20年目の菩薩の祈り 幾転生を越えて師への感謝をお返しする稀有なる時

4/20 パシフィコ横浜にて善友の集いが開催され、全国の会場へと衛星中継されました。

1994年 善友の集いにおいて、先生は初めて菩薩の祈りをあげて下さいました。

私は、1994年の1月に九州の太宰府研修センターで入会したのですが、入会してしばらくは映像でしか先生を見たことがありませんでした。

初めて、現身の先生とお会いしたのが、1994年の九州で開催された善友の集いであり、奇しくも最初の菩薩の祈りが先生との初めての出会いでした。

またその年に頂いていた神理カードは、

「一切の出会いに感謝できる心を育みます。
どんなときも菩薩道をあゆむことができますように。」

というカードでした。当時は12の菩提心を説かれる前で、今とは少し内容が違っていました。

当時は、意味も分からずただこのカードに憧れていて、大学の授業中にこっそりと、この言葉をノートに書写していたのを覚えています。

菩薩への道を歩むことは、私の魂にとって、遙かな憧れとして刻まれていました。

そして、今では伝説のようになっていますが、菩薩の祈りをお受けして、九州の会員さんも全員立ち上がり、拍手が起こりました。

この、弟子の立ち上がりを受けて、先生は「弟子の菩薩宣言」と受けとめて下さり、弟子の願いの立ち上がりを受けて、ニュープロジェクト(現在のグローバルジェネシスプロジェクト)がスタートしていきました。

そして、今年の善友の集いは、菩薩の祈りが始まって20周年目となる善友の集いが開催されました。

私は今回は、菩提心合唱団の一員としてプロジェクトに参加させて頂きました。

合唱のプロジェクト、スタートして5年ほど経ちますが、毎回のように大きな功徳を頂いてきました。

毎回の練習は、一つの神理の型に沿って進められていきます。神理の学びの深まりと歌の練習が表裏一体のように進められていくのですが、歌の練習の途中で止観シートに毎回取り組みます。

「止観」というのは元々仏教の言葉であり、一生かけても理解できないほど難解な大部のお経があるらしいのですが、GLAの会員は先生が作って下さった止観シートによって、それほど難しい修行をしなくても、誰でも心を心で掴めるようになります。

このことだけでも、本当に奇跡的なことだと思います。

この止観シートを体得するために、ここ数年「止観シート研修」が行われるようになってきているので、良かったら参加してみて下さい。参加した感想を伺うと、皆さん大きな発見を頂かれています。

止観シート研修へのリンク

そして、合唱団の練習においては、この止観シートへの取り組みが本当に大きく、シートの取り組みの前後で、全く合唱の歌声が変わってしまいます。

歌声の変化を通して、心が現実に影響を与えていることを深く理解することが出来、同時に普段の自分の不調和な心が、どのように現実を壊しているのかを理解できるようになります。

毎回大きな発見を頂くのですが、今回はとびきり、深いつぶやきを発見して転換することになりました。

最近、会社のテニスコートで久しぶりにテニスをするようになりました。

十数年ぶりにラケットを握ったため、最初は全然駄目でしたが少しずつボールをコントロールできるようになってきました。

学生時代は、テニス部でテニスをやっていたのですが、なかなか上達しませんでした。

遊びで楽しんでやっていたときは、短期間で上手くなったのですが、部活に入って本格的にやり出してからは、成長が鈍化しました。今回その理由もよく分かりました。

テニスの本を見ると、ボールを最後まで見なさいと書かれていました。

調子がいいときは、ボールがガットに当たる瞬間が見えるのですが、調子が悪くなるといつの間にかボールを見なくなっていました。

すると、ボールがラケットにちゃんと当たらなくなってコントロールが出来なくなりました。

これではいけない思い直し、ボールをしっかり見るようにするのですが、いつの間にかボールが見えなくなってしまいます。

そのうち、見ようとしても見えないのでボールを見る努力もしなくなってしまいました。

そして、最後までボールをコントロールすることが出来ず、練習時間をいくら増やしても一向に上達せず、無力感を募らせました。

そうして、また久しぶりにテニスをするようになって、大分勘が戻ってきたので、思い切ってボールを打ってみることにしました。

するとその瞬間、ボールがラケットから大きく外れてしまいました。

それまで見えていたボールが急に見えなくなったことに気づきました。

その後、いつも習いに行っている武道の先生の所に行きました。

この武道の先生も、GLAの会員さんで、先生の神理を武道に適用されていて、心の動きがいかに技に影響を与えるのか研究されています。

達人がどうして驚異的な力を発揮できるのか、心という側面からそのメカニズムを解明されており、この先生から武道を教えてもらうようになって、先生の神理は抽象的な内容ではなく、本当に心と現実のリアルな関係を解き明かしていることを理解できるようになりました。

私にとっては武道も大切な神理の研鑽の一つです。

武道の先生に、テニスをしていて思いっきり打ったときにボールが見えなくなった体験について話したところ、その原因について教えて頂きました。

それはいつも武道でも教えて頂いていたことだったのですが、力むと視野が狭くなってバランスが崩れることを教えて頂きました。

武道の練習の時に、確かに力むと視野が狭くなって、対応ができなくなることは理解できるようになっていたのですが、球技においても同じ現象が起きていることが分かりました。

体験してみよう!!
良かったら、皆さんも、ちょっとリラックスした状態の御自身の視野の範囲を確認して、少し力んでみて下さい。きっと視野が狭くなるのを実感できると思います。

ただ、自分の中には以下のような方程式がありました

「早く打つ = 思いっきり打つ = 力を入れて打つ = 力む」

そのため、早く打つためには力むことは仕方がないと思っていましたし、力まないと早く打てないとさえ思っていました。

しかし、武道の先生から野球のピッチャーも力まないで投げていることを教えてもらい、例しに力まないで早く打つ方法を模索してみました。

すると、力まなくても大きくスイングして、ヘッドの速度を上げることで、早く打てることが分かりました。

しかも、ボールが見えなくなることもありませんでした。

高校大学時代とテニスが上手くならなかった大きな原因はここにあったことに気づきました。

同時に、このことが分かっていたら、もっとテニスも強くなれていて、テニスを楽しめていたはずなのになあという後悔も深まりました。

また、この武道の先生はスポーツ業界の著名なトレーナーの方達に心と現実の関係につて指導されていたりしますが、先生の神理はスポーツ業界にも革命を起こしていくことになると改めて感じました。

このように力みが色々と悪さをすることに発見している最中に、合唱団がありました。

そして、改めて意識してみると、歌っている時もいつの間にか力みが出てきていることに気づきました。

そこで、止観シートへの取り組みを通して、深くその心の動きを見つめていきました。

そして、この人生で何度も繰り返している心のつぶやきを見つめていったときに、「自分のことを認めて欲しい」というつぶやきがあることが見えてきました。

私は歌っていると、いつの間にか競争心が出てきてしまい、合唱という全体の中に自分が一メンバーとして入ってしまい、存在感がなくなることを心のどこかで恐れていました。

なので、知らず知らず歌いながら「自分のことを認めて欲しい」という心のつぶやきが出てきてしまい、結果として力みがありました。

力むため、声が出ず、その自分を自己嫌悪して、更に力が入る悪循環となってしまっていました。そんな自分の声を認めることができず更に悪循環を深めていました。

心のつぶやきが掴めてきたので、次に心の浄化をするために、自分の心にピッタリくる祈りを探していきました。

先生の御著書、祈りのみちの中に「憎しみ恨みにとらわれるとき」という祈りがあります。

短い時間でしたが、この祈りを何度も読み返して深めていきました。

「・・・
たとえ憎しみや恨みであっても
反感や敵意であっても
胸に抱いて愛に変えることができます。
その時を待つ心をわたくしの中にあらわしてください。
・・・」

深く深く納得するほどに、恨みの思いが自然と浄化されていき、心が軽くなっていきました。

その気持ちで歌うと、自然と力まなくなりました。そして、声を自由にコントロールすることが出来て、いい音が出るようになり、全体との調和を歓びと感じながら楽しく歌えるようになっていきました。

仕事も何も全てこの「認めて欲しい」というつぶやきで壊してきてしまったなと思い、歌と心と人生は一つであることを改めて実感していきました。

そのような気づき、発見を深めつつ、本番の合唱に向かいました。

歌っている時も色々と心が動く事件はあったのですが、3番の歌詞に入ったときに、会場にいる皆さんの感動する想いが私たちにも伝わってきました。

その会場の皆さんの心と一つになって、ご一緒に歌わせて頂きました。菩薩の心の響きを感じさせて頂いたように感じました。

そうして、改めて今回のプロジェクトの最初に取り組んだ誓願を見てみると、次のように認めていました。

「菩薩の心を音にする菩提心合唱団の深いいのちにどこまでも深くアクセスしていきます。そして、合唱団のお一人お一人、GLA会員のお一人お一人の菩薩の心と響き合い、世界にその響きを届けていきます」

そして、持戒の所では「一人で独走しません」と認めていました。

誓願や持戒に書いたことを、先生、神様が受けとめて下さって、本当にそのような体験をさせて頂いていたんじゃないかなと思いました。

その後、先生のご講演の場に参加させて頂き、20年目の菩薩の祈りをお享けすることができました。

祈りをお受けしていて、先生の心と深く響き合う状態になっていきました。

そして、魂の領域からの深い願いが溢れてきました。

それは言葉にしがたい願いだったのですが、一言で言うと「先生にお応えしたい」という願いでした。それは強い強い願いでした。

もう一つ、自分の内側には神様にお応えしたいという願いが感じられました。

その願いは、神様から愛を注いで頂いていて、その神様の心に応えたい、という純粋で透明な幼子のような願いだったのですが、先生への思いはもっと強い感情を伴っていました。

そして、どうしてそれほど先生にお応えしたいのか、疑問が湧いてきました。その理由を知りたいと思いました。

すると魂から応えが帰ってきました。

これまでの転生でも、何度も何度も先生に助けてもらってきたという思いが溢れてきました。

私の魂は、先生とはいかなる御方であるのかを深く深く受けとめているのを感じたことがありました。

しかし、何で先生のことを知っているのかについては考えたことはなかったのですが、永い永い幾転生もの歩みの中で、ずっと先生に助けられ続けてきたことが分かってきました。

だからこそ、現身の先生とご一緒に生きられるこの時に、どうしても先生にお返ししたいという強い願いを抱いて生まれてきており、先生にお応えすることを今回の人生の最大の目的として設定してきたことが分かってきました。

先生とご一緒に生きられる時間がかけがえがないという思いが溢れてやまないのも、そのような幾転生もの深い深い背景があったことが分かっていきました。

そして、先生にお返ししようと思って生まれてきたのに、この20年間のGLAの中での歩みは、それとは真逆に、本当にあり得ないほどの功徳を頂き続けてきた歩みとなってしまいました。

青年塾という研鑽の場を頂き、転生の友とのかけがえのない出会いも頂いてきました。

どれほどの愛情を注いで頂き、救われ続けてきたことでしょうか・・・。
改めて感謝の思いが深まっていきました。

そして同時に、これからの人生をかけて、更に技術を磨いて、具体的に先生にお応えしていきたいという願いを確かにしました。その道は必ず開かれていくという確信を確かにしました。

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写真は人生祈念館への道行きを照らすカンテラの光

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