豊心大学セミナープロジェクト体験_これまでの限界を超えて「あげる幸せ」へ

苦暴流の受発色について、「私が変わります」宣言には次のように書かれています。

『しかし、生まれっ放し育ちっ放しの人生を生きる限り、「被害者」の心の中には、「他者不信」が潜み、世界に対する敵愾心が刻まれています。ですから、その特徴として、まず「拒絶」するという受けとめ方が自然になっている人が多いのです。お茶を勧められたり、何かに誘われても、即座に「結構です」とか、「いえ」と、「NO」を言ってしまうようなところがあります。
その「拒絶」の受信は「頑固」の発信ににつながり、その結果、人間関係や場が「硬直」したものになるのです。』 (107P 10L〜)

苦暴流は相手の要求をまず拒絶する受け止め方が自然であると書かれていますが、第一ポイントでは、相手の近くの駐車場に止めたいという要望を、拒絶し、頑固に関わって、硬直の結果が生まれ、参加者の方に不満が残る結果となっていました。

本当に、この御著書の通りです。

快暴流の自信家の受発色について、次のように書かれています。

『「自信家」の偽我が示す受発色のトライアングルの一つに「歪曲」→「独尊」→「孤立」があります。それはまず、受信に事実を歪める「歪曲」がはたらくことから始まります。もちろん本人は歪曲しているとは思っていませんが、周りからはよく分かります。特に、Noが突きつけられたときにそれが顕著になります。例えば問題を指摘されたり、失敗してしまったときでも、「あの人は自分を妬んでいるに違いない」とか、「うまくいかなかったのはたまたま間が悪かったからだ」というように自分の都合のよいように解釈を施してしまうわけです。
世界からのNoを「歪曲」してしまう受信は、次に「独尊」の発信へとつながります。都合のよい現実しか見えないために、自分のやり方を絶対だと思ってしまうのです。「よーし、任せてくれ」「俺がやれば何とかなる」と、周りの意見に耳を傾けることなく、自分の思い通りにどんどん事態を独善的に進めてゆきます。そうした発言や行動は、必然的に場の中で一人浮いてしまい、「孤立」の現実を生むことになるのです。』 (100P 2L〜)

快暴流は、周りの意見に耳を傾けること無く、自分の思い通りにどんどん事態を独善的に進めてゆくと書かれていますが、第一ポイントのやりとりを確認することもなく、「歪曲」で独自の判断をして、「独尊」で指示を出されていました。

快衰退の幸福者の受発色について、次のように書かれています。

『それは「幸福者」の受発色として、「依存」→「契約」→「癒着」の回路があることとも別になりません。受信の特徴として、「誰かが何とかしてくれる」「いつか何とかなる」といった「依存」の受信は、自分が主体となり、現実を引き受けるという関わりとはならず、相手と「契約」的な関わりとなり、そこには「癒着」した人間関係という現実が生まれるのです。「幸福者」にとっては、何か物事が具現することよりも、とかく、自分と相手の関係がうまくいくことに関心が向きやすいため、その関係が心地よいものであれば、それで十分満足できてしまうわけです。』 (123P 1L〜) 

快衰退は、何か物事が具現することよりも、とかく、自分と相手の関係がうまくいくことに関心が向きやすいと書かれていますが、指示を出した人との人間関係を波立て無いことを重視して判断を依存し、契約的な関わりであまり考えずに動いてしまい、結果として参加者と一緒に右往左往して、不満を拡大する結果となっていました。

こうして、神理によってどのように、受発色が連鎖して、暗転へと連鎖していたのかが見えてきたときに、概念では無く本当に心が現実を生み出していることを深く実感されていきました。

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