40日の宿命の洞窟くぐりを経て先生から頂いた奇跡的な癒し

姉のガンの治療のために、東京への転院を進めようとしたところ、心臓の炎症が見つかったため、40日間は佐賀での治療を続ける必要が出てきました。

入院してからの短期間にガンが拡大していたので、40日も経過してしまったら更に広がってしまうんじゃないかという恐怖もあったのですが、引き受ける覚悟を定め、できる手を打ってゆきました。

Contents

ガンの呼びかけを聴いての神理実践

生活実践の整体師のKさんに教えてもらった、重曹とクエン酸は、早い時点から導入していました。

他にも、お勧めのサプリメントとしての、フコイダンやコエンザイムQ10、マルチビタミンなども取り寄せ飲んでもらうようにしました。

そして毎朝、家族をLine通話で繋ぎ、光を送る行に取り組みました。

『新 祈りのみち』の「光を入れるための祈り」を読んで光を送り、その後で『心経』の「病気平癒祈願」を読んで、更に光を送る時間を持ちました。

40日間の宿命の洞窟くぐり

40日動けないことにも意味があるんじゃないかと感じたのですが、GLAでは創立40周年に向けて様々な取り組みがあり、大きく飛躍した年とされていました。

40という数字には宗教的にも重要な意味があり、イエス様も荒れ野で40日の断食をされたとお聞きしたことがあります。

何か、重要な宿命の洞窟くぐりの期間になることを感じつつ、家族での神理実践シートの取り組みを深めてゆきました。

最初に病の発見が遅れてしまったことについて取り組んでゆきました。主治医の先生に、胃の痛みのことを秋ごろから訴えていたらしいのですが、発見してもらえなかったために、こんなに大変な状態になってしまったという気持ちがありました。

これは姉だけじゃなく、両親も同じように主治医を責める気持ちが強くありました。

他にも自分を責める思いや、様々な煩悩が現れていました。

それら一つ一つに対して、3枚のシートの取り組むことになったのですが、深める中で、『新・祈りのみち』の「後悔にとらわれるとき」「他人を責めたくなるとき」

「被害者意識にとらわれるとき」の祈りを深め、「もう1人の自分」ならどのように受けとめてゆくのか深めてゆきました。

祈りの言葉を自分に引き寄せ、さらに未来のヴィジョンにアクセスする歩みを重ねている最中に、TL医療のS先生からお電話を頂いたことがありました。

シートの取り組みをS先生にお伝えしたところ、

「担当の先生が見つけられなかったのも仕方がない側面もある。通常は胆管がんに50代でなる人はなかなかいないので、疑う人はいない」

といったことを教えてもらいました。それを聞いて、主治医の先生が悪いわけじゃなく、見つけにくい病気もあることが分かり、主治医の先生にはやっぱり感謝しないといけないねと気持ちが転換してゆきました。

主治医の先生に対する、家族の恨みの想いも浄化されてゆき、神理実践シートの一枚一枚が、本当にありがたい転換につながってゆきました。

後でお聞きしたところ、発見の遅れなどでトラブルになることも多いらしく、危ないところを救ってもらっていたことが分かりました。

他にも親族間のお金にまつわる問題など、過去にとらわれた事件についても神理実践シートに取り組み、一つ一つ心を浄化してゆきました。

J叔母さんとの『新・祈りのみち』のおなぞり

そのような歩みを重ねる中で、熊本の「陽春の集い」が近づいてきたので、家族と参加するために帰省しました。

家に帰ると、母からJ叔母さんが苦しんでいるので出会ってほしいと言われたのですが、久しぶりに会っていきなり苦しんでいる話をしてくれるとは思えないので、もしそういう話になったら出会わせていただくねと話しました。

出会いの前に母と神理実践シートに取り組むと、叔母さんがGLAで学ばれるようになり、やがて同伴者として多くの苦しまれる方を癒やされるようになる願いが喚起されてゆきました。

その後、叔母さんが家にやってきたのですが、叔母さんは開口一番、「苦しくてどうすることもできないから助けてほしい」と言われました。

後で分かったのですが、母が事前に叔母さんの苦しみを聞いており、家族で神理実践シートに取り組むことで問題が解決してきていたので、「Buyanに相談に乗ってもらうといいよ」と伝えてくれていたようでした。

神理を受けとめていただく土台ができていることが分かったので、お話をまずは聞かせていただきました。神理実践シートにはご一緒に取り組めないので、『新 祈りのみち』の「憎しみ・恨みにとらわれるとき」の祈りを深めてゆきました。

すると、叔母さんの苦しみに対してダイレクトに祈りの言葉が響き、叔母さんは何度も何度も祈りの言葉を涙ながらに読まれ、本当にこう生きたいと言われました。私は先生がこの場に来てくださって叔母さんに関わってくださっているように感じていました。

そして、叔母さんは当初のお芝居を観に行く予定をキャンセルされて、熊本の新年の集いに参加くださることになりました。

その後、叔母さんと一緒に姉のお見舞いにも行くことができました。

姉も少し動けるようになっており、一緒に喫茶店でお茶を飲むことができました。J叔母さんは本当に姉のことを心配くださっており、温かい絆を感じました。

熊本「陽春の集い」での自己診断チャートの同伴

鳥栖のJ叔母さんの家に寄ってから、一緒に熊本城ホールに向かいました。

熊本城ホールに到着し、早速叔母さんに自己診断チャートに取り組んでもらったところ、「苦・衰退」が強く出ていました。

出会う前は「苦・暴流」が強いのかなと感じていたのですが、叔母さんの話を聞いていると、逆差別の結果になっているように感じられてきて、「苦・衰退」の煩悩の説明をさせていただくと、本当にこの通りになっていると共感されていました。

「苦・衰退」の苦しい状態から脱出し、叔母さんには本当に元気になってほしいなと思ったのですが、自分の経験でも入会して元気になられた方をたくさん見てきたので、叔母さんにも入会して欲しいとお伝えしたら、「学びたい」と言われました。

ご講演終了後の高橋先生との出会いへ

先生のご講演が終わって、先生は会場で出会いの時を持ってくださることになりました。叔母さんが入会してくださることになったことと、姉のことがあったので、先生の所にいくことになりました。

すぐに先生の周りに人だかりができ、後方の席から移動していると、途中から通路が通れなくなったのですが、ぎりぎり列に並ぶことができました。

そこからは、母がどんどん前に進んでいくので、それに叔母と自分がついてゆくことになりました。

普段は母は引っ込み思案なのですが、姉のことになると別人のようになり、必死に前に進み、先生のすぐ後ろに到着しました。

母は、先生に話しかけましたが、かなり焦っていたようで、何を言っているのか分からない状態となっていました。

そこで私の方でもサポートさせていただき、

「姉と家族で一緒に30分から1時間、光を送って一緒に神理実践シートに取り組んで深めています。」

とお伝えしました。すると先生は母に話しかけてくださり、

「●●さん、大丈夫よ。供養の時に出てこられたんですよ。お祖父さんは佐賀に何店舗もつくられたお祖父さんで、そのお祖父さんとの関わりも続いているわけですから、ずっと続くんですよ。快方に向かってますよ。」

 とお声をかけてもらいました。先生は左手で母と、右手で私と握手をしてくださりながら、そのように話してくださいました。

母と私の間に、叔母さんがいらっしゃったのですが、叔母さんに対して先生は

「人生の振り返りのタイミングですね。ご一緒に学びましょう」

と話してくださいました。そこで、「入会されます」とお伝えしました。

その後、叔母さんは、「先生は、何で振り返りのタイミングにあることが分かられるんだろう?本当にその通り」と言われていました。

そして、「姉のために学びたい」と言われて、入会手続きをしてくださいました。

叔母さんは、先生が母を見て苗字を呼ばれたことにとても驚いていて、「あれだけたくさんの人がいるのに、何で分かるんだろう」と言われていました。

熊本城ホールの後に、GLAの熊本ターミナルに先生がお越しくださることになり、会員は参加してもいいとお聞きしました。

そこで叔母さんも入会されたので、一緒に熊本ターミナルに移動し、プロジェクト集会に参加することになりました。

熊本ターミナルでのTL医療のH先生との出会い

会場に到着し、受付をしている間に父がいなくなり、またタバコかな?と思って、外を探したのですが見つかりませんでした。

諦めて、部屋に入ると父を含め自分以外は席についていました。

前から、6列目で自分は一番外に座っていました。すると隣に、H君が座りました。H君は私の2006年青年塾セミナーでの実践報告の時に登場したCA(チャレンジングエンジェルス)で、当時は、「自分の心は闇に飲み込まれていて、変えることはできない」「レッドカード出せ」と言っていたのですが、今では立派なお医者さんとなり、TL医療の一人として活躍されています。

H君には、実践報告の時に先生がお話しくださっていることを伝えていたのですが、2年ほど前に、その映像を見たことを教えてもらいました。

映像の中で、先生がH君のつぶやきについて話してくださっている内容は、とても深い意味が孕まれており、今もそのことに向き合っていると教えてくれました。

改めて、先生がお話しくださる一つ一つの内容は、計り知れないほど深い意味が孕まれているのかもしれないと感じました。

姉の病気のことも少し話したのですが、妹さんが20歳で亡くなってしまったことを教えてもらいました。それぞれ様々な痛みを抱えつつ、歩んでいることを感じました。

熊本ターミナル 家族での先生との出会い

しばらく待っていると、先生がお越しくださいました。講演会に参加された方の感想を分かち合って下さったのですが、その中には、握手するときに話されていた外国人の方の感想もありました。

また先生は、明日は宮崎と鹿児島に行かれることをお伝えくださいました。もし、佐賀に来られる場合は、翌日は残れるようにしていたのですが、佐賀には来られないことが分かったので東京に戻ることにしました。

最後にバレンタインデーということで、先生からチョコレートを頂くことになりました。父、母、叔母、私の4名で列に並び先生の前に到着しました。

母は、「今日はありがとうございました」と伝えたところ、

先生から「パワーが足りないからタンパク質をしっかり摂ってくださいね」とアドバイスを頂いていました。

叔母さんは「これから学んでゆきます」と伝えられたところ、

「長く続けることが大事ですよ、この方のようにね」と私のことを紹介くださいました。

父は、「娘にパワーを送ってもらってありがとうございます」と伝えたところ、

「娘さん、いい方向に向かってますよ」と言葉を頂いていました。

私は「姉を救っていただいてありがとうございます」とお伝えました。先生は私以上に姉のことを心配し、光を送って、救ってくださっていると感じていたので、そのようにお伝えしたのですが、先生から、

「あなたの信仰心を私はわかってますよ」とお言葉を頂きました。

先生は、もう一人の自分、魂の私と出会ってくださっているような不思議な感覚になりました。

チョコをいただいた後、急いで熊本空港に向かったのですが、搭乗する飛行機が遅延したためにぎりぎり間に合って、東京に戻ってきました。

40日を経て東京へ

姉の病気をきっかけとして、皆で必死になって先生との出会いに向かわせていただいたのですが、先生との2度の家族との出会い、そして叔母さんの入会にまで道がつき、本当にありがたい出会いを頂くことになりました。

その後も家族で光を送る行は毎日続け、神理実践シートの取り組みも更に深めてゆきました。

そして、とうとう40日が経過したとき、心臓の炎症は消えていました。

ガンが拡大していないかも非常に心配していたのですが、ほとんど大きくなっておらず、進行していないことが分かりました。

入院した後で、短い期間でも拡大していたのですが、抗がん剤も使っていない状態で、40日も経過していたのに、何で拡大していなかったのかは分からないのですが、先生、神様に光を送っていただいて助けて頂いていたんじゃないかと思います。

そうして、いよいよ東京へと転院する時が近づいてきました。

2 thoughts on “40日の宿命の洞窟くぐりを経て先生から頂いた奇跡的な癒し”

  1. 先生のお言葉「あなたの信仰心を私はわかってますよ」が全てを物語っております。先生は人類がこの信仰心を回復するために日夜どれほどのご精進をされておられるか計り知れません。その弟子としてBuyanさんが家族や親族に働きかけているご様子を隠すことなくお伝え下さってること、本当にありがたいです。

    1. 先生、神様からいただいた光をほんのかけらでもお返しする歩みを続けさせていただきます。

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