4月に、お世話になってきた親戚のおじさんが亡くなりました。
諸事情あってお葬式に出られなかったので、夏期の特別御供養に申し込んで御供養させて頂くことにしました。
GLA特別御供養についてはGLAのHP「特別供養」を参照下さい。
Contents
御供養への母の反発
おじさんの御供養の取り組みを、母に相談したのですが、関係がこじれていたことがあり、御供養はしたくないと断られていました。
「だったら、なおさら御供養に取り組んだ方が良いんじゃない?」とお伝えしたのですが、どうしても母は納得してくれず、今回は諦めるほかないのかなと思っていました。
「お母さんに会いましたよ」先生の一言による転換
7月上旬に、GLAでお世話をしている皆さんを対象とした研鑚の場があり、先生がご講演下さいました。
先生は、皆さんに御言葉をかけていかれたのですが、私の席の横を通られるときに「お母さんにお会いしましたよ」と声を掛けて下さいました。
母には全く聞いていなかったので、驚いたのですが、「自分が知らないところで、もしかしたら夢の中で、会って下さったのかもしれない」と思いました。
ご講演が終わってから早速母に連絡してみました。
聞いてみると、この期間に九州に先生が来られたことはなかったらしいので、豊心大学の時の握手のことじゃないかな?となりました。
豊心大学セミナーの時に、母は、父を先生につなごうとする余り、自分自身の先生との出会いを横においてしまい、先生から声をかけてもらうことができなかったと後悔していました。
「先生は、お母さんの気持ちを受け止めて下さっていていたんじゃないかな」と伝えると、母の中である癒やしが起こったようでした。
それで、先生も見守って下さっているから、御供養した方が良いんじゃないかなと伝えると、納得してくれて、御供養に申し込むことになりました。
御供養スタート 暗い世界との遭遇
御供養の40日前の7月上旬から、「新 祈りのみち」の「供養の祈り(供養行の歩みとして)」に毎日取り組むことにしました。
『新・祈りのみち』には、御供養の期間を三つに分けて取り組むことを誘われおり、「亡くなられた魂のことを様々に思い出し、なつかしむ、心の同調回路を開く第一の期間」の取り組みから始めました。
取り組み始めた初日の夜に、金縛りにあい、地の底に引きずり込まれるような感覚がありました。
叔父さんは、無神論者で、宗教を嫌悪していました。
また亡くなられたときも、親族と衝突して、怒りを爆発させた直後に病状が急速に悪化しており、厳しい世界にいらっしゃるのではないかと危惧していました。
おじちゃんの苦しみを思うと、不思議とあまり恐怖も出てこず、思いを馳せていきました。
その後も、祈りを続けていったのですが、祈っても祈っても、おじさんに光が届いていく感じがせず、真っ暗なマンホールの中に、どんどん光が吸い込まれていくように感じていました。
また、病気で亡くなったおじさんに、同調回路を開いていくと、重い気持ちが入ってきて、自分自身も体調が悪くなるようなこともありました。
大丈夫なんだろうかと不安を抱えつつ、それでも行を続けていきました。
祈りを続けていたところ母から、「申込日を過ぎてしまったので、申し込めなかった」と、連絡がありました。
おじさんは、きっと苦しい世界にいらっしゃるのに、このまま、御供養を辞めてしまっていいんだろうか?
でも、申込みを締め切られてしまったら、どうすることもできないし・・・どうしようと更に追い詰められていきました。
THE GATE SRSで開かれた御供養への扉
7月中旬に開催されたTHE GATE SRSにおいて、九州でも特別御供養の申込みを受け付けている話をお聞きしました。
これはチャンスだと思い、東京から特別御供養に申し込ませて頂きました。
申し込んだその日から、それまでずっと真っ暗闇の穴の中に、光が消えていくような状態が続いていたのですが、そのイメージはなくなってしまい、明るい世界におじちゃんがいらっしゃって、光が届いていくような感覚に変わっていきました。
御供養に申し込んだだけでも、こんなにも変わるんだと思いつつ、更に行を続けていきました。
家族での御供養の取り組みによる光の強化
祈りを深めていて、特に強く、光が感じられた日がありました。
何があったのかな?と不思議に感じつつ、母と話す機会があったのですが、母から、今日は姉と一緒に御供養の祈りを始めたことを教えて頂きました。
母と、姉が送ってくれた光が既に届いていたから、光を強く感じていたんだと納得し、本当に光は届けられていることを実感しました。
ご供養の行を通しての後悔の深まり
「同調回路を開いた上でその魂との関わりやその魂から受けた影響など自分自身の振り返りをする第二の期間」
と『新・祈りのみち』にはお書き下さっているのですが、おじさんとの関わりについて振り返っていきました。
ただ、会話をしたような記憶とかはあまりなくて、おじちゃんは高校野球が好きで、ずっとテレビを見られていたことを思い出していました。
本当はもっと深く出会いたかったのに、と残念な思いがしてきました。
そして、第三の期間となりました。
「最後に自らの気づきや発見を基に亡き魂に愛念をもって語りかける第三の期間です」
人天経綸図での発見や気づき、セミナープロジェクトで頂いた発見や気づきなど、お伝えしていきました。
お伝えしながら、「本当は生きているときに、神理を伝えられたら良かったのに」、という後悔も湧いてきました。
叔母の宗教への拒絶
御供養をさせて頂くことは、叔母さんにお伝えしていたのですが、会員ではないこともあって、きちんとお伝えできていませんでした。
そこで、御供養の前日に、母と一緒に仏壇にお参りに行き、ようやくじっくりと話すことができました。
お聞きする中で、叔母さんの中の、叔父ちゃんへの様々な葛藤や、親族とのかかわりの葛藤を教えて頂くことになりました。
その中に、母に対する、恨みの思いもあったのですが、母はそのように恨みをかっていたことを全く気づいていませんでした。
逆に、叔母からひどい目にあわされていたと思っていたのですが、いくつもいくもボタンの掛け違いが起こっていたことが紐解かれていきました。
そのように関係が捻れていたこともあって、GLAのことも正しく伝わっていませんでした。
様々な宗教団体に勧誘されて、宗教に対する強い嫌悪感を元々抱かれていたこともあり、最初は全く受け付けない状況でした。
その気持ちを受けとめつつ、母と響働して、先生と出会って救われてきた歩みを分かち合ってゆきました。
これまで御供養を通して救われていったお一人お一人のこともお伝えしていったのですが、御供養を通して明らかになった、親族の痛みについても分かち合っていきました。
自ら命を絶とうとしたお祖父さんの苦しみ、障害を抱え失意のままなくなった叔父さんの苦しみ、叔母さんが知らなかった痛みもあり、少しずつ壁が溶けていきました。
母との響働による伝道
その流れの中で、改めて先生とはいかなる御方なのかをお伝えすることになりました。
母も、初めてお会いしたときに、御供養への取り組みを誘われて、「なんで分かるんだろう」という気持ちになったことなど、率直に伝えてくれました。
そして、先生の御映像を見て頂くことになりました。
近畿の最近入会された近畿の会員さんに対して、講演会の後に、初めて先生が出会われた時の映像をお受けしました。
初めての出会いなのに、その方の心の中だけにあった、人生の生い立ちからの思いをずっと辿って下さり、様々な宗教遍歴を経てGLAに辿り着き、人生が大きく変わってきた歩みを分かち合って下さいました。
その映像を見て叔母は、「なんで先生は分かるの?」と驚かれていました。
次の予定もあり、映像を見て頂くだけで時間となってしまったのですが、先生に対する誤解が溶けていく出会いとなりました。
御供養当日に注がれた奇跡の光
翌朝、父にも声を掛けると一緒に来てくれることになり、九州本部での御供養に向かいました。
同伴者は、九州時代にお世話になったTさんがして下さることになったのですが、今は九州全体のお世話をして下さっていることもあり、父と母を紹介させて頂くことになりました。
そして、叔父さんに先生、神理に出会って救われて欲しいという願いを抱いて、御供養の場に臨みました。
御供養の時間は1時間少しなのですが、あの世では、光の天使に同伴して頂いて、人生を振り返る時間は1ヶ月にも相当すると教えて頂いています。叔父さんも天使に同伴して頂いて、人生の振り返りをして頂いたように感じました。
東京での先生の御供養をされたときの出会いを見せて頂いたのですが、その中に、叔父さんと同じような痛みを抱えた方との出会いがあり、叔父さんも人生を振り返って、いかに御自身の煩悩によって、周りを傷つけてしまってきたのかを発見され、後悔を深められたのではないかというふうに感じました。
また、叔母さんに対しても、大変に申し訳ないことをしてしまったと、後悔されているように感じました。
御供養の報告を通して見えてきたつながりの世界
御供養が終わって、福岡空港で、飛行機を待っているときに、叔父さんが光の世界に帰って行かれたように感じたことをお伝えしようと思い、叔母さんに連絡しました。
叔母さんは、叔父さんが亡くなられた時の部屋を片付けることが出来ず、パンもカビが生えた状態になっていたらしいのですが、そういったものも捨てることができたことを伝えて下さいました。
あの世の魂の癒しと、この世の浄化が同時に起こっていたことを感じました。
事前の御供養の行の取り組みにおいて、様々に荒んだ気持ちも伝わってきていたのですが、自分の思い込みなのかな?と思っていました。
しかし、叔父さんに対して葛藤されていた思いを教えて頂くことで「あーやっぱり、そういうことが起きていたんだ」と納得する点がいくつかありました。
その中で、先日の母との出会いについて、ボタンの掛け違いが起こっていたことをお伝えしたのですが、また叔母さんの中で怒りが爆発してしまって収集がつかなくなってしまいました。
まだ早かったかな?と後悔しつつ、ずっとお気持ちを受けとめていきました。
しばらくお聞きして、共感を深めていると、心の鏡について、先生がご指導下さったことが思い出されてきました。
そして、自分も世界は悪意に満ちていると思い込んでいたところから、GLAでの学びを通して自由にして頂いてきたことなどをお伝えしました。
あるがままの世界の真実を映すためには、心の鏡を磨く必要があり、そのための学びをしていることをお伝えしました。
また自分の心についてお伝えする中で、幼い頃に母親に折檻を受けて、世界が真っ暗になり、絶望していたこともお伝えしました。
実は、この叔母さんは、一番辛かったときに、毎週のようにお菓子や果物を買ってきて下さっていました。
叔母さんが来てくれていたことが唯一の救いだった時代があり、どれほど心の支えになっていたのか、改めて感謝をお伝えしました。
すると、初めて叔母さんのお気持ちを教えて頂くことになりました。
当時、母は借金のストレスや父との関わりの葛藤故に、子ども達にストレスをぶつけざるを得ない状況があったのですが、叔母さんは母の気持ちも分かった上で見守って下さっていました。
姉が叔母に対して、「帰らないで」と泣きながらお願いした時に、引き裂かれるような思いになり、「何とかこの子達も守らないといけない」という思いで毎週通ってきてくれていたことを教えて下さいました。
「あの一番辛かった時代、世界が真っ暗になってしまったときも、そのような気持ちで叔母さんが支えて下さっていたんだ・・・」同時に、見えない世界の天使にもずっと見守られ、支えられていたのかもしれない・・・と、感じられてきて、私自身が深く癒されました。
先生にお声を掛けて頂き、おじさんのためにと思って始めた御供養だったのですが、その取り組みを通して親族の再結が深まり、大いなる存在、神様との絆が深まっていきました。
改めて、GLA特別御供養の取り組みは、自らに流れ込んだ「血」の流れを浄化し、宿命から使命へと向かう大切な取り組みであることを教えて頂きました。
更に取り組みを深め、そして、親族に先生神理をお伝えしていきたいと思いました。
「亡くなられたおじさんを何とか救いたい」という思いで特別供養に申し込んだあなたのこと、「何とかこの子達を守らないといけない」という思いで毎週通ったというおばさんのこと、どちらにも私に欠けている鋭敏→実行を感じます。私は恵まれ過ぎたからか、辛過ぎたからか、鈍感→曖昧の闇が深いです。
Junjinoさん、コメントありがとうございます。
厳しい環境故に、引き出される菩提心があるのかな?と感じました。
鈍感-曖昧が、光に転じたときに放たれる光も、きっと素晴らしいんでしょうね。