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因縁果報ウイズダム実践
3つ前の記事に、15年前の転職への挑戦において、様々な試練に打ちのめされてボロボロになっている中で、「慚愧と歓喜」しかないですよと夢の中で先生から助言を頂いたことを書きました。
その後ウイズダムに取り組むしかないと覚悟を定め、当時降ろされたばかりの因縁果報ウイズダムの現状100出しに取り組み、職場での試練、転職活動の試練、またGLAプロジェクト活動での試練、そして、この人生でずっと抱えてきた試練と心の中にため込んでいたものを全て書き出しました。
因縁果報ウイズダムでは、因縁果報という神理で心と現実のつながりを見つめます。
因とは心、身口意で、自分自身の思いや言動や行為にあたります。
縁には、「同志」、「原則」、「システム」の三つがあります。
「同志」は関わりのある皆さんで、仕事であれば先輩や後輩や同僚、他部署の方や、メーカーの担当者等になります。
「原則」は場に流れている暗黙の前提で、会社であれば社是や、会社独自の風土、土地の風土などもこれに当たります。財閥系の会社は、個人の意見よりも組織を重視する傾向があったり、九州では「男尊女卑」という土地固有の風土があります。
「システム」は、様々な仕組みであり、会議のシステムや、報告のシステム、組織の仕組みなどもこれに当たります。
果報は、結果であり、業績の結果や、生み出されたアウトプットになります。
高橋先生は、因が縁とぶつかって結果が生まれることを教えて下さっています。
果報は主導権の範囲外で直接変えることはできないが、100%主導権の範囲内にある因を転換し、次に50%主導権の範囲内にある縁を変革していくことで、結果として果報を変えることができることを示して下さっています。
「甘え」の発見と克服への覚悟
この眼差しに従って、自分の周りに起きている事件を因縁果報で分類し、その奥にある本当の原因を追及していきました。その過程においては、これまで見たくなかった自分の弱点や、様々な荒みなども真正面から見つめていきました。
その結果最終的に見えてきた、様々な問題を起こしている真の原因は「甘え」であり、「依存心」でした。
これまでの人生も、これで壊してきたし、現在起きている問題も、その根底にはこの「甘え」によって起こしていることが見えてきました。
このままでは、自分の人生は絶対に開かれない、なんとしてもこの甘えを克服しなければならないと決意が定まりました。
そして、転職試験に挑戦することよりも、まず何より現在の職場で起きている問題に対して、真剣に取り組み、皆さんに信頼してもらえる自分へと変わっていこうと不退転の決意を固めました。
そして、これまでの何倍ものエネルギーを出して、集中力を上げて仕事に取り組むようにしました。
ウイズダムによる光転
すると、取り組み始めてすぐにグループが移動になりました。
そして、厳しいけれども、面倒見が良くて、技術的なことや仕事の進め方などを教えて下さる上司の下で働けるようになり、様々な技術が身について、仕事が楽しくなりました。
仕事としても新機種の開発を任されるようになり、排気系の部品の責任者として挑戦することになりました。
このように、因が「甘え」から「皆さんに信頼してもらえるように、何事にも真剣に取り組む」と転換し、縁の同志として、自分のあら探しばかりして罵倒する上司から、自分を育てて下さる上司に巡り会い、果報としても新機種の開発へと変わっていきました。
そうして、充実した仕事ができるようになり、いつの間にか転職したいという思いも抱かなくなっていきました。
しかし、GLAでの学びの環境としては依然厳しい状況が続いていました。
先生の御言葉「私の目は節穴じゃないですよ」
仕事は残業が100時間/月を超えており、深夜までの残業や、休日出勤することも多々ありました。
そのような厳しい中にあっても、毎週水曜日のニュープロジェクトだけは通い続けました。
車は大破してすぐに買えなかったため、電車で名古屋まで通っていたのですが、時には、中京本部に5分だけ居て、帰ることもありました。どれほど厳しくても、信仰だけは手放さずに深め続けたいと願い、実践していました。
そんな最中に開催されたかけ橋セミナーの終了後、「師に感謝を捧げる集い」が持たれました。
当時は、夏のかけ橋セミナー終了後に、青年お世話役の一人一人が先生との出会いを頂いていました。
私は、なかなか応えられない自分の未熟について語ったと思います。しかし、先生は次のように御言葉をかけて下さいました。
「私の目は節穴じゃないですよ。あなたが頑張っていることは私が一番分かっています」
私は、自分の近況の事など、まったくお伝えしていなかったため、驚きました。
しかし、先生は、厳しい環境の中にあっても懸命に自己の再生を果たし、仕事でも挑戦していることをご存知であったことを思いました。また今でも、先生は変わらぬ眼差しで、ずっとご一緒に歩んで下さっていると思っています。
最後の転職への挑戦 新渡戸稲造の反芻行
そうして、仕事での挑戦を続けていたのですが、あるとき登録していたリクルートの方から連絡があり、第一希望で3度落ちていた会社から募集が来たことを教えて頂きました。
既に、上司との関わりも改善し、転職する必然はそれほど感じていなかったのですが、せっかく誘って頂いたので、転職試験を受けました。
そして、しばらくして、思いがけず合格の通知を頂きました。
実は、この当時に反芻していたのが、丁度今も反芻している「二千年の祈り」の新渡戸稲造でした。稲造の生き様に憧れ、次の言葉に励まされていました。
「私のなさんとすることは、私の前にうず高く積まれているように思われる。その巨きな積み重なりに私は驚きはしない。・・・・私は毎日神に祈る-。神が、神と世界のために何か役に立つ精神力と機会とを御恵みくださるようにと。」
「神に愛されるためには己を磨かなければならない。そのためには広い世間に出ないと遅れるばかりであると思い、洋行を決意するのです。」
その後、上司からは、希望する部署はどこにでも行っていいから残って欲しいと言われたのですが、稲造を反芻していて、自分を磨くためにはもっと厳しい場所に行かなければならないという願いが強くなり、転職を決意しました。
その後、円満退社も神理実践で挑戦し、今の会社へと道をつけることができました。
当時、お世話になった上司には今でも年賀状のやりとりが続いています。
数年前にあるご指導の場で、先生から御言葉をかけていただきました。「この人はフロントはどこだろうと求めてきた人です」と。
本当にその通りで、先生の闘われているフロントに行きたい、そのような心の奥深くの魂の願いに導かれて、中京へ、そして東京へと歩んで来ました。その旅は今も続いています。
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