劇プロジェクトへのチャレンジ3-キリキリの厳しさの中で先生に導かれる恩寵

かけ橋セミナーでの劇の上演が終わり、次なるチャレンジとして、伝研セミナーでの劇の準備が始まりました。

前回のかけ橋セミナーにおいても、本当に誓願に導かれるように深まっていきました。

伝研セミナーに向けても、誓願に取り組む機会を頂き、魂深くにその願いを尋ねるように取り組んでいきました。

ある劇のご指導において、営みの場でキリキリの現実の中で、先生とご一緒に道を切り開く神理実践を果たしてこられた先輩の歩みを紹介して頂いたことがありました。

そして劇においても、日々甘く生きていてはそのように生きることはできず、自ら限界をつく出していることをご指導頂きました。

そこで、私も

「先生とご一緒に道を切り開かれている先輩の皆さんと同じように、キリキリの現実の中で神理実践を果たし、劇を観て下さる方の本心が引き出される劇を具現化します」という願いを定めました。

そして、もう一つは、

「劇に携わるお一人お一人の神理実践に同伴し、ご一緒に神理の研鑽を深め、本心に溢れる劇を具現します」という願いを定めました。

先生と御一緒に、先輩の皆さんと同じように、キリキリの現実の中で神理実践を果たしたいと願ったのですが、本当にそのような試練がやってきてしまいました・・・。

かけ橋に向けての劇のチャレンジ中に、仕事においても十年来のある部署との再結にチャレンジしたことはお伝えさせて頂きました。

劇プロジェクトへのチャレンジ2_万次郎の物語に込められた神意へのアクセス

3階層くらい上の責任者に提案内容について理解して頂き、組織間の調整をして頂くことができました。

報告会が終わった日は、グループの皆の苦労をねぎらい、飲み会で思いっきり盛り上がりました。

その時にあるメンバーから、状況も変わってきたので、プロジェクトの体制も見直そうという意見が出ていました。

しかし、その時は、その言葉の意味もあまり深くは受けとめず、軽く受け流し、夏期の連休に入っていきました。

連休が終わって、プロジェクトについての見直しが始まりました。

メンバーから提案があり、見直す内容やスケジュールは既に決められていました。

その中に、プロジェクトのリーダーの見直しという項目がありました・・・。

少し気になったのですが、それも軽く受けとめてそのまま進めてしまいました。

しかし、いざプロジェクトの振り返りが始まると、だんだん雲行きが怪しくなっていきました。

最初に、いくつかのグループに別れて、これまでの振り返りに取り組んだのですが、それぞれの不満が噴出しました。

中でも、もう一人のリーダーのX君の発言内容は、明らかに私をリーダーから降ろそうという意志がダイレクトに表現されていました。

そして、多くの人は、学問的な知識の背景があり、普段から理詰めで難しい単語を並べて話すX君に対して、恐れを抱いていました。

そのため、Xの意見に対してまともに意見する人はおらず、じわじわと追い詰められていきました。

そして、いつの間にか議論は、私がリーダーとしての資質があるかどうかという話しに移っていきました。

その判断のために、プロジェクトマネジメントの課題を与えられました。

これまで、GLAのプロジェクト活動をずっとやってきていたため、会社で学んだ初歩のプロジェクトマネジメントの講習内容は、9割以上はGLAで既に実践してきていました。

そのため、プロジェクトマネジメントの課題については甘く捉えてしまい、さほど時間をかけませんでした。

その課題よりも、リーダーとして皆の思いを充分に受けとめて来れなかった事への後悔を深め、まとめる方に時間をかけていました。

家に帰って一旦休んだのですが、殆ど夜もまともに寝ることも出来ず、朝の3時位には目が覚めてしまいました。

そのような経験はこれまで殆ど無かったので、ただならぬ状態に追い詰められていることを感じました。

かなり早く会社に到着し、準備して会議の場に臨みました。

最初にリーダーとしての後悔を真っ先にお伝えしました。少し、誤解が解けた部分もあったのですが、それよりリーダーを降ろそうという話しに直ぐに変わってしまいました。

そして、プロジェクトマネジメントの課題について、徹底して批判されることになりました。

私のリーダーとしての適正について、様々な視点から検証が進められていきました。

そして、X君からこのままいったらこのプロジェクトは100%失敗すると断言されてしまいました。

その後は、このままだと100%プロジェクトは失敗するという前提で、プロジェクト失敗の回避策が検討されていくことになりました。

回避策の中に、私が今後数ヶ月で成長することにチャレンジし、プロジェクトの失敗を回避するという項目がありました。

その内容について、今回の見直しを最初に提案した人が、持論を展開し始めました。

それは、プロジェクトの成功を優先させるか、それとも人としての成長を優先させるか、どっちにするかというものでした。

それまでは、約半分の人は、私に再度リーダーをお願いしたいという人もいたのですが、その質問を突きつけられて、やっぱりこのプロジェクトは会社にとってとても大切なので、プロジェクトを優先させるという意志が表明されていきました。

全くロジカルでも何でも無かったのですが、既に相当ダメージを受けており、まともに議論する気力もなくなっていました。

こうして、私が再度リーダーを担うという選択肢は、無残にも目の前で消えていきました。

その後は、次のリーダーを選出する議論に移っていきました。そうして多数決の結果、それまでサブリーダーをやっていた方が選出されることになってしまいました。

もうその時点でその場にいることがあまりに辛くなってしまい、本当に気分が悪くなったので部屋を退出しました。

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外に出て、誰も通らない非常階段があるのですが、途中まで登って座り込みました。

天を仰ぎ見ると、青い空が広がっていました。

「本当に終わってしまった・・・。」

それまで、外の人から攻撃を受けて、理不尽な目に遭うことには慣れていました。

それだけ、様々な人々や部署の利害関係が絡む改革プロジェクトであるため、ある側面仕方ない部分もあるので覚悟していました。

しかし、今回のように身近な内部の人から切り崩されていくのは初めての経験でした。

プロジェクトにスポットライトが当たった瞬間に、それまであんなに無関心だった人達の心の中に闇の心が生まれてきました。

妬みや嫉妬、そして欲望・・・。そして、一人一人の中にあった闇の心が連鎖し、最悪の結末へと向かうことになりました。

その現実を、まざまざと見せつけられて、大変に辛く、悲しみがこみ上げてきました。

「ちょっとしばらくは無理だなあ・・・。」あまりのショックに打ちひしがれて空を見上げると、一番苦しいときに先生が側に居て下さって、支えて下さっていることをに感じました。

一番苦しいときに、本当に先生は支えて下さっているんだなあと感じました。

その後、部屋に戻ったのですが、気分が悪くなり部屋を出ました。そして、急いで身支度を調え帰ることにしました。

しばらくは本当に無理だと思い、有休も申請して休むことにしました。

会社を出るまでは張りつめた気持ちがあったのですが、会社を出るとその緊張感は解かれていきました。

そして、この数年の歩みが思い出されてきいました。

このプロジェクトのために心をかけて下さった皆さんのことや、様々な試練を仲間と一緒にくぐり抜けてきた歩みが、走馬燈のように思い出されていきました。

このプロジェクトには会社の大切な未来がかかっている、国難の中にある日本の製造業を立て直す要として、なんとしても成功させなければならない!

そのような使命感を抱いて、走り抜けてきたこの数年間でした。

それこそ自分の利害は横に置いて、このプロジェクトの成功のために尽くしてきました。

それだけ尽くしてきたのに、関わる人達の様々な闇の心が錯綜し、信用してきた内部から切り崩されて、こんなにも簡単に崩壊してしまいました・・・。

こんな理不尽なことがあっていいんだろうか・・・。歩いていると、自然と涙が溢れてきましたました。

改めてこのプロジェクトが自分にとってどれだけ大事であったのかが感じられてきました。

情緒不安定になってしまい、ふと考え込んでしまうと自然と涙が溢れてきそうになるので、気持ちを立て直すために喫茶店に入りました。

そして、止観シートに取り組み、プロジェクトの成功をとるか、自分の成長をとるのかを審議したときの出来事を振り返っていきました。

そして、「新祈りのみち」の中から、今の自分にぴったりの祈りを探していきました。

「悲観するとき(あきらめに縛られるとき)」
「失望・落胆するとき」
「絶望するとき」

と、一つ一つの祈りを深めていきました。

普段、読み飛ばしていた内容が、この時は一言一言が心深く、魂深くにしみいっていきました。

「失望・落胆するとき」の祈りには次のように書かれています。

『どう考えても失敗の事実を消し去ることなどできず
もう可能性は皆無で、未来はないとしか思えないとき。
こんなに地球の重力が大きいものかと感じる。
体を動かすことすら大変で、息をすうことせも難儀して
やっとのことでため息をつくとき。』

本当にこの通りで、イスに深く座り込んで、身動きすらとれないほど体が重くなっていました。

先生は自分の状態も全部ご存知で、受けとめて頂いているように感じました。

その後更に祈りの道を読み進めるほどに、自分の心を深くつかみ、起こっている事件への洞察を深め、更にどのように転換していけばいいか最善の道の開き方を教えて頂くことになりました。

祈りのみちに誘われて、深い情動に導かれるほどに、魂の深い願い、生まれてきた元々の願いという原点に立ち返っていきました。

そして、もう全てが終わってしまって道はないと絶望している心に光が注がれていきました。

この試練は一つの「壁」でしかなく、この試練を呼びかけとして受けとめて成長し、いかなる状況にあっても最善をもたらす一筋の道を開いていけると信じようと思いました。

喫茶店で深く祈りの道に取り組んでいると、励ましてくださる先生の御心が伝わってきて泣けて泣けて仕方がありませんでした。

周りの目が気になって恥ずかしかったのですが、魂からの想いを抑えることはできませんでした。

祈りのみちを通して深く先生の御心と出会い、自らの魂の願いに立ち返り、その過程で流されていった涙は、様々な汚れや淀みを浄化し、力を与えられることになりました。

「終わりではない、道はある」そのような確信が心に生まれていきました。

このまま引くわけにはいかない、指摘された弱点を自力で克服しようと思い、早速本屋でプロジェクトマネジメント関連の本を数冊買ってきちんと勉強することにしました。

ジュンク堂で、本を探していると、新渡戸稲造のコーナーが目に入ってきました。

10冊ほど稲造の本が並んでいたのですが、その一つが目につきました。

「逆境を超えてゆく者へ 爪先立ちで明日を考える」

という本で、東日本大震災で被災された皆さんを励ますために、「修養」と「自警」という新渡戸稲造がかつて書いた二つの著作から、逆境について抜粋した内容となっていました。

今の自分にぴったりなタイトルだなと思い、自然と本を手にとって読んでみました。

Inazou book

ぱらぱらとめくっていったのですが、「善用四、逆境は自他に対する試金石」という章に以下の内容が書かれていました。

『逆境に陥ったとき、人の友情は初めて試される。順境なら人々は真偽なく同じに見えるが、逆境になるとその本性が顕わになる。「家貧しくして孝子出で、国危うくして忠臣現る」というのと同じである。・・・』

更に「善用五、逆境から得られる超俗的修養」には次のように書かれています。

『しかし、最も頼りになると信じていた人が実に頼み甲斐がなかったと、怨むことが多いのも事実である。
 これは、最初からそのような人を頼りにしたのが間違いなのである。頼み甲斐がなかったからといってその人を不人情であると決めることはできない。それより、甲斐ない人を頼りにした自分の愚かさを悟るべきなのである。』

今回の試練に対して、状況が変わったときに急に裏切られたと思い込んでいたのですが、そうではなかったんだなと思いました。

最初からチームの絆は危うい状態があり、試練を通してその実態が明らかになっただけであったんだと思えてきました。

自分自身の認識が甘く、真実を洞察できていなかったんだなと思いました。

初めは理不尽に思えた試練が、自分の未熟がこうさせてしまっていたんだなあと主導権の輪の中に入ってきました。

後はここから、どのように立て直していこうかと前向きに捉えられるようになっていきました。

丁度この頃に発刊されていた、GLA誌の8月号「時の羅針盤」の先生の御文章にも大変に励まされました。

時の羅針盤・125 − 魂を起動させる

その「人生の第二呼吸こそ魂起動のしるし」という章の一節に、以下の内容が書かれていました。

『「もう一歩も動けない」「どういもならない」・・・・・・。
しかし、そのときこそ、私たちは、魂の智慧と力を思い出さなければなりません。
なぜなら、自分が「もう何もできない」「どうすることもできない」と思ったところから先に進む智慧と力こそ、魂が抱くものだからです。私たちは誰でも、これまでの自分が「もうだめだ」と思う現実を打開できる智慧と力を魂に蓄えているのです。
「これ以上はできない」というところから、実は本当の修行が始まります。「どこにも道はない」というところから、本当の人生の道が始まります。』(GLA誌8月号11Pより抜粋)

以前に、GLA誌の御文章を、先生は会員さんお一人お一人の状況を受けとめて、お手紙を書くような気持ちで書いて下さっているとお聞きしたことがありました。

この厳しい試練にあって、先生がこの試練を引き受けることを呼びかけて下さっていると感じました。。

今は限界ぎりぎりだけれども、でもこれが自分にとって必要な修行であり、その先に開かれる世界が待っていると受けとめられるようになりました。

一連の事件について、上司に報告させて頂いたところ、リーダーの変更は俺が認めないと言って下さいました。

そして、休みを取り下げて早急にこの問題を解決しようと提案して頂くことになりました。

「こうなってしまった」から「こうさせてしまった」へと転換すると、本当に同志が現れて、思わぬ所から道が開かれる、という神理を今回も体験させて頂きました。

このような立て直しをしている最中に、前回書いた、おあばちゃんが無くなった知らせがあり、急遽実家に帰ることになりました。

前回の記事で、父の兄弟げんかの背景に、祖父母の影響があったことを書かせて頂きました。

更に、親戚と出会う中でもう一つ見えてきたことがありました。

親族一同が集まっている葬儀場で、また兄弟げんかが始まってしうんじゃないかと、内心冷や冷やした思いで見守っていました。

夜になって、お酒と軽い食事が買ってこられて、宴会となっていきました。

私はとても、お酒を飲む気持ちにはなれず、緊張していたのですが、当事者である父の方はどんどんお酒が進んみ、泥酔していきました。

下手をすると、既に四面楚歌になっているかもしれないのに、余りにも無防備にお酒を飲んでいる父の姿がありました。

天真爛漫で、優しいのは父のいいところでもあるのですが、同時に、煩悩地図の快衰退で「鈍感」の受信、「曖昧」の発信のために、隙だらけで簡単にだまされてしまう弱点があることが見えてきました。

この父の姿と、今回の事件で追い詰められていった自分自身の姿がピッタリと重なりました。

無自覚に、同じような事をやってしまっていたことが見えてきて、父が越えられていないテーマを自分も持っていることが分かってきました。

先生から、両親から流れ込んでくる「血」の流れがあることを教えて頂いていましたが、相似形とも言えるような試練を背負っていたことが見えてきました。

同時に、現在のプロジェクトの次のステップとして、関連部署との調整などもっと高いハードルを越えていく必要がありますが、その試練を乗り越えていくための自分自身の弱点を教えて頂いているようにも感じました。

東京に帰り、今回の事件の解決のための神理実践に着手しました。

その間に取り組んだ、神理実践シートは、最新のGGPの

『「試練は呼びかけ」で引き受け『私が変わります』で迎え撃つためのシート』

をはじめ、10枚ほどになりましたが、何度もシートに取り組んで因を転換し続けていきました。

また今回の事件は重く、因の転換だけではパワーが足りなかったので、縁の転換にも意識的にチャレンジすることになりました。

■因縁果報

なお、GLA会員の方は、以下のコンテンツに詳しく縁の転換について先生がお書きくださっています。

「魂の学」序説70 − 具現の秘義Ⅳ

御文章の中に次のような一節があります。

『「縁の転換」が特に深く寄与するのは、そのテーマに、多くの人々が関わるような大きな課題、組織的な問題などです。それらの場合には、私たちの「因」としての転換だけでは、どうしても動かしがたいものがあるからです。そのようなケースは、「縁の転換」によって「果報」の転換を導くだけの光転のエネルギーが必要になるのです。』(「魂の学」序説70 − 具現の秘義Ⅳ 13P より抜粋)

更に、同志、原則、システムについても非常に詳しく書いて下さっているので、是非ご確認下さい。

まず「同志」ですが、何度も何度も上司に働きかけました。

今回の事件が生じた背景や、背後にある根本的な問題などについても率直にお伝えしました。

理解を深めて頂いたのですが、それは同時に上司の思いとは絶望的なほど乖離した現場の低レベルな実態を知って頂くことになりました。

このグループに現れている現状は、ある意味で会社の縮図となっていることが見えてきたのですが、その重い問題ををご一緒に背負って、一緒に改革していくことになりました。

まずは、席の近くのお二人に、じっくりと出会う時間を持ち、思い込みを解除していきました。そして、一緒にチームを立て直していく同志となっていきました。

次に、グループを覆っている暗転の原則を明確化していきました。
①権威への依存
②プライドの高い学者
③頭でっかちの実行不在

といった原則が背後にあって、様々な問題を起こしていることを看破していきました。この現状を解決するために、次の光転の原則を立てました。

①理解と実践
②自分を砕いて、問題を背負う
③実務の尊重

この原則を浸透させていくためのシステムを転換していきました。

メールで会社の根本にある理念を改めて共有したり、ミーティングの場を設定し、お一人お一人の考えを聞き出していき、誰がどのように考えているのか上司に報告していきました。

そして、全員を集めた場で、上司からも一人一人の考えを聞き出していかれ、その場で修正して行かれました。その結果、この原則の転換は一気に進んでいきました。

その後、私の方からも、この問題の更に根本にあったコミュニケーション不足の問題を解決するために、MTGの持ち方やグループの体制を見直す案を作成し、実施していくことになりました。

こうして、様々な施策を実施し続ける中で、停滞していたグループの状況は立て直されていきました。

そして、二つのプロジェクトは活性化し、両者が同時に深まっていく歩みが始まっていきました。

更に、会社内でのプロジェクトの重要性が更に認識されるようになり、外部との調整も進んでいきました。

劇の誓願において、キリキリの厳しさの中で先生とご一緒に歩むことを願ったことから様々な試練が起こっていきました。

本当に越えがたい、厳しい試練の連続ではありましたが、神理実践で道を切り拓いていったときに、更なるプロジェクトの青写真具現へと導かれていくことになりました。

もし神理を学ぶことなく、このような試練と出会っていたら、本当に病気になっていたと思います。

しかし、神理を学ぶ中で出会う試練は、より深く自らの未熟を見つめ(愚かさの自覚)、より深くこの世界の厳しい現実に目が開かれ(忍土の自覚)、そして何よりより深く先生に導き続けて頂いている恩恵に気づかせて頂きました。(恩恵の自覚)

■3つの自覚(愚かさの自覚・忍土の自覚・恩恵の自覚)

営みでの神理実践と共に、劇のプロジェクトでも試練を超えていく歩みは深まっていきました・・・。

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