三陸の東北復興支援会社のお手伝いをした翌週に、全く別件で、チャリティーコンサートのお手伝いで東北に行くことになりました。
GLAの合唱団の同志に、親子の音楽塾の先生をされている方がいらっしゃって、東京で開催されたチャリティーコンサートへの参加がきっかけとなり、三陸のコンサートに同行することになりました。
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気仙沼での第1回目のコンサート
これまで、気仙沼には知り合いがおらず立ち寄ったことしかなかったのですが、今回は目的地として気仙沼に行くことになりました。
朝早くに浅草を出発し、マイクロバスを使っての長い旅路となったのですが、12:00頃、気仙沼に到着しました。
コンサートを開催するに当たって、気仙沼の保健所の所長を担われていた、桐生さんが事前に働きかけて下さっており、新聞にもコンサートの記事が紹介されていました。
そして、目的地の子供達のための福祉施設に到着しました。
この施設にいる子供達の背景を教えて頂いたのですが、親に子供を育てられない様々な事情があり、この施設に預けられて、職員の先生方との共同生活をされていました。
更に詳しくお聞きすると、育児放棄やニグレクト(無視)が多いらしく、幼児虐待を受けて保護されている子供達もいるということでした。
一見すると、子供達は元気に遊び回っており、そんな背景があるとは全く感じられませんでした。
しばらくすると、多くの地元の皆さんが集まってきて、寿司詰め状態の中でコンサートが始まり、盛況の内にコンサートを終えることが出来ました。
終わった後で、バスで移動しながら感想を語っていったのですが、バイオリンを演奏されていた方が、子供達の抱える痛みが自分の心に飛び込んできて、涙をこらえるのに必死だったと話されました。
そのような受け止め方もあるのかと思いつつ、その日の夜は、気仙沼の民宿に泊まることになりました。
気仙沼にもたらされた震災の痛み
民宿に行く途中にも沢山の仮設住宅があったのですが、仮設の中でお店をされているところも結構多くありました。
仮設住宅は、当所3年期限とされていましたが、地域によって復興の進捗に差があり、気仙沼は期間が6年まで延長されてきているということでした。一方で大船渡は行政が着実に推進しており、仮設住宅を引き上げる目処がついてきているとお聞きしました。
厳しい状況にあっても、その場を引き受けて、新たな挑戦をされていることが伝わってきました。
ホテルに到着すると、一枚の椿の絵が飾られていました。
お聞きすると、その民宿は元々海の近くにあったらしいのですが、津波で流されてしまった時に、民宿のオーナーのお母さんが、椿の樹に捕まって一命をとりとめたそうです。
それで、椿の絵を飾っているということでした。
翌朝、4時過ぎに目が覚めて、様々な取り組みをしていたのですが、途中で居眠りをしながら夢ううつの中で取り組んでいるときに、ふと、真っ黒な津波が押し寄せ、のみ込まれていく風景がみえてきました。
「あれは、夢だったんだろうか・・・?それとも・・・」、あの真っ黒な海にどのような意味があったのかはよく分かりませんが、この土地にはそれだけ深い痛みが記憶されていることを感じました。そして、その日は、津波がもたらした痛みと深く出会っていくことになりました。
地福寺訪問 津波にのみ込まれたお寺でのコンサート
朝、民宿を発って、近くにある地福寺というお寺に向かいました。
お寺の近くには、津波の被害を説明する看板がありました。
お寺の壁に、津波の到達した高さが記されたプレートがありました。
お寺は少し高い場所にあり、避難場所になっていたのですが、まさかここまで津波が来るとは想定されていなかったそうです。
お堂には、この震災で亡くなられた、たくさんの地元の皆さんが御供養されていました。
和尚さん御自身が、命からがら救われたこと・・・。全壊した地域を目の当たりにしたときの思い・・・。その後の復興への歩み・・・。その当時の大変な状況が蘇るように、詳しく教えて下さいました。
(写真は和尚さんと、元保健所所長の桐生さんと頂いたうちわ)
また、想定を超えた津波によって、避難場所に指定された場所に逃げて、その場で亡くなられた方が沢山いらっしゃったことなども、窓の外に見える具体的な場所を示されながら話して下さいました。
和尚さんに震災時の話しを聞かせて頂いたので、お礼に歌を歌わせて下さいとお願いしたところ、それなら本堂で亡くなられた方のために歌って下さいと言われました。
音楽塾の生徒さんが、高橋先生が作られたヴィジュアルブック「Future」の内容を表現するオリジナルの曲を作曲されており、レパートリーの一つとして各地で演奏されてきましたが、その曲を演奏することになりました。
歌詞の内容は、闇の心から、光の心へと転換し、魂の設計図を開いていく歌となっています。
和尚さんが震災にあった地元の方々を励ますために、大切にしている言葉「めげない、逃げない、くじけない」を入れて歌いました。
演奏が始まると、何か特別な光が注がれているように感じられ、歌っている人も涙、見守って下さっている和尚さんも涙涙で、歌を通しての深い御供養の場が持たれていきました。
歌を通して和尚さんと深く心が通じるようになり、その後、津波にのみ込まれた場所まで、和尚さんが道案内して下さいました。
その場には、鎮魂のための碑が作られていました。
そこから、かなり遠くに、波が打ち寄せている浜辺も見えたのですが、まさかここまで津波が来るとは想像できませんでした。
和尚さんの導きを通して、土地に刻まれた深い苦しみと悲しみに触れていきました。
無償で車を提供された自動車会社の社長さんの復興ヴィジョン
その次に訪れたのは、海岸から少し離れた場所にある三菱自動車の販売店でした。
高橋佳子先生の御著書「希望の王国」のプロローグにのっている千田会長は、震災発生直後に100台以上の自動車を無償で提供された方なのですが、その当時の話しを聴かせて頂きました。
震災が起きた後で、海岸から離れているこの場所まで車が流されてきているのを見て、これは大変なことが起きていると思い、とっさの判断でありったけの車を持ってきてもらうように手配されたそうです。
そして、車が流されて困っている皆さんに無償で配布されたそうです。
その話しにも驚いたのですが、車を提供された皆さん全員が、その後車を購入され、中にはもっといい車に買い換えられた方もいらっしゃったとお聞きして、更に驚きました。
普通だったら、ずっと無償で乗り続けたり、中には返してしまう人がいてもおかしくないと思うのですが、相手を思いやる真心が、そのような信頼関係に繋がっていったように感じ、感動しました。
また、この会長さんのもう一つの挑戦として、気仙沼を復興するヴィジョンを御自身で作られて、それを絵に描いてもらって地域の数万件というご家庭に配布されていました。
気仙沼を復興させたい、皆を励ましたい、その一心で取り組まれていたらしいのですが、その後、描かれていた青写真が、国の復興プランにも採用されることになり、念願だった橋を作る計画にまで結ばれたことを教えて頂きました。
ヴィジョンを描いて、具体的に働きかけていったときに、本当に願いを具現化できるモデルを見せて頂いたように感じ、仕事やGLAのプロジェクトにおいても、願いを具現してゆける勇気を頂きました。
大船渡での子供達の施設でのコンサート
その日の夕方に、大船渡のもう一つの子供達のための施設に到着しました。
到着したときは、非常に体調が悪くなっており、苦痛に耐えながら準備を進めました。
今思うと、沢山の方が津波にのみ込まれた場所を、その苦しみに思いを馳せながら回っていったので、その土地に堆積した痛みを吸い込んでしまったんじゃないかと思います。
コンサートを行う部屋はかなり小さくて、ギリギリの準備をしつつ、辛うじてスタートすることができました。
演奏する側も参加者も、一体となるような密集した状態となったのですが、参加者の中に、4歳くらいの小さな女の子がいました。
先生にずっとしがみついていて、人に対しておびえるような様子だったのですが、その瞳を見たときに、その子が体験した悲しみ、苦しみが自分の中に流れ込んでくるように感じ、涙が溢れてきました。
こんなに小さい女の子なのに、ここに来るまでにどれだけ苦しい体験をしてきたんだろうか・・・。その歩みに思いを馳せていました。
私自身が幼い頃に、母から折檻や、ネグレクト(無視)を受けてきた経験があるのですが、最も愛する親からそのような仕打ちを受けることは、世界に対して決定的な不信感を抱くことになってしまいます。
深い痛みへの共感と同時に、心深くから何とかさせていただきたいという祈るような思いが引き出されてきました。
約1時間のコンサートは、復興応援として人生の歓びと悲しみを歌うような曲が多かったのですが、途中で、苦悩を乗り越えて歓喜に到達したベートーベンの映像と寸劇をまじえた人生史もありました。
音楽家にとって、最も大切な聴力を失い、その苦しみを引き受ける中で「第九」等の名曲を生み出していったベートーベンの人生に感動し、子供達も、試練の持つ深い意味を学んでいきました。
中には、コンサートが始まったら直ぐに出て行くと公言していた中学生もいたのですが、結局全員最後まで集中して聴いてくれて、来年も来て欲しいと応援する側に回ってくれていました。
そして、コンサートが終わった後で帰る時に、幼い子供達がお見送りに来てくれました。
不安におびえた瞳が、子供らしい笑顔に変わり、最後、手を差し出してくれて握手して別れました。
この子達の痛みが癒されるためだったら、何でもさせていただきたい、「励ましたい」という願いが心深く、魂の奥から溢れてきました。
福祉施設での最後のコンサート
最終日の午前中に、3回目のコンサートが開催されました。
この場には、私が震災直後に赴いた大船渡で、津波にのみ込まれた家のヘドロを取り出す作業をさせて頂いたご家族も来て下さっていました。
東北復興プロジェクト 震災の翌日には先生の緊急招集、そしてボランティアへ
その後、一度だけお宅に伺ったことがあったのですが、その後何も出来ておらず、申し訳なく感じていたのですが、元気な様子を見せて頂き、感動の再会を果たすことが出来ました。
その後、息子さんが就職の試練を抱えられていることをお聞きし、少しでも同伴させて頂きたいと約束しました。
東北への旅を通して頂いた「観音の心」の菩提心の深まり
こうして、三日間の非常に密度の濃い旅を終えて、東京に戻ってゆきました。
コンサートに参加して下さった方が書かれた感想を、帰りのバスの中で読み上げてもらい、参加された皆さんが、コンサートを通して泣いたり、笑ったりして、たくさんの元気と希望を頂かれていたことが伝わってきました。
東京に帰ってきた翌朝、いつものように「観音の心」の書写行の後で禅定に取り組みました。
「観音の心」を育む祈り、には次のように書かれています
どうか
共に生きる人々の苦しみをわが苦しみとさせてください。
共に生きる人々の歓びをわが歓びとさせてください。世界に響く苦悩の声を受けとめたいのです。
世界に流れる悲しみの涙を受けとめたいのです。
わたくしにできることに心を尽くさせてください。わたくしは
「観音」のごとき慈悲の心を育みます。
人々の苦しみを引き受け
その仏性を守りために。どうぞ、わたくしの内なる慈悲心をあらわしてください
『新 祈りのみち』 721P〜722P
この三日間、震災による痛み、そして家族の試練に会っている子供達の痛みにずっと触れ続ける歩みを頂いてきたこともあり、これまで感じたことがないほど、観音様の心と一つになっているような感覚になりました。
それは、観音様が、ずっと三陸の痛みを深く深く受けとめて下さっており、三陸に行くことによって、その場に注がれている観音様の慈悲の心に触れることができたのではないかと感じました。
それは同時に、高橋先生の東北に注がれる慈悲の御心との出会いでもありました。
しばらくして、ボランティアコンサートに参加した子供達は、この旅の経験を通して、大きく成長したことを音楽塾の先生から教えて頂きました。
中には、様々な習いごとをしている子もいるらしいのですが、コンサートに参加させたお母さんが子供の変化に驚いて、音楽塾への参加を第一優先にされたそうです。
また、旅に行く前までは甘えが強くて、自分の気持ちを伝えられなかった子が、この旅の後で自分の気持ちをハッキリと伝えられるように成長したという話しもお聞きしました。
身近な人が突然亡くなってしまうという、普段の生活では触れ得ない様々な痛み苦しみの話しを聴かせて頂いたことは、子供達にとっても人生観が変わるような衝撃的な体験となったようです。
また、話しを聴くだけでなく、歌うことを通して励ます経験ができたことは、三つの幸せの「あげる幸せ」を生きる体験であり、そのことが人間の魂の成長にとってどれほど大きいのかを、教えて頂いていたようにも感じました。
「希望の王国」への道
「痛みに応えたい」と願って参加した旅だったのですが、背負いきれないほどの痛み、苦しみと出会わせて頂きました。
でも、何でそのように願っているのか、自分でもよく分からなかったのですが、その意味を尋ねていて、先生の御著書「希望の王国」の次の詩と出会いました。
苦難に耐えて
歩み続ける人たちは
それだけで
希望の道を開いている。投げることなく
屈することなく
あきらめることなく
新しい世界に近づいている。本当の希望とは
試練を消し去ることではない。
暗夜の下でも
めざす星を抱くことなのだ。一人の試練が
一つの道を開くなら
千の試練は
千の希望を生み出すだろう。一人ひとりの道が
『希望の王国』 地図にない国を求めて
築き上げる
地図にない国こそ
希望の王国である。
そうか!東北への旅は、苦難に耐える旅でもあったのですが、それはその痛みを引き受けて、「希望の王国」への道を共に歩ませていただきたいという、魂の願いにつながっていたことに気づかせて頂きました。
東北のことがずっと気になり、応えられなくて申し訳ないという思いが溢れてやまないのも、そのような深い魂の願いとつながっていたことが、改めて見えてきました。
それは、今ある痛みだけではなく、日本がこれから第三の国難という大変な試練を超えて、「希望の王国」への道を歩んでいくために、あらゆる試練を引き受けてゆきたい、という願いでもありました。
そういう意味では、職場において試練の中で神理実践することも、GLAのプロジェクトにおいて神理実践して共に試練を乗り越えていくことも、全て「希望の王国」への道につながっているんだと思います。
これからも引き続き、東北復興支援の歩みは続けさせて頂いて、ご一緒に「希望の王国」への道を歩ませて頂きたいと、改めて願いを確かにしました。