へと向かっていきました。
途中で、海が見えてきて、万次郎が住んでいた場所に近づいていることが分かりました。
そして、30分ほど遅れて、ようやくフェアヘーブンに到着しました。
フェアヘーブンは気候としては、日本とあまり変わらず、雀がたくさんいるのどかな場所でした。
記念館の閉館時間まで、あと45分となっていたため、Google MAPを片手に、急いで記念館のあるCherry Streetへと向かいました。
そうして、閉館30分前に記念館に到着しました。
試練その4 フレンドシップハウス閉館間際事件
中に入ると、管理人のおじさんが迎えてくれました。
遅れてきた最後の来客に少し素っ気ない様子で、「4時には閉まるから」といって、今にも閉館しようとされていました。
ただ、私も目的を持ってやってきていたので、はるばる日本からやってきたことや、何とか情報収集したいという思いを語りました。
そのことが館長さんにも伝わったようで、いざ館内の紹介が始まると、非常に熱く色々と教えて下さいました。
館内には、万次郎が住んでいた当時の部屋が残されていました。
当時の漁師が、使っていた生活用品を入れる木の箱には、鯨の絵が描かれていました。
この箱は、普段はベッドの下に入れておいて、漁になるとそのまま持って行ったそうです。
後から増築された一階に戻ってくると、館長さんからグランベリージュースを振る舞って下さいました。
そして、更に色々と資料を見せて頂きました。
船長が当時書かれていた日記には、亀を捕獲しに行った無人島で、5人の日本人を救出したことなどが書かれていました。
私も、今年の夏にジョン万次郎の劇を上演して、数千人の人が見ることになることなどもお話しすると、館長さんは更に熱くジョン万次郎のことを語って下さいました。
記念館は更に発展してきており、今後、隣に日本庭園風の新しい建物が計画されており、多くの人をを受け容れる準備が進められていました。
ジョン万次郎は、アメリカに住んだ最初の日本人として、日米友好の象徴でもあるということでした。
そして、日本の大河ドラマとして取り上げて頂けるように、署名活動をされていました。私も署名してきました。
一通り、話しを伺ったところで、劇の調査資料の充実のために、記念館にあった本やDVDを購入しました。
この資料は、劇の具現で大いに役立つことに成しました。
気づいたときには30分以上退館時間をオーバーしていました。
そして同時に、バスの出発時間が迫っていました。
急いで、来た道を帰り、バスの出発直前にバス停に到着しました。
そして、ボストンに無事に戻ってくることが出来ました。
上司からは、初めて海外に来て、よくそんな旅ができたねと逆に感心されてしまいました。
試練その5 仕事での英語の壁
その翌日から、具体的な業務を始めていったのですが、やはり英語が分からないという試練に直面することになりました。
そのため、できるだけ1対1の出会いを多くして、分からない部分は何度も聞きながら情報を収集しました。
しかし、多くの時間は、会議に参加するような形になるため、複数人で質疑応答をするような場面では、ほとんど聞き取ることができませんでした。
思った以上の成果が上がらないことに対して苛立ち、落ち込みそうにもなりました。
しかし、単身アメリカに渡って、もっと困難な状況に置かれていたジョン万次郎の苦労を思ったときに、このままではいけないと奮起して心を立て直し、更にチャレンジしていきました。
ウイズダムにも取り組んで神理実践で臨んだ結果、海外の自動車メーカーとの打ち合わせでは通訳が付いて下さったり、講演者と直接の出会いの場をセッティングして頂いたりして、最終的には十分な情報を収集する事ができました。
試練その6 合同セミナーへの滑り込み
こうして、日本に帰国したのですが、既に合同セミナーが前日から始まっており、私はそのまま直行で八ヶ岳へと向かいました。
そして、セミナー二日目の、先生のご講演の5分前に到着して、ギリギリ先生のご講演をお受けすることが出来ました。
2014年6月21日 2014フロンティアカレッジ・こころの看護学校合同セミナー2日目講演
途中からの参加だったため、残念ながらセミナーのカリキュラムは充分に受けられなかったのですが、そのまま徹夜でウイズダムに取り組んで提出し、ウイズダムに菩提印を押して頂くことが出来ました。
そのウイズダムはその後、大変な力を発揮することになりました・・・。
劇チーム内での報告準備 万次郎への共感の深まり
セミナーが終わり、浅草に戻ってきたのも束の間、劇チームからフェアヘーブンへの旅の報告をして欲しいと依頼がありました。
そこで、分かち合いのためにフェアヘーブンで買ってきたDVDを見てみました。
そこには、万次郎が暮らしたフェアヘーブンの町並みや、通った学校や教会の写真が映し出されていきました。
感慨深くその映像を見ていたときに、ふと非常に懐かしいような思いが伝わってきました。
あの時代、あの場所で、船長と出会い、そこからアメリカに住むことが出来た・・・。そして、あの激動の時代を生きることが出来た人生への感謝の思いで一杯になられている思いが伝わってきました。
今年の劇が、ジョン万次郎の劇であることは、天上界にいるジョン万次郎ももちろん知っていて、今回の旅もサポートしてくれているんじゃないかなと何となく思っていたのですが、万次郎の魂から、導かれての人生への感謝の思いが伝わってきたように感じました。
ただ、申し訳ないことに、劇の内容も深めておらず、その後の万次郎がどのような活躍を明治維新で果たしていったのかもまだ知らなかったために、その深い意味は先生からご指導を頂く中で徐々に明かされていくことになりました。
劇の青写真具現に向かう志
劇チームで旅の報告をさせて頂き最後に、以下のように志を述べさせて頂きました。
「万次郎は、当時は日本からアメリカに初めて渡る大冒険を果たし、そして日本の新しい時代を開いていきました。
私たちは、高橋先生に導いて頂いて、内なる魂を発見するという前人未踏のチャレンジ向かっています。ウイズダム実践の一つ一つが、その一歩一歩だと思います。そして、万次郎と同じく、新しい時代を開いていくチャレンジに向かっています。
その一つの集大成がかけ橋セミナーであり、劇の上演だと思います。
その、青写真具現に向かって、皆さんとご一緒にチャレンジしていきたいと思います。これで分かち合いを終わります。ありがとうございました。」
分かち合いを聞いて下さった皆さんからは、ウイズダム実践で道を切り開くことの醍醐味が伝わってきて感動したという感想を頂きました。
こうして、劇チームでの本格的なチャレンジが起動していくことになりました。
昨年、今年と小学生の息子が『かけ橋セミナー』に参加させていただきました。
私は行くことができませんでしたが、上演される劇の背景にこのような
ウィズダム実践があり、本当にたくさんのプロジェクトの方々の幾重もの想いの上に
セミナーが成り立っているのだと思うと胸がいっぱいになります。
実際のお仕事と同時進行でジョン万次郎に思いを馳せ、深めながらの旅は
どれもが必然で偶然などなく、導かれているとしか思えてなりませんでした。
本来なら目にすることができないであろう下支えのプロジェクトの世界を
赤裸々に綴ってくださり、ありがとうございました。
motoyukiさん、コメントありがとうございました。
お子さんをかけ橋セミナーに送り出して下さっているんですね!
劇は、私は道具チームでしたが、衣装やメイク、音響、照明・・・と
たくさんの裏方の皆さんの響働によって作られていきます。
そういったお一人お一人の思いが形となって、あの劇の空間が作られて
行く様に、私も感動しました。
また、お伝えさせて頂きますね。