2018東北復興チャリティーコンサート 痛みの底にもたらされた神様の恩寵の光

今年の夏も、音楽塾が主宰する東北復興チャリティーコンサートのお手伝いで、大地震の傷跡が残る三陸に行かせて頂きました。

気仙沼の高校の先生の津波の講義

昨年の旅の途中、道に迷ったときに、地元の方で道案内をして下さった方がいらっしゃったのですが、お聞きすると、この地域の元高校の先生で、御自身も被災され、その後、津波の恐ろしさを全国に伝えられていました。

昨年は突然の出会いだったのですが、明年は津波のことを教えて頂く約束をして別れました。

一年が経って再開し、公民館で津波についての講義をして頂くことになりました。

気仙沼向洋高校に起こった甚大な津波の被害

気仙沼向洋高校は、海に近かったために、津波によって4Fまで校舎が浸水しており、校舎を被災した状態のままで震災遺構として保存されることになっています。

昨年は、その高校を見に行きました。

写真のスライドを通して、当時の生々しい被災の様子を教えて頂くことになりました。

エピソードの一つとして、家が津波によって持ち上げられ、学校の校舎の間に挟まれてしまい、家の中にいたご家族が危機的な状況になったそうです。

そのご家族が奇跡的に助けられた様子なども、教えて頂きました。

想定外の極限状態に追い詰められていた様子が伝わってきました。

また、御自身も被災された体験を共有して下さいました。

津波が来たときに、周りにお孫さん達がいらっしゃったらしいのですが、津波が来た時に、ふと居なくなってしまったことに気づき、水の中に入っていって胸までつかって探されたそうです。

それでも見つからずに、半狂乱のような状態になってしまい家に帰ってこられたらしいのですが、あまりのショックで、その時の記憶は今はないそうです。

そして、家に帰って、もう全員亡くなったかなと諦めかけていたところ、家族が帰ってきたという話もして下さいました。

そのような極限の状態に追い詰められて、何とか津波の脅威から皆を守りたいという願いが引き出されて、全国で津波についての講義をされていることを教えて下さいました。

津波という試練を通して体験された痛みが、皆のいのちを守りたいという、この方の魂の願いに繋がっておられるんだということを感じました。

何度も繰り返される津波の歴史

この地域には、歴史上を振り返ると、定期的に津波に襲われていました。

明治時代にも津波が起きていたのですが、その時の地獄絵図とも言えるような絵が公民館にありました。

その時も、この辺りに住んでいた住民の8割近くが亡くなられており、津波の脅威に晒され続けてきた歴史があることを改めて感じました。

30cmで50m運ぶ津波の威力

また今回は、津波の威力について、改めて衝撃の事実を教えて頂きました。

30cmほどの膝下くらいの高さの波で、何と50mも流されたということでした。ぎりぎりの所で、木に捕まって、助かったらしいのですが、そんなに強力な力があるのかと驚いてしまいました。

また、波は、水というよりも、鉛の塊が押し寄せてくるようなイメージが近いらしく、あらゆるものを飲み込んで破壊していったことを教えて下さいました。

その後、佐々木議員からも教えて頂く機会があったのですが、波に飲み込まれると、木材や船、車などとぶつかってしまい、ほぼ生きている人はいないということでした。

それまで津波に対して、サーフィンの大波のようなイメージがあったのですが、それらとは全く違って、本当に危険であることを肌身に感じることができました。

震災の痛みを引き寄せつつ、翌日の陸前高田でのコンサートへと向かって、準備が進められていきました。

震災の痛みを癒す歌の響き

翌日、陸前高田に到着し「朝日のあたる家」でチャリティーコンサートが開催されました。

震災が起こった場所の直ぐ近くで、深い痛みが蓄積されており、参加者の中にも震災で家族を亡くしたかたも来られていました。

演奏が始まってしばらくすると、演奏者の皆さんの歌の響きに誘われて、魂の奥からの深い情動が溢れてきてしまい、撮影や放映の機材を操作しながら、涙が止まらなくなってしまいました。

その場にいるだけで、私自身の魂にも光が注がれていったようで、深い深い魂の領域まで誘われたように感じました。

そして、なんであの両親の下に家に生まれてきたのか、生まれる前に抱いてきた、親族の痛みに応えたかったという情動が、溢れてくることになりました。

そして、その願いは、仕事やGLAのプロジェクトの働きにも繋がっていくように感じたのですが、痛みに応えたいという願いがあることが感じられてきました。

今思うと、ユニバース体験を頂いたんだと思いますが、何でこんなに深い情動が溢れてくるのか、意味が分かっていませんでした。

でも改めて考えると、参加者の皆さんや、この土地が抱えている深い痛みがあり、その皆さんの痛みに応えたいという演奏者の皆さんの菩提心があり、そこに神様からの特別な光が注がれていたんじゃないかな・・・、その特別な空間の中で、ユニバース体験を頂いていたのかもしれないと思えてきました。

また今回、私自身も「観音の心」の菩提心を抱いて、支えさせて頂いたのですが、この地にある痛みを癒そうとされている、観音様の慈悲心、先生の御心に触れさせて頂いたのかもしれないと思いました。

癒しの光に触れ、感動しつつも、同時に少しずつ頭痛がしてきました。

陸前高田の種屋さんとの出会い

陸前高田にある種屋さんにも伺って、震災からどのように立ち上がっていったのか、教えて頂くことになりました。

この種屋さんは、「心に希望の種を」という願いを抱かれて、復興の歩みを重ねて来られており、英語や、中国語、スペイン語でも震災の記録を発刊されており、その歩みがドキュメンタリーの映画となっていました。

復興に向かう、熱い願いを分かち合って下さいました。

体調悪化の試練

私は体調不良になり、大船渡に近づくにつれて、更に厳しくなっていきました。

今思えば、過労にプラスして、乗り物酔いになっていたんだと思います。

そして、大洋学園に到着したときには、頭痛と吐き気で、殆ど動けない状態となっていました。

チャリティーコンサートのために、ベートーヴェンの人生史の映像教材のCGを作らせて頂いていたのですが、その放映が私の働きとしてありました。

機材を設定し、映像を映すところまでは準備をしなければならなかったのですが、少し作業をしては、吐き気がしてきて堪えられなくなって奥の部屋で休み、また作業をしては休みを繰り返していきました。

試練の底で見せて頂いた、あたたかな思い

奥の部屋にいると、熱中症で横になっている子や、不安になって泣いている子がいたのですが、学園の先生達が、その気持ちに寄り添うように、懸命にお世話されていました。

育児放棄や、ニグレクトを受けている子が多いことはお聞きしていたのですが、この子の不安の背景には、どんな物語があったんだろう、きっとこんな小さい子でも言葉にできないような色々と辛い目に遭ってきたんだろうなあ・・・、先生方はその子達に寄り添って支えてあげているんだな、、、その様子が、とても尊く感じられてきました。

気分の悪さと葛藤しつつ、一緒の時間を過ごさせて頂きました。

同時に、身動きが取れない中で、裏方で見守るしかない時間を過ごすことになりました。

多大なご迷惑をおかけしてしまったのですが、それでも、自分がいないときは皆さんが動いて下さって、ある程度の配線は終わっていました。

最後の機材の連結を終わらせたものの、映像が映らなかったのですが、学園のスタッフの皆さんも一緒になって調整して下さった結果、映像を映すことが出来ました。

ギリギリコンサートに間に合わせることが出来ました。

最後、片付けまで終わって、車に乗ったのですが、また吐き気が戻ってしまって、宿泊施設の前で車を止めてもらいました。

お医者さん看護師の皆さんの手厚い介抱

身動きが取れなくなってしまったのですが、その場にいたお医者さん、看護師の皆さんが駆け寄ってきて下さり、助けて頂くことになりました。

演奏者のメンバーの中には、お医者さん看護師さんが多くいらっしゃり、体温測定、血圧測定までして下さって、しばらく動かない方が良いとアドバイスをして下さいました。

じっとしていたのですが、その間もずっと側に居て下さいました。

そして、部屋にまで支えていって下さり、布団をひいてくださって、横になるところまでサポートして下さいました。

苦難の中で見えてきた一つ一つの恩恵

布団の中で横になって、安静にしていたのですが、色々と支えて下さっていたことを何となく思い出していきました。

それまで、2つか3つくらい、助けて頂いたことを覚えていたのですが、曖昧にせずに、一つずつ改めて数えてみると、20回くらい助けて頂いたシーンがあったことが思い出されてきました。

苦しい思いを抱えているときは、自分の事で一杯一杯になってしまっていて、どうやったらこの苦しみから逃れられるかばかり考えており、その心では、助けて頂いた事実は見えなくなっていました。

自分の善意、他人の煩悩は非常に大きく見えているのですが、自分の煩悩は見えず、他人の善意は小さく見えることを、御供養の時の出会いから感じるようになっていたのですが、本当に他人の善意が見えていなかったことを痛感しました。

自分は覚えていないけれども、苦しいときに、きっと多くの人に助けられていたんじゃないかな・・・、学園で、泣いていた小さい子が先生達に守られていたように、本当は自分も守られていたんじゃないかな・・・。

床に伏しながら、頂いた恩恵の深みに思いを馳せていきました。

翌朝、食事の時間に、前日に支えて下さった看護師の皆さんもいらっしゃったので、心からの感謝をお伝えしていきました。

体裁を整えるだけの心がこもっていない感謝ではなくて、「本当に助けて下さってありがとうございます。」という思いが溢れて、感謝の言葉をお伝えさせて頂きました。

すると、深く、自然な交流が生まれていったのですが、恩恵の自覚を深めながら出会うことで、こんなにも関わりが変わってしまうのかと驚いてしまいました。

亡くなられた方の声が聞こえる風の電話訪問

三日目は、「風の電話」に行くことになりました。

この電話は、電話線は切れているのですが、あの世につながっていて、多くの方がこの場に訪れて、亡くなった方と出会われていることを教えて下さいました。

陸前高田の佐々木議員がこの地を紹介下さったのですが、佐々木さんもこの電話で、亡くなられた奥様と出会われて深く癒されたことを教えて下さいました。

電話の側に、メモが残されていたのですが、切々と亡くなられた方への思いが書き込まれており、深い痛みを抱えながら生きておられることが感じられてきました。

「明智の源流へ」の御著書の中に、ゴータミという子供を失った母親が、子供を生き返らせて欲しいとお釈迦様に懇願し、お釈迦様との出会いによって、誰もが死別の苦しみを抱えながら生きている忍土の現実を受け止めていく物語がありましたが、大切な人を失う悲しみが、この世界には満ちていることを教えて頂いたように感じました。

佐々木議員との一年ぶりの再会

風の電話の体験の後、私とG君は、佐々木議員の車で三陸ターミナルに移動し、GGPの御講義をお受けすることになりました。

昨年のコンサートの時も、佐々木議員に色々とお世話になったのですが、今回の旅も色々と準備して下さっていました。

G君は、幼い頃からかけ橋セミナーに来ていたのですが、その後GLAから離れてしまっていました。昨年、コンサートのお手伝いで来てくれることになったのですが、佐々木議員に色々とお世話になりながら、あの叔父さんは誰だろう?という話になりました。

そこで、帰りの車の中で、運命の逆転のプロローグのCDを一緒に聴く事になったのですが、震災の痛みを体験し、そこから先生と出会って救われていった佐々木議員の物語に触れて、ユニバース体験が起こり、それからGLAに戻ってきて、熱心に学ぶようになっていました。

GLAに戻るきっかけとなった、佐々木議員と改めて出会い、色々とお話しを伺うことになりました。

震災時の思い出が詰まった三陸ターミナルでの御講義受講

三陸ターミナルに到着すると、皆さんが家族のように温かく迎えて下さいました。

GGPの前半のプログラムは、東北会館設立の歩みをお受けすることになったのですが、震災直後の大船渡の惨状そしての映像、先生が三陸ターミナルに起こしになって、全国から届いた資材を運んで下さっている映像、大船渡で祈られている映像などもお受けすることになりました。

この地でGGPをお受けする必然があったことを深く感じることになりました。

GGPが終わり、最後佐々木議員が、新幹線の駅まで、片道1時間ほどの道程を送って下さることになりました。

車の中で、先生との出会いの物語を教えて頂くことになりました。

先生から頂いた黒豆のこと、

そして先生が佐々木さんとの出会いの後で、次なる土地に赴かれていたことを後から偶然知って驚かれたことなど、貴重なお話しをお聞きしました。

また、議員になられる前の様々な苦労のお話し、そして先生と出会われた経緯など詳しく教えて下さいました。

今回も、佐々木議員には大変いお世話になりました。

そして、新幹線で東京に戻ってくることになりました。

改めて東北の旅を通して頂いたもの

あっという間の3日間の旅立ったのですが、東北の地ではいつもそうなのですが、魂に触れるような深い体験を頂くことになりました。

私個人としては、痛みの奥に注がれている、恩寵の光に触れるような体験を頂き、痛みの底に注がれている神様、観音様、そして先生の御心に触れて、前回の御供養に続いて、世界不信の思いが癒される体験を頂くことになりました。

先生は東北の写真集に対して、「果てなき荒野を越えて」「彼の地へ」「希望の王国」というタイトルを付けて下さっていますが、本当に東北の地は、魂文明が生まれていく、大切な土地であることが感じられてきました。

年を追う毎に、東北に行く必然が高くなってきているように感じるのですが、できるだけ、東北復興に向けてお応えし続けていきたいと思いました。

東北復興支援

「2018東北復興チャリティーコンサート 痛みの底にもたらされた神様の恩寵の光」への2件のフィードバック

    1. ご心配おかけして、すいません。
      年明けに健康診断あります。

      ただ、2018年は、いろいろと他にも痛い試練が多くて、、、
      痛みの呼びかけを聞いているところです。

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