魂主義という生き方 主導権を奪回し内なるデストロイヤーの発見へ

前回までの2回は「魂主義という生き方」の御著書を深めてきました。

最初に、第3章の反芻を通して「どうあらんとするか」という魂主義の生き方が人間の使命の図とつながっていることが深まりました。

次に、第2章を通して、カオスという受け止め方を知ることによって、「人生の意味」の喪失という根本的な危機を超えて、神意との遭遇という境地の深化へと導かれていくことが改めて分かりました。そして、「魂主義という生き方」には、人間と世界との関係を根本から変えていく力があることが実感されてきました。

同時に、豊心大学のプロジェクトで、その神理に繋がっていた部分についても書かせて頂きました。

反芻の3回目は、4章の『「果報側」から「因縁側」へ –人生の主導権を取り戻す』に取り組みます。

先日、ある外資系のソフトウェアの会社の方と、お話しする機会があったのですが、「自分なんてペラペラの紙のような存在で、上が変わればいつ吹き飛ばされるか分からないし、自分の要求なんて会社は全く聞いてくれない」といったことを話されていました。

外資系はリストラなども多く、更に顕著なのかも知れませんが、私自身もサラリーマンとしてとして、人ごとじゃないなと感じました。

先生は巨大な社会という「しくみ」の中で、そのような不合理や不都合を感じている私たちに対して、次のように問いかけて下さいます。

多くの人は、「主導権」とは、相対的な力関係だと見ています。取引や仕事の場であれば、強い立場でものを言える側が「主導権」を持っている。立場が上で、力が強い方に「主導権」があり、弱い方にはないと考えてしまうのです。
もしそうなら、人生の「主導権」を持てるのは一握りの人たちでしょう。

(魂主義という生き方 186P〜187P)

そのような私たちのとらえ方に対して、主導権について、次のように示されます。

しかし、「主導権」とは、「ものごとの中心になって動かす力」です。
誰であろうと、どんな立場にあろうと、ものごとの中心に立ってその責任を引き受け、よりよい未来をつくろうとする力。それが「主導権」です。
私たちが主体的にものごとに向き合うとき、そこには必ず「主導権」が生まれます。
どんな時代状況の中にあっても、たとえ社会全体を呑み込むような試練の中でも行使できる「主導権」があるのです。

(魂主義という生き方 187P)

この先生が言われる「主導権」について改めて考えたときに、確かに「主導権」というからには、環境や立場に依存しないものが真の主導権であり、そのような生き方があるんだ!と衝撃を受けました。

更に先生は、「因縁側」に立つのか、「果報側」に立つのかという究極の選択において、決して奪われることない主導権があり、原因を作る「因縁側」と、結果だけを得ようとする「果報側」について次のように示されます。

私たちが「因縁側」に立つとは、ものごとの生成のエネルギーの主体者となることです。自らものごとの原因となり、条件を整えて自体を変化させ、新たな現実を生み出す。感覚的に言えば、それは何かを「してさしあげる」側です。
一方、「果報側」に立つとは、結果だけを得ようとする生き方です。自らがものごとの原因をつくることなく、条件を整えることもない。他の誰かが原因をつくり、条件を整えて、ものごとを生み出そうとするその流れに乗せてもらう。感覚的に言えば、それは何かを「してもらう」側です。

(魂主義という生き方 191P)

そして、第3章の「人間の使命」の図との関係について次のように示されます。

人間の使命の図で言えば、左側の暗転の果報の中にいて、誰かが自分を光転の果報の側に運んでくれるのを待っている人が、「果報側」に立つ人々—「果報側人類」です。「果報側人類」は、そこにたたずむばかりで、助けを求めている人たちです。
一方その暗転の現実そのものを自分に引き受け、自分を転換することを通じて、それらを何とか右側の光転の果報へ運ぼうとする人たちこそ、「因縁側」に立つ人々−「因縁側人類」です。

(魂主義という生き方 193P)

「人間の使命」の図が、「どうあらんとするか」を問う、魂主義という生き方の一つの答えであることを、前章で示されていましたが、因縁果報という三つの軸で捉え直すことによって、「因縁側人類」として生きることが、「魂主義」を生きることと直結していることが深く心に落ちました。

更に読み進めていくことで、因縁側に立ち、主導権を持って生きることが、魂願スイッチを入れて、魂の願いを生きることとつながっていくことをお書き下さっていました・・・。

魂の願いを生きる極意が書かれていると感じたのですが、この部分は、御著書を手にとって読んで頂けたらと思います。元々、このブログでは、先生の御著書の心打たれた部分を一部だけ紹介させて頂いてきたのですが、そのことをきっかけとして、先生の御著書に触れて頂きたいと願って取り組んできました。

Amazonや、電子書籍もありますので、是非この機会に、先生の御著書の本体との出会いを果たして頂きたいと願っています。

魂主義という生き方──5つの自分革命が仕事と人生を変える

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更に先生は、この章の最後に、自分が因縁側なのか、果報側なのかをチェックするためのシートまで公開されていました。

Innenn check 1

このシートの一項目、一項目は、本当に珠玉の智慧で、私自身もこのシートにどれだけ助けもらったのか分かりません。

普段の自分自身の感覚だと、自然と「果報側」で対応してしまうのですが、大きな試練を前にして、このシートと真剣に向き合って「因縁側」を生きようとしたときに、決して開かないと思えた扉が開いていきました。

このシートの内容も、まさにそうですが、一生かけても修めきれないほどの深い神理が、第4章にも惜しげも無く書いて下さっているように感じました。

一回一回の神理の伝承を頂きながら、GLA会員として、知らぬ間に「魂主義を生きる」現実へと導かれてきていることを感じました。

ここから、引き続き、プロジェクトにおける因縁側人類実践の歩みを記させて頂きます。

セミナーが始まる金曜日の朝から、皆で駐車場や立つポイントを確認し、順次ローテーションに従ってはたらきについていきました。

最初、順調に進んでいったのですが、途中で参加者が到着されるようになると、様々な事件が勃発していきました。

今回から新たにバスの運用方法が変わり、駐車場が一部使えなくなるといった新たな問題が発生したりしました。

そういった想定外の事件が次々に起こり、その対応で一杯一杯になり、結局持ち場から離れることができなくなってしまいました。

そして食事も取れずに、2時間以上誘導の作業が続くことになり、ローテーションは事実上崩壊してしまいました。

ようやく山を超えて、詰め所に戻って食事を取り、その後、「正見のまなざし」のシートの研鑽をお享けすることになりました。

研鑽チームとして、お二人に来て頂いて、シートの取り組み方を教えてもらいつつ取り組んでいくと、それぞれの後悔と願いが深まり、今回定めた菩提心についても更に深く語り合われていきました。

今回は12名中なんと4名が「月の心」を定めていることも分かったのですが、それぞれにとってのプロジェクトを通して超えたいテーマが明確になっていきました。

はたらきが一段落して、夜のプロジェクト集会に全チーム集まったのですが、急遽先生がお越し下さることになり、プロジェクトへのご指導を頂くことになりました。

先生は、神理、魂の学は実践哲学であり、信次先生が説かれていた「神理は実践することによりいのちが宿ることを知れ」について改めて触れて下さいました。

そして、4年前に入会されたばかりのある方の歩みについて分かち合って下さいました。

内容は割愛させて頂きますが、その方の人生がプロジェクトを通してどのように転換していったのか、ご本人でさえ自覚していない物語を分かち合って下さいました。

同じプロジェクトの仲間が突然呼び出されて、実践を分かち合われたように、私たちにも神理実践することが強く呼びかけられることになりました。

はたらきが一段落して、一日の後智慧の時間が持たれました。

そして、翌日のはたらきについて考えることになったのですが、青年を中心に、翌日の計画を立てるはたらきを担いたいという発心が表明されていきました。

「このままじゃいけない!私たちも神理実践したい!」そのような溢れるような志が表明され、次々にメンバーが立ち上がっていきました。

リーダーも少し戸惑いつつも、その提案を受けとめて、一緒に翌日の計画を考えることになりました。

今回、第4章の深めを通して、「因縁側人類」を生きることを深めさせて頂きましたが、この初日の後智慧の場が、皆で主導権を取り戻した瞬間だったと思います。

志を表明した青年も、いざ具体的にミーティングが始まると、それぞれの葛藤が顕わになり、途中で泣き出してしまうような場面もありました。

それでも主導権を手放すことなく、皆で励まし合って、一緒に願いを形にし、具体的な計画まで作っていきました。

そして、内なるデストロイヤーを超えていく願いがより明確になっていくことになり、ここからプロジェクトへの取り組みが一気に深まりました。

プロジェクトが進むにつれて、正見の取り組みの時間も更に充実し、多くのメンバ−がデストロイヤーを発見していきました。皆より自分の方が遅れているように感じられ、私もデストロイヤーを発見したいという願いが強くなっていきました。

先生ご講演前の時間となり、安全防災チームは列を作るはたらきを担ったのですが、隙間時間に、お隣のポイントのTさんと話すチャンスがありました。

前日の後智慧の時に、Tさんから「記録した内容を読んで下さい」と言われたことが気になっており、何でそのようなことを言われたのか、お聞きしました。

Tさんは、自分が言いたいことの半分も伝わっていないと感じられており、自分に対して不満を抱かれていたことが分かりました。

その話しを聞いていて

「そんなことはない、そんなに一人の事ばかり聞いていたら、周りの人に迷惑を掛けることになってしまう。あなたのわがままにはつきあっていられない。」

と、自分の心も不満に飲み込まれていきました。まさに、「こうなってしまった」と受けとめており、主導権を失っていました。

しかし、次の瞬間「今の自分にデストロイヤーはいないのかな?」と自分の心に意識を向けてみました。

すると、超優位で塊のようになっている心が意識化されてきました。

Tさんの言うことを受けとめようとしていなかったのですが、その根本に、歪曲の受信によって最初から相手の意見をまともに聞こうとしていなかったことが、初めて見えてきました。

自分の内側に、問題の原因を見出すことによって、「こうなってしまった」という受け止め方から、「こうさせてしまった」という受け止め方へと変化し、主導権を奪回することになりました。

そして、主導権の奪回と、デストロイヤーの発見が同時に起こっていきました・・・。

前回のブログで八ヶ岳に来る時の電車の中で、仕事の関わりにおいて、急に理不尽な反発を受けてきた原因が自分にあり、先に攻撃していたことが見えてきたことを書かせて頂きました。

その後のプロジェクトでの実践を通して、デストロイヤーのよりはっきりとした正体としての、歪曲、独尊の受信、発信の発見へと導かれていきました。(続く)

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