翌朝、母には早めに佐賀ターミナルで並んでもらって、場所取りをしてもらいました。
Contents
S叔父さん突然の失踪
7名の受付を早速完了し、チケットも入手することができました。
その後、父と姉を佐賀ターミナルに送り届けた後で、実家に向かいました。
実家に着くと、S叔父さんの車はなく、どこかに出かけられていました。
K叔母さんに連絡して、S叔父さんに電話をしてもらったのですが、連絡がつきませんでした。
そのまま実家に車を止めて、佐賀ターミナルまで歩いて向かいました。実家から、佐賀ターミナルまでは、歩いて10分もかからないくらい近くにありました。なので、いつかは親族に佐賀ターミナルに来てほしいと願っていたのですが、まさか先生が佐賀ターミナルにお越しくださって、親族に出会ってくださるとは本当に夢にも思っていないことが現実になろうとしていました。

佐賀ターミナルでのK叔母さんの同伴
佐賀ターミナルに到着すると、既にY君とK叔母さんが来られていました。
Y君を聖堂にお連れして、聖堂について説明させていただき、正面にあるモザイクの作家のUさんと、響働のプロジェクトをさせてもらっていることをお話しさせてもらいました。
その後、K叔母さんにも聖堂に来ていただきました。叔母さんが、老いについて話されていたので、『新 祈りのみち』の「老いを感じるとき」の祈りの冒頭の部分を読ませていただくと、この通りと納得されていました。
そして、最後の祈りの部分は、ご自身で声に出して読んでくださったのですが、感想をお聞きしたところ、「本当にそうなのよねー」と納得してくださっていました。
椅子に戻ると、早速K叔母さんに自己診断チャートに取り組んでくださり、煩悩地図の説明をさせていただいたのですが、「依存→契約→癒着」の煩悩と、「回帰→率直」の転換について説明させていただいたところ、納得されているようでした。
特に、「一喜一憂 エネルギーの浪費」のところが響かれたようで、「相手に合わせ過ぎて疲れてしまうのよね」と言われていました。
従弟のY君へのGLAのご紹介
叔母さんへの説明が一通り終わったところで、今度はY君とじっくり出会う時をいただきました。煩悩地図の説明をじっくりとさせていただき、その後は、入会することでどのように変われるのかについて、説明しました。
Y君は自分なりの哲学を持たれていたのですが、Y君の考えを受けとめつつ、それらを包含するような形で神理があることを伝えさせていただくと納得されていました。
また入会の手続きをさせていただいたことや、会費が月1000円であり、それぞれの希望に応じて、様々な学びの場に参加が可能であることをお伝えしました。
Y君はご自身でもGLAについてネットで調べられていたのですが、それほど大きなマイナスの情報はなかったと言われていました。
Y君には、「今回は佳子先生に一度出会っていただきたかったので入会登録したんだけど、これからは自分で学ぶかどうか判断してね」とお伝えすると、わかったと言われていました。
高橋先生に出会ってどのように人生が変わったのかを話すミーティングとなったので、自分の先生体験をじっくりとお伝えさせていただくと、納得されているようでした。
その後、かけ橋セミナーの誓願の映像となりました。
子どもたちの誓願の話をしているところで、ちょうど、TL医療のH先生がいらっしゃったので、H先生が小学生3年生の頃にAgentとして出会ったときのことを話しました。
当時はやんちゃなお子さんで、私はレッドカードを出せと脅されていたのですが、今では立派なお医者さんになられて、姉の治療も助けてもらった話をしていただきました。
そのようなありがたい出会いをしている最中に、ふとSさんのことが気になってきました。
S叔父さんへの最後のチャレンジ
S叔父さんには誰も連絡がつかない状況が続いており、半ばあきらめかけていました。
これまで連絡したことがない自分がかけてもダメだと思うけれども念のためと思って、電話番号を教えてもらって、電話をかけてみました。
すると、あれだけ繋がらなかったのに自分の電話は取ってくださり、家に戻られていることが分かりました。それで「じゃあこれから迎えに行きますね」とお伝えし、走って実家に戻るとS叔父さんが待たれていました。
急いでS叔父さんの車に乗って、佐賀ターミナルに到着したのですが、高橋佳子先生が既にお話を始めてくださっていました。
なんとか、S叔父さんを席までお連れし、その後で車を外部の駐車場まで移動させて、駐車場から走って佐賀ターミナルまで戻ってきました。
私も少しだけお話を聞くことができたのですが、その後で、先生との出会いの時となりました。
佐賀ターミナルでいただいた親族での先生との出会い
S叔父さんは、自分はいいよと言われていたのですが、人生に一度しかないチャンスだからと言って、なんとか立ち上がってもらって、列に並んでいただきました。
最初に父が「娘にパワーを送ってもらって助けてもらってありがとうございました」
と高橋先生に伝えると、「娘さん元気になられてよかったですね」と、先生はお言葉をかけてくださいました。
引き続き、「S叔父さんと、K叔母さんです」とお伝えし、「同族経営をされていた皆さんです」とお伝えすると「ご供養の時に、おじいさんが出てこられていたんですよ」とお話しくださいました。
その後、姉と母に先生が出会ってくださっていたのですが、「痩せていて心配していたけど、体重も増えてよかったですね」とお伝えくださいました。
後で、聞いたら、一番厳しい時は体重が36キロになっており、今は44キロまで回復していたことを教えてもらいました。
先生の方が自分よりもよっぽど姉の状況を見てくださっているんだなと感じました。
先生が佐賀ターミナルの方と出会われる際に、お写真を持ってこられていた方と、その写真について話をして下さっていました。自分も持ってきた写真をお見せした方がいいのかなと思い、ご供養に取り組んでいるお2人の写真を紹介させていただきました。
先生からは「お世話の働きをしていますね」とお言葉をかけていただきました。
先生の長崎へのお見送り
先生は次の長崎に移動される時間となり、出会いの途中でご移動されることになりました。
限られた時間の中で、ギリギリ先生との出会いを頂くことができました。
「自分たちはまだ入ったばかりなのに、時間をとってもらって申し訳なかったね」と、K叔母さんが言われていたのですが、先生はお1人お1人との出会いに、心を尽くしてくださっていることを改めて実感しました。
K叔母さんの病の同伴への感動
その後、皆さんとファミレスに行こうという話になりました。私は自動車を取りに行くために駐車場へと移動したのですが、K叔母さんが後ろにいらっしゃり、歩きながらお話をすることになりました。
K叔母さんも人生をどのように終えてゆくか、考え始めていることを教えてくださいました。また、兄弟間の関わりがねじれてしまっている原因が自分にもあったという後悔もお話しくださいました。
そして、今回は姉のことで本当に感動したと言われていました。
後から母に聞いたら、「あんなに姉弟のことを大切にしてくれる人はいないよ、自分なんか誰も見てくれない」と言われていたそうで、私が姉の病の同伴をしている姿に感動されており、そのことが入会にもつながっていたようでした。
ファミレスでのS叔父さんとの出会い
その後、S叔父さんと一緒にファミレスで食事をすることになりました。
父にはS叔父さんへの積年の恨みがあり、父の怒りが爆発したらどうしようとヒヤヒヤしながらS叔父さんの話を聞かせていただきました。
S叔父さんは、「今回の出会いは偶然じゃなくて必然だったんだろうね。出会うべくして出会えたんだろうね」と何度か言われていました。
そして、「Buyanが捻れた兄弟間を繋いでくれた」とも言われていました。
最後に、S叔父さんのお見送りをし、私も佐賀駅まで送ってもらって、一足先に私だけ東京へと帰ってゆきました。
佐賀での出会いの果てに見えてきた私の魂願
本当にギリギリの所で、様々な再結の歩みがあり、一族の皆さんを先生にお繋ぎすることができたのですが、出会いを振り返る中でふと「自分がしたかったのは、こういうことだったんだよな」と思いました。
いつもの自分は先生にお繋ぎした方が、どんどん活躍されてゆく姿を見ては嫉妬し、「自分は認められていない、評価されていない」と落ち込むことが多かったのですが、自分の本当の願いは、多くの皆さんを先生にお繋ぎし、皆さんが使命を果たしてゆかれるご縁になることだったんだよなと思いました。
そうして、使命を果たされる皆さんに照らされて、ご一緒に使命を果たすことが願いだったんだよなという思いがふと湧いてきました。とっても大事な願いだったのに、何かすっかり忘れてしまっていたんだなあと思いました。
今年は「月の心」の菩提心チャレンジに取り組んでいますが、陰徳の心は最も苦手意識があり、できるだけ避けたいと思い、かつては頂いた神理カードを返却しようとしたこともありました。しかし、こうして振り返ると「月の心」は魂の願いに直結するほど大切な心であったことがつながってゆきました。
これからは宿命の洞窟を超えて、使命を果たされている皆さんの光に照らされて、ご一緒に響働できる私となって、人生の目的と使命を果たしてゆきたいと思いました。



