佐賀で心臓の炎症を抑える40日の治療が終了し、いよいよ母と姉が東京に移動することになりました。
Contents
神理の教会の青写真の具現化
40日前の状態は本当に厳しく、歩いての移動も難しい状態だったので、車いすやタクシーを使って、病院から病院に搬送するための綿密な移動計画を検討しており、私も佐賀にいって同伴する予定でした。
しかし40日の間に、体力も大分回復し歩いての移動が可能になり、羽田空港まで母と姉をお迎えに行って浅草の自分の部屋まで移動することになりました。
コロナになった時に、壁を取り払ってワンルームにしていたことが幸いし、狭いながらも3人での暮らしが始まりました。
リフォームする際に、神理の教会にしたいと考えて、ポッピンアラジンというプロジェクターで映像も見られるようにしていたのですが、TVばっかり見てポッピンアラジンは使っていませんでした。
しかし、母と姉が来てからは、ポッピンアラジンも毎日のように使って、GGPやセミナーなどの研鑽も一緒に受けるようになりました。図らずも、当初願っていた神理の教会が具現することになりました。
こうして、3週間ほどが経過し、善友の集いの開催が迫ってきました。
都立駒込病院のTL医療のM先生との治療の開始
治療も早速始まっていったのですが、ガンの専門医のM先生に治療をしていただきつつ、在宅医療のスペシャリストであり、胆管がんについても専門性を持たれている、トータルライフクリニックのT先生に見ていただけることになりました。
佐賀の病院では、あまり治療に対する説明もなく、不安を抱いたまま治療が進められていたのですが、M先生は非常にわかりやすく、病の現状や治療について教えてくださり、安心して治療を受けられるようになりました。
また、外科的な治療が必要になった時には、外科の専門医とカンファレンスを実施してくださり、様々な可能性と制約を考慮した上で、今取るべき治療方法を提案してくださいました。
佐賀のお医者さんの説明を聞いている時は、お医者さんも半ばパニックになられており、素人目にもそれはないんじゃないかという治療方法を提案されていたのですが、ここまで差があるんだなと驚きました。
また、他にも様々な検査結果を基に体の状態を判断されて、抗がん剤の量を調整して下さったり、吐き気が出ないようい、痛み止めの種類を選定してくださったり、点滴を入れやすいように、体に管を入れる手術をしてくださったり、様々な改善を重ね続けてくださり、安心して治療を受けられるようになりました。
善友の集いの参加へ
善友の集いが近づいてきていたのですが、抗がん剤の治療をすると、その後気分が悪くなって動けなくなるので、善友の集いの直前は抗がん剤を控えることを提案いただきました。
何よりも、先生とお会いすることが1番の治療ですねと励ましていただき、善友の集いに参加できることになりました。
電車の移動中に、乗り物酔いで吐き気が出てきたために途中下車し、心配する場面もあったのですが、何とか講演会場にたどり着くことができました。
TL医療の先生方との出会い
今までずっとプロジェクトを担ってきていたので、受付に並んだのは初めてだったのですが、チケットを頂いて中に入ると、TL医療のT先生とばったり会いました。T先生は、すい臓がんから寛解された、永田先生の飲まれていたサプリメントを教えてくださった方でした。
T先生は姉がこの会場に来ていることに大変に驚かれており、その反応を見て、今こうして普通に参加者として来られていること自体が、本当に奇跡なんだなと実感しました。
その後で、TL医療で順天堂医大のMT先生が出会ってくださいました。MT先生は、青年時代は毎日のようにプロジェクトを一緒に担っていた方で、今ではテレビに解説者で出られています。
母と姉を紹介したところ、地方の医療ではお医者さんが圧倒的に強く、患者のことがあまり配慮されないことも多いと教えてくださいました。一方で東京では、患者さんが強いので、話し合われることも多いそうです。
また、暗転するか、光転するか、ぎりぎりの選択というものがあり、どちらを選ぶかによって全く違う結果になることも教えてもらいました。
私も高橋先生にお言葉を頂いてから、佐賀に戻るかどうかという判断、光を送る行を毎日行うかどうかという判断、東京で治療をするかどうかという判断、いくつか大きな分岐点があったのですが、本当にぎりぎりのところを、先生、神様に導いていただいて奇跡のような道へつながってきていることを実感しました。
お葬儀屋のTさんの脳梗塞からギリギリ救われた物語
外に出ると、お葬儀屋さんで、退院したばかりのTさんがいらっしゃいました。
Tさんは脳梗塞で、手がしびれはじめたところで救急車を呼ばれ、症状が出て2時間以内だったので効果がある薬を日本医大で処方していただいたところ、すぐに病が癒される体験をされていました。
集中治療室から出てこられて、すぐにこの場にいらっしゃったのですが、本当に最善の道を通って、最短の治療でこの場に奇跡的にいらっしゃることを実感しました。
Tさんもずっと先生が導いてくださっていることを実感されていたことを、教えてくださいました。
また、今回はGLA55年の歴史が、会場に展示されていました。プロジェクトをしていると、ほとんど内容を知らないまま終わることが多かったのですが、今回は母と姉と一緒に内容をじっくりと見ることができ、説明員の如是我聞も聞かせて頂きました。
善友の集い先生のご講演
その後、前半プログラムとなりました。この55年のGLAの歩みが分かち合われ、1969年のGLA創立、1977年の法の継承、1993年の神の御徴、2019年のコロナと、4つのインパクトを経てきていることが分かち合われました。
私自身はサードインパクトの、1993年から集ってきているのですが、九州の大宰府で行われた善友の集いの映像も流れており、映ってないけどカメラの配線やっていて、あれが最初の先生との出会いだったなと思い出していました。
その後、先生が震災後に能登半島に行かれた時の映像や、新春・陽春の集いで全国を回ってくださったときの映像を見せていただきました。
後半プログラムの先生ご講演となりました。今回特に心に残ったのは、菩提心が心に生まれていったときに、宇宙からの光と、魂からの光が届くようになり、人生潮流に導かれて、使命の地平へと導かれるという内容でした。
今は、大変に厳しい治療のさなかではありますが、31次の記念GGPによって、菩提心発掘をしていったときに、外宇宙と内宇宙(魂)、2つの次元からの光が届けられ、奇跡のような癒しへと導かれるのかもしれないと思いました。
また、使命の地平の次元は、ずっと遠くにあって、その次元に向かうのは非常に難しいと感じていたのですが、GLAの会員が皆で使命の地平とへと至る道へと、先生が導いてくださっているように感じられてきました。
GLAの職員になったYさんの実践報告
実践報告は、先日職員になったばかりのYさんだったのですが、Yさんとは青年塾の時代に一緒にプロジェクトを担っていて、青年にとっては最も大事なかけ橋セミナープロジェクトの前泊に来なかった事件もあり、色々と苦い経験をしてきていました。
そのYさんが、先生から様々にご指導を頂いて、ここ最近飛躍的に成長されて、会社でも重責を担って、職員になられた歩みを分かち合ってくださいました。
一緒にプロジェクトを担っていた仲間が、職員になる話をお聞きする機会が増えてきたのですが、お1人お1人が使命の働きへと導かれてゆくことは、本当に幸せだなと改めて実感しました。
ご講演の最後に、先生は菩薩の祈りをしてくださいました。最後の方は、魂の情動が溢れてきて、1日1日、こうして先生とご一緒に歩ませていただくことが、どれほど幸せなことであるのか。
願って願って生まれてきて、この道を歩ませていただいてきた歓びが魂深くから溢れてきました。そして、先生との約束にお応えしたいという魂からの情動が溢れて、止まらなくなってしまいました。
休憩時、ガンから寛解されたSさんとの出会い
その後、プロジェクト集会に参加できることになり、開始まで時間があったので、食事をとることにしました。
座った席のお隣に、Sさんがいらっしゃいました。Sさんは農業チームを一時期一緒に担っていた方で、佐賀出身の方であり、ガンを克服した話を教えてもらっていました。
姉がガンの治療で東京に来ていることを伝えると、ご自身の話をしてくださいました。ステージ4のガンが治ってしまったらしいのですが、抗がん剤は一回やってみて体に合わなかったので、TLクリニックでのビタミンC注射で直したことを教えてもらいました。
「ガンになったからと言って落ち込まないで、明るく受けとめることが大事ですよ」とニコニコと話しかけてくださって、そのパワーに励まされたと言っていました。
ガンから人生を取り戻したYさんとの出会い
プロジェクト集会の会場の近くで、劇チームや合唱でお世話になった、Yさんがいらっしゃいました。Yさんもガンという病から人生を取り戻されたお1人でした。
Yさんはお父さんがガンで亡くなってしまわれたそうで、昔は父の命を奪ったガンを恨んでいたそうです。しかし、ご自身がガンになった時に、ガン様が来てくださったありがとう、これで父の痛みを理解することができるという、ガンに感謝する気持ちに変わっていたそうです。
治療の時も高橋先生が光を送ってくださっていることを実感されており、治療が終わった時に、ご自身は何の変化がなかったため、治療が中止になったと思われたそうです。それくらい、痛みも何も感じずに、摘出手術が成功してしまったということでした。
実は先日、ある経営者の方の神理実践シートの同伴をさせて頂いた時に、社員の方がガンになってしまい、どのように出会ったらいいか分からないと悩まれていたことがありました。Yさんはその会社の社員として働かれていたのですが、Yさんと響働して、社員さんを癒す神理実践をされることになりました。
ガン様への感謝を深められているYさんが、苦しんでいる人々を同伴し、先生、神様におつなぎする使命の働きへと向かわれていることを感じ、病を通して同伴者、対話者としての使命の働きへと導かれることが本当にあるんだなと実感しました。
順天堂大学病院のH先生との出会い
プロジェクト集会で並ばせていただき、席は前回とほとんど同じ場所に座りました。すると、TL医療のお医者さんや看護師さんが、不思議と私たちの家族を取り囲むように座られました。
私が2006年に神理実践報告をしていただいた時に、「自分の心は闇に覆われていて、変えることはできない」と言っていた、当時小学3年生だったH君は、今では立派なTL医療のお医者さんとなっているのですが、隣に座ってくれたので、姉のことを紹介させていただきました。
何と、H先生は、M先生からセカンドオピニオンとして推薦された順天堂大学のお医者さんであったことが分かりました。
こうして、本当に守られているような中で先生のお話が始まりました。
先生から頂いた握手の奇跡
プロジェクトの方へのお話が終わった後で、先生が中央をご退場されることになりました。途中で、お1人お1人と出会ってくださっていました。
一番通路側に姉、その隣に母、そして奥に私がいたのですが、先生が来られた時に握手をさせていただき、次のようにお伝えしました。
「姉が佐賀からガンの治療で来ています。明日から都立駒込病院のM先生のところで見てもらいます」
とお伝えしたところ先生から
「お父さん、お母さんと熊本の講演会でもお会いしましたね。こうして、共同体の輪の中で癒されるということは大きなことですね。」
とお言葉をかけてくださいました。
最初は私と握手してくださっていたのですが、途中から手を離されて、姉の方にぐっとエネルギーを注いでくださったように感じました。
私は、先生と姉の両方を見ているような状態になりました。
後で、姉に聞いたら、先生が両手で包み込むように握手してくださっており、ずっと長い時間話してくださっているように感じたと言っていました。
あの瞬間に、先生が凄いエネルギーをかけて光を注いでくださっていたんだなと改めて感じました。
その日の晩に、横になっているときに、姉が先生の光の結界の中で守られているような感じが伝わってきたのですが、癒しの光を注ぎ続けてくださっていることを感じました。
その後、病院で検査をした結果、腫瘍マーカーが一気に下がるという奇跡を頂いていました。
先生に伝えて頂いた「共同体の中で癒される」道へ向かってまいります。