第3回 THE GATE SRS_理不尽な試練の受納後に開かれた神様の御心に応える道

セミナー参加の直前に、職場の同僚が、難易度の高い業務に挑戦されていて、ギブアップされそうになる事件がありました。

ちょうど、昨年その技術を自分がドキュメント化しており、サポートすることで、同僚から、そして上司からも感謝されることになりました。

しかし、自分の中では不満の方が強くなってゆきました。

Contents

理不尽な仕打ちの繰り返し

感謝されているのに、不満が強くなるなんておかしいな?と思われたかもしれませんが、後から価値を評価されたこと自体はよかったのですが、この出来事が起きる前はいくら難しい課題をクリアーしても評価されない状態がずっと続いていました。

技術を蓄積している時は、自分自身は非常に難しい課題に挑戦している感覚があり、なんとかドキュメント化できて達成感を感じているのですが、周りはその中身を理解できないのか、評価されてきませんでした。

幸いなことに、多くの場合、私がまとめたドキュメントは、その後必要な人が出てきて活用され、やがてその技術が組織に定着してゆくことになってきたのですが、難しい課題をクリアーした自分の評価はされないまま、後でその技術を利用した人の方が評価されたりしてきました。

ソフトウェアのスキルに長けたゲストエンジニアと外部の専門家には自分の技術は高く評価されるけど、社内で上司からは評価されない状態がずっとあり、「評価されないんだったら、会社に縛られる必要はなく、独立したほうがいいんじゃないか?コロナによって、大きく産業も変わりそうだし、考え直す時期かも知れない・・・」

そのような葛藤を抱きつつ、セミナーに参加しました。

THE GATE SRS

グループミーティングでの自らの弱点の顕在化

いつも通り、14時プログラム開始と思い込んでいたのですが、ネット開催のために13時から始まっており、遅れて合流するといきなりグループミーティングが始まっていました。

合流早々、それぞれの現状について分かち合ったのですが、同じグループのメンバーの中に、部下の日本語力のなさに苦労している方がいました。

私は上記の社内での葛藤について話したのですが、ミーティングの進行をされている方が後でまとめてくださった時に、自分が話したことが全く伝わっておらず、伝わらないどころか、真逆の解釈をされていました。

日本語力の話題をしていたこともあり、私自身の日本語力のなさを痛感することになったのですが、もしかすると私の日本語力が弱い故に、理解されない状態を生んでしまっているのかもしれないと思いました。

先生の御受発色に対する自らの甘えの意識化

その後、プログラムの中で、コロナの危機に対して、先生が先手先手で様々な対策を打ってくださった歩みを見せていただきました。

その中に、医療の専門家でもなかなか対応に苦労しているコロナを診療する課題に対して、先生が医療分野で世界的に権威ある英語のレポートを読み解いて、新型コロナウイルス診断チャートをご提案くださっていました。

きっと、ものすごい努力を先生はされたんじゃないかと思ったのですが、何よりも新型コロナそのものの数少ないエビデンスから読み解けることをもって専門家を納得させてしまわれたことに、私は大変に衝撃を受けました。

先生の努力に比すれば、自分は大した努力もしておらず、それにも関わらず「分かってくれない」と愚痴を言っていたのは、甘えているだけなんじゃないかと、自らの未熟を痛感することになりました。

そのような後悔を深めつつ、先生が作ってくださったシートへの取り組みを深めてゆきました。

財務諸表の視点からの問題の相対化

改めて自分の抱えている会社の問題を見つめていったのですが、途中で経営者の方々が深められてきた財務諸表についての学びも一部お受けし、財務諸表の観点からも課題を見つめてゆきました。

財務諸表について、先生がコロナ後にその重要性をお話しくださったこともあり、私自身も独学で少し学んできており、『自分を知る力』に出てくる、快・暴流の経営者である小林さんの実践の事例を通して、理解を深めてきていました。

財務諸表について知ることで、お金に対する先入観が解かれていったのは、個人的にはとても大きかったのですが、私は佐賀の出身で「佐賀ん者が通った後はぺんぺん草も生えん」(佐賀人は通り道に生えているぺんぺん草も食料にしてしまうほどケチという意味)と昔から言われており、とにかく倹約をして、お金を使わないことを美徳としていました。

明治維新時の鍋島藩の大名である、鍋島直正公が、倹約によって藩を立て直されたことが、「地」の流れとなっているのかなと受け止めているのですが、拾ってきた棚をずっと使ったりしてきていました。

貸借対照表では、流動資産と固定資産という分類があり、大まかにいうと流動資産としてお金があり、固定資産としてソフトウェアや土地、設備などの物や道具があります。

何か、お金を絶対的なものと受け止めていたのですが、流動資産のお金を、固定資産としての道具に変換することで、トータルのアウトプットの質や量を改善することができると考えるようになり、いい道具を揃えることも重要と考え、積極的に設備投資するようになってきていました。

セミナーで更に具体的事例を教えていただいたのですが、その視点をもって、会社の経営者と、管理職と、派遣会社からのゲストエンジニアの関係を見つめていった時に、経営者は短期の利益を優先して、目先、目先の対応をしてきたんだなと客観的に見えてきました。

その結果として、技術やプロセスが評価されなくなる中で私自身の葛藤もあったことが見えてきたのですが、かつて総合新年祈りの集いの時に、先生が対話をしてくださったことが思い出されてきました。

先生から10年ほど前にいただいたお言葉の深まり

あの時は、やっと2ヶ月ほどかけて、3〜4人のチームで開発できるようになったアルミフレームの部品を、工場の都合があり、半月で作らなければならない試練がやってきました。残業も、休日出勤もフルに使って、チーム一丸となってチャレンジした時に、半月で完了し、終わった後でメンバーから、「神風が吹いた」と言われたことがありました。

自分自身は一言も先生にそのことはお伝えしていなかったのですが、先生は試練の渦中にいるときの状況をありありとお話しくださり、あまりの辛さに、いつの間にか出社しながら涙が出てきていたことまで分かち合ってくださいました。

理不尽に思える会社内の矛盾に対しても、神理実践で道を開くことを先生は願われていたんだと思った時に、「なかなか技術を評価してもらえないこの試練も、自分が引き受けるべきカオスだったんだ!!」と心が定まりました。(ちなみにその製品は、後日グッドデザイン賞を受賞していました。)

事態をカオスと受け止めると、感じ方が変化していったのですが、いつテーマが終わってもおかしくないギリギリの状態が続きながら、少しずつ適用分野が広がってきており、尚且つギリギリ解けるかどうか分からないレベルの課題がずっと与えられ、少しずつレベルアップしてきたことが見えてきました。

偶然、道が開かれてきたとはとても思えず、これはもしかすると、導かれてきたのかもしれないと思いました。

先生は、カオス発想術でコロナの試練に対しても、神様がこの世界に隠されている答えを見出され、最善の道を開き続けてくださっていますが、私自身は、神様からのメッセージも読み解けず、どうなってゆくのかも分からないけれども、先生のようになりたいなと憧れを感じつつ、1日目の研修が終わりました。

2日目のミーティングでの更なる必然の深まり

2日目は、更にシートの次のステップを深めてゆきました。

自分の中で固定化してしまっていた、会社に対する前提、問題に対する前提を吟味し、グループミーティングで深めてゆきました。

すると、自分でもよく分からず、模索しながら構築してきた技術が、やがて社内の多くの人が何とかしなければと感じつつも、あまりにも問題が巨大でどうすることもできなかった課題をクリアーし、重要な開発の基盤をつくることにつながっていくんじゃないかと思えてきました。

日々感じている理不尽な試練も、そのような転換につながっていくと考えると、必然として訪れているように感じられてきました。

そのようなスッキリした気持ちになって、セミナーでの最後のグループミーティングに臨みました。

初日は、真逆の解釈をされてしまったのですが、ミーティングを通してお互いの理解が深まる中で、私が抱えている葛藤と同じような葛藤を、別のメーカーの技術者も抱えており、それどころか、大学の教授の先生方も同じような課題を持たれていることを教えて下さいました。

東北大学の名誉教授の先生からは、アメリカの研究者のことを教えていただいたのですが、アメリカは優秀な技術秘書の専門職がいて、様々な業務を秘書がやってくれるので、研究者が研究に集中できる環境が整っていることを教えていただきました。

企業も同じで、日本の管理職は業務を抱えすぎて、技術的なことが考えられなくなっているんじゃないかと言われていました。

技術のことをなかなか理解してもらえない葛藤は、日本の社会の問題という側面があり、転職したからと言って解決できるものではなく、引き受けるべきカオスだったんだと改めて思いました。

先生のご指導 自らの未熟の刻印と転換への希望

カオスを引き受ける覚悟が定まったところで、セミナーの最後のプログラムとして、先生のご講義をお受けしました。

先生はご講演を通して、更にカオス論について詳しくお話くださったのですが、今回取り組んだスキル評価の課題は「テーマカオス」として存在しており、そのテーマを実現するための、因縁果報の流れを作れていなかったことがハッキリと見えてきました。

カオスには4つのタイプがあることは、『最高の人生の作り方』のご著書にも書いてくださっていたのですが、曖昧にしか理解できておらず、実践につなげていなかったことを痛感しました。

そして、ご講演の後半は、北海道の経営者の方の神理実践報告をお享けしました。

経営者の方は、かつて東京でIT会社の経営をされていたのですが、途中から北海道にある食品業界の会社を引き継がれていました。

食品業界に馴染めず、自分のやりたい仕事じゃないと葛藤されていたのですが、私自身の会社内での葛藤とつながってゆくように感じました。

そのような気持ちを引きずったまま、リーマンショックの試練と遭遇されていたのですが、会社は危機的な状況となってゆきました。

その後、病を通して神理を深く実践されるようになり、心を転換されてゆきました。

そして、リーマンショック以上に厳しいコロナの試練において、会社は弱点を克服し、大きく光転する現実へと向かわれていました。

今の自分自身は、リーマンショックの頃の社長さんと同じだなと思ったのですが、社長さんのように受発色力を育てることで、より厳しい試練にあっても、あのような光転を生み出すことができるんだと、受発色力によって本当に未来を変えることができる希望を感じました。

先生は、この期間に取り組む神理実践シートについてご講演の中で話してくださったのですが、何かとても大切なシートを与えてくださったように感じました。

これからの地方会での学びを通して、シートを介在に、受発色力を鍛錬してゆきたいと思いました。

セミナー後にもたらされた神様の御心に応える道

セミナー前に抱えていた葛藤が解消され、自らの受発色力の未熟を痛感しつつも、テーマカオスに向かって因縁を整えてゆく願いを抱いて、仕事に取り組んでゆきました。

ただ、あまり具体的なアクションに早急に結ぶことなく、日々の課題を解決していったのですが、セミナー前に起こった事件が更に拡大し、大きく事業を見直すことにつながってゆきました。

そのことで、また理不尽さに一瞬飲み込まれたのですが、神理実践シートに取り組んで呼びかけを受けとめてゆきました。

転換された心で、事件に携わった方と出会う機会があったのですが、その方の葛藤を聞かせていただくことになり、自分だけじゃなく、皆が同じような葛藤で苦しんでいたことが初めて感じられてきました。

それまで自分の葛藤で一杯一杯になっていて、同僚の苦しみを受けとめられていなかったことを申し訳なく思いました。

その後、在宅業務であることもあり、お昼休みに総合本部の聖堂で禅定に取り組むようになったのですが、禅定に取り組んでいると、今来ているカオスは、神様が「この技術に取り組みなさい」と促されているよう感じられてきました。

これまでのように、自分から「あーしたい」、「こーしたい」と無理やり進めるのではなく、神様からの呼びかけに応えたいと思った時に、そのことを応援するかのように、同僚から「自分よりも広い知見を持っているbuyanさんにこの仕事を任せたほうがいい」と上司を説得するメールを送って頂くことになりました。

通常、自分の技術を主張することはあっても、周りの人の技術を高く評価して、この人に仕事を任せた方がいいとお願いされることなどほとんどないのですが、神様に応えようとするときに、世界は応援してくれるんだと思いました。

改めてのオープニングご指導による功徳の実感

セミナーが終わって一週間後、遅刻のために見ることができなかった、TL人間学セミナー冒頭のご講演をお受けしました。

先生は、底流にある旋律を聞くために、なぜこの仕事をしているのか、何を果たさなければならないのか、という2つの問いを深めることをお話しくださっていたのですが、セミナーの2日間を通して、まさにこの2つの問いが深められ、転換へと導かれていたことを改めて感じました。

1回のセミナーを通して、知識としての神理ではなく、心深くに神理を受納し、生きることへ導かれていることを改めて感じ、セミナーで頂く転換は、本当に大きいんだなと実感しました。

アフターコロナの時代に、先生に導いていただいていることへの感謝を深めつつ、更なる神理実践に向かいたいと思いました。(合掌)


2 thoughts on “第3回 THE GATE SRS_理不尽な試練の受納後に開かれた神様の御心に応える道”

  1. 先生のカレンダーのお言葉の下の句を思い出しました。
    『自らも知らない自分に巡り逢うために、仮そめの営みを超えて思いもかけない深みにひらかれてゆくために』
    そのための因としての上の句は
    『虫が鳴くように星が輝くように、限りを尽くして時を送りたい。雲のごとく水のごとく全てを静かに受け止めて流れてゆきたい』
    アタラクシアを想像する時、この上の句を口に出してみます。

    1. Junjinoさん、先生の詩の共有ありがとうございます。
      今年は月のカードで、書写行も月に取り組んでいるのですが、月に憧れる心がこれまであまりありませんでした。
      しかし、快・暴流で、どれだけ自己主張しても、全然伝わらないと思った時に、だったらいっそのこと月に徹してみるのもいいのかな?と思ったら、認められなくてもずっと闇を照らし続ける月ってすごいなあと、憧れる思いが出てきました。
      そして、月に徹してみたら、思いがけず、周りの光に照らされて、引き上げられる体験をいただきました。
      この詩の内容も、アタラクシアも、月の心も通じるところがあるように思いました。

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