GLA特別御供養 自ら命を絶った魂をも救われる神仏の限りない光


GLAでは年に二回、春と夏のお彼岸の季節にGLA特別御供養が行われています。

その場に注がれている圧倒的な神仏の光によって、本当に奇蹟のような救いが起こっています。
そこには既存の宗教が失ってしまった、本来の供養のいのちが溢れる場が生まれています。

Contents

私がGLAに入会する前のお話しです・・・。

私は、高校時代は浄土真宗系の高校に通っていました。週に一度ほど、仏教の時間があり、お坊さんの先生がお話しをされていました。また、月に一度は本物のお坊さんが来て、体育館で講話をされていました。

この高校に通う生徒には一つのメリットがありました。それは、希望者はお盆の時期にある盆行という特別なアルバイトをすることができました。盆行の中身ですが、なんとお坊さんです。

学校で簡単なお経の読み方を教えて頂くのですが、お経には全部ひらがなが打ってあり、それっぽく抑揚をつけて読むと、お経として聞こえます。

また、浄土真宗は丸坊主になる必要もないため、後はお寺にある袈裟を着て、せったを履くだけで身なりは整います。

後は檀家を回り、お経の最初と最後に鐘を鳴らしてお経を唱え、お布施をもらえうのが盆行のアルバイトでした。

そして一軒一軒、檀家さんの家を回るのですが、お盆のかき入れ時は一日で50件ほどの家を回らなければならないため、急いで回りました。

お経を読むと、一軒につき3000円ほどお布施を包んでもらえます。

ちなみに、お金が多い家はお坊さんが優先して回られていました。

お坊さんが回れない分を、アルバイトが回っていました。

また、人口が多い地区には、全国の他の地域からもお坊さんが応援で来られていました。

アルバイトの最後に、集金したお金をお坊さんに渡すのですが、半分ほどアルバイト代としてもらうことができました。3日で5万円~10万円ほどになり、学生にしてはかなり割のいいアルバイトでした。
中には、社会人になっても続けている人も居ました。

アルバイトとしてお金儲けが最大の目的でしたが、私はそれでも、何とかその働きの使命に応えたいと願って取り組んでいました。

他の友達はやっていませんでしたが、一応お経の解説書を読み、その意味をできるだけ理解して、その心を祈りながら読むようにしていました。

お経の内容は、お釈迦様の誓願の言葉が書かれていました。しかし、それを唱えることに何の意味があるのかは、さっぱり分かりませんでした。

檀家さんの中には「どうせアルバイトでしょう」とあからさまに馬鹿にするような態度を取られる家もありました。

しかし、中にはお坊さんとして、丁重に扱って下さるご家族もあり、私があげるお経を一緒に聞いて下さる家庭もありました。

しかし、どんなにお坊さんとして扱って下さっても、当のお坊さんになっている私は、全くその気持ちに応えることはできているとは思えませんでした。

亡くなった方が見えるわけでもなく、お経を唱えることが何の役に立つのかも分からず、これまでの長い仏教の歴史の中で形作られていた形式を踏襲しているに過ぎませんでした・・・。

応えたいのにどう応えたらいいのか分からない、そのような葛藤を抱えていました。

きっと多くのお坊さんは、同じような葛藤を抱きつつ、中には代々続くお寺の跡取りという要請に応えて、お坊さんという職業に従事されている方もかなり多くいらっしゃると思います。

私の友人には少なからず、そのような形でお坊さんという職業をしている人がおり、「人間は死んだら終わり、魂なんて存在するはずがない」と断言しているお坊さんもいました。

GLAの会員さんの中には、そのような様々な葛藤を抱え、道を求めて辿り着いたお坊さんも結構多くいらっしゃいます。普段はお寺の住職をされていますが、特別御供養の時は、そのようなお坊さんもGLAの一会員として特別御供養を受けられています。

一見すると矛盾した行動のようにも見えてしまいますが、そのことが明らかにしているように、最近の宗教が残念ながら失ってしまった、御供養の本来のいのちを現場しているのがGLAという宗教団体なんだと思います。

特別御供養の場が始まったのは、GLAが40周年を迎えた2009年になりますが、40年という時間をかけて、先生があの世、この世を貫く神理を説かれ、供養をご一緒に深め、場の重心となる人を育てられ、場を整えてくださったからこそ、生み出されているんだと思います。

そして、この場には、先生の渾身の祈りが捧げられ、神様や実在界の諸如来諸菩薩 諸天善神 守護指導霊のはたらきによって奇蹟のような救いが現場していることが分かってきました。

同時に、昨年の夏に体験した特別御供養についても、何が起こっていたのかが理解できるようになってきました。

私もこれまで何度か特別御供養をお受けしてきていました。

そして、5回ほど実施する中で、一通り亡くなった親族が癒されていったので、更に取り組む必然をあまり感じなくなり、ここ数回はお受けしていませんでした。

しかし、あるセミナーでの先生の御退場時に、「御供養に取り組んで下さい」とお声をかけた頂いたことがありました。そこで、改めて自ら命を絶たれたxさんの御供養に取り組むことにしました。

Xさんの御供養については以下のリンクを参照下さい

GLA特別御供養で頂いた奇蹟!深い地獄に落ちた魂も救われる先生の御業

かけ橋セミナーの準備期間ではありましたが、申し込みをしてからほぼ毎晩、供養行に取り組むことにしました。具体的には「新 祈りのみち」の「供養の祈り(供養行の歩みとして)」を毎晩取り組みました。

shin-inori
https://www.sampoh.co.jp/books/shin-inori/

そして、図らずも、かけ橋セミナーで一緒に特別御供養に取り組んでいるAさんを同伴して下さっているMさんとの出会いを頂くことになりました。Mさんは、GLAの青年塾の後輩のお母さんでした。

挨拶がてら、Aさんの取り組みについて話していると、魂深くから先生がすべて救って下さったという情動が溢れてきました。表面意識のもっと深い魂の次元において、先生はいかなる御方で、どのように救って下さってきたのかを理解している自分がいるのを感じました。

Xさんや、それに関わる全ての親族の、どうすることも出来ないほどの深い痛みが、先生によって癒されていったことが、改めて刻印されました。

また、供養の祈りを深める中で、改めて「血」としての親族から流れ込んできた共通のテーマを意識化していきました。これまでの御供養では、「血」の流れまではあまり分からず意識化していませんでした。

具体的に言いますと、xさんの抱えていたテーマと自分自身をつなげて見たときに、xさんは元々障害を抱えられていたことがあり、世間との関わりを好まず、自分の趣味の世界に没頭される傾向がありました。

私も研究開発の仕事をしていますが、自分の世界に没頭して、協調性が足りないことを指摘されることがあるのですが、それは同じテーマであるように感じられてきました。そのように気づきが深まっていくと、一緒にテーマを超えていける希望も感じられてきました。

そして、御供養をする親族の皆さんとご一緒に、GLA九州本部へと向かいました。同伴して下さるMさんは、既に本部で待って下さっていました。御供養を申し込まれたAさんは、Mさんと事前の出会いを深められてきていました。

Aさんは、御供養をする願いとして「故人と神理を一緒に学んでいきたい」といった内容をカードに認めて、聖堂へと向かいました。

そして、御供養の場が始まっていきました。

司祭の祈りを頂き、お一人お一人の御霊の名前が呼ばれていきました。

その後、映像を通して先生の祈りを頂きました。

私も先生の祈りの言霊に集中し、深く深く先生の御心に自分の心を合わせていきました。善友の集いで「菩薩への祈り」をお受けしているような感じで、先生の御心と自分の魂が響き合うような状態になっていきました。

その後、先生が異言で実在界と現象界の間にある門を開いて行かれました。

一旦心を落ち着けて、静かに先生の祈りをお受けしていきました。

その後、ふっと思いが伝わってきました。

最初「ありがたい」という思いが伝わってきました。

そちらに思いを向けていくと、「ありえなことが起きた」という思いが伝わってきました。

ありえないこととは何だろう?と、更に思いを向けると、先生がxさんを探しに来て下さって、救い上げて下さったということでした・・・。

どうしてあり得ないことなのかも教えて頂いたのですが、xさん一人を捜し当てるという事は、広大な地獄の世界にあって、何万という人を一人一人訪ね続けて探し続けるほどの莫大な労力が必要ということでした。

次の瞬間、泥沼の中に沈んでいるような状態からxさんがすくい上げられていく姿が見えてきました。

このようにして救われることが、どれほど大変なことであるのか、誰よりもxさん自身がご存知のようでした。

xさんは、先生によって救って頂いた感謝の思いで一杯になられていました。

私はそのときふと、それは先生じゃなくて、先生が遣わされた他の光の天使が救われたんじゃないかなと思いました。

というのも、GLA特別御供養の場において、たぶん何百、何千という魂が救われていくと思いますが、ただでさえお忙しい先生が、それら一切の魂を救われることは現実的に不可能ではないかと思ったからです。

そのときに前に映っている映像では、先生の手に析出した金粉を対話されている方に見せられていました。

xさんからは「あの光によって救われた」という思いが伝わってきました。間違いなく先生から救われたということでした。

私たちが休んでいるときも、先生は亡くなられた御霊を探し続けて下さっていたことが分かってきました。

私はこれまで、自分ではどうすることも出来ないほどの絶望するような思いを、先生が全部引き受けて下さって、救われてきたという思いが強くありました。

そのため、これからの人生の時間を全て使って先生にお返しし続けてもお返しできないほどの恩恵を既に頂いてきたと思っていました。そのため、プロジェクトを通して頂いてきた恩恵をお返ししようとしてきていました。

しかし、私が先生にお返ししようとする何倍ものエネルギーをかけて先生は親族全体を救って下さっていたことが分かっていきました。

そうして、最後先生が帰還の祈りを祈って下さいました。
この場に来ることが出来た御霊は、あり得ないほどの光に満たされて、光の道を帰って行かれるように感じました。

聖堂から場所を移して、改めて同伴者のMさんとの出会いの時を持ちました。
特別御供養の場で起こっていたことを、同伴者のMさんもご一緒に分かち合わせて頂きました。

Aさんは、何故か涙がずっと止まらなかったということでした。

そして、私がxさんから教えて頂いたことを分かち合っていきました・・・。AさんもBさんも、そしてご一緒に深めて頂いてきたMさんも、先生への感謝の涙で一杯になっていました。

その後、GLAになかなか馴染めないAさんに、司祭の方が関わって下さいました。

GLAの学びは、書いたり、MTGしたりして難しいとAさんは苦手意識を抱いていたのですが、そのことに挑戦して変わっていくことが、何よりの御供養になることに気づいていかれました。

そして、これからはGLAを中心に仕事も考えていきたいと願いを語ってくれました。

Spiral Cloud

写真は、東京の浅草で行われた特別御供養の時に、GLA総合本部の上空に現れていた渦巻き状の雲

後日、中京の特別御供養の後で、先生が中京の場を支えて下さった皆さんに対してもたれたご指導を見せて頂く機会がありました。

先生は、その中のお一人のあるご婦人の体験について分かち合って下さいました。

その方も、自らいのちを絶たれた方の御供養に取り組まれていたのですが、先生が自ら命を絶たれた方を多くの人々の中から探し出すのがどれほど大変であり、また沼のように沈んだところから救い出していくことをお話し下さいました。

私がxさんから教えて頂いた内容と、ほとんど同じであり、xさんから教えて頂いていたことは本当の事であったと感じました。

ただ、あまりにも凄い奇蹟が起きてしまったと受けとめていて、お伝えしていいものかどうなのか迷いがあったのですが、今年の春に起こった特別御供養の場において、実在界の諸如来、諸菩薩、諸天善神、守護・指導霊によって、御供養に取り組む全ての人に対して、奇蹟が起こっていることが分かりました。

そして、お伝えさせて頂くことにしました。

私はこの20年間、一人の先生の弟子として、先生とはいかなる御方であるのか、GLAとはいかなる宗教団体であるのか、深め続けてきました。

そして、入会当初からずっと変わらず、毎回毎回、自分自身の浅い理解が砕かれ続けるような出会いを頂いてきました。

それは、私の魂が幾転生かけて求めてきた、一回生起のかけがえのない正師との出会いであり、この歩みは、死んだ後もずっと変わらず深められ続けていくと思います。

先生と初めてお会いしたセミナーにおいて先生から「光あるうちに光の中を歩め」というメッセージを頂いたことがあります。

現身の先生とご一緒に生きられる、かけがえのない時を一瞬一瞬刻みながら生きていきたいと思いますし、先生と共に歩む転生の約束抱きながら、未だGLAに集ってきていない多くの同志がこの場に早く集ってくることを心より願っています。

GLA特別御供養。神様と先生の御心によって開かれた光の場の中での奇蹟の救い

GLA特別御供養で頂いた奇蹟!深い地獄に落ちた魂も救われる先生の御業

GLA特別御供養 今は亡き祖父母に届けられた恩寵の光

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