生活実践での恨みの発見と「海の心」による神様の御心へのアクセス

コロナの試練が始まって、東京本部や、総合本部で行われていたGLAのプロジェクトも、集まっての展開が、ほとんどできなくなりました。

会社の業務も在宅ワークに移行し、Skypeなどが活用されるようになりましたが、GLAのプロジェクトもZOOMやLineのグループ通話を活用して、展開が持たれるようになりました。

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運営チームにかかった過負荷の試練

私は、ITについて詳しかったこともあり、ZOOMのホストを任され、一気に負荷がかるようになりました。

在宅ワークに移行していたお陰様で、プロジェクトの高い負荷にも応えることができたのは良かったのですが、毎回のように問題が発生し、ギリギリクリアーするような状態が続くことになりました。

他の運営の仲間からも心配される位、緊張状態が続く中で、大きな試練に見舞われることになりました。

ITに不慣れなメンバーのサポートの困難

メンバーの中には、ITが弱い方も多くいらっしゃり、ZOOMでの集いへの参加や、スマホやインターネットを活用しての展開を諦めそうになる方もいらっしゃいました。

そのようなギリギリの状態にありながら、取り組み内容を伝えるメールがあまり整理されておらず、同じような内容が重複して書かれていることもあり、非常にわかりにくいと感じることがありました。

「ただでさえ厳しい状況なのに、このままでは失敗する人が続出してしまう、もう我慢ができない、自分がなんとかしなければ」

と思い、メールを担当されているKさんへの不満を思いっきりぶつけようかと迷ったのですが、「この不満は煩悩だよな」と思い、神理実践シートに取り組んでみました。

シートに取り組む中で、この7~8年での会社のシステムに関する問題のことが思い出されてきました。苦・暴流で起こした大きな事件になるのですが、シートでの転換につながってきたので、振り返らせていただきます。

3D CADに関する問題発見の経緯

私は大手自動車メーカーの正社員として設計してきたのですが、社内には多くのゲストエンジニアの皆さんがいらっしゃいます。

その昔はトレーサーといって、2次元の図面の完成度を上げるような仕事をされるサポートの方がいらっしゃったのですが、3DのCADの活用度が上がるにつれて、3Dのスキルを持っているゲストエンジニア(以後、ゲストさんとします)が活躍されるようになってゆきました。

3DのCADは高度なスキルが必要とされることもあり、正社員とゲストさんで、業務が棲み分けられるようになったのですが、私自身は転職のタイミング等、様々な条件が重なり、正社員でありながら3DのCADを使った設計をしてきました。

3D CADの前は、ワイヤーフレームで形状を定義するCADを使っていたのですが、詳細の形状が分からず、実際に試作すると部品間の隙間が小さくなっており、設計変更になることも度々発生していました。

そのため、詳細形状が定義できる3D CADは、自分にとっては憧れのソフトウェアであり、ぜひとも使いこなして設計をしたいと思っていました。

ただ、実際に使い始めると、かなり高度なスキルが必要とされ、全く歯がたたないような状態になったのですが、運良く、高いスキルをもったゲストさんとの出会いがあり、使いこなせるようになってゆきました。

その後、正社員でも3Dを使った設計をする人が増えたほうがいいと思い、3Dのデータ作成業務(モデリング業務)のスキルを体系化し、現場の教育を展開するようになってゆきました。(そのチャレンジの歩みについては、2006年の青年塾セミナーでの実践報告の時にご紹介くださいました)

導入の教育ではなく、設計のレイアウト手法を体系化し、教育カリキュラムにしていったこともあり、3DのCADを使った設計レイアウトのあるべき姿、ツールの活用方法について、どんどん追求し、スキル群を体系化してゆきました。

すると、開発効率を悪化させているデータ管理の大きな問題にぶつかることになりました。

CADベンダーの熾烈な争いの中での苦・暴流の発動

こんなに非効率な状態が放置されていたら、会社は大変なことになると思い、解決方法を求めていったのですが、他のCADのツール群の中に、有効な解決方法があることが分かりました。

同じツールを使っている、他社の大手自動車メーカーのお偉いさんの中にも、同じ問題に衝突している方もいらっしゃり、そういった皆さんとも共感を深め、何とか問題を解決しようとしました。

しかし、CADツールは関連メーカーを含めた開発のインフラとなっており、背後には莫大なお金が動き、CADベンダー間の戦争とも言えるような熾烈なシェア争いがあり、知らぬ間にその争いの中に巻き込まれてゆきました。

一緒に教育業務を担っていた、先輩の薦めもあって、会社のトップに直談判して、新しいプロジェクトを起こそうとしたのですが、社内でも大金が動いているプロジェクトが既にあり、システム部門や、プロジェクトに関わる皆さんと敵対することになってしまいました。

私自身は自分の正しさを信じて疑わなかったため、対立関係は激化していったのですが、色々な意味で危険な状態になってゆきました。

長期スパンでの苦・暴流の浄化の歩み

その様子を見守ってくださっていたトップの方が、用心棒役として、エンジニアとしては超一流の方をつけてくださり、その方を中心に新しいグループが発足し、自由に動ける部署で新しいテーマを起動することになりました。

新しいテーマでは、実際に環境を構築してツールを検証したり、海外にも情報収集に行かせていただいたりしたのですが、技術的、政治的な問題を神理実践しながらギリギリクリアーしてゆくことで、テーマを完了することができ、ある意味で予想していた通りの結果を得ることができました。

ツールの評価は明確にしつつ、システム部門とも再結していったのですが、背後にある大金が動いている政治的な問題はいかんともすることができず、結果としてこの領域からは一旦退却することになりました。

問題を発見したときから7~8年経過していますが、当時はこのままだと会社が滅んでしまうと追い詰められた気持ちになったのですが、問題は未だに解決されていなくとも、現在も会社は何事もなかったように継続しています。

そう考えると、追い詰められて、全てが崩壊してしまうように感じていたことは、嘘の考えだったのかもしれない・・・。

シートに取り組みながら、この長期に渡る結果のことが思い出されてきました。

今回のメールが分かりにくい事件についても、Kさんを悪者にして大騒ぎすることはやめて、自分にできることをさせていただこうと転換しました。

Kさんとの衝突を回避し、皆でお世話に尽くしていった結果、ほとんどの皆さんがスムーズに課題をクリアーされることになりました。

生活実践での「自分を知る力」と神理実践シートのリンク

その翌週の生活実践で、「自分を知る力」のご著書の「苦・暴流」について書かれている箇所を深めることになり、 輪読をして心に残ったことを語り合っていきました。

いつも自分が脅かされる状況を意識し、自分が大切にしているものが損なわれ、守ってきたものが奪われ、築いてきたものが壊されるのではないかと考えています。その危機意識が緊張感をもたらします。常に最悪の事態を想定し、そうならないように闘い続けてきたということです。

「自分を知る力」 176Pより抜粋

と書かれている部分は、本当にいつもの自分の気持ちそのものが書かれていると思いました。更に、

「闘うべき対象と闘うために、世界や他人はいつも自分から何かを奪ってゆくという思い込みを、人間も世界も光と闇を抱いているというあるがままの姿に書き換えなければなりません。そして拒絶的、敵対的な関係の作り方を改めなければなりません。

・・・

苦・暴流の傾向を抱く人は、自らの不信のシナリオを書き換える善我の歩みによって、自分を超えて人間と世界への「信頼」のために、「闘う力」を捧げることができるのです。それが、苦・暴流という傾向を与えられた魂の約束なのではないでしょうか。」

「自分を知る力」 178Pより抜粋

という文章にとても強くひかれ、苦・暴流の煩悩を浄化するための大切な事を書いてくださっていると思ったのですが、「大事なことなんだろうけど、どうゆう意味なのかな?よくわからない」という状態になりました。

その葛藤を、生活実践のメンバーに率直に共有し、更にもう一周、連歌発想法のミーティングを深めることになりました。

疑問を抱きつつ、皆さんの発見を受けとめていくと、自然と、神理実践シートで転換した体験と、このご文章の内容がピタッと重なってゆきました。

「不信感のシナリオを、信頼のシナリオに書き換えてゆくこと、そして、事態をカオスと見て、カオスから光を取り出す歩みを続けることこそ大事だったんだ!!」と心に落ちる体験がありました。

自分一人では、ここまで先生のご著書を自分に引き寄せることはできなかったと思うのですが、生活実践の同志と深められる感謝を刻むことになりました。

更なる生活実践での葛藤の表面化

また、つい先日ですが、このブログ記事に取り組んで、苦・暴流の転換を振り返っている時に、生活実践が持たれました。

今度は、小樽駅前第3ビルの再々開発に取り組まれた、浅村さんの実践報告をお受けするプログラムとなっていました。

浅村さんの実践については、高橋先生のご著書、「未来は変えられる」と、「最高の人生のつくり方」に掲載されています。

浅村さんは、大変に大きな問題に対して、神理実践で解決の道を開かれていったのですが、「事態をカオスととらえる」ことと、「カオスに祈り心で触れる」という所が心に響きました。

CADツールの問題は、巨大すぎて、個人の力ではどうすることもできないという思いが強くあり、あまり考えないようにしていたのですが、浅村さんの実践に触れ、カオス発想術で向き合うことへと誘われてゆきました。

「そうはいっても、どうすることもできない」というニヒリズムと、「事態は結果未生のカオス」と捉え直す葛藤が生まれてゆきました。

GLA誌 8月号 「海の心」の菩提心からの呼びかけ

そのような葛藤を抱いている中で、GLA誌の8月号が届きました。

今月号から、新たに「アフターコロナの世界を開く」という企画があり、「12の菩提心」のご著書から、「海の心」のモデルの先人が紹介されていました。

桂小五郎と、エイブラハム・リンカーンが紹介されていたのですが、特にリンカーンの歩みが心に響きました。

彼は南部の人々を決して憎むべき対象とは見ていませんでした。南部も北部も、偉大な国家建設の途上で起こった試練の哀しい犠牲者であり、神は両者の祈りの双方とも聞き届けられることなく、奴隷制度に対してこそ警告を与えられた・・・

「12の菩提心」163 ページより抜粋

この部分を読んでいて、自分が巻き込まれた、CADベンダー間のシェア争いに対しても、神様は見守ってくださっているんじゃないかと思いました。

振り返ると、5年位前までは、システム部門に対する恨みが根深くあり、なにかきっかけがあると恨みが噴出して止められなくなっていたのですが、システム部門に光を送る行を続けた結果、いつの間にか恨みは出てこなくなっていました。

しかし、その上にあるように見えるCADベンダーについては、相変わらず恨みが止まらない状態があったのですが、恨みを正当化していたために、その思いは放置されてきていました。

システム部門への恨みを浄化の取り組みを、更に一歩広げて、ベンダーに対する恨みも浄化することが呼びかけられているように感じました。

これから、CADベンダーにも光を送って、少しずつ内なる恨みを浄化し、内なる主導権を確かにしてゆきたいと思いました。

カオス発想術による新たな関わりの模索へ

欧州の自動車メーカーでは、マルチCAD、マルチPLM(3DのCADデータや、各種開発の情報を管理するデータベース) が常識になってきているとお聞きしています。

マルチCAD、マルチPLMとは、複数のCAD、複数のPLMを運用し、それぞれのメリット、デメリットを把握し、業務に応じて自由に組み合わせる運用方法になります。

フェラーリの担当者からは具体的な話をお聞きしたこともあるのですが、日本の自動車メーカーはシステムが弱い所も多く、マルチCAD、マルチPLMを実践しているところは殆どないと思います。

マルチCAD、マルチPLMは、まさに事態をカオスと受け止める姿勢そのものであるように感じられ、日本の自動車メーカーもそうなったらいいのにとずっと思っていたのですが、他ならぬ自分自身の心が恨みに飲み込まれていて、カオスと受け止める境地になかったことが今回見えてきました。

まずは、私自身が恨みを浄化し、カオス発想術をより具体的に業務で実践できるようになり、リンカーンのように、敵味方を超えた、神様の青写真にアクセスしてゆきたいと思いました。

2 thoughts on “生活実践での恨みの発見と「海の心」による神様の御心へのアクセス”

  1. 正義感が強くて殺された魂に手を合わせていると、信次先生が地獄の餓鬼にその身を供養しようとしたら体が光り輝いたお話や、佳子先生の「融和と超越」というお話や、桜町の人達に責められて何日も苦しんだのちに桜町を再建する境地を得た二宮尊徳のお話や、江戸城無血開城を実現したお話が思い出されました。

    1. Junjinoさん、ありがとうございます。
      今回、海の心のモデルのリンカーンが、南北戦争の恨みから自由になった話をお聞きして、自分以上に大きな問題に対しても、許されたんだなと思って、自分もまだまだだなって思えたことが大きかったんですね。Junjinoさんが思い出された先人の物語に改めて自分も触れて、この人達に比べたら、自分の試練はまだまだ小さいって思えるようにしたいと思いました。

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