2024感謝の集い 家族で深めた三大功徳と立石春美さんとの邂逅

先生講演会が終わり、いよいよ感謝の集いが近づいてきました。

Contents

お世話プロジェクトにおける神理実践

父には、ぜひ感謝の集いには来てほしいと思い、事前に飛行機を手配し、来ていただくことにしました。

感謝の集いに向けて、地域お世話のプロジェクトとして、会員さんにお声をかけさせていただくことになりました。

未申込で参加可能性の高い皆さんを統計的に抽出し、お声をかけるためのシステムを作り、地域として運用することになりました。

そのシステムを使って、地域の皆さんが積極的にお声をかけてくださった結果、比較的に早い段階でお申し込みが進むことになりした。

2024年、母の三大功徳の深め

また、毎朝の家族で、姉のがんに光を送る行に取り組み、ウイズダムの唱和も行ってきたのですが、その後で三大功徳にも一緒に取り組んでゆきました。

母は、功徳が分からないと嘆いており、一日かけて取り組んでもわからなかったと困っていました。

そこで、私の方から見える、功徳をお伝えさせてもらいました。

姉の治療の奇跡

一つは姉の治療についてお伝えしたのですが、かつては、がんに対する適切な治療が行われておらず、命がなくなるギリギリのところまで追い詰められていました。しかし、今は大きな痛みや不安もなく、普通に暮らせるようになってきていました。

なぜそうなれたのか振り返ると、先生から「適切な治療が行われているか見定めてください」とお言葉をかけていただいたことによって、その時点の治療方針を点検し、更にTL医療のM先生が抗癌剤治療がはじまっているにも関わらず、治療を引き受けてくださり、その後も食事療法を教えてくださった専門家の方からご指導をいただき生命が救われました。さらに、私たち家族はGLA会員の皆さんの光のネットワークの中で癒されてきていました。

先生が一声かけてくださったことで、TL医療の先生方も、より積極的に関わるようになってくださっており、すべては先生の御心から始まっていることを伝えると、姉も母も本当に先生に救っていただいたと涙していました。

神理の学びの充実

また、神理の学びについても、かつては姉は仕事が忙しくて、なかなか参加できていなかったのですが、病気になって東京で暮らすようになり、母も姉もセミナーに全部出ることができ、気づき・発見が深められて行ったことも分かち合いました。

「人生が何年まで続けられるかは神様にしかわからないけれども、人生の中で一番輝いていたのは、あの病気になった期間だったということになるかもしれないね」と言うと、本当にそうだねと共感が深められて行きました。

私が頂いた3大功徳

家族の同伴を深めつつ、私自身が頂いた功徳も深めて行きました。

姉の治療における光転ももちろんあったのですが、先生から「適切な治療が行われているか見定めてください」というお言葉をいただいたことによって、がんについても深く調べさせていただきました。

私自身は、もともと高校でも、物理と化学を選択しており、生物はそれほど深く学んできていなかったのですが、これまであまり関心を払ってこなかった生物の分野についても学び、分子レベルでどのようなことが起こっているのか調べて行きました。

また伝研セミナーの時に、先生からがんの原因として食事とライフスタイルがあると教えてくださったこともあり、食事についてもどのような食事ががんになりやすくなり、がんが進行しないようにするにはどのような食事がいいのか調べて行きました。

ノウハウが溜まってきたところで、地域のGLA会員のお世話役の中に立て続けにがんになられる人が出てきたので、ライングループを作り、そのノウハウも共有させていただきました。

みなさんから「とても参考になった」「助かった」などのお声をいただくようになり、自分としてもお応えできて、本当によかったと実感するようになりました。

GLAのプロジェクトにおける逆縁からの救済

またもう1つの功徳としては、GLAのプロジェクトのことがありました。先生から「仕事でやっていることが共同体の役に立ちます」という公案をいただいたものの、どの技術が何の役に立つのか分からず、提案することで色々と誤解を受けて、逆縁が生じるような試練がずっと続いていました。

しかし、先生から公案を頂いて10年以上経過しましたが、仕事の技術を活かして、共同体の役に立つアウトプットを生み出すことができ、運営費の削減にも貢献できるようになりました。

なぜそうなれたのかを振り返ると、先生からコロナの期間に、「一日一葉特別セミナー」を頂き、ゴールデンパスにしっかりと取り組むことができ、また八ヶ岳の人生祈念館への一族の奉納や、様々なセミナーでの先生がおつくりくださったシートに取り組む中で、様々なとらわれ、こだわりから自由になって、使命の働きへと導かれるようになってきたことが非常に大きかったことを意識化しました。

仕事での行き止まりからの脱出

仕事においても、ほんの数年前まで大変に厳しい状況がありました。MBSEを修得したものの、適用する業務を見つけることができませんでした。そればかりか、CADに関するメーカー間の争いや、正社員と派遣社員間の対立構造に巻き込まれ、精神的にかなり疲弊し、「自分を評価しない会社なんて辞めてやる」と転職しようとしていました。

しかし、今となっては、会社内でも自分の持っている技術が高く評価されるようになり、難易度の高い業務を次々に任されるようになりました。政治的に難しい状況にあることをご理解いただき、そのうえで新しい技術のチャレンジに対して積極的に投資していただき、その成果も出てくるようになりました。そして、難しい問題を一緒に解決してくださる、高い専門性も持った同志が現れて、問題を解決し、その方法を世界に広げてゆくことになりました。

なぜそうなれたのか、振り返ると、先生から「落ち着いて受けとめることができたら、もう1つ上のプロセスができるようになります」とお言葉を頂き、設計の1つ上のプロセスであるデザイン領域へと移ることができました。またTLアートの先輩から、命作網の大切さを教えていただき、ご縁のある方の要望に応える中で、信頼関係が育まれ、仕事を任されるようになったのも大きかったと思います。

感謝の集いへの参加する必然の喚起

このように頂いた功徳を意識化してゆくと、ここまで頂いていた功徳が大きく、転生のカルマを超えるような、奇跡の転換を頂いていることが見えてきました。

頂いた功徳を先生にご報告をしに行くのが「感謝の集い」なんじゃないかな?と考えると、これは本当にありがたい機会なのかもしれないと思うようになりました。

そして、地域の皆さんへのお声がけにおいても、必然を喚起してお声がけをするようになってゆきました。

忘年会における感謝の深まり

感謝の集い直前の金曜日に、会社の忘年会がありました。

神理実践の1つとして、参加することにしたのですが、同じ部署の皆さんで参加する人が少なく、知らない人の中で孤立しないかな?という不安があったのですが、「稲穂の心、稲穂の心」と念じながら参加しました。

課長やグループの責任者など、取り組んでいるテーマを理解し、投資してくださっている方々に感謝をお伝えしに行ったのですが、自分が思っている以上にテーマに対して深く理解をされており、期待もしてくださっていることがわかりました。

上司が、普段から進捗状況を報告してくださっていたんだと思うのですが、本当に多くの皆さんに支えられ、導かれている恩恵が更に深まることになりました。きっと後世、奇跡的に道が開かれたプロジェクトだったねと評価されるのかもしれません。

父との三大功徳の取り組みの深まり

土曜日に父が佐賀からやってきて、家族4人が久しぶりに揃いました。

日曜の朝、家族で姉に光を送る祈りをした後で、三大功徳に取り組む時間を持ちました。姉が先生に救っていただいたことをわかち合うと、父も取り組んでくれました。

そして、私自身が取り組んだシートの内容を共有し、先生、神理によってどれほど救われているのか、その恩恵を分かち合わせていただきました。

地域のバスの中での宿命の意識化

横浜アリーナまで、今回は初めて地域のバスで行きました。

旧八起ビルの前から出発していったのですが、道すがら父と様々な話をしている時に、ふと生まれ育った環境について意識化してゆきました。

母の家系は、義理の兄がギャンブルにお金をつぎ込み、その家庭内暴力に怯える厳しい環境がありました。

父の家系も、やくざが乗り込んできて家もお店も全部奪われてしまいそうになる危機があり、その後、親族間の骨肉の争いに巻き込まれてゆきました。

両親ともやくざがらみの争いに巻き込まれるような状況だったのですが、こんなに厳しい条件を背負うことは、一般の家庭ではそうないよねと話し合いました。父との出会いを深めながら、改めて背負った宿命の重さに思いを馳せつつ、会場に到着しました。

出会いは人には作れない!不思議な出会いの連続

会場に到着してトイレ休憩をしていると、目の前に車が止まり、Uさんご一家とばったり出会うことになりました。

TLアートのUさんとの響働については、三大功徳にも書かせていただいていたのですが、家族ぐるみで出会うことができました。

八ヶ岳の豊心大学セミナーに参加した時も、翌日、清泉寮に観光に行ったときも、Uさんご一家と家族ぐるみで出会っており、本当に不思議なご縁を感じていたのですが、感謝の集いでも会うことができました。

その後も、不思議な出会いが続いたのですが、豊心大学セミナーで同じグループになった、熊本のUさんご夫婦と入り口でばったりと出会いました。

そして、会場を回っているときに、TL医療でお世話になった、順天堂大学病院のH先生と会うことができ、父を紹介することができました。

もう1人お世話になっているTL医療のS先生は、フロアでプレゼンをされており、父には「あの先生にお世話になっているんだよ」と分かち合いました。

更に父の煙草に付き合って1Fに移動した時に佐賀のTさんと出会い、その後母と姉もTさんと出会うことができました。短い時間で、出会うべき人に次々と出会うことになりました。

先生のご講演の感動

そして先生のご講演となったのですが、冒頭にマクロの大宇宙とミクロの小宇宙の映像を見せていただいたのですが、ここ最近、ガンについて様々調べる中で、細胞の中にあるミトコンドリアの働きや、原子レベルで何が起こっているのか様々調べてきていたこともあり、ミクロからマクロの世界まで、もの凄い世界の中で人間が生かされている実感を深めさせていただきました。

理論についての先生のご講演の後で、Nさんの実践報告をお聞きしました。

Nさんのお子さんと、昔一緒に横浜のお世話をしていたこともあり、よく知っていたのですが、本当に厳しい生まれ育ちの環境があったことを教えていただきました。そして、先生と出会われて魂が救われて、亡くなられたお父さんを含めて一族の皆が救われていった奇跡の物語を見せていただきました。

Nさんが一生懸命プロジェクトで支えてくださっているのは、それだけ先生に救っていただいた恩恵が深いからであり、救われた恩恵をお返ししようとされているんだなと実感しました。

翌日のお世話の集会で、Nさんの実践報告に感動された話を聞かせてもらったのですが、お2人とも厳しい生まれ育ちの条件から、先生、神理と出会って救われた体験を持たれていました。

私を含めて、厳しい環境から救われたという深い実感を持たれている方が、こうしてプロジェクトを通してお返しする側に回られているケースが多いんだろうなと思いました。

ご講演の後で、希望の故郷への合唱があったのですが、12の菩提心の光の海の中で歌わせていただいて、美しい光の中でこうして家族4人が揃って、歌わせていただく恩恵を感じました。

TL医療のM先生との出会いへの感謝

一番お世話になっているTL医療のM先生との出会いは持てなかったのですが、バスに移動するために会場を立ち去ろうとした瞬間に、先生が3人の若手医師と出会いをしてくださる様子が映像で流れてきたのですが、M先生にお声をかけられていました。

先生がM先生に、病が癒されるのと同時に、人生が輝くように導いてほしいと言ったことを話してくださっていたのですが、その言葉を聞いて母は涙していました。先生のあの御心によって、私たちも救われてきている実感を一層深めることになりました。

翌朝の感謝の集いの感想

翌朝、また家族で光を入れる行に取り組んだ後で、前日の感謝の集いの感想について話し合いました。

母はプロジェクトに支えてもらっている恩恵が深まったと言っていました。ちょうど、これから東京本部のメーリングチームのプロジェクトが始まるので、いいタイミングなのかもしれないなと思いました。

父は、「なかなか自分は信じる気持ちになれないけれども、姉を救ってもらっているので、GLAには感謝しかない」と感じたことを話してくれました。

父はずっと反発してきましたが、こうやって感謝の気持ちになっただけでも、本当に大きな転換があったんだろうなと思いました。

また、感想を語り合った後で、順天堂大学病院でお世話になっており、前日に家族4名で会うことができたH先生について、2006年の神理実践報告の時に先生が話してくださっていたので、改めて家族でその映像を見せていただきました。

H先生とM先生は、かつて青年や子どもの頃にお世話させていただいており、それが今や、家族を救ってもらうことになってきていました。

プロジェクトで支えさせていただいたことが、今度はこうやって助けてもらうことになっており、本当にありがたいねと話し合いました。

目黒の雅叙園での晴美さんの絵との邂逅

感謝の集いの翌日は、一日休みをとって、東京観光しようと思っていました。

最初、横浜中華街に行ってもいいんじゃないかという意見もあったのですが、春に祖母と、祖母の兄である立石春美さんのご供養をすることになっており、晴美さんにゆかりのある、目黒の雅叙園に行くことにしました。

東京都の指定有形文化財となっている100段階段と食事セットになったツアーがあり、説明員付きでもあったので申し込みました。

少し早めに到着し、絵のある場所を探して回りました。4Fに行くと天井にたくさんの美人画が嵌め込まれており、1つ1つチェックしてゆくと晴美のサインがあり、5つほど絵を発見することができました。

事前に春美さんの画集を確認すると、目黒雅叙園所蔵の絵も多くあり、宴会場の中に入れば他の絵もあるんだろうけど今回はこれで限界かなと話していました。

ちなみに、前回、母がおばさんたちとハトバスツアーで雅叙園に来たときは、一枚も絵を見つけられなかったそうです。

その後、100段階段のツアーの時間となりました。

100段階段には5つほど部屋があるのですが、最初の部屋には大きな美人画がありました。作者の名前は書かれていなかったのですが、、、ガイドの方から立石晴美さんの絵であると伝えられていると教えてもらいました。

小さくても見つけられたらと思ってきたのですが、100段階段の中では、最も大きな作品としての美人画となっていました。見つけられて本当によかったねと家族で記念の写真を撮ることができました。

そうして、セットになっていた食事を食べて、最後に父を羽田空港に見送りました。父は何度も振り返って手を振り、母も最後、見えなくなるまで父を見送っていました。改めて、本当に会いたくて会いたくて、出会いたかった家族だったんだなと刻印させていただきました。

そうして、先生との絆、GLA共同体との絆、家族との絆を深めさせていただくことが、何よりもの功徳そのものかも知れないと思いました。

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