5月のゴールデンウイークは、人生史セミナーが開催されることになりました。
八ヶ岳の奉納を控え、父、母、姉、祖父母の取り組みは終わったのですが、私の人生の栞だけまだ未完成でした。
そこで、人生の栞の取り組みを深めようと思って、参加しました。
もう、3、4回ほど参加しているので、今回はそれほど発見はないのかな?と思いつつも、プログラムがスタートしました。
Contents
人生史セミナーグループでの出会い
一緒のグループになったのは、よく知っている皆さんばかりのグループでした。
95年に青年塾が作られたときに、その中心には、青年シニアとして、3名の中京の方がいらっしゃったんですが、そのお一人のAさんと一緒のチームになっていました。
Aさんには、青年時代に非常に厳しく切磋琢磨をいただいていたのですが、当時どういうお気持ちだったのか教えていただきたいとなとずっと思っていました。
こういう機会じゃないと教えていただけないなと思い、あるセミナーで発信の働きを担った時に、シミュレーションの場で「Tと変われ」と言われた時のことを教えていただこうと思いました。
非常にショックを受けたのですが、あの時はどのような気持ちだったのか教えていただくと「buyanは響働できないからな」と言っていただきました。
先生からも、「響働がテーマです」と言っていただいたんですよというと、感慨深く受け止められている様子でした。
Aさんには、どのように見えていたんだろうと思い、ぜひその詳細についても、後で教えていただこうと思いました。
宿泊施設開所の祈りに注がれた光
2022年の青年塾セミナーは、八ヶ岳いのちの里の施設が大きく変わるタイミングでもあったのですが、GLAの新しい研修施設がオープンすることになりました。
その開所にあたって、先生がお越しくださって、祈りを司ってくださいました。
そして、人生史セミナーの参加者は、祈りの場に同席させていただけることになりました。
私も、参加させていただこうと思ったのですが、人生史セミナーを受けている途中から、頭痛がどんどんひどくなってきて、吐き気までしてきました。
限界ギリギリでホテルに早く戻ろうかとも思ったのですが、せっかくの先生の祈りの場に、なんとか参加しようと思って、参加させていただきました。
先生の祈りは、ものすごいエネルギーで、異言とともに神様に捧げられる祈りをお聞きしていて、特別な場に立ち会わせていただいていることを強く感じました。
なんでこの場に、立ち会わせていただいているんだろう?と不思議な感じもしたのですが、先生はこの場に立ち会っている魂としての必然があることをお話しくださいました。
先生の祈りの言葉の中で、孤独の試練にあっても、神様の青写真に導かれますようにといったことを祈ってくださったように感じました。
ここ数年、孤独の試練をずっと体験してきたのですが、それを超えてゆく道が開かれますようにという祈り心へと導かれてゆきました。
直前まで、肉体的にも精神的にも、非常に厳しい状態であったと思うのですが、それだけ苦しみを抱えていたからこそ、先生の祈りが魂深くに伝わってきて、光が注がれて癒されてゆきました。
その後、肉体的な不調もほとんどなくなってしまいました。
試練のYから人生の宝を取り出す
非常に厳しい状態になっていたのは、それだけ深く先生の祈りをお受けする必然があったのかもしれないと思ったのですが、19歳の時に神理と出会った時の体験とも繋がってゆくように感じました。
先生から、「人生=XxY」の法則で、人生のYから宝を取り出す神理を教えていただいていますが、苦しみを経験することも必然だったんだなと思いました。
開所の祈りをお受けしていて、使命を果たす人生を開いて行ける希望を感じました。光転を生み出し続けられる自分となり、神様の青写真を生み出し続けられる自分へと成長してゆきたいという願いが溢れてきました。
星空教室への参加
先生はその後で、星空教室の場も持ってくださり、人生史セミナーの参加者も参加させていただくことになりました。
最初、「場に行ってもいいけど、先生の声は遠くて多分聞こえないから、G.Liveの中継をイヤホンで聞けるようにしておいた方がいいですよ」と言われました。
それだったら、中継会場で大きな音で聞いたほうがいいかな?とも思ったのですが、たとえ声が小さくて聞こえなくても、先生がいらっしゃる場に立ち会わせていただきたいと思って、参加することにしました。
しばらく待っていると、先生がお越しくださって、星空教室を始められました。
結果として、先生から3メートルほど離れた最前列の場で、お話をお聞きすることになりました。
先生が、お話を始められて驚いたのは、先生の声の響きが、こだまとして聞こえてきたことでした。
地上の星の空間が、コンサートホールにでもなったかのように感じたのですが、きっと人生祈念館にいても、先生のお話ははっきりと聞き取れたんじゃないかと思います。
G.liveでの音声など全く使う必要はなく、本当に驚いてしまいました。
かつて、3000人程が収容できる八ヶ岳の大講堂で、ご講演中に停電になった時に、先生はマイク無しでお話を続けられ、大講堂の一番うしろでもはっきりと声を聞き届けることができたとお聞きしたことはあったのですが、こういうことだったのかと実感させていただきました。
よく、講演会に来られた方が、ご講演される時の先生のパワーに驚きましたという声がありますが、私は何度もお聞きしているため、それほど驚くことはなかったのですが、すごいパワーでお話くださっていることを実感しました。
3度の臨死体験をされた川津裕介さんから受け取ったバトン
お話の内容の一部として、最近お葬儀が行われたばかりの川津祐介さんのお手紙を読んでくださいました。
川津さんが3度の臨死体験を経て、救われていった歩みを先生がご紹介くださり、ご一緒に辿らせて頂きました。
川津さんは2度の臨死体験の中で、地獄と天国、死んでも魂は残っているということを実感され、その後、高橋先生と出会い、光の世界へと導かれていった、遥かな魂の求道の歩みを一緒に辿らせていただきました。
私も、「波濤を越えて」の劇では、鑑真和上を演じられた川津さんのお供をさせて頂くお坊さんを演じさせて頂き、その後も時々、お声をかけて頂いてきたのでが、3度の臨死体験を通して、先生、神理を命がけで伝えられていた川津さんの、闇から光への壮大な人生の物語をご一緒に体験させていただいているような気持ちに導かれました。
感想の分かち合いを通して深められた気づき
部屋に戻ってから、その日頂いた体験を、皆で分かち合ってゆきました。
私の最近の気づきも分かち合わせていただいたのですが、20年程前に、先生に言っていただいたことが、最近わかったことをお伝えしました。(前回の記事の内容です)
すると、Sさんも、最初に高橋先生とあった時のことを分かち合ってくださったのですが、ウイズダムと和顔愛語について先生がお話くださったことが、当初全く意味が分からなかったということでした。
しかし、Sさんはこの半年程、ずっと試練の中にあって、葛藤されてきたとのことでした。そして、GLAの先輩にウイズダムを同伴いただいて、スッキリするウイズダムができたところ、志を同じくする同志が現れて、その方が送り出してくれて、今回久しぶりにセミナーに参加できたことを分かち合ってくださいました。
そのお話を聞いていると、Sさんがこの半年間苦しまれてきたことも大切な意味があって、苦しんできたからこそ、ウイズダムの智慧を深めることができ、転換がもたらされてきたんだなと思いました。
そのことが、Sさんが先生との最初の出会いのときに仰っていただいた、ウイズダムの智慧を体得することともつながっていたんじゃないかなと思いました。
私自身は、この7~8年ほど、ずっと試練が続いていて、受け止めがたい気持ちもあったのですが、Sさんと同じように、自分にとってもこの試練は、智慧を体得するために必要な期間だったのかもしれないと思えてきました。
試練の中でもたらされた信仰の核心
またAさんは、中学生の時に、古本屋で信次先生の本と出会い、その後、信次先生の本を全部読まれたらしいいのですが、中学生で出会う必然があったと言われていました。
私も中学生の頃に、家に信次先生の「悪霊」の本はあったのですが、何か読んではいけないように感じて、読みませんでした。
そして、19歳の時に「祈りのみち」と本屋で出会いました。八方塞がりで、人生のボトムの時に出会った必然に思いを馳せることになりました。
昔から、GLAの会員さんがなぜか近くにいらっしゃり、靴屋ではたらいる店員さんがGLAの会員で、セミナーとかにもいかれていたようです。
また、家に置いてあった信次先生の本は、別の会員さんから母が借りていました。
でもなんで、自分にとって神理と出会うのは中学生の時ではなく、19歳の時だったんだろうと疑問が湧いてきたのですが、19歳の頃は、自分が生きていることで周りに迷惑をかけているとしか思えず、こんな自分は死んでしまったほうが、世界のためになるんじゃないかと真剣に悩んでいた時でした。
その、最も苦しい時だったからこそ、『祈りのみち』と出会ったときに、苦しんでいる人を根底で支えてくださっている神様の愛に触れて深く癒やされてゆきました。
そして一度も会ったことがない高橋佳子先生の愛に触れて、たとえ世界中の人が自分を否定したとしても、この方だけは自分のことを信じてくださると思い、魂が救われる体験を頂いていました。
自分にとっては、最も苦しいYの極致にあって、先生とお会いすることを、魂は設計していたのかもしれない?と思いました。
開所の祈りのときも、肉体的にギリギリの所で参加させて頂いたことも、つながってゆくように感じました。
Aさんの人生曲線から見えてきた使命の地平への道
ミーティングの中で、Aさんの人生曲線を見せていただく機会があったのですが、はっきりとした光転、暗転が何度も繰り返し現れていました。
Aさんは、この繰り返しを超えてゆきたいと話されていたのですが、そのことがとても印象深く感じられました。
自分の人生曲線だけを見ていると、暗転、光転の繰り返しが、終わることなく永遠に続いてゆくように感じられていたのですが、もしかすると、繰り返しを超えてゆくことができのかもしれないと思いました。
人天経綸図の神理の中で、先生は、宿命の洞窟を超えて、使命の地平に至った時に、真我誕生を果たして、光転循環を生み出してゆけるとお示しくださっていますが、改めて真我誕生へと向かいたいという願いが引き出されてゆきました。
また、皆さんの話をお聞きしていると、光転の時に、ある煩悩が現れて、そこから暗転するパターンを繰り返しているという発見を語られていました。
とすると、光転しても、繰り返しの煩悩のパターンに陥らなければ、暗転に向かわずに、光転の現実を生み出し続けることができるのかもしれない・・・。使命の地平に到達し、神様の願われる青写真を具現し続けることができる自分になってゆく願いを確かにしました。
響働ができないテーマの種明かし
また、Aさんの「buyanは響働ができない」と言われていたことも、より具体的に教えていただくことができました。
buyanの発信は場全体のいのちからすると、発信する内容が浮いてしまっていたとお伝えくださいました。
「あーやっぱりそういうことだったんだ」と思ったのですが、ここ最近になって、ようやく巻き返しの快・暴流で、周りと競争して、自分を証そうとしてきてことがわかったことをお伝えすると、「それそれ」ということになりました。
コロナの期間を通して、その執着心をようやく手放せるようになったことをお伝えしたのですが、Aさんも学問の世界で自分を証そうとする執着を手放したところ、非常に心が軽くなって、先生をお伝えする使命にエネルギーを注げるようになってきたことを教えて下さいました。
「自分が一番になろうとすると、周りが皆ライバルになっちゃうからね」とも、サラッと言われていたのですが、本当にその通りだなと思いました。
このグループになった必然の深まり
感想をお聞きしていると、皆さんが体験されたことが、とても大きいことが伝わってくるのと同時に、それぞれが発見されることが、自分自身の発見にもつながって、この4名になった必然が感じられてきました。
これまで、連歌発想法によって、霊的な感性を育むことができるとお聞きしていたのですが、どういうことなのかさっぱり分からなかったのですが、相手の気づき、発見を自分のことのように感じることで、出会いを頂いている必然を感じることもそのひとつなのかな?と思いました。
また一日のセミナーでは、とてもここまで深く話すことはできないので、2泊3日の人生史セミナーで、ご縁のある皆さんと一緒に深められることは、本当にありがたいなと実感しました。
メンバーが違うごとに、また違う角度から人生を振り返ることになり、毎回気づき発見が深まってゆくことになりそうなので、特にゴールデンウイークの人生史セミナーは、できるだけ参加させていただこうと思いました。
2日目の人生史のさらなる深まり
2日目も更に人生の振り返りをしていったのですが、青年塾を卒業して、長らく続いてきた試練について振り返ったのですが、試練のYの中で、技術と智慧を蓄積する期間だったんだなと思えてきました。人生の使命を果たすための、恩寵の時を頂いていたのかもしれないと受け止め方が変わってゆきました。
青年塾発足の背景
休憩時間もAさんから色々とお話を聞かせていただいたのですが、95年の青年塾セミナーがどのように具現されていったのか教えていただくことになりました。
青年塾が始まった頃の歩みについては、高橋先生は「レボリューション」というご著書にまとめてくださっています。
1995年の青年塾セミナー会場近くに到着された時に、高橋先生が夕日を見ながら収録くださったメッセージ映像があるのですが
「古い時代が終わって・・・青年たちの魂に呼びかけたいと思います」
その先生の祈りの言霊のようなメッセージをお聞きしていると、わけも分からず泣けて泣けて仕方がなかったのですが、、、
映像のタイトルは「今始まる約束の時」となっています。私の中では、あの先生のメッセージから青年塾の歩みが始まり、先生との魂の約束にお応えする歩みが始まったと思っていました。
しかし、Aさんの話をお聞きすると、先生はそれより遥か前から、エルセミナーという塾の歩みを見守り、Aさんたちの歩みを見守り、準備をしてくださっていたことが初めてわかりました。
先生が、20代の頃から、未来に集い来る魂のために、ずっと準備して待っていたとお話くださったがことがあるのですが、本当に準備くださっていたんだなと思いました。
先生の具現の御業は本当に、計り知ることができないと驚いてしまったのですが、改めて先生の具現への憧れを深めさせていただきました。
先生のご講演を通してのさらなる人生史の深まり
先生のご講演内容は割愛させていただきますが、人生史セミナーに参加された皆さんの多くが、「青年塾のセミナーなのに、人生史セミナーの参加者のためにご講演くださったように感じた」と言われていました。
私自身も、人生のスタート時点に、厳しい試練から始まっていたのですが、そのことは私自身の魂願、人生の設計図につながる大切な条件だったのかもしれないと思うようになりました。
19歳の時、最も苦しい時に高橋先生と出会ったことに初日に気づいたのですが、それも人生の始まりの試練からつながってきており、すべてはつながっていたのかもしれないと感じました。
3日目 人生史を深めさらなる光転循環へ
3日目も、更に深めていったのですが、最近は、様々に現実の光転が起こってきていました。そして、10年くらいのスパンで、その試練を経験したからこそ開かれる光転の現実に導かれてきたことが、俯瞰して見えてきました。
頂いている恩恵に対して慢心することなく、さらなる光転循環の流れを起こしてゆくために必要なのが「稲穂の心の菩提心」であることが受納されてゆきました。
今回、セミナー全体を通して、試練に対する見方が変化してゆき、理不尽な試練に対する恨みの心、納得できない心から、試練に対して感謝し、試練のYから人生の宝を取り出す歩みに導かれてゆきました。
そして、宿命の洞窟の中での暗転循環から、使命の地平に向かって、光転循環を生み出し続けてゆくことに思いを馳せ、「稲穂の心」が大事になってくると思えてきました。
更なる先生のご指導
先生は、3日目にも、一日一葉の発足会のご指導をくださいました。
更に、セミナーの終了後には、青年のお世話役へのご指導をくださったのですが、ものすごいエネルギーで、青年たちの魂に直撃するようなお話をくださいました。
この3日間、これまでのセミナーで、最も先生からご指導をいただく機会が多かったんじゃないかと思ったのですが、これまで、コロナで蓄積されてきたエネルギーが爆発するような場を体験させていただきました。
それだけ今が大事な時なんだろうなと、鈍感ながらも感じさせていただきました。
後日談:最終日のTくんとの出会い
最終日に、Aさんから「(発信の働きを)Tと変われ」と言われたTくんとばったり合いました。写真撮影のプロジェクトをされていました。
Aさんとの出会いで、謎が紐解けたことを話したのですが、Tくんにとっては、ある青年のセミナーの先人研究で、ザビエルに取り組んだ時に、発信者じゃなかったときに非常にショックを受ける体験をされていたことを教えてもらいました。
そのときに葛藤したけれども、ザビエルのように陰徳を生きる自分になって支えようという気持ちに転換されたらしいのですが、セミナー終了後に先生からおめでとうと言っていただいたそうです。
先生は全部ご存知だったんだと感じ、先生とはいかなるお方であるのか、初めて体験したと分かち合ってくださいました。
自分からすると、T君は認められ、評価されている人と思っていたのですが、そのT君でもそのような葛藤があり、でもその葛藤を乗り越える様子を、全部先生は見守ってくださっていたんだなと思い、なにか自分自身も一緒に癒やされていくような感覚になりました。
私自身も認められるとか、認められないとか、そういった目先の快苦でずっと葛藤してきたのですが、見えない所で人知れず、支えられるような自分になりたかったなと思いました。
宿命の洞窟の中で、一喜一憂する繰り返しを超えて、使命の地平で光転循環を生み出せる私へと成長してゆきたいと改めて願いを確かにしました。
懐かしいレボルーションを見て、シモーヌベェイユが発見した如何ともし難い「人間の真実」を思い出しました。力無く支配され、耐え難いはずの労働の日々を繰り返していると次第に慣れ、ある種の安定を感じ始め、「奴隷の従順さ」が芽生えてしまうと言う「人間の真実」です。そんな転生を繰り返し「鈍感の壁」の中の住人になっていた私を解放してくれたのは先生です。
Junjinoさん、私も久しぶりにレボリューションのシモーヌ・ヴェイユを読み返しました。
「奴隷の従順さ」と人間が背負う、重力について書かれていたのですが、「崩壊の定」、「不随の定」によって、宿命の洞窟に閉じ込められる人間と重なるように感じました。「神の恩寵」のみが、重力の影響を受けないと書かれており、改めて宗教の大切さを実感しました。また、ヴェイユが生きた第一次世界大戦から第二次世界大戦の時代と今がシンクロしているように感じ、ソ連のことも書かれていて、30年前から今を見通されていたのかな?とも感じました。