2016年劇役者への挑戦 弟子としての後悔の深まりと溢れてきた共同体への愛情

今回の劇は、何度か賜り物と言えるような体験を頂きながら深められていくことになりました。

最初に訪れたのは、天平の甍に出られていた役者さんが、鑑真和上の歩みを辿られたドキュメンタリー番組を見せて頂いた時でした。

その時は、プロジェクト集会の司会の働きを担わせて頂いたのですが、豊心大学のプロジェクトが終わったばかりで感謝の思いが一杯だったので、「歩みを深める祈り3(恩恵の自覚を深める)」からはじめさせて頂きました。

前半は、和上の旅がいかに大変だったのかを追体験していったのですが、番組の後半に行くほどに、和上の思いが深く伝わってきました

その思いをもって司会として前に立たせて頂いたのですが、和上の志のバトンが、最澄、空海、そして鎌倉時代の僧侶達へと渡されて、神理の大河の流れが生み出されていったという思いが、魂の奥深くから突き上げるように湧いてきました。

先生からは、今回の劇は新しい国作りであるとお聞きしていたのですが、何で和上をお連れしたことが、新しい国作りになっていったのか、自分の中ではつながっていませんでした。

しかし、和上の志は和上に止まるものではなく、後に続く日本の仏教史を作っていった先人に渡され、世代を超えて日本という国を形作っていったことがつながっていきました。

本当に、新しい思想、新しい宗教が、新しい国作りになっていった、そのことが魂深くに響く体験を頂きました。

集いが終わった後で、何でこのような魂からの情動が溢れてくるような、深い体験を頂くことになったんだろうかと振り返ったときに、集いの始めに、歩みを深める祈り3(恩恵の自覚を深める)から始めていたことを思い出されてきました。

わたくしの「今」が
多くの助力によって導かれてきたことを思い出させて下さい。
わたくしの「未来」が
多くの助力によって支えられてゆくことを思い出させてください。

と祈りの一節に書かれているですが、本当に祈りが天に通じ、天上の助力を頂いて、場がある深まりへと導かれていったように感じました。

それまで、祈りに対して、個人の気持ちを整えるようなイメージの方が強かったのですが、本当に祈りが天に通じ助力を頂ける実感が深まることになりました。

それからは、祈りの言葉は天上界に響き、天上界との響働が起こることを信じて、祈るように変わっていきました。

鍛錬合宿においては、今年の青年塾セミナーにおける先生の最後のメッセージを、一回生起の機会としてお受けすることが出来ました。

内容は割愛させて頂きますが、それぞれの転生の歩みに触れるようなご指導をいただき、私の内側からも、先生と出会えるこの一点をめがけて、転生を越えて集ってきた魂の願いが思い出されてきました。

そして、先生のいのちと私のいのちは一つであり、先生が命を削ってあたえてくださったものを、今度は私が次につなぐ人々につないでいかなければならないという願いが溢れ、先生の弟子としての、自らの使命の一つが開示されていったように感じました。

神理の大河につながる歴史の物語と、自らの魂の歩みがつながっていきました。

次に訪れたのは、劇の合宿の時でした。

本番さながらの通し稽古をやってはみたものの、かけ橋セミナーに求められている水準には、全く到れていないことが明確になってしまいました。

そこから、各自のより一層真剣な取り組みが深められていったのですが、再度臨んだ通し稽古は、これまでとは次元を異にする空間が呼び出されることなりました。

一つ一つのシーンに込められていた、深いいのちが心に迫ってきて、これまで感じたことのない情動が溢れてくることになりました。

特に、栄叡が亡くなるシーンでは、まるで魂の所以に遡る瞑想や、善友の集いでの菩薩への祈りをお受けしたときのように、魂からの情動が呼び出されていきました。

栄叡が自らの死期を悟って伝える一言一言が、自らの魂からの言葉となり、先生と出会えて歩める時がいかにかけがえがない時を頂いているのか、そのことの真意(神意)を深く受納している自らの魂と出会っていきました。

役を演じているのか、自分の魂からの情動を生きているのか、分からないような感覚になってしまったのですが、生きて先生に出会えていることの感謝を深く、深く刻んでいきました。

通し稽古が終わった後も、その余韻は続いていて、今回、この劇を演じる機会を頂いていることが、魂にとってどれほどあり難い機会を頂いているのか、感謝の思いが溢れてやまない気持ちとなりました。

こうして、導かれるように、劇の取り組みは深められていきました。

今回、この劇の上演に心を尽くして下さる皆さんとご一緒に、このように賜り物のような体験を頂きながら、劇のいのちが深まっていったのですが、同時にこの劇はチーム戦であることをどこかで感じていました。

皆で深められた心境が、劇を観られた皆さんに伝わっていくと思ったときに、まずは弟子同士でどのように深めていくのかというテーマがありました。

いよいよかけ橋セミナーの前泊となり、八ヶ岳に移行する時に、弟子同士で一緒に八ヶ岳に向かいました。その道中、これまでに取り組んできた霊操を分かち合ったのですが、共通のテーマがあることが見えてきました。

それは、「後悔」でした。

弟子達の中には20代、30代の青年も多くいたのですが、時代業としての快衰退の煩悩を抱えており、後悔ができないというテーマが共通の課題としてあることが見えてきました。

今回の劇の重要なシーンでは、鑑真という師の願いや必然が理解が出来ず、師に応えられずに後悔するシーンが何度も出てくるのですが、最も後悔を深く感じているはずの弟子として、どのように「後悔」を表現するのかが、非常に大きな課題となっていきました。

こうして、後悔ができないというテーマについても、皆で深めていくことになりました。

何とか、演技を更に良くしていきたいと願っていたときに、役者として30年近く鍛錬してこられた先輩から稽古を頂けることになりました。

弟子の数名で集まって、稽古をつけていただいたのですが、先輩が日々どのように鍛錬をされ、役のいのちに迫られているのかも教えて頂いたのですが、演技にかける日々の練習量が全く違うことや、一言一言にいのちがけで臨まれている姿に触れて、あまりのレベル差に砕かれることとなりました。

また、何度も何度も繰り返し、練習にもつきあって下さり、先輩が人生かけて修得してこられた技術を、惜しみなく伝承して頂くことになりました。

伝承を頂いた後で、弟子達同志で先輩の技術に感動すると共に、劇具現に向かう真剣さが自分達に欠けていたことを口々に語り合い、自然と自らの愚かさを深め、「後悔」を深めることになっていきました。

私個人としてもウイズダムへの取り組みを深めつつ、テーマの本体へとアクセスしていったのですが、何が呼びかけられているのかずっと深めていくと、これまでのプロジェクトで、水準に達することができなかった働きがいくつか思い出されてきました。

神理実践報告を頂いた翌年の如是我聞の分かち合いや、魂の所以に遡る瞑想を頂いた後で、その時の体験を分かち合うようなはたらきを頂いたことが思い出されてきたのですが、当所は何でそのような体験が思い出されるのかよく分かりませんでした。

しかし、今回の演劇自体が、弟子の「後悔」の分かち合いという側面があり、師に応えられなかった後悔を現すことが重要であると分かったときに、これまで魂からの情動としての「後悔」が表現できていなかったことがつながっていきました。

それでは何で後悔ができなかったのかなと原因を見つめていくと、「僕のお陰様デストロイヤー」によって、他人に認められたい、分かって欲しい、という虚栄心が邪魔をしていたことが感じられてきました。

それを転換する菩提心として「月の心」を定め、浄化の歩みを重ねて行くことになりました。

次に、魂の中にある後悔の情動を、呼び出す方法を模索していったのですが、イエス様に応えられなかった弟子の歩みへと自然と収斂していきました。

「二千年の祈り」の御著書に出てくる、ペトロの物語は一つの象徴ですが、イエス様を裏切った弟子達の歩みに触れると、涙が止まらなくなるような体験が何度もありました。

そうして、自らの魂の中心にある後悔の情動にアクセスしていったのですが、少しずつ魂からの後悔の情動を伝えられるようになっていきました。

チームとしての霊操の深めと、個人としての深めの両方に挑戦しつつ、劇の本番へと向かって行きました。

衣装さんやメイクさん、道具チームの助力を頂いて、演じる準備を整えていきました。そして、先生、神様どうぞお使い下さいと祈りを深め、舞台へと臨みました。

劇上演の直前に、劇のチラシが配られたのですが、そのタイトルとして「一度立てた志はいつ捨てればよいのか」と書かれていました。

Kokorozashi

思托にたいして、和上が応えられる場面で、師の道を伝える志に比して、自らの弱さを深く悔いていったのですが、自分が感じている以上の深い後悔の情動に包まれ、涙が溢れて止まらなくなってしまいました。

それは、今回演じた法進の後悔と願いかもしれないし、私自身の魂の後悔と願い、または劇を観られているお一人お一人の後悔と願いかもしれませんが、その場にある巨大なエネルギーに動かされてしまったのですが、何か心が空っぽなのに体が動かされるような感覚となりました・・・。

全ての演技が終わり、舞台の挨拶へと向かいました。

挨拶をしながら、劇を観られた皆さんと感動を分かち合っていったのですが、この場に参加しているチャレンジングエンジェルス(セミナーに参加している子供達、以下CA)を愛する思いが溢れてきました。

CAの中には家庭的な事情があって、様々な苦しみや痛みを抱えて参加している子もいるのですが、未来を背負っていくCAに対して注がれる、大いなる存在の限りない愛情、祈り心が溢れるように伝わってきました。

そして、CAだけに止まらず、参加者の皆さんへの溢れるような愛情へと変わっていったのですが、GLA共同体のお一人お一人を愛し、全体を愛している自分がいることを感じました。

それはきっと、一切を愛し導いて下さっている先生の御心との共振するような体験を頂いたんだと思います。

こうして劇のかけ橋セミナーでの上演は終わっていったのですが、自分の中ではまだまだ深めきれていない後悔の方が深くなっていきました。

また、弟子同士の関わりももっと、深められる余地があることを感じました。

こうして、伝研セミナーでの上演に向けて、更に劇の神意へのアクセスへと向かっていくことになりました。

(続く)

コメントを残す