10年の結実 人生祈念館への17名の親族奉納へ

GLA特別供養が始まって、年に2回の供養の場に、毎回九州に帰省して家族で参加してきました。このブログでも16回、記事にしてますね。

Category: 特別供養

2010年から参加してきたのですが、約10年で環に結ばれて、今回八ヶ岳の人生祈念館の奉納へと導かれることになりました。

Contents

絶対に無理という諦めから11御霊の奉納への歩み

当初は、親族を八ヶ岳に奉納することなんて絶対に無理だと諦めていたのですが、父方の祖父の特別ご供養をさせていただいたときに、八ヶ岳いのちの里の、光の柱の一つになりたいという願いが伝わってきたことがありました。

祖父の願いを叶えさせていただいと思って父に相談したところ、父方の祖父母の奉納ができることになりました。

2019春季特別供養:救われたお祖父さんとの響働による人生祈念館への道

本当は2年前に父方の祖父母の2名だけ奉納する予定だったのですが、コロナによって、当初の奉納の予定が延期になってしまいました。

非常に残念だなと思っていたのですが、コロナの期間も、何度も九州に帰って、人生史セミナーや、卒活講座に家族で参加する中で、家族の意識も変わってきて、最終的に11御霊(先祖代々は、6名x2で、合計21名)の申込みをすることになりました。

親族との奉納へのチャレンジ

最初は家族の4名だけで奉納する予定でした。姉は、一度も八ヶ岳に来たことがないので、それだけでも大きなチャレンジと思っていました。

しかし準備を進める中で、親族で八ヶ岳に参集し、一族を奉納された方の歓びの映像を見る機会がありました。

親族で取り組まれた方の歓びの声を聞いていると、自分もそうなりたいなと憧れるようになりました。

GLA会員ではない親族の皆さんに、いきなり八ヶ岳に来ていただくのは非常に難しいかなとは思ったのですが、観光+奉納にご招待したいとお声をかけさせていただきました。

父に豊心大学セミナーに来てもらうときも、観光をメインという位置づけにして、セミナーはオプションという位置づけにして来てもらっていたので、同じように観光をメインして誘ってみました。

すると、父方と母方の両方から参加いただけることになりました。

先祖代々の家系図作成と9名分の人生の栞作成

先祖代々については、江戸時代からの、できるだけ多くの戸籍を取り寄せて、家系図をつくりました。

その中から、曾祖父母4名と、高祖父2名で、6名にして、父方と母方で12名を設定しました。先祖代々の皆さまについては、人生の栞はありませんでした。

それ以外の9名分は人生の栞を準備することにし、父方と、母方の祖父母、叔父さん、それと、父母と姉と自分の人生の栞を準備することになりました。

何度も、家に返って一緒に取り組み、1年かけてようやく全部完成しました。

八ヶ岳観光の準備とお手紙の送付

まだ、コロナが不安定な状態もあり、もしかすると中止になるかもしれないというリスクを抱えつつ、諸々の準備を進めてゆきました。

約3ヶ月前から、飛行機の手配や、宿の予約、レンタカーの予約など、旅の準備も具体的に進めさせていただきました。

ここ数年、父と母を八ヶ岳の豊心大学セミナーに招待してきていたので、その経験が非常に役立ちました。

事前に、供養についてかかれた小冊子と、『新 祈りのみち』、それと旅程やチケットなどの情報を書いた案内文を、来られる親族に郵送させていただきました。

準備期間にもたらされた不連続な変化

しばらくすると、母の妹のJ姉ちゃんから電話がありました。J姉ちゃんは、嫁いだ先の義理の母が、ある教団に多額の借金をしてしまい、その返済に苦労されてきたので、宗教不信を強く持たれていました。

なので、GLAに対しても、不信感を強く持たれていました。

しかし、向こうからお電話をいただき、お聞きすると、『新 祈りのみち』に大変感動されていました。

これまで、先生のご著書は何度かお渡ししてきたのですが、難しいと感じられ、なかなか読めていなかったそうです。

しかし、『新 祈りのみち』はとてもわかりやすかったようで、読んでいると心がスッキリして、悩みが解消されたと言われていました。

これまでと不連続な変化が起きているように感じ、自分の力ではない、何か大きな癒やしの力が、親族全体に働いているように感じられてきました。

同時に、奉納の場で放映する映像を作るために、写真を集めたり、シナリオを調整したり、直前まで準備をさせていただきました。

人生祈念館奉納までの祈りの深まり

人生祈念館奉納の当日まで、供養の祈りを深めさせていただきましたが、生きている人を除くと、17名になりました。(先祖代々12名+祖父母と叔父5名)

祈りを通して、会ったこともない、曾祖父母や高祖父の名前も呼ばせていただいたのですが、少しずつ親近感が湧いてきました。そして、皆さんを八ヶ岳の光の柱におつなぎできる、光り輝くイメージが伝わってきました。

生まれる前からずっと願っていたことが成就される場になってゆくんだろうなという思いを深めつつ、祈りを深めてゆきました。

同時に、親族の皆さんが無事に八ヶ岳に到着することを願って、聖堂で光を送ることにも取り組みました。

そうして、いよいよ人生祈念館奉納の当日が近づいてきました。

松本空港での親族のお出迎え

朝一の電車で出発し、松本駅の近くでレンタカーを借りて、松本空港に向かいました。

親族は、佐賀から車やバスを使って福岡空港に行き、松本空港に到着することになっていました。

父方と母方の親族で旅行をすることなど初めてのことだったので、どうなることか、本当に無事に到着できるのか、とても心配していました。

空港で待っていると、続々と親族が降りてきました。

これで何とか旅が始められるとホッとして、荷物を車に詰め込んで、一路、長野の善光寺に向かいました。

7年に一度の善光寺の御開帳観光

旅としては、初日に観光をしてホテルに一泊し、翌日の午前中に奉納の場に参列して、夕方の飛行機で佐賀に戻ることになっていました。

観光でどこに行くか検討したのですが、ちょうど、7年に1度の善光寺の御開帳が行われていました。

天気も長野方面が晴れで、八ヶ岳のほうが雨だったこともあり、少し遠かったのですが長野に行くことにしました。

普段親族は、佐賀の筑紫平野に住んでおり、大きな山を見る機会もほとんどないため、雪の積もった山を見るだけでも大変感動されていました。

1時間ほど高速を飛ばして長野に到着し、善光寺を観光しました。

調べてみると、日本最古の仏像があるようで、長い歴史がある寺院であったことがわかりました。

かつて法然や、親鸞も来られていたようで、天台宗と、浄土宗が共存しているお寺のようでした。

7年に1度の御開帳を見るつもりだったのですが、既に長い列ができており、炎天下で並ぶのもしんどかったので、早々に諦めました。

善光寺にしたもう一つの理由として、併設されている東山魁夷の記念館に行きたいと考えていました。

K叔父さんが、趣味で絵を書かれるようになっており、絵も見たいと言われていたので、ちょうどいいかなと思っていました。

祖母の兄の立石晴美さん(昭和時代から平成時代のかけての日本画家)を調べることを通して、私も絵画の世界に触れるようになり、仕事もGLAのプロジェクトもアートの領域に携わるようになってきていたので、先生もご著書の中で紹介くださっている東山魁夷の絵をみたいと思っていました。

しかし、いざ行ってみると、休館日で見ることができませんでした。

諦めて善光寺に戻ったのですが、係の人に聞いてみると、御開帳がそれほど並ばなくても見れることがわかり、せっかくなので見ることにしました。

お経が唱えられている中を進んでゆくと、7メートルくらい先に小さくて黒い仏像がありました。ただ、小さくてあるのが分かるくらいでした。

お賽銭を入れて、大体20秒から30秒位手を合わせて、立ち去るような感じでした。

また、一般の環境客とは別に、ツアーっぽいグループの皆さんは、柵の中に入られており、もう少し近くで見られていました。

その後、暗い地下のような通路を通って外に出ました。

道を通っていると、善光寺の供養の料金表があったのですが、一般的な奉納と比べても、GLAの供養はそれほど高くないんだなと思いました。

善光寺を後にして、一路、八ヶ岳に向かうことにしました。

嵐を超えて八ヶ岳へ

善光寺を出る頃から、パラパラ雨が降ってきたのですが、トンネルを抜ける度に雨が激しくなってゆき、とうとう前がほとんど見えなくなりました。

雷も激しく鳴り響き、速度制限までされることになりました。

何か、嵐の試練が、「宿命の洞窟」を超えてゆく試練と重なるように感じました。

嵐を抜けると、天気が少しずつ良くなってゆきました。

できたら、ほんの少しでも初日にいのちの里に、ご招待したいと考えていたのですが、雨も降っているし、時間も遅いし、初日は無理かなと諦めかけていました。

しかし、もしかすると行けるかもしれないという希望が見えてきました。ようやく、長坂のインターに到着すると、晴れており、日も沈んでいなかったので、いのちの里に行くことにしました。

そうして、長坂のインターから10分ほどで、いのちの里に到着しました。

親族での「いのちの里」探訪

車を出ると、八ヶ岳いのちの里の空気に触れた瞬間、何か生き返るような感じがしました。

善光寺は、歴史の重みがありつつも、暗くて、重い感じを引きずっていたのですが、それとは対照的な、解き放たれたような清々しい感じがしました。

藤棚の花が少し残っていたので、皆で記念撮影をし、そのまま人生祈念館に向かいました。

皆さんは、歩いて地上の星経由で、人生祈念館に向かわれました。

J姉ちゃんは、腰を痛められていたので、私も一緒に車で移動しました。

先に人生祈念館について、待っている間に、自分がGLAに入会した頃に、父がJ姉ちゃんに「GLAに一生懸命になり過ぎないように連絡してほしい」と相談されていたことを教えてもらいました。

もう30年ほど前の話になりますが、父にとっては、自分の子どもが、新興宗教に入って、社会生活がダメになってしまうんじゃないかと心配してくれていたんだなと、初めて父の気持ちを知ることになりました。

車での「いのちの里」の歩みのご案内

人生祈念館で合流し、それからホテルに移動したのですが、八ヶ岳いのちの里の案内をさせて頂きながら移動しました。

新しくできた、宿泊棟、大テント跡地、南講堂など、いのちの里が成長してきた歴史をご紹介しながら、一緒に辿ってゆきました。

説明していると、思わず嬉しくなって、色々と話してしまったのですが、ホテルから夕食の時間がまもなく終わると連絡があり、急いでホテルに移動しました。

ホテルの食事は、大変おいしくて好評だったのですが、時間的にはあまりとれなかったため、部屋に戻ってからも続きをすることになりました。

部屋でくつろぎながら、さらに思い出話が様々語られることになったのですが、そこで初めて明らかになった「血」の流れがありました。

(続く)

2 thoughts on “10年の結実 人生祈念館への17名の親族奉納へ”

  1. 信州信濃の蕎麦よりもわたしゃあんたのそばが良いと聞きます。人間を超えた大いなる存在が放つ光のそばが良いです。だけどその光の正体がこの現象界で四苦八苦しながら得た境地のことなのだと知ったら、「行即光」と知ったら、山を下りて、いのちの里を後にして娑婆で一生懸命に生きるより他ありません。

    1. Junjinoさん、そうですね、日々の行をするなかで、深められる境地もありますよね。
      同時に、八ヶ岳の場で、先生、神様からいただくユニバース体験もありますね。
      かけ橋セミナー場終わったばかりなんですが、魂の修行人生観、魂の交差点人生観、円環的人生観を深めさせていただくプロジェクトとなりました。

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