生活実践での発見から見えてきた、ミッション成就の準備・蓄積の道

生活実践とは、お住まいや職場の近くの方など、5〜6名ほどでチームをつくり、月に2回程度、アットホームな雰囲気の中で、楽しく「魂の学」を学ぶGLAの研鑽の場の1つです。本日は、生活実践でのちょっとした気づきから深まった思いを分かち合わせていただきます。

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G.誌 2023年8月号 時の羅針盤 「中心を貫く」の反芻

G.誌の8月号の時の羅針盤「中心を貫く」を皆で深めました。

話題の中で、伝道の時に生じる恐怖心についても、皆で話してゆきました。

お一人の方は、青年塾セミナーの前のご指導を通して、ある青年が魂としてのご自身を深く実感されていた時に、魂は最強、と先生が話されたことがあったのですが、その通りだなと実感されたと話されていました。

私自身もかつて魂の所以に遡る瞑想を頂いて、魂としての自分が出てきて、「先生にお仕えするために生まれてきました」と語っていたことを思い出し、でもそれからの試練は本当にしんどかったことを話しました。

「普通だったらすべてを投げ出してしまうよな」と思うような試練にも何度も遭遇したのですが、「でも『先生にお仕えするために生まれてきました』と魂が言っていたんで、魂には逆らえないよな」という思いで、試練に耐えてきたことを思い出していました。

また魂の所以に遡る瞑想の時に、イエス様について行ったけれども裏切ったように感じたことがあることもお伝えしました。

恐怖心克服の歩みの振り返り

それらはすべてバラバラな出来事として、認識されていたんですが、ある方が過去世のカルマを超えることと、つながっているんじゃないかと言われてハッとしました。

私は、「魂の学」のことを大切な人にお伝えするときに、ものすごい恐怖心が湧いてきて、殺されるんじゃないかという思いになることがありました。

しかし、八ヶ岳への奉納をさせていただいた時に、「後はいつ死んでもいい、もう自分を守る必要はない」という思いに導かれ、それからご縁のある皆さんに『2つの扉』のご著書をお渡ししたことがありました。ある意味で、自分は信仰を抱いていますという宣言をさせて頂いたんだと思います。

更に、朝磁石を続ける中で、「こんなにも功徳を頂き続けてきたんだ」という恩恵が深まり、それからは「『魂の学』を知らないのはもったいない」と思うようになり、自然とお伝えできるようになってきていました。

昔からすると、ずいぶんお伝えする恐怖心がなくなってきたなと思ったのですが、過去世のカルマを超える歩みを頂いていたのかもしれないと思いました。

きっと過去世では、恐怖心ゆえの保身から、イエス様を裏切ったようなことがあったんじゃないかと思うのですが、その後悔を生きなおせるように、先生がずっと導いてくださって来たのかもしれないと感じられてきました。

長らく続く試練の中での葛藤

その後、「普通だったらすべてを投げ出してしまうよな」と思う試練を、どうして与えて与えられることになったんだろう?そのことについても、改めて考えてみました。

もともと、私はお金持ちになって偉くなることが人生の目的だと思っていたのですが、「魂の学」を学ぶ中で、それらは人生の目的じゃなかったことがわかりました。それじゃあ、何を人生の目的とすればいいのか、すぐには分からなかったので、とりあえず、GLAのプロジェクトを一生懸命やることにしました。

ちょうど、先生が95年の青年塾の流れを起こしてくださった時期であり、青年塾の中で活動する中で、いつの間にかGLAで評価され、認められることが人生の目的のようになっていたんだと思います。

青年塾においても2000年に東京に来てから、努力しても評価されない時期が結構長く続きました。

しかし、あるところから急に引き上げていただいて、様々な重要な働きを頂くようになってゆきました。

ただ10年ほど前に、GLAの青年塾を卒業する際に、これまでの延長で働きを担うイメージができなくなってしまいました。

ただただ要請に応えていると、中身が空洞化してゆくような感覚になっていました。

このままの延長で、周りからの要請に応えることより、先生から与えて頂いた公案に応えることに直接的に時間を使う選択をしました。

しかし、願ったようには道が開かれず、大変に葛藤することになりました。

「こんなに頑張っているのに、また技術力があるのに何で分かってくれないんだろう」と思っていたのですが、GLAのプロジェクトでも、また仕事でも、同じように評価されない時期が長く続くことになりました。

転換点となったコロナ禍での神理実践

しかし、コロナ禍になって「ゴールデンパス」の「一日一葉特別セミナー」で「テーマカオス」を生み出すための3つの取り組みを与えていただき、さらに、八ヶ岳人生祈念館での奉納を通して、大きな転換へと導かれることになりました。

仕事においても、GLAにおいても、孤立し、まったく道が開かない状況から、少しずつ私の技術を評価してくださる人との出会いを頂き、要請に応えることを通して信頼関係が深まり、重要な働きを与えてくださることになり、少しずつ道が開かれてきています。命作網って本当に大事だなという実感は深まるばかりです。

そういえば、八ヶ岳の地上の星で、そのような転換がもたらされるために必要なお言葉を、先生から頂いたことを思い出しました。次のようなお言葉でした。

八ヶ岳伝研セミナープロジェクト_導かれた先生との出会いと開かれた次元 – 菩薩への道 あるGLA会員の物語 (buyan77.com)

「buyan君は、技術力もあるし、エネルギーもあるし、でも人間関係が、交流がねちょっとテーマがありますね。

だから、もっと落ち着いて、一瞬心を落ちつて話すことができたら、もう一つ上の仕事をできるようになりますよ。

家族との関わりも変わってきたわけだし、ねー頑張りましょう。」

2020年 伝研セミナー 地上の星で先生から頂いた言葉

まさに先生のお言葉の通り、人間関係の問題を抱えていた状態から、もう一つ上の仕事をする転換へと導かれてきていました。

先日、上司との面談で、孤立していた時代にどのように見られていたか教えていただく機会があったのですが、「大きなことは言うが結果が出ていない」と評価されていたそうです。

最近、当時の提案資料を見返す機会があったのですが、地に足がついておらず、これは評価されなくても仕方がなかったなと感じました。

その当時は、システムズエンジニアリング、MBSEに取り組んでいました。システムズエンジニアリングは、10年を経て、ようやく、非常にシンプルで分かりやすい形で、いわゆるVプロセスを会社のプロジェクトで適用することになってきたのですが、大きな改革をするには10年は必要だったのかもしれないなと感じています。

またGLAのプロジェクトでも、最新の光造形の3Dプリンターや、CADやCAEを活用して、重要なオブジェの設計を任されることになり、お世話のシステム開発やデータベースの構築のお仕事も頂くことになってきていますが、地道に一歩一歩要請に応える中で、少しずつ道が開かれてきています。

改めて、先生がお話しくださったように道が開かれてきていることを発見し、お釈迦様の手のひらの上の孫悟空のような、全ては神様に導かれてきているように感じました。

ミッション成就の準備、蓄積

こうして振り返ると、仕事においても、GLAにおいても、認められず、評価されない時期と、認められて評価される時期が分かりやすく存在しているようです。

認められていない時期は、孤立し、理解者もいなかったのですが、周りからの要請がなかったので、結構長い時間、集中して技術を学ぶことができました。

その技術が今になって役に立ち、評価されてきているのですが、先生がかつて、要請の有無と、重要性の有無のマトリックスを示され、要請がないが重要である領域を、「ミッション成就のための準備、蓄積」と教えてくださったことがありました。

今振り返ると、その領域にエネルギーを、注いでいたのかもしれません。

試練の中で育まれた境地と使命への予感

仕事においても、GLAのプロジェクトにおいても、本当に大変なYの連続でしたが、そのおかげさまで神理実践を深めることができ、ありがたい修行をずっと与えていただいてきたんだと思えてきました。

「こんなに大変な目に遭うとは思わなかった、青年時代の延長線上で要請に応えて、もっと楽に評価される道を選んでいればよかった・・・」と後悔したこともあったのですが、何か自分の魂は、敢えて大変な道を選択してきているんじゃないかな?とさえ思えます。

人生=X x Y

の神理をお受けして、試練を体験できることの重要性を教えていただきましたが、「たくさんの試練を通してたくさんの智慧を体得し、結果として多くの困を願に運ぶことができ、本当に導かれたありがたい人生だったね」となるのかもしれません。

道が開かれることを願い、聖堂でずっと祈り続けてはいますが、どうなるのかは分かりません。

先生、神様が願われていること、そして私の魂が約束してきたこと、その青写真具現に向かって更なる神理実践を重ねてゆきたいと思います。

50歳の節目を迎えたばかりですが、人生を振り返ることへと自然と導かれました。

ありがとうございました。

2 thoughts on “生活実践での発見から見えてきた、ミッション成就の準備・蓄積の道”

  1. 人間あつかいされず、いじめや虐待を受ける知的障害の工員のドラマ「聖者の行進」の主題歌の歌詞を思い出しました。「何かの足しにもなれずに生きて、何にもなれずに消えてゆく。僕がいることを喜ぶ人がどこかにいて欲しい。石よ樹よ水よささやかな者たちよ僕と生きてくれ。」

    1. 中島みゆきさんの、「命の別名」ですね。ずーっと虐げられた環境で、評価も理解もされず、孤立する辛さを経験してきましたね。
      でも、自分の魂は、そのような痛み、苦しみを引き受けたかったんじゃないかな?そして、その闇に光を届けたかったんじゃないかな?と思います。

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