GLA合唱団 優越感・特別意識を超えて神仏との再結へ

偶然のように起こっていた出来事が、また何気なく取り組んでいた取り組みが、必然の糸に結ばれていく不思議を感じつつ、善友の集いに向けてGLA合唱団の練習が始まりました。

合唱団プロジェクト はたらきを通しての魂願へのアクセス

御供養のプロジェクトがあった直後に、合唱団の練習があり、実在界との絆を強く感じながら、司会の働きを担うことになりました。

練習の途中で止観シートに取り組んだのですが、プロジェクトで起こった光転を、自分の手柄に結びつけようとする心が見えてきました。

その心を、『新・祈りのみち』
で浄化するために、「優越感・特別意識を抱くとき」の祈りに取り組みました。

「自らの優位を思うよりも、お一人お一人の存在の尊さ、輝きにこそ托身することができますように」という祈り心を深めつつ、後半の練習に臨みました。

今回の合唱の歌詞には「ハレールヤ」「グローリア」という言葉があるのですが、歌うほどにそのいのちが深まっていきました。

そして、練習の最後に司会のコメントをお伝えする時に、師を讃え、神様を讃える曲を歌いたかったという魂の遙かな願いが溢れてくる体験を頂きました。

魂願につながった背景の振り返り

後日、何で魂の願いが引き出されたのか振り返ったのですが、集いの始めに「指導原理の風に乗るための祈り」から始めていたことが思い出されてきました。

指導原理の風を吹かせて下さった、先生、神様の御心と、それに応えようとしていたお一人お一人の仏性の光の交流するエネルギーの場の中で、魂の願いが引き出されていたことが見えてきました。

更に、特別意識の煩悩の浄化との関係を見つめていったのですが、煩悩が浄化されつつあることで、先生、神様の光、お一人お一人の仏性の光の交流を見せて頂いていたのかもしれないと思えてきました。

そして、世界の本当の姿を捉えるには、先生、神様の御光によって、自らが照らされ、場が照らされ、お一人お一人が既に照らされてきたことへの感謝を刻み続けること・・・。救われることを求めるのではなくて、既に救われてきた感謝を祈ること・・・。そのような思いが溢れてくることになりました。

山梨陽春の集い 優越感・特別意識への「ちょっと待てよ」

こうして、「特別意識」を転換する歩みを深めつつ、山梨陽春の集いがあり、私もプロジェクトの一人として参加させて頂くことになりました。

先生のご講演が終わり、舞台を降りられて多くの皆さんと会場で出会われている最中に、この十数年、一緒にプロジェクトを担ってきたM君と話す機会がありました。M君は工場のラインで働かれているのですが、これから上流の設計をしてみたいと話してくれました。

そこで、自分も設計の中では下流の3Dデータ作成の仕事をしていたけれども、神理実践を深めることを通して、いつの間にか最上流の人間の心をモデル化するような仕事に携わることになり、自動運転やAIの活用など、つながっていく可能性を感じていることを共有しました。

すると、M君からは、「そんな凄いことやっているんですか!」といった反応が返ってきました。

M君の反応を受けて快の回路に入ってしまい、「自分は凄いともっと伝えたい」という気持ちが溢れてきてしまいました。

しかし、何故かギリギリのところで「ちょっと待てよ」と心にストップがかかり、M君の気持ちを受け止めてみようという思いに転換しました。

「どういう気持ちなの?」とお聞きすると、M君自身も、かつての自暴自棄だった状態から、会社で責任を果たし、後輩を育てて響働できるような自分になれるとは想像できなかったし、GLAのプロジェクトでも責任ある働きを頂くようになった感謝の思いを話して下さいました。

「聞く行」を通して教えて頂いた魂の願い

すると、思いもかけず、M君から、私との出会いによって助けられた部分も大きかったことを話してくれました。当時のM君は自分の煩悩をコントロールできず、かなり自暴自棄になっていた部分があったのですが、どんな自分であっても、信じてずっと受け止めてくれたこと、そして、この場を守ろう、皆のことを守ろうとしている姿を見て、M君もこの場を守りたいという願いが引き出されてきたことを涙ながらに伝えてくれました。

自分にとっては、先生から救って頂いたのに、何もお応えできなかったという青年塾に対する後悔ばかりしか感じていなかったのですが、図らずもM君には、「守りたい」という魂の願いが伝わっていたことを教えて頂きました。

言われてみると、「先生との魂の約束が思い出される、かけがえのないこの場を守りたい」という願いを原動力として、青年塾のプロジェクトを担ってきていたことを思い出しました。

もしあの一瞬、「自分はできる」という煩悩で、M君の気持ちを受け止めていなかったら、忘れていた魂の願いにつながる話しは全部聞けなくなっていたのですが、「自分はできる」と言えば言うほど、孤立して、理解してもらえない寂しさを覚えてきたことが見えてきました。

「自らの愚かさを痛感しているときの方が、世界は開かれていく法則があるのかもしれない・・・、」

TLミュージックの先輩から、かつてお聞きした言葉が思い出されてきました。

更なる「優越感・特別意識を抱くとき」の祈りの深まり

その後の合唱の練習や、生活実践での、止観シートの取り組みを通して、更に「優越感・特別意識を抱くとき」の祈りを深めることへ誘われて行きました。

祈りの誘いの言葉の中に、心深くに突き刺さる箇所がありました。

『その特別意識によって
あなたはどんなにたくさんの知人がいようと
本当には心を開くことができずに結局、孤独のままです。』

本当にこの通りで、これまで、優位の思いで関わっていたので、孤独を深めることになっていたことが痛感されてきました。

今回、一瞬その思いが止められたときに、M君から自分では気づけなかった魂の願いを教えて頂くことになったのですが、これまで私自身の煩悩の象徴である「僕のお陰様デストロイヤー」によって、全部壊してきてしまったんだなあと改めて後悔が深まりました。

更に、次の一節

『どんなみ意味のある現実に向き合おうと
その重さを見出すことができず
その重さを引き受けることができず
結局、冷たい人のままです。』

を深めると、「こんなに大事なことなのに、なんで分かってくれないんだ」というつぶやきがずっとあったのですが、それも優越感特別意識とつながっていて、具現の限界を生み出していたことが見えてきました。

この思いが根底にあるために、皆の反発心を引き出し、チームがバラバラになることを繰り返してきていました。

煩悩を転換するモデルとしての先生の御心へのアクセス

煩悩と現実のつながりは見えてきたのですが、どのように転換すれば良いか分かりませんでした。

そこで、人類でも最高の受発色力をお持ちの先生が、煩悩に飲まれることなく、どのように受発色をされているのか、尋ねていきました。

すると、先生は、自らの優位よりも、神仏の助力に対する感謝の思いで一杯になられているんじゃないかと感じられてきました。

そうして、「加護を求める祈り」へと誘われていきました。

「加護を求める祈り」を通しての光の天使との再結

この祈りは、一年に一回祈るかどうかという祈りだったのですが、神仏に頼るのは弱い人間がすることという受け止め方をしていたため、よっぽど苦しんでいるときにしか、この祈りは祈ってはいけないと思い込んでいました。

また同時に、自分は神仏から遠い存在で、どうせ愛されていないというニヒリズムもあり、この祈りに向き合うことができませんでした。

しかし、そのような受け止め方自身が自分の弱点だなと思うようになり、改めて意識的にこの祈りに触れるようにしてみました。

この祈りの誘いの中で、この世界は元々何が起こるか分からない忍土であり、人間が生きるというだけで、既に多くの助力に支えられていると書かれていました。そして、何気ない一日に、この祈りに親しむように書かれていました。

「助力を求めるのは弱い人間がすること」であり、そうなってはいけないと思っていたのですが、元々人間は弱い存在であり、多くの助力に支えられていたという世界の真実に目が開かれていきました。

この祈りの中には、「加護を求めて」と「加護への感謝の祈り」の二つの祈りがあるのですが、日常的に加護を求めるようになり、そして一日の終わりに、どのような加護を頂いたのかを探して、感謝を捧げるようになっていきました。

すると、日々沢山の助力を頂いて頂いていたことが見えてきました。

その歩みを通して、大宇宙代心霊・仏 諸如来諸菩薩 諸天善神 守護指導霊、そして信次先生、佳子先生 との絆を深めていきました。(続く)

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