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TL医療の医師からの具体的なアドバイス
新年の集い終了後の先生との出会いについて、青年塾時代に一緒に活動していたT医師からは、先生がお話しくださった言葉を送ってくださいました。更に2023年のTL人間学シンポジウムで、すい臓がんを克服する神理実践をされたN医師に連絡を取ってくださり、がん治療に有効なサプリメントを様々教えていただくことになりました。
また、S医師は高橋先生が重い病気になった患者さんにどのように出会ってくださっているのか教えてくださり、「感謝の祈り」の祈りの部分を書写する行と、一日に30分間光を入れる行をして差し上げることを提案いただきました。
翌日の朝の祈りの時に、姉に先生からお言葉を頂いたことをお伝えしました。
プロジェクトの仲間が送って出さった光への感謝
すると姉は本当に喜んでくれて、「あんなに沢山の人がいるのに、先生からお言葉をかけてもらって、本当にありがとう」と言っていました。
そして、感謝の祈りの書写行への取り組みと、母には姉に光を送る行を、一日30分間取り組んでほしいとお願いしました。
先生からお言葉をかけていただいたこともあって、そのことをGLAで一緒にプロジェクトを担っている皆さんにも共有させていただきました。すると、皆さんが姉に光を送ってくださるようになりました。お昼休みに、皆さんがLineに投稿くださった一言一言を読んでいると、本当にありがたく、涙が溢れてきました。
抗がん剤治療の開始と、神理実践シートによる転換
その日から、姉の抗がん剤の治療が始まったのですが、当初はほとんど副作用が出ませんでした。そして、皆さんに光を送っていただいて本当にありがたいという感謝の思いを分かち合ってくれていました。
私は、先生から病気を見定めるように話していただいたことを姉に共有し、自分でも黄疸や、胆管がんについて調べ始めました。
姉も自分で調べ始めてくれて、担当のお医者さんに質問し、教えてもらった調べ方を私にも教えてくれました。
姉は調べた結果、転移の可能性があることや、生存率についても知ることになり、そんなに厳しい病であるとは思っていなかったようで、恐怖心が出てきて夜も眠れなくなってしまったことを教えてくれました。
そこで再度、神理実践シートに一緒に取り組みました。改めて、恐怖心を意識化し、『新 祈りのみち』の「不安と恐怖を抱くとき」の祈りのおなぞりをさせて頂きました。
すると、この祈りの内容が全部自分の心に必要と言っていました。
聖堂で伝わってきた姉の「もう1人の自分」
そのような厳しい最中、私も聖堂で祈り、姉に光を送らせていただきました。
すると、巨大な光の存在が姉のそばにいることが感じられてきました。これはきっと姉のもう1人の自分、魂なんじゃないかな?と感じたのですが、その光の存在は、自分のことは全く心配しなくても大丈夫と言われているようでした。
自分のことよりも、父や母のことが心配と思われている気持ちが伝わってきました。そして、私自身は土日に佐賀に帰らずに、こっちで使命を果たしなさいと促されているように感じました。
翌日の家族会議では、姉に率直に、巨大な光の存在を感じたことをお伝えしました。
すると、姉が体験したことを教えてもらったのですが、廊下を歩いていると肩をポンポンと叩かれて振り返ったら誰もいなかったそうです。それで、自分は守られているんだと思い、その後シートに取り組んだら、更に深められたことを教えてくれました。
後でシートについて見せてもらうと、「不安と恐怖を抱くとき」の祈りの部分が、賢者の声として記載されており、『空想の不安の虜となるよりは実り大き「時」』であることを受けとめ、GLAの皆さんへの感謝を深め、5年後に同伴者となって病のある人を支える願いが記されていました。
姉はその後、不安と恐怖にはのみこまれないようになり、夜も眠れるようになったそうです。姉の神理実践シートの深まりもあり、少し安心したところがありました。
「帰ったほうがいい」というGLAの先輩からのアドバイス
地域の先輩にも、家族との出会いについて分かち合う機会があったのですが、その中のお1人が、「両親を安心させるためにも私は帰った方がいい」とアドバイスをしてくださいました。
ちょうどその方のお母様が、厳しい状況にあったのですが、緊迫した状況の中でそのように言っていただき、帰った方がいいのかな?と思い始めました。
帰るのであれば、高橋先生からいただいた「適切な治療が行われているか見定める」公案に応えるためにも、病院の先生に直接お会いして、状況を聞かせてもらった方がいいと思い、父に連絡して、病院の先生と出会う日程を調整してもらいました。
その結果、月曜日に病院の先生と会えることが決まったので、土曜日に帰ることにしました。
恐怖に飲まれている母の神理実践シートへの同伴
土曜日の朝のミーティングは、姉はかなり厳しい状況になっていて、朝のLine会議には出ることは叶いませんでした。そこで、母の神理実践シートにじっくりと取り組ませていただきました。
姉が苦しんでいる状況に対して、母はどうすることもできず、不安と恐怖の思いでいっぱいになっていました。
母に対しても、「不安と恐怖を抱くとき」のおなぞりを一緒に深める中で、病を引き受ける気持ちの重心が作られてゆきました。そして、5年後の願いとして、「この試練があったから、他人の苦しみを我が苦しみとして、癒してあげられる自分になっている。」という願いが引き出されてゆきました。
同伴を終えて、さっそく帰る準備をし、佐賀に到着して母と一緒に病院へ向かいました。
病院での姉との出会い
病室に到着して、姉を見ると、本当にやせてしまっていて生気がなく、胸が痛みました。
昨日まで、痛みが激しくて、熱も上がって話せない状態だったらしいのですが、痛みの原因が分かり、抗生剤が効いてようやく話せる状態になってきたということでした。
そこで早速、「光を入れるための祈り」を一緒に祈り、光を注いでゆきました。
生まれてこの方、一度も経験したことがないくらいに真剣に祈り、先生、神様、諸如来、諸菩薩、諸天善神、守護指導霊に祈り、光を入れさせていただきました。
祈っていると、自分1人ではなく、見えない次元の天使たちが一緒になって結界を作って、光を注いでくださっているように感じられてきました。
姉と話していると、出会えた感謝、家族になれた感謝、生まれてきた理由、もう1つの次元に導かれている感謝が一斉に溢れてきて、もうずっと泣きながら出会っている状態となっていました。
実は、東京にいるときも、姉のことを想うと、涙が出て仕方がない状況になっていたのですが、それは、悲しくて泣いているのではなく、感謝の思いが溢れてきて、仕方がない状況になっていました。
姉のために、と思っていたのですが、どちらかというと、逆に姉が、私たちの菩提心を引き出してくれているように感じられてきました。
TL医療の先生方との響働による治療への道
実家に帰ってきたところで、家族会議のためのネットのつなぎ方などを共有していた所、S先生から電話がありました。
姉の状況をお伝えしたところ、かなり危ない状態になっていたことを教えてもらいました。
後でわかったのですが、それまでベッドから体を起こすこともできないほど厳しい痛みがあったらしいのですが、病院ではなんの処置もしてくださらなかったそうです。
私が、病院の先生に話を聞きに行くことになってから、ちゃんとした検査が実施され、その結果炎症が見つかり、抗生剤を打って下さったそうです。
もし高橋先生に、「適切な治療が行われているか、見定めてください」というお言葉を頂いていなかったら、私は実家に戻っていなかったと思うのですが、その結果、何の処置もされず、そのまま亡くなっていた可能性が高かったんじゃないかと思います。
先生に一度命を助けていただいていました。
そして、これからの治療の方針について、相談させていただきました。
可能であれば、東京の病院の方がいいんじゃないかとご提案頂いたのですが、私の東京の家に、母と姉を呼んで、治療を受ける気持ちがあることもお伝えしました。
がん研有明、都立駒込病院、東大など、いくつか候補を挙げていただいたのですが、既に抗がん剤の治療が始まっているため、途中で変わることは難しいかもしれないと言われました。
それでも、何とか最善の道を求めて、挑戦したいことをお伝えしました。
その後、S先生が色々と動いてくださった結果、都立駒込病院の腫瘍内科のM先生が引き受けてくださることになったと教えていただきました。M先生は、10年以上前に、M先生が学生だった頃に、お世話させてもらっていました。
その当時は、M先生は色々と問題を抱えられていて、心配な状況だったのですが、その後、様々な病院での実践を重ねて立派なお医者さんになられており、TL SRSで神理実践報告を高橋先生にしていただかれていました。「よかったー、これで一本の白き道が開かれた」そのような気持ちが溢れてきました。
姉に、TL医療の先生が引き受けてくださることになったと伝えると、「よかったー、安心した」と言ってくれました。
父との病院でのお見舞い事件
翌日は父も一緒にお見舞いに来てくれました。
母は、父と一緒に行くのは嫌だと言っていたのですが、私は父も一緒に来てくれた方がいいと思い、来てもらいました。
最初は母と私で出会い、光を入れるための祈りも一緒に祈り、光を入れさせていただきました。
出会えるのは2名までだった為、途中で母と父が交代したのですが、父は「親よりも早く死なないでほしい」といったことを伝えていました。
私は、「そんなこと言わないでほしい」と思ったのですが、姉は父の思いを受けとめてくれていました。
東京への転院作戦の作成
その日の夜に、M先生に電話し、どのようにして都立駒込病院にまで道をつけてゆくのか、具体的な相談をさせていただきました。現在担当していただいている医師が、気分を害されると紹介状を書いていただけなくなる可能性もあるので、どうやったら気分を害されることなく、紹介状を書いていただけるのか、作戦をご一緒に考え、お伝えする言葉を次のように考えました。
「弟である私がいる東京で、姉の治療をさせていただきたいと考えています。
私の友だちに、都立駒込病院の腫瘍内科のM先生がいて、姉のことを担当してくださると言っていただいています。
紹介状を書いていただきたいのですが、お願いしてもよろしいでしょうか?」
このようにお伝えする言葉を定めることで、紹介状を書いていただけるように、お願いする心が定まりました。
父の快・暴流への同伴
翌朝、父の神理実践シートを深めてゆきました。父のシートを一緒に取り組んでゆくと、「姉に治ってほしい」「元気だった状態に戻ってほしい」ということが何か所も出てきていました。
お父さんは要望を出すばっかりで、姉の気持ちを全然受けとめていないことを伝えました。すると言っている意味が全然分からないということになったのですが、一緒に『新 祈りのみち』を深めることを通して、自分の要求を押し付けることを止め、相手の気持ちを受けとめられるように変わってゆきたいと願いが定まりました。
母は父の快・暴流によって、ずっと差別的な関りをされて、嫌な思いをしてきたことがつながってきて、謎が解けたという気持ちになってゆきました。
こうして、家族の同伴を通して、一緒に神理実践シートで転換し、関わりの再結を深めてゆきました。
東京の病院への紹介状作成の承諾
その後、改めて病院の先生と面会し、東京で治療をさせていただきたいとお願いしたところ、快く紹介状を書いてくださることになりました。
病院の先生も、どのように治療をしたらいいか分からず、迷われていたことを教えてくださり、ホッとしたという気持ちになられていたようでした。
その時に、ガンの状態についても教えて下さったのですが、短い期間に拡大していることを教えてくださり、心配されていました。
改めて、厳しい状態であることを受け止めて、心を尽くしてゆこうと思いました。
東京からの光を送る行の深まり
東京に戻ると、雪が積もっていました。
それから毎日のようにGLAの聖堂に通い、祈らせて頂く時に、佐賀の病室でさせていただいたように、光を送らせていただきました。
すると、先生が光を入れてくださっているイメージが伝わってきました。これまで先生が光を入れてくださっているお姿を、映像で見せていただいたことがありました。それと同じように、ベッドにいる姉に対して、光を入れてくださっているように伝わってきました。
しばらく経って、祈りを終わろうかな?としたのですが、先生が引き続き光を入れられていることが伝わってきた感じがしたので、もうしばらく待って光を送っていました。先生が光を入れられるのが終わったと感じてから、私も終えさせて頂きました。
翌朝も、家族で姉に「光を入れるときの祈り」をさせていただきました。
何度も先生をお呼びしては申し訳ないかな?と遠慮する気持ちもあったのですが、これから食事をとるチャレンジをする大事なタイミングで、もし炎症が再発したら、また大変なことになってしまうので、遠慮してはいられないなと思い、改めて先生にも祈らせていただきました。
祈っていると、先生の祈りが伝わってきました。その時に、私よりもずっと先生の方が姉のことを心配してくださっていて、光を送り続けてくださっていることを感じました。
なので、どちらかというと、先生の祈りの方が主で、私たちの祈りの方が従で、先生の祈りに倣わせていただくような気持ちでもいいのかもしれないと感じました。
父の写真撮影事件の切磋琢磨
病室で、父が姉の写真をスマホで撮ろうとした事件があったのですが、その時に、姉がかなり嫌がり、すぐに写真を消してもらったことがありました。
その事件について、朝の家族会議で、姉と神理実践シートに取り組みました。
父に対する、嫌悪感や不信感などが溢れてきたのですが、「嫌悪するときの祈り」をおなぞりして、浄化してゆきました。
姉の父への嫌悪感や不信感を聞いて、父が嫌な思いをしていないかな?と心配になって後から電話したところ、父は非常に怒っていて、もう朝のミーティングは出たくないと言いました。
そこで、何であのような話をしたのか説明させていただきました。病気になったら、その原因を突き止めて治療する必要があるように、心もその原因を突き止めて、浄化する必要があり、今朝の出会いは治療をするための原因を明らかににする場であったことを伝えました。
すると、少し心が落ちて来たと言って、翌朝も参加してくれるようになりました。
こうして、これまで表面化してこなかった家族内の問題が顕在化し、様々な葛藤が生じることもあったのですが、心の闇を浄化する歩みを通して、家族の絆が深められてゆきました。
これまで、GLAのプロジェクトで何度も人間関係でぶつかって、ぎりぎりのところで絆を再結してゆく鍛錬してきたのですが、その歩みがあったからこそ、家族の絆の再結への道が開かれたんじゃないかと思いました。
40日の佐賀での治療継続の試練
できるだけ早く、東京に移動して、都立駒込病院での治療をしていただきたいと思っていたのですが、その後の検査で、心臓に炎症があり、40日間は今の病院で治療を続けなければならなくなりました。
短期間の内にガンが拡大していたので、40日も経過したらかなり広がってしまうんじゃないかと心配になりTL医療の先生方とも相談したのですが、40日はどうしても移動できないことがわかりました。
そこで、引き受ける覚悟を定め、40日間、姉が佐賀にいる間に、病の呼びかけを十分受けとめ、家族としての再結を更に深めてゆきたいと心を定め、家族にも分かち合わせていただきました。
(続く)
Buyanさんがお父様に「病気になったらその原因を突き止めて治療する必要があるように、心もその原因を突き止めて浄化する必要がある。」とお伝えしたお言葉に、生活実践のいのちである本心にアプローチするオープナーとしての智慧を感じました。