春季特別供養 100年を超えた母子の再結の恩寵

2024春季の特別供養に取り組ませていただきました。

前回、2023夏季の供養を取り組んだ時に、母方の曽祖父に取り組みました。

Contents

人生祈念館に奉納した曽祖父母へのご供養

これまで祖父母までは何度も取り組んできましたが、人生祈念館へは、先祖代々まで父方、母方それぞれ6名を奉納し、そのことをきっかけに6名の御霊をご供養したいと思いました。

昨年秋に初めて曽祖父に取り組んだところ、大きな転換を頂きました。

それで、2024春季特別供養では、父方に取り組むことにしました。そして、どうせ取り組むんだったら曽祖父母と、祖父も一緒に取り組んだら、家族として再開できるんじゃないかなと思い、3名に取り組むことにしました。

祖父の芳雄さん、曾祖父の彌太郎さん、曾祖母のカツさんの3名です。

ちなみに、特別供養に取り組めるのは、基本的にはお2人までらしいのですが、お願いすれば、3名も可能ということで、3名申しませていただきました。

芳雄さんの家族

供養同伴の先輩との出会いを通しての功徳の意識化

今回、供養の同伴をしてくださったのは、青年の頃からお世話になっているSさんでした。

今回のご供養に到るまでの約10年間の歩みをずっと分かち合わせていただくことになったのですが、共感しながら受けとめてくださいました。

私が背負った宿命の重さについても話すことになり、2006年の青年塾セミナーで先生が私にお話しくださっている部分についても一緒に反芻させていただきました。

そこから私自身がいかに救われてきているのか、そして人生祈念館への奉納をきっかけとして私の宿命にも大きな転換が起こり、仕事や共同体の中での働きまで変わってきていることを分かち合いました。

深く受けとめてくださるので、私も思いがけず色々と話すことになったのですが、改めて、特別供養を通していただいてきた体験は、貴重な経験をさせていただいてきたことが客観的に見えてきました。

特別供養の準備スタート

川越の「陽春の集い」が終わって、浅草に戻ってきて、そのままご供養となりました。

最初に、どのような願いで場に向かうのか取り組ませていただいたのですが、改めて、祖父の芳雄さんと、曽祖父の彌太郎さん、曾祖母のカツさんが再結し、先生、神様につながることを願いとして取り組ませていただきました。

司祭の方から、buyanさんは先生から救っていただいてきた功徳を実感されていると思いますので、そのことを強く念じてくださいねと言っていただきました。

ただ受けようとしていたのですが、改めて清めの祈りを念じつつ、聖堂に移動しました。

聖堂での御霊との再会

座席について、司祭の方が祈りをしてくださり、御霊を呼び出してくださいました。

そして、先生が祈りをしてくださっている映像を享けさせていただきました。

先生が心を開いて、浄化することを促してくださったので、そのようにさせて頂きました。

その後、先生が祈りをしてくださって、あの世につながる門を開いて御霊を呼び出してくださったのですが、3つピカーと光って御霊が来られたように感じました。

前回、祖母の父のSさんのご供養をした時に、Sさんは自殺されていたこともあり、暗い世界にいらっしゃるように感じました。

そのため、父方の曽祖父母も、厳しい世界にいらっしゃるのかもしれないと感じていたのですが、光の世界からこられているように感じたのです。

2年前に人生祈念館に奉納をさせて頂いた時に、自殺した方以外はほとんどの方が光の世界に導かれていたんじゃないかなと思い、ほっとしました。

今回は2組の方の対話を見せていただいたんですが、お1人の方は、船橋にいる事が嫌で、北海道に移られたという話がありました。

何か、そのことがとても心に響いているのが感じられてきました。彌太郎さんは、元々は佐賀郡久保泉村の出身の方だったのですが、カツさんが亡くなられた後で佐賀市内に移り住まれていました。

彌太郎さんが、どうして一族がいる村を離れられたのかはわかりませんが、今回のお話が親族の再結につながるような話だったこともあり、それぞれ後悔と願いがあったことが深められてゆきました。

御霊の時を超えた再結の恩寵

そして、御霊に思いを馳せる時間となったのですが、3名が肩を寄せ合って、床に倒れこむように号泣しているような様子が伝わってきました。

きっと6歳の芳雄さんを残して、旅立たなければならなかったことに、カツさんは本当に苦しまれていたんじゃないかなと思います。

芳雄さんにとっては、そんな母の気持ちも知ることなく、母と別れなければならなかったことで、とてもさみしく親に捨てられたような気持ちを持たれていたのかもしれません。

どのような経緯か分からないのですが、、、芳雄さんが成人してから、母親に会いに行ったのに、母親は芳雄さんのことを覚えておらず、他人のように扱われ、芳雄さんは寂しい思いをされたそうです。おじいさん(芳雄さん)はかわいそうと、カヨばあさんが言っていたそうです。

私の方では戸籍を調べたところ、生みの親であるカツさんは芳雄さんが6歳の頃に亡くなっているので、本当に赤の他人を訪ねていた可能性が高いのですが、もしかするとお母さんが亡くなった事実も芳雄さんには伝わっていなかった可能性があります。

母親の死が伏せられたまま、どこかで生きていると信じられていたのかもしれません。

親に愛されていることが分からず、幼い頃から丁稚奉公に出されて、様々苦しい思いをされ、またボタンの掛け違いによって更なる悲劇が起きていたようなのですが、全部事実が明らかになって、どれほど芳雄さんも生みの親に本当は愛されていたのか、そのことを深く実感し、絆が結ばれていったんじゃないかと思います。

それら一切を導いてくださった、先生、神様への感謝の想いが溢れてくる思いがしみじみと伝わってきました。

カツさんは大正12年に亡くなられていますが、1923年はいまから100年も昔になりますが、100年越しの親子の再結の場を特別供養を通していただいたように感じました。

芳雄さんの根本にあった痛みが癒されていくのと同時に、私自身も深く癒され、愛と光に満たされていくような本当にありがたい場を体験させていただきました。

最後に先生の祈りによって、御霊はあの世へと帰ってゆかれましたが、本当に幸せそうに、親子3人で光の世界へと帰ってゆかれるように感じました。

一族を救っていただいた感謝を深めGLA1000年の礎へ

最後に、人生祈念館や八ヶ岳での奉納に関する映像を見せていただきましたが、私もその中の一部にプロジェクトとして関わらせていただいていますが、一族を救っていただいた私が、少しでも支える側に回らせていただきたい、そのような魂深くからの情動が溢れてくるように感じました。

GLA1000年の礎を作る一人として、支えさせていただきたいと改めて感じました。

プロジェクトで訪れた2月の人生祈念館

One thought on “春季特別供養 100年を超えた母子の再結の恩寵”

  1. Buyanさんは、感受性が強いようですね。見えない世界を波動で感じているのだろうと推測します。お釈迦様のお弟子様のマハーモンガラナーは神通力を得てあの世の母親を探したそうです。私達は本来もっと素晴らしい能力を使える魂の存在です。菩提心によってその能力を開花させてみたいです。

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