魂主義という生き方 先生とご一緒に時代の限界突破へ

これまで、「魂主義という生き方」の反芻と、豊心大学のプロジェクトでの実践について、書かせて頂いてきましたが、今回は五回目で最終回となります。

まずは、豊心大学のプロジェクトでの実践がどうなったのか、書かせて頂きます。

先生ご講演の時間は、ありがたくも大講堂の中でお享することができました。

ご講演の内容は割愛させて頂きますが、ホームページにも書かれている通り、昔話『花咲か爺さん』を基に、2日間学んできた「人生の大樹」を花開かせてゆくことについて誘って下さいました。

プロジェクトで肉体的には限界ギリギリだったのですが、光を頂いたように感じました。

そして、ご講演が終わる前に、私たちのチームはホテルへのバス誘導のために外に出ました。

そこでまた事件が勃発したのですが、私の担当するバスだけが、遅延していることが分かりました。

バス会社を担当する方も、慌てて対応して下さったのですが、空を見上げると、満月の前日で、まばゆいばかりの綺麗な月が天空を照らしていました。

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寒い中でお待ち頂くこととなり、お身体のことも心配だったのですが、皆さんが月を見られて感動されていたので、できるだけ月が綺麗に見られるように、並び順を工夫させて頂きました。

ほどなく、バスは到着し、ホテルに移動されていったのですが、安全防災の皆で手を振ってお見送りする時の温かな心の交流は、深く深く心に刻まれていきました。

今回は私も含めて、1/3程のメンバーが月の心を菩提心として選んでいたのですが、最高の月の美しさを見せて頂いて、実践へと導かれていきました。

詰め所に戻ってきて、その日の振り返りと、翌日の準備をすることになりました。

その日の取り組みの中で、お二人の方とウイズダムに、ご一緒に取り組むことになりました。

お一人の方は、プロジェクトに参加し、行に取り組んでも、取り組みがマンネリ化して新しい気づきや発見がないといった悩みを抱えられていました。また、職場の異動という大きな変化に直面されながらも、仕事と願いがつながらないといった悩みを抱えられていました。

「魂主義という生き方」の第一章には、「魂の因果律」の曼荼羅があり、次のような受け止め方へと導かれることが示されています。

目の前の「現実」は、突然どこからかやってきたものではない。それは、自分の「心」の現れであり、「魂」の問題をも呼びかけている。私たちが出会う「現実」はすべて、私たちの「心」「魂」とつながり、どれもこれも、私たちの人生のテーマとつながっている。そのことが分かってきます。

(魂主義という生き方 90P)

マンネリになっていて、仕事と魂の願いがつながらないというのは、この「魂の因果律」で表現されていることが、自分自身にどのように現れているのかが見えない悩みでもあったんだと思いますが、取り組みを深めることを誘われているように感じました。

Tamashi ingaritsu

GLA用語集「魂の因果律」より

一緒に取り組むに当たって、先生がプロジェクト集会でご指導下さったMさんの姿がとても参考になったのですが、Mさん御自身では功徳を頂かれている自覚はなかったのに、先生に隈取って頂くと沢山の功徳を頂いていることに気づいていかれました。

これは高橋先生が、グランドチャレンジの御著書に書かれていた、二つの態度から生じる力の差であるように感じました。
 ・内を見つめ
 ・内と外をつなぐ

Grand Challenge2

この部分はとても重要であると改めて感じたので、グランドチャレンジの御著書の一節を引用させて頂きます。
この二つの態度によってどのような変化がもたらされるのか、次のように書かれています。

私たちに今何よりも求められていることは、「精神と現象の融合」を果たすこと。すなわち、シンプルに表現するならば、≪内(心)を見つめ≫≪内(心)と外(現実)をつなぐ≫—。その生き方は、荒廃した砂漠を豊かな緑なす大地へと変貌させ、世界を満たす力と響き合い、宇宙の秩序に感応するものです。宇宙に遍満する≪指導原理≫に導かれて、暗転の現実を光転させ、混沌の中から新しい現実を導き、新しい調和を築くものです。

(グランドチャレンジ 22P)

そして、グランドチャレンジ宣言として、次のように書かれていました。

≪内を見つめ≫≪内と外をつなぐ≫ことには、そのシンプルな表現からは想像もつかない智慧と力が孕まれているのです。
・・・
≪内を見つめ≫≪内と外をつなぐ≫態度を貫いて、世界に関わり、現実をつくってゆくこと−。
それを、私は、新しき千年紀、二一世紀へ向けての≪グランドチャレンジ≫と呼びたいと思います。

(グランドチャレンジ 23P)

Grand Challenge text2

グランドチャレンジについては、私もまだまだ実践できていないのですが、それでもこの二つの態度が重要であることは少しずつ分かってきました。

「内を見つめる」力によって、内界の変化がどのように起こっているのかを掴めるようになり、また、「内と外をつなぐ」力によって、内界の変化がどのように現実に影響を与えているのかを掴めるようになるのですが、この二つの力が鍛錬されていないと、学んで成長していることを自分で自覚することが困難になり、マンネリに陥ってしまう危険があります。

私も、マンネリになっている時期が長くありました。

先智慧の取り組みにおいて内なる願いを明確にするときも、また、後智慧によって頂いている功徳を意識化できるようになるにも、この二つの力の鍛錬が必要だと感じているのですが、先生はこの二つの力を極められている究極のモデルであることを改めてご一緒に確認しました。

そして、Mさんが功徳を頂いていたことに気づいていかれたような変化が、私たちにも起こっていることを意識化しつつ一緒にウイズダムに取り組んでいきました。

すると、これまで見えなかった、魂、心、現実のつながりが様々に見えてきて、取り組みが深まっていきました。

また、もう一人の青年はデストロイヤーがいるのは分かるけど、超えられないという悩みを抱えられていました。

魂からの、先生との約束に応えたいという強い願いと、その願いを壊してしまうカルマとの間で葛藤されていたのですが、語って下さる言葉の重みをひしひしと感じつつ、先生の祈りの道の言葉に托身し、一緒にカルマを転換できるように祈っていきました。

先生がどのように、その方の未熟を含めて一切を愛し、導いて下さっているのかが、言葉を超えて伝わってきました。

その場には、仲間の転換を見守ってくれる親友の存在がありました。

二人の間では楽しくお互いのデストロイヤーに名前を付けて、デストロイヤーを意識化し、超えてゆく友情が育まれていたのですが、デストロイヤーに対して、こんな受け止め方ができるのかと驚くと共に、新鮮な発見を頂きました。

そして、結局明け方まで一緒に取り組むことになったのですが、それぞれにとってのかけがえのないウイズダム作成の時間となりました。

翌朝、食事が終わって、再びミーティングの時間が持たれました。

その場で、ウイズダムの取り組みについて分かち合われたのですが、それぞれのデストロイヤーへの発見があったことが分かち合われました。

その流れで、自然とお互いのデストロイヤーにネーミングをすることになりました。

「〇〇さんは、『俺のお陰様デストロイヤー』だね」といったことを皆で智慧を出し合って楽しく命名していったのですが、周りはそのネーミングはピッタリだねと大きな反響が起きているのに、言われた本人はボーッとして、何で皆が盛り上がっているのか分からないといった状況が度々起こりました。

先生はカルマの特徴の一つとして、無自覚であることを教えて下さいましたが、デストロイヤーも周りからは見えるけれども、本人は無自覚なので、そのような場になったのですが、「自分では分からないけれども、周りには見えているようだから、そうなのかも知れない・・・」といった発見が重ねられていきました。

そうして、全員がデストロイヤーへの発見を深めていくことになりました。

安全防災チームの3日目の朝のはたらきは、会場に入って行かれる皆さんの誘導でした。

先生のご講演での席を取るために、皆さんが朝早くから並ばれるのですが、安全防災チームは参加者の皆さんより早く行って列を作る体制を作る働きを担いました。

準備をしていると、早速皆さんが並ばれていったのですが、私はその先頭で、看板を持って立つことになりました。

今回の安全防災チームのプロジェクトの願いの一つとして、次の項目がありました。

「一人ひとりが常に先生、参加者の皆さんとシンクロナイズし、心のギアを入れて、生き方の次元を引き上げる。」

このような願いを定めていたものの、初日の時点では参加者の方から話しかけられると、「はたらき中に話されるのは面倒だな」と感じている自分がいました。

面識のない人に冷たく接してしまうことに、改めて自分でも驚いたのですが、この願いを何度も唱和し、「月の心」を深め続ける中で、先生の御心と一つになって、皆さんとも出会いたいと願うようになっていきました。

最終日には、並んでいる皆さんに対してどれくらいシートが深まっているのか、教えてもらいたくなりました。というのも、自分の母がずっとシートが苦手で、分からない、分からないと言っていたので、他の豊心層の皆さんはどのように取り組まれているのか教えて欲しくなりました。

先頭に並ばれている方に、聞かせて頂いたのですが、セミナーを通しての気づき発見を切々と語って下さいました。

図らずもお聞きした皆さんが、息子さんとの再結のテーマに取り組まれていたのですが、GLAを理解して欲しいという願いが、いつの間にかGLAへの学びを強制するような関わりになってしまっていた後悔を深められていました。

「生きていてくれるだけで有り難いのに・・・。申し訳ないことをしてきてしまった。」

その後悔の深い思いと、子に対する無限とも言えるような母の深い愛情が、言葉を超えて伝わってきました。

一人の人間に注がれている、神様の根源の愛情、無限の愛、その愛情が先生の一人一人の会員さんに注がれる愛情とつながっていくように感じました。

「月の心」で支えさせて頂こうと願っての出会いだったのですが、逆に私の方が、先生、神様の御心につながるような深い愛情に触れる体験を頂き、深く癒されていきました。

「魂主義という生き方」の反芻を深め、第5章の最後に、強く、深く、悠々と生きる境地へ導かれることをお示し下さっていたのですが、今回のプロジェクトを通して、その一端を実際に生きる体験を頂いていたことが見えてきました。

最初、誘導において、「人との関わりが面倒だな」と苦に感じていた所から、「強く」生きることによって快苦を超えていく歩みを頂きました。

プロジェクトへの願いを深め、先生とシンクロナイズし、菩提心に転換して出会ったときに、神様の深い愛情に触れる体験を頂くことになったのですが、それは目指すべきもの、求めるべきものを見失うことなく「悠々と」生きる実践であり、その結果として「深く」生きて先生、神様の愛情に触れるような体験を頂いたんだと思います。

この期間、「魂主義という生き方」の御著書を一章一章深めつつ、プロジェクトで神理を生きる実践のチャンスを頂いたことは、本当にありがたい鍛錬の時を頂いていたんじゃないかと感じられてきました。

ただ、こうして1章とはじめに以外の部分を深めてきたのですが、何か心に落ちず、しっくりとこない感覚がありました。

1章と、はじめに、の部分はそれまでも少しずつ触れてきたこともあって、改めて深める必要は無いかなと感じていました。

しかし、このモヤモヤの原因は、取り組みを飛ばしてしまっていたことにあるんじゃないかと感じ、改めて読み返していくと、はじめにと第1章には、魂主義が唯物主義、刹那主義、利己主義に抗い戦い続けることが書かれていました。

それまで、「魂主義という生き方」の御著書を、個人として境地を深める介在と考えていたのですが、実際、1章から5章までは5つの自分革命について書かれていました。

しかし改めてはじめにと、第1章を反芻していくと、最初の部分で、先生は唯物主義、刹那主義、利己主義によって世界は限界に達しており、それを超える道として魂主義を提唱されていたことが見えてきました。

すると、境地を深めることが、そもそも何に繋がっていくのかが明確になっていきました。

先生は21世紀魂文明を創造していく一人一人を生み出すために、この御著書を書かれており、GLAの学びの場も、全てそのいのちに繋がっていくことが見えてきました。

前回、鍛錬合宿において、比較競争や嫉妬を超えるには、より大きな願いを見出すことが重要であると先生から教えて頂いていたのですが、大きな願いが何であるのかまでは、ハッキリとは掴めていませんでした。

しかし、第1章を深めることを通して、先生とご一緒に、唯物主義、刹那主義、利己主義と闘って、魂文明を創造していくことが大きな願いであったことが心深くに落ちていきました。

だからこそ、目先の快苦や、比較競争を超えて、強く、深く、悠々と生きることになっていくんだなと納得することができました。

今回、何度も魂主義という生き方を反芻させて頂いて、深める機会を頂きました。

そのことを通して、これまで曖昧だった、神理の言葉の一つ一つの輪郭がハッキリとしていきました。

七月号のGLA誌の時の羅針盤のタイトルは「新しい言葉を使う」であり、神理の言葉は、世界を見る新たな窓であり、新たな生き方を導き、新たな道を開くことが書かれていますが、反芻を通して、神理の言葉を自分の心に定着させる機会を頂いてきました。

魂の因果律からすると、そうなってしかるべきなのですが、御著書を深めていると、不思議とその内容に相応しい試練を超える体験を頂くことになり、セミナーでの学びも深まり、より御著書の理解が深まるという光転循環を頂くことになりました。

また反芻を通して見えてきたこととして、先生の御著書の構成は本当に完璧と言えるほどの美しさがあり、無駄がなく、全てがつながって、「魂主義という生き方」という御著書として結晶化していることが分かってきました。

そして、この御著書は先生の御心を体現しており、先生の分身そのものでもあるように感じました。

今回をもって、「魂主義という生き方」の反芻は、一旦環に結ばせて頂きますが、先生の御存在自体、弟子としてどこまでも分かっていなかったと砕かれてきたように、この御著書も何度となく読み返して、新たな発見を重ねて行くことになると思います。

そうやって、先生の御心を求め、菩薩への道を歩み深める遙かなる旅を、これからも続けていきたいと願います。

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