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後智慧とは?
前回、職場において、宗教を私を攻撃するために使われたことをお伝えしました。
私はこの事件を、理不尽な試練として受けとめていました。
しかし、高橋先生は自然災害など、避けようがない形で試練に飲み込まれることも起こりうるが、ほとんど9割の現実は、自分の心が生み出しているとお説き下さっています。
実は、この事件に対して、どうしてここまでねじれてしまったのか、その原因についてあまり自覚していませんでした。そこで、今回はこの事件を改めて深く見つめていきたいと思います。
GLAでは、起きた事件から、心の光と闇を見破って、生き直しのチャンスにしていく取り組みを、「後智慧」といいます。
ご著書 Discovery 252Pより
今年の新年の集いに初めて参加して下さり、入会して下さった友人が次のように感想を語って下さいました。
「世間では嘘でもいいから救ってほしいというニーズに応えるものはたくさんあるけど、GLAの教えはそうではなく、問題は問題として真正面から受けとめる所が共感できますね」
本当にその通りだと思います。
その意味で、今回生じた問題に対しても真正面から受けとめて、後智慧して、次なる先智慧につなげていきたいと思います。
暗転もかなり深いため、結構シビアな事件が出てきますが、これは私自身の未熟(カルマ、煩悩)故に生じている問題であり、登場する皆さんだけが一方的に悪いといったことは決してありませんので、あらかじめご了承下さい。
「絶対に許せない」に到った経緯
3年ほど前まで、教育チームは5名ほどいたのですが、リーマンショックで一気に人が減ってからは、私一人になりました。
その期間に、一人でも講習ができるように、自動化やweb化を推進しました。
その後、2年ほど経って、また派遣会社のAさん、Yさんも戻ってきて、一緒に教育の仕事をやることになりました。ちなみに、Aさん、Yさんも含めて、現在のグループにいるほとんどの皆さんは、元々は私の講習の受講者でした。
教育の仕事をまた一緒にやり始めたのですが、私が一人で構築し直した教育内容に対して、強烈な批判をされるようになりました。
毎日定例会を持っていたのですが、その場はひたすら攻撃される場となって行きました。
上司のNさんは、それまで教育に対して無関心だったのですが、Aさん、Yさんが教育について色々相談されるようになりました。
Nさんが教育に関心を持たれるのはいいことじゃないかなと思い、そのまま放置していたのですが、いつの間にか、Aさん、Yさんと上司のNさんが連携を強めていきました。
そして次第に、Aさん、Yさんは私の話しは全く聞かなくなり、コントロールできなくなっていきました。
Nさんにこのままだとレポートラインがぐちゃぐちゃになって、私の手に負えなくなりますが、いいですかと確認しました。
すると、Nさんは「それでいい」と判断されました。そこで私も上司がそう言うんだから仕方ないと諦めてしまいました。
その後更に関わりは暗転していきました。今思えば、上司が言うんだから仕方が無いと投げ出したことは間違いだったと思います。
その後、定例会はやっても意味が無いと言われて中止することになり、誰が何の仕事をしているのかさえ把握できなくなっていきました。
そして、Aさんが書いたレポートに対して修正を依頼しても、無視されるようになりました。
更に、自動化やweb化した部分は徹底的にあら探しをされて、批判されるようになりました。
そうして、半ば教育の仕事から追い出されそうになりました。
そのような攻撃を受け続けていたあるとき、上司からの評定を頂く場で、かつて彼らに講演会に来て頂いたことについて、「宗教を勧められた」と言われたことを聞かされました。
そして、会社内で宗教活動は辞めるようにと言われました。
もちろん、仕事中ではなく、休憩時間などに話していたのですが、ショックのあまり、それ以上話せなくなりました。
そして、仕事上でどんなに厳しい仕打ちにあっても、何とか耐えていたのですが、自分にとって、いのりよりも大切な信仰を武器として使われたことだけは、どうしても許せない思いになりました。
そして、自分の方から完全に関わりを切ってしまいました。
もう彼らとは一緒に仕事はできないと諦め、その後、自分からは話しかけなくなりました。
これが、約二年前に起こった暗転の事件の一部始終です・・・。
後智慧への取り組み1 煩悩地図による如実知見
これは私の視点から見た事件ですが、私はこれまで完全に被害者意識で受けとめており、理不尽な攻撃を受けてきたと思ってきました。
しかし、暗転するには暗転する神理があると先生から教えて頂いていますので、私のどのような煩悩が現実を壊し、暗転させていたのか探求します。
当時、彼らは、教育が変わったことに対して、様々な意見を持たれていました。
彼らの、教育にかける情熱は本物だと思いますので、もっと教育を良くしたいという願いは持たれていたんだと思います。
しかし、今思うと、当時の私は彼らの意見に対して聞く耳を持っていませんでした。
「意見をするなんて100年早い」という感覚で受けとめていました。というのも、彼らは元々私の教え子であり、スキルも経験も全然足りないとみていたからです。
そのため、人の意見を全く聞かずに、教育内容を変えてしまう私は、きっと彼らの視点からは悪人に見えていたんだと思います。
煩悩地図でいうと、私の受発色(受信→発信→現実)は快暴流の中の以下の二つだったと思います。
「歪曲→独尊→孤立」
「優位-支配/差別→枯渇/反感」
そして、現実は、
・孤立・孤独
・関係の硬直
・不満の増大
・抑鬱感の蔓延
・場の疲弊
・急激な方向転換
→右往左往
・総合力の分散
・繁栄即滅亡
となっていました。
特にこの時期はWebへの移行を推進していたため、一人一人の生徒を大切にすることより、システムばっかりやっていることに対して、許せない思いがあったんじゃないかと思います。
今回、記事を書いていて、あまりにも暗い内容だったので、正直にいいますと、このままだとブログには公開できないと思っていました。
しかし、改めて後智慧したときに、事件が暗過ぎたことが問題なのではなく、私の心の闇と現実のつながりを掴めていなかったことが問題であったことが分かってきました。
そして深める中で、本当に先生のお説き下さる煩悩地図のままに、私自身に原因があったことが見えてきました。
後智慧への取り組み2 善我を育んで後悔の生き直しへ
更に、煩悩地図には、煩悩を転換するために、善我という心を育むことが示されていますが、
「歪曲」は「正直」、「独尊」は「愚覚」
「優位」は「畏敬」、「支配/差別」は「同伴」
の善我を育むことが示されています。
今思うと、本当に、これらの善我が育まれていなかったことを痛感します。
先日は、彼らに謝りましたが、まだまだ表面的な言葉の上での謝罪でした。
でも、今は本当に申し訳ないという後悔が深まってきました。まさに正直、愚覚です。
この後悔をもって改めて出会いの場を持ち、もう一度彼らから率直な思いを聞かせて頂きたいと思います。そして、本当の生き直しに向かっていきたいと願います。