青年の鍛錬合宿に参加する際に、青年の同伴のために、かけ橋セミナーまで参加して下さいと依頼を頂きました。
個人的には、どのような形であれ、かけ橋セミナーにはぜひとも参加したいと願っていましたので、要請に応えて参加しました。
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かけ橋セミナー アトラクションチーム参入
今回のかけ橋セミナーでは、O君の同伴がメインだったのですが、実際にグループに入ると、他にもお2人、重い困惑を抱えている青年がいました。
私自身は、同伴者としてこのグループに入ることになったのですが、基本的には35歳までが青年層で、お世話の働きとして40歳前まで担っている人も少しいました。
しかし、自分はそれにプラス10歳となっていて、アトラクションチームにいるのは違和感がある状態になっていたと思います。
ただ、自分としては、同伴者として参加するスタイルはとりたくなく、一メンバーとして自然と一緒にいる状態にしたいなと考えていました。それで、踊りも一緒に練習して、一アトラクションメンバーとして参加することにしました。
恥ずかしさを乗り越えてまさかのアトラクションデビュー
特別供養の同伴の働きもあり、事前の展開にはほとんど参加していなかったのですが、最後のアトラクションの展開日には参加し、服装等の最低限の情報を教えてもらうことにしました。
アトラクションの練習と思って参加したところ、その日はかけ橋セミナー直前の最後の鍛錬集会となっていました。
その場でダンスのお披露目をすることになり、私はまったく練習していない状態で、なんとそのまま皆さんの前で全国に中継して一緒に踊ることになってしまいました。
その時はまったく踊れず、大変に恥ずかしい思いをしたのですが、そののち後悔をばねとして、練習用の収録映像を教えてもらって、練習し始めました。
10年以上前に自分がやっていた頃のアトラクションと比較すると、何倍も動きが早く、複雑になっており、ほとんど身につかないまま、かけ橋セミナーの当日に向かうことになってしまいました。
同伴とアトラクションのダブルワーク
何とか、少ない練習時間を大切にして、一生懸命に覚えようとしていたのですが、もともと同伴が必要だったO君のほかに、10年間の引きこもりから何とか脱出したいと願っている東北のT君や、働けなくなっていたところで神理と出会い、何とか社会復帰しようとチャレンジしている九州のK君もいました。
特に、O君とT君はさまざまな圧迫から精神的にも不安定になってしまい、アトラクションの練習に参加できなくなることが多発しました。
そうなると、私も踊りの練習を中断して、同伴にエネルギーを注がざるを得なくなりました。
何度も中断しつつ、それでも最低限の踊りができるようになるために、隙間時間を見つけては20歳くらいの青年に一からダンスを教えてもらう機会を作ってもらいました。
CA(チャレンジングエンジェルス)教室という、学年ごとの男女に分かれての研修の場では、もともとは私自身は踊るつもりはなかったのですが、流れでそのまま踊ることになってしまいました。
同じグループのT君も、練習不足でうまく踊れなかったことを後悔され、それから猛特訓を始めてゆかれました。私も、一緒に何時間も練習しました。
踊りばかりを気にしていて、歌詞を覚えていなかったことに気づき、途中から歌詞も覚えてゆきました。すると、歌詞と動きを結び付けられるようになり、楽に覚えられるようになりゆきました。
ただ、ぶっ通しで何時間も踊ったために、熱中症になりかけてしまいました。
同伴を通して思い出されてきた、自己否定の痛み
練習を続けてもなかなか覚えることができず、T君は途中であきらめてしまって場に参加できなくなってゆきました。
そこで、私もT君の苦しみを聞かせていただくことになり、同じグループのK君も、一緒に同伴してくれました。
T君の苦しみを転換するために、『新 祈りのみち』のおなぞりに一緒に取り組んでゆきました。
「自分なんか生きていてもしょうがない」
「自分がいることで皆迷惑している」
「生まれてこない方がよかったんだ」
『新 祈りのみち』 「自己嫌悪・自己否定に陥ったとき」
T君の同伴のために、祈りを読んでいたんですが、私自身の根底にあった苦しみが思い出されてきて、嗚咽しそうになって読めなくなってしまいました。
何とか立て直しつつ、おなぞりを続けていったのですが、T君の苦しみは、自分自身の苦しみでもあることを感じつつ、乗り越えてゆく道を一緒に探してゆきました。
青年塾時代の関りのテーマの原因の発見
一緒に同伴してくれたK君も、深い痛みを抱えている方にずっと出会っていることを心を開いて話してくれました。K君が大変なことは、少しは聞いてはいたのですが、詳細について初めて聞く内容が多く、そんなに大変だったんだと感じました。
K君も一生懸命、何とかT君がプロジェクトに復活できるように、関わってくれていたのですが、途中で少し強引にT君に関わられる場面がありました。
そうすると、K君は心を閉ざしてしまったのです。その様子を客観的に見せていただいて、「あー自分も、かつてはこういう関わりをしていたんだ」という発見がありました。
かつての青年塾の時代の頃にも、重い問題を抱えている青年との出会いがありました。
重い困惑を抱える青年に対して同伴をさせていただく機会は多かったのですが、適切な道をつけることができず、挫折感を募らせることが度々ありました。
K君の姿を見ていて、快・暴流で自分が相手を無理やり動かそうとするから動かない挫折感を強める繰り返しをしてきたんだなと謎が解けたように感じました。
特別供養につながる出会いの不思議
他にも色々な出会いを頂いたのですが、お一人の岐阜の方は、自分を守ろうとしている心を発見されたていました。お聞きしていると、非常に厳しい人生の条件を背負われていました。
中学の時にお父さんが自害され、お母さんはアルコール中毒で借金の問題が発覚し、親族間の不和が起こり、人間不信になって更に厳しい状況に追い詰められていったそうです。そのことが自分を守ろうとする心につながっていたと気づかれていました。
ちょうど、私も自害をされた曽祖父の供養をしている最中だったのですが、祖母の実家が背負うことになった重い試練を重ね、祖母もきっと大変な苦しみを背負われていたんだろうなと思いました。
ジョン万次郎の劇への感動
アトラクションチームの様々な試練を乗り越えつつ、かけ橋セミナーのプログラムは進んでゆきました。そして、先生ご講演の前には、ジョン万次郎の劇がありました。
これまでかけ橋セミナーでは、2回、ジョン万次郎の劇が上演されたことがあるのですが、初回と2回目は、ジョン万次郎の劇に参加しており、2回目の時にはジョン万次郎が住んでいた町にも行っており、ブログにも記事を書かせていただいていました。
劇をお受けしてとても感動していたのですが、更に先生のご講演においてもジョン万次郎の歩みに触れてくださっていました。
ジョン万次郎が、異国の地に飛び込んで、言葉も文化も全く異なるアメリカで新しい技術を習得していったように、何度も失敗し、痛い思いをしながらも、成長してゆくことを願われているのかな?と感じました。
私も今は仕事で通常は1年かけるところを2か月という超短期間でソフトウェアの評価をする仕事をしていて、分からないことだらけ、できないことだらけで、大変苦労していたのですが、その状況と重なりました。この1年もそうですが、それこそ3Dを使った開発や、MBSE、デジタルテクスチャーなど、前人未到の領域にチャレンジすることがずっと続いてきていました。
ジョン万次郎がやがて日本が開国する大事な場面でその使命を果たしたように、私自身も時代衝動によって呼び出され、使命のはたらきへと導かれているのかもしれないと感じました。
私にとっては、アトラクションチームで、超短期間でダンスをマスターすることもつながっているように感じました。
77年、95年、2023年 青年講演会への決起
3日目となり、かけ橋セミナーのエンディングで、ようやく少しは踊れるようになりました。
部屋に帰る途中に、一緒にアトラクションチームを担った、北海道の大学生のY君と一緒に歩いてゆきました。
Y君は、病気のために学校に行けなくなる大変な試練に遭われていました。しかし、GLAの受験生プロジェクトで奇跡的に大学に合格し、精神的な痛みを持っている方を救う仕事に就きたいと言われていました。大学の授業があって、T君は遅れての参加だったのですが、T君が来てくれてから、チームは安定し、大変に助けられました。
同伴者、対話者としての願いを抱いた魂がGLAで育まれていることをY君の姿を通して実感しました。一緒に歩いているときに、約束の同志に出会えたという深い情動が内側から溢れてきました。世代は違えども、同じ願いを抱いた約束の同志なんだなと実感しました。
かけ橋セミナー終了後に、先生は青年のプロジェクト集会を持ってくださいました。
先生のご指導の中で、青年講演会のチラシの文章を読んでくださいました。そして、「77年、95年、そして2023年」と呼びかけくださったのですが、何か内側から爆発するような感覚がありました。
魂に刻まれている約束にダイレクトに先生の言霊が響いたように感じ、青年講演会に向かうエネルギーが大きく動き出したように感じました。
こうして、自分ではあまりよく分からないままに、青年の怒涛のような流れへと導かれていったのですが、その歩みの中で、青年塾時代の後悔の生き直しをさせていただくことになりました。
そして、先生の具現の御業をフロントで見せていただくことになりました。
その深い意味は、その後、明らかにしていただくことになりました。
なんとかダンスを覚えようとしてもなかなかついていけずにいる青年の前に、同じようにダンスを覚えようとして頑張るおじさんが現れて、その青年の痛みに同じように涙を流してくれたら・・・
イエス様は一生かけてそのような愛を示され続けたのだと思います。(涙)
そうですね、イエス様に憧れて、できなくても師に倣わせていただいて、同伴者となる歩みはずっと続いているのかもしれないですね。
今生は、高橋佳子先生を最高のモデルとして、先生に倣って具現する歩みに挑戦中ですね。