魂主義という生き方 魂の願いを中心に「すべてを条件として」生きる

これまで、「魂主義という生き方」の4章の深めから始まって、3章、2章に取り組ませていただいて、主導権を奪回して、因縁側人類として生きるいのちが深まっていきました。

そして、最終章となる第五章は

「すべてを条件として —魂に軸足を置いて生きる」

というテーマが掲げられており、「すべてを条件として」受けとめることが、「魂主義という生き方」のエッセンスを一言で表している言葉として冒頭に示されていました。

でも、どうして「すべてを条件として」受けとめる、というシンプルな言葉が、魂主義なんだろう?

という疑問を感じるところから反芻を始めることになりました。

Contents

宿命から使命への物語

第五章では、宿命から使命への物語という人生へのまなざしについて、次のように書かれています。

魂のカルマ、それが引き寄せる3つの「ち」。それらが、様々な心の闇を引き出し、すべてが相まってつくり出される「がんじがらめの現実」こそ、私が「宿命」と呼んできたものです。
重要なことは、どの人生も、この「宿命」に呑まれるところから始まるということです。そして、その「宿命」を転じ、魂に刻まれた「使命」を生きることを約束として抱いている—。つまり、「人生とは宿命から使命への物語」なのです。

魂主義という生き方 237P

この「宿命から使命へ」というテーマは、約20年前に発刊された、希望の原理という御著書にも書かれていたのですが、入会当所、自分自身の心の闇に押しつぶされて、限界ギリギリのところまで追い詰められていた時に、この神理と出会い、本当に救われたことを改めて思い出しました。

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更に、「宿命」を背負うことがどのような意味があるのか、次のように書かれていました。

しかし、3つの「ち」には、魂の願いよりもカルマと響きやすい性質があります。それは、いわば世界の闇と言えるものだからです。人類が積み残してきた様々な問題や矛盾、未熟や弱さが入り込んでいます。
私たちは、3つの「ち」を引き受けることで、両親の未熟を背負い、地域の葛藤を引き受け、時代の矛盾を吸い込みます。自分の中に世界の闇を招き入れるのです。
それは私たちの苦悩の源になります。しかし、世界の闇を自らに招き入れるからこそ、私たちは、その闇にダイレクトにアプローチできる手段を手にすることができるのです。私たち自身の宿命から使命への転換は、自らに吸い込んだ世界の闇を浄化し、転換することでもあるのです。

魂主義という生き方 240P

魂のカルマが、3つの「ち」を引き寄せて、心が闇に染まることも、魂の願いと繋がっており、敢えて自らの心を闇に染めることで、世界の闇をダイレクトにアプローチすることができ、世界を光へと変えていくことが出来る・・・。

闇の中で苦しんできたことも意味があり、それどころか魂の願いを果たす為には、一度闇に染まる必要があったんだ・・・。

色々と葛藤し、苦しんできた問題も、そこで終わりではなく、心の闇を光に転換することで、魂の願い、使命を果たす人生を開いていくことが出来る希望を感じました。

「すべてを条件として生きる」ことは「魂主義を生きる」エッセンス

そして、後半は元阪神の池田投手の実践の歩みが書かれていました。

実は、5章の前半の神理の理解を深めた時点では、まだ「すべてを条件として」と受けとめることが、「魂主義を生きる」ことのエッセンスであることが、よく分かっていませんでした。その答えを求めつつ、後半の池田さんの物語を読み進めていきました。

池田さんは1973年のペナントレースで阪神が0.5ゲーム差で巨人に負けた後で、あるミスを「世紀のエラー」とマスコミに報道されてしまいました。その後、ファンの怒りの矛先としてスケープゴートにされてしまい、苦しんでこられていました。

そこから、高橋先生と出会い、神理を学ぶことを通して、過去の事実は変わらなくても、受け止め方が大きく変化されていきました。

その歩みの中で、池田さんが勝ち負けにこだわり、勝てば「ヤッター」と有頂天になり、負ければ悔しさと恨みで一発逆転を狙う繰り返しをされていたことに気づかれ、恨みを浄化されていったのですが、私も同じように苦しみ、恨みを浄化する歩みを頂いてきたことを重ね合わせていきました。

1994年の講演会の時に、池田さんは神理実践報告をされ、先生が語られた「全ての出会いに意味がある」ということしみじみと噛みしめられ、あの失敗があったから、今は人を深く想い、共に痛みを背負って生きる人生へと導かれた—という実感へと導かれていきました。

翌1995年に、阪神縄時代震災が起こっているのですが、神戸の最も被害の大きかった場所にいらっしゃったのですが、生き死にを超えて試練を呼びかけとして受けとめ、瓦礫の中で埋まっている皆さんを救うために奔走されています。そして、傷つき痛みを抱えた皆さんの同伴者として生きられました。

先生は、池田さんが到達された境地を次のように紹介して下さっていました。

人生には果たすべき願いがあり、使命がある。その願いと使命の成就を思えば、それ以外のすべては条件として受けとめることができる。人生に起こることに決定的なことはない、すべては、魂が願いを果たして生きるための条件でしかない。そして、「すべてを条件として」生きているとき、私たちは、魂の存在としてそこにある。

魂主義という生き方 253P〜255P

池田さんが生きて証して行かれた歩みを見せて頂きつつ、この部分を読んだときに、魂の願いを中心とするからこそ、それ以外の全てはその願いを果たすための条件になることが理解されていきました。

そして、「すべてを条件として」ということが、「魂主義を生きる」ことのエッセンスであることが実感として深まっていきました。

強く、深く、悠々と生きる境地への接近

そして、この本の最後は

『強く、深く、悠々と生きる—。それは、「すべてを条件として」生きる私たちの揺るがぬ姿勢となるのです。』

という言葉で終わっています。

この最後の節は、全部赤線を引いてしまったのですが、第5章まで書かれていた内容が全て、強く、深く、悠々と生きる、生き方へとつながっていきます。

本当にそうだなあと感動したのですが、まだまだここに書かれていることの意味が深め切れていないなあと感じています。魂主義を生きる、極意の部分でもあると思うので、きっと幾転生かけて、求め続けていくような内容であると感じています。

ただこの期間に、有り難いことに、ここに書かれていることを深く体験する機会を頂くことになりました。

鍛錬合宿における魂の願いへの回帰

第4章の主導権の奪回について深めている最中に鍛錬合宿が開催され、私も劇チームとして参加させて頂きました。

その中で、青年塾セミナーの三日目のご指導をお受けする機会を頂きました。

内容については触れられませんが、自らの魂の所以に深く回帰し、先生とお会いできるこの一点をめがけて、私の魂が転生してきたという願いが心深くから溢れてきました。

そして、先生と私の魂は一つであり、先生のいのちを削って与えて頂いてきた私のいのちを、今度は私が後に続く人々に伝えていかなければならないという魂の願いへとつながっていきました。

改めて、先生との魂の約束に回帰し、先生に導かれた者としての使命を深く感じる時となりました。

魂の願いを中心として、全てを条件とする生き方へ

その後、先生は御退場をされながら一人一人との深い出会いをされていきました。

比較競争に苦しむ青年に対しては、より大きな願いを発見すれば、比較競争は小さくなって超えられるという話しをされたり、嫉妬に苦しむ青年に対しては、相手の幸せを祈り、自らも幸せになることをご指導下さいました。

私自身にとっても、比較競争と嫉妬は、なかなか超えがたかったテーマだったので、一つの答えを与えて頂いたように感じました。

また、先生が後に続く青年達のために、どれほどの思いで努力をされ道を切り開いてこられたのかも、その場にいる青年との出会いを通して伝えて行かれました・・・。

先生の、後に続く人々への深い友情を感じたときに、自分の心にある変化が起こりました。

自分のこれまでの歩みを振り返ると、誰もやった人がいない、新しい分野にチャレンジすることが、多くありました。

新しい分野は、元々あまり注目されておらず、陽の当たらない場所を人知れず支えるようなはたらきになるため、葛藤してきた部分もありました。

しかし、先生御自身が、道なき地点に立って、最も低きところでお一人お一人を背負い、新たな道を切り開き続けてきて下さったことが感じられてきました。

そして、私の魂は先生に憧れ、先生のように生きたいと願っているが故に、敢えて道なき道を歩いてきたんだなと思ったときに、自然と主導権が奪回され、人の眼差しを超えて、道なき地点に立つ覚悟が心の深くに定まっていくきました。

使命を生きる次なるステージへのチャレンジ

ただ、非常に大切な出会いを頂いたことは分かるのですが、そのことが自分の魂にとってどのような意味があるのかは掴みかねているところがありました。

しかし、今回の第5章の反芻を通して、宿命から使命へというまなざし、そして、魂の願いを中心においたときに全ては条件になるということが深まったときに、この期間に頂いた体験とつながっていくことになりました。

そして、まだまだ途上ではありますが、具体的な次なるステージを開いていく歩みが始まることになりました。

仕事において、ある資格のチャレンジをすることになり、これまでの自分の歩みを改めて整理し、これから果たしたい会社でのはたらきについても、志を述べさせて頂くことになりました。

社内でも、IoTやAIといったことが注目されるようになってきており、ソフトウェアの深化を開発プロセスに取り入れる取り組みも活性化してきたのですが、これまで地道に積み重ねてきたことがつながってきており、自分がやってきたことを理解して下さる方が少しずつ増えいくことになりました。

そして、果たすべき使命のはたらきの輪郭が、少しずつハッキリしていきました。

(続く)

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