昨年末に、ある先生のご指導をお受けしたときに、先生の10年間にわたる膨大なウイズダムの上に、オーケストラ、合唱団が立ち現れてきていたことを教えて頂きました。
そして、昨年末のコンサートでは、本当に神様の御心がそのまま音楽になったように感じる場を頂くことになりました。
先生より「菩薩の声を音にする」というテーマを、合唱団の発足当時から与えて頂いていたのですが、10年目にして本当に、そのような稀有なる音楽が生まれたように感じました。
あの感謝の集いでの特別な体験を超える歩みって、果たしてどうなっていくんだろうか・・・?もうこれ以上はないんじゃないか・・・という思いを抱きつつ、善友の集いに向けての、合唱団の歩みが始まっていきました。
Contents
新曲「巡り来る時」へのチャレンジスタート
今回は、「巡り来る時」という新曲を歌うことになりました。
年末に、先生が毎年発刊下さるカレンダーの詩に曲を付けて下さったインスタレーションが中京会館でお披露目されたのですが、その中の一曲となっていました。
曲はゴスペルといって、「天使にラブソングを」の映画で有名になりましたが、新しいジャンルの曲への挑戦でもありました。
ちなみに、ゴスペル=福音、なんですね。
しかも、メインボーカル+コーラスというスタイルも初めての挑戦で、どのようになるのか、全く分からない所からスタートしていきました。
伝研セミナー御退場時+収穫のセミナー神理実践報告の反芻
丁度この期間に、昨年の伝研セミナーの御退場時に、先生からお声を掛けて頂いた時の映像を拝聴する機会を頂きました。
収穫のセミナーでのK君の実践報告の時に、何度か私の名前を呼んで下さっていたのですが、その時のことに触れてくださり、同時にこれまでの歩みを後智慧するようなことを言って頂いたように感じました。
とても大切な公案を頂いたように感じたのですが、その公案にきちんとお応えさせて頂くために、詳細の御言葉が分からなかったので、改めて映像を見せて頂くことをお願いしました。
すると、収穫のセミナーでのK君の実践報告の内容と一緒に、伝研セミナーでの御退場時の映像を拝聴する機会を頂くことになったのです。
またありがたいことに、一緒に呼びかけを受け止めて下さる、同伴者の先輩まで付けて下さることになりました。
改めて、先生から頂いた御言葉の振り返り
改めて、実践報告をお受けすると、私とK君の出会いが、K君の人生が転換した一つのきっかけになっていたようにお話し下さっていました。
その当時のことを思い出すと、「K君が元気になって良かったな」位にしか受け止めていなかったのですが、K君の人間関係が根本から転換していったことを、改めて教えて頂きました。
頂いた光転の深層へのアクセス
先生がお話し下さった内容をお聞きしていて、この出会いで起こった転換は、K君の長年の宿命の呪縛から自由になっていくきっかけにつながっていたのですが、明らかに自分以上の力が働いているように感じました。
そして、先生、神様があの瞬間に関わって下さっていたんじゃないかと感じられてきました。そう考えると全て辻褄が合いました。
「先生、神様の御手が触れた瞬間だったんだ・・・」同伴者の方も一緒にその意味を深く受け止めて下さったのですが、更に深い視点を頂くことになりました。
先生の御手が触れて癒されたのは・・・
同伴者の方は、特別御供養の同伴もされてきていて、御供養される人と一緒に、その同伴者も癒される体験を重ねてこられていました。
御自身の体験からすると、K君が癒されていく姿を見せて頂いて、同時に私も癒されていたんじゃないかと伝えて下さいました。
確かにあの時、私はK君の心が開かれるようにずっと先生に祈っていたのですが、K君が心を開いてくれた瞬間に、とても強い喜びが溢れてきて、あー良かったと心から思うことができていました。
そして、K君が変わっていく姿を見せて頂いた時に、私自身も人間不信の闇から救われていたことを思いました。
K君が先生の御心に触れて、癒されて救われていったんだなと思っていたのですが、先生は同時に、同伴している私のことも救って下さっていたことが感じられてきました。
それなのに先生は、あたかも私が関わったことによって転換が起こったように話されていたのですが、実体は、K君も私も全て、先生の御手の中で救われていたことに気づかせていただきました。
K君の実践報告の時に、私の顔がよく見えましたと、伝研セミナーの御退場時にお伝え下さっていたのですが、約10年ほど前の切磋琢磨の出会いの時も、先生は光を送って下さっていて、K君も私も救われるように導いて下さっていたことに改めて気づかせて頂きました。
「力を合わせて後智慧する」ことへの取り組み
改めて先生とはいかなる御方であるのか、深めさせて頂いたのですが、先生から頂いた言葉の中に、次のような言葉がありました
「皆どこか足りないわけだから、皆どこか失敗しちゃうわけだから、力を合わせて後智慧をすることが重要じゃないかですか。」
特に、この御言葉に対して、公案を頂いたように感じていました。
(先生から頂く御言葉は、数年経ってその意味が分かるようなことがとても多いので、まだ表面的な理解ですが、現時点で分かったことを分かち合わせて頂きます。)
これまでの過去を振り返ると、「皆どこか足りない、皆どこか失敗しちゃう」ことがなかなか受納できずに、あれが足りない、この人が悪いと大騒動を起こして、大変な問題を作ってきていました。
本当に短い言葉なんですが、このように生きることが出来ずに、自分も人も傷つけてきてしまった後悔が深まっていきました。
きっと、幾転生繰り返し失敗してきたカルマなんだと思いますが、それくらい、本当に自分では気づけずに、繰り返し失敗してきた内容を一言でお伝え下さっていました。
「力を合わせて後智慧する」の公案との対峙
「力を合わせて後智慧する」の部分は、最初はさっぱり言葉の意味が分からないところから始まりました。
日本語なんですが、何か知らない外国語を聞いているように感じるくらい、分かりませんでした。(映像拝聴の機会をお願いしたのも、この言葉が聞き取れないくらい分からなかったからでした)
これまでの自分の概念にないような御言葉を頂いた様に感じて、しばらく同伴者の方とご一緒に、その意味を求める時間を持たせて頂きました。
私は仕事柄、新しい言葉と出会って、その意味を理解するのに苦労して、数年かけて理解していくようなことが多いのですが、同じように自分の経験と結びつけられず、意味が分からないと感じる時間がしばらくありました。
しかし、あるときに、もしかするとK君との出会いの瞬間は、この御言葉を生きられていたんじゃないかな?と発見が訪れました。
あの時は、先生がお作り下さった切磋琢磨の出会いのシステムに従って、先生の御心と一つになるように、祈って祈って、ある瞬間にお互いに砕かれる出会いとなったのですが、あの瞬間こそ、この御言葉を生きる境地に導かれていたんじゃないかな?と感じました。
力を合わせて後智慧する実践へのチャレンジ
振り返ると、無手勝流の後智慧ではなくて、先生の祈りに回帰して、先生のお作り下さった原則に従って切磋琢磨の出会いに臨んだときに、深い出会いに導かれることがあったことを思い出しました。
そう思ったときに、先生がお作り下さった原則に従って「力を合わせて後智慧する」を生きようとしていた時に比すると、普段は全くそのような生き方ができていないことに改めて気づかされました。
それで、もう一度、先生の祈りに回帰して切磋琢磨していたように、今生きるとしたら、どうなるんだろうかと模索していきました。
力を合わせて後智慧する実践への営みでのチャレンジ
早速仕事でも、この御言葉を実践してみようと思ったのですが、折角先生から取り組みを誘われたので、これまで会社の色々なしがらみの中で諦めて、曖昧にしてきたことにも、「力を合わせて後智慧する」という視点を持って、改めて真正面から向き合ってみることにしました。
丁度会社のプロジェクトのまとめの時期だったのですが、改めてこの数年間の歩みを振り返り、今の境遇を思ったときに、もっと評価されてもいいはずなのに分かってくれないという不満の思いに飲み込まれてしまいました。
このままでは、最終レポートが書けないと思い、GGPの神理実践シートに1枚、2枚と取り組んだのですが、それでも気持ちがスッキリと転換できずに悶々としていたときに、合唱団の練習の時に頂いた、歌詞を深めるシートが鞄のなかにあったことを発見しました。
そこで藁をもすがる思いで取り組んでみました。
歌詞のいのちへのアクセス
『あなたの下に巡り来る時は ただ偶然に訪れた訳ではない・・・
足りないものは何もない・・・
目の前の一瞬に心を尽くす それ以上に美しい生き方はない・・・』
心深くに、このカレンダーの詩の御言葉をずーと刻んでいきました。
すると、心が落ち着いていきました。
そして、この試練も必然で、指導原理が働く所まで浄化し続けなさいという呼びかけだったんだ・・・、この4年間「川の心」の神理カードを頂き続けていることも、つながっているのかもしれない・・・、ということが心に落ちて理不尽な思いが浄化されていきました。
自らの未熟を、真正面から受け止める気持ちに転換できたお陰様で、一年間の取り組みの成果をスッキリとまとめて提出させていただきました。
そして合唱団での「力を合わせて後智慧する」のチャレンジへ
期末で来期の体制が考えられる大切な時期に、先生の御言葉の反芻、そして合唱の歌詞を深める取り組みを頂くことによって、ここ数年間蓄積してきた不満の思いを浄化することになりました。
その後、思いもかけない転換につながってきているのですが、浄化の取り組みは、指導原理に乗るためのとても大切な取り組みになっていたんだと思います。
そして、合唱団の練習においても、「力を合わせて後智慧する」境地へのチャレンジを更に重ねて行きました。(続く)