観光が終わった後で、ホテルの部屋に戻って、親族との出会いをさらに深めてゆきました。
Contents
流れ込んできた「血」の流れの発見
ご供養について、特に話そうとしていたわけではなかったのですが、昔の実家の様子について、思い出話が様々語られることになりました。
母方の実家の様子については、J姉ちゃんから語られることになりました。
母方の「血」の流れ
母方の家においても、想像以上に厳しい状況があったことが語られてゆきました。
母のお姉さんが結婚された方が、ギャンブルに大金をつぎ込まれてしまい、大変な状況になってしまったようです。
家の中で、クソジジイ、クソババアと怒鳴り散らし、修羅場と化していたようです。
他にも、祖父の弟が、働かずに借金を重ねていたこともあり、祖母はいつも借金取りに追い立てられる状況が続いていたそうで、朝の5時から夜中の23時過ぎまで、1年中働きっぱなしだったようです。
J姉ちゃんも、家の中が暗かったので、家を早く出たくて名古屋に就職し、更に東京へと移動したことを教えてもらいました。
家の中でずっと暗い顔をしていたので、就職した後で鏡を見て、笑顔の練習をしていたそうです。
母も暴力を受けて、あまりの辛さに、もう死のうと思ったことが2度ほどあったと教えてもらいました。
19歳の頃だったらしいのですが、私自身が19歳でGLAに入会する直前に、こんな自分は死んだほうがいいんじゃないかと真剣に悩んでいたのと同じ年に、母も苦しんでいたようです。
また、私自身は幼い頃から母に折檻を受けていたのですが、その背景には、親族のドロドロの苦しみも流れ込んできていたんだなと思いました。
私自身が幼い頃から母に折檻を受けている様子を、親族の皆さんも心配しながら見守ってくれていたことも口々に語られました。
J姉ちゃんやKおじさんに、遊びに連れて行ってもらった記憶があるのですが、辛い状況を察して、助けてもらっていたことが分かりました。
父方の「血」の流れ
また父方のことでも、謎が解けた部分がありました。
2006年の神理実践報告の時に、先生がお話しくださっていたことで、詳細がわかった部分がいくつかありました。
1つは、父とK叔父さんが、ヤクザに広島に連れて行かれた長男を助けに行った話ですが、祖母は最初、父に助けに行ってほしいとお願いしたようです。
しかし、父は長男との関わりがねじれており、助けに行くことを断ってしまったため、祖母は仕方なくK叔父さんにお願いし、父もK叔父さんに連れられて広島に助けに行ったことが分かりました。
実践報告の時に、この事件について先生にお伝えしたのですが、お伝えしながらも先生の方が事件の真相をご存知のように感じていたのですが、そういうことだったんだと初めて知ることになりました。
また、K叔父さんの目から見ても、祖母が長男ばかりを大事にし、父を差別している様子は目に余るものがあったそうで、本当に厳しい差別の現実があったんだなと改めて感じました。
しばらくして、他の皆さんがお休みになられたんですが、K叔父さんはその後も色々と話を続けられ、GLAに対して抱かれていた不信感についても話してくださいました。
父方の親族の中にあった宗教不信のルーツ
祖母は、祖父が糖尿病になって苦しんでいたこともあり、救いを求めて日蓮宗系の宗教にかなりはまってしまい、お店で儲けた○億円をつぎ込んでしまいました。
祖母のところに、ヤクザが借金の取り立てで来た時に、その教団の方が来られて、呪文のようなものを唱えていたらしいのですが、そんなことをしても意味がないと、K叔父さんは冷ややかに見ていたそうです。
GLAもその宗教と一緒で、現実と乖離した、他力本願の宗教のような印象を持たれていました。
また、世の中を騒がしている宗教団体のことも話されたのですが、それらと同じようなイメージを持っていると話してくださいました。
GLAへの偏見の解除
ここまで誤解されているのかと驚いてしまったのですが、一つ一つ誤解を解除することになりました。
まず、「2つの扉」の中に記載されている、前田医師や、弁理士の川崎さんが、GLAで神理を学び、社会のフロントで現実を変革されている実践についてお話ししました。
またTL人間学の専門分野のセミナーでは、経営、医療、教育など各分野のトップランナーの皆さんが学ばれており、現実の問題を解決されていることを紹介させていただきました。他の宗教団体でも、同じように経営者の学びをしようとしたころがあったが、GLA以外は続かなかったこともお伝えました。
また、私自身の職場での神理実践の話もさせていただきました。
TVドラマのような、世界規模の企業間の巨大な利権の問題に巻き込まれ、恨みに飲まれ、人間不信に陥った話をすると、非常に関心を持って話を聞いてくださいました。
雑誌に載るような事件に巻き込まれたことも話したのですが、「へー、そんなことやってたの」と驚かれていました。
恨みの心が、GLAで学ぶことで浄化されてゆき、元々願っていた働きに導かれてきていることをお伝えしました。
思い返すと、これまで親族に仕事の内容を話したことは、ほとんどなかったと思います。
また、GLAのアート関連のプロジェクトについても、仕事でやってきた技術が役に立ってきていることを話すと、「それはすごいね、共同体にも認められているんだー」と驚かれていました。
一方的に、共同体に搾取されているようなイメージを持たれていたようなのですが、研鑽と奉仕が一つになっていることが伝わったようでした。
父方の骨肉の争いの根本原因
また、K叔父さんの願いについても教えていただいたのですが、K叔父さんはマネジメントに興味を持たれていました。
私の職場での政治的な問題に関心を持たれていたのも、もともとそういう話が好きで、よくそういった韓国ドラマを観ているということでした。
また、今も味噌づくり教室で講師をされていて、教えるのはとても楽しいと言われていました・・・。
父は計算や、営業が好きで、長男さんは技術者なんですが、もしK叔父さんが長男として生まれて、父と長男さんが得意なことをやって響働できていたら、靴屋は成功していたのかもしれないですねと話しました。
結果として、父の兄弟はお互いの良いところを認めることはできず、同族経営で骨肉の争いとなり、靴屋は全部閉じることになってしまいました。
残念だなと思っていたのですが、もしかすると、生まれる順番によって、そのような試練が発生することも承知の上で、カルマが現れやすい環境を選んで生まれてきたのかもしれないなと思いました。
そう考えると、超えがたきカルマが現れて、苦しむこと自体も、神様から与えていただいた恩寵なのかもしれないと思いました。
人生祈念館での奉納へ
翌朝、朝食を済ませてから少し早めに移動を開始しました。
車に乗り込んだところで、これからご供養に向かうにあたって、『新 祈りのみち』の「供養の祈り(供養行の歩みとして)」を読ませて頂きました。
名前を呼ぶところでは、今回ご供養する、17名の名前を呼ばせていただきました。
これからいよいよ、みなさんと一緒にご供養に取り組める感謝を深めつつ、八ヶ岳 いのちの里に向かいました。
人生祈念館に到着すると、プロジェクトの皆さんが待機くださっており、親族のみなさんを暖かく迎え、人生祈念館へと導いてくださいました。
私も車を停めて、遅れて合流しました。
控室で、ご供養の場や、人生祈念館についての紹介映像を見せていただきました。
また、式の段取りを共有いただく中で、人生の栞を朗読するタイミングなども話し合ってゆきました。
人生の記録を読む順番の決定
当初、人生の記録の朗読は、全部父と母にやってもらおうと考えていました。
控室で、最終的な原稿を確認していったのですが、父は問題なかったのですが、母の方は、叔父さんの人生の栞を読んでいて、泣き出してしまい、無理と言って読めなくなってしまいました。
Jおばさんも無理と言われました。
一瞬どうなるのか心配したのですが、プロジェクトの方が配慮くださって、叔父さんの人生の栞だけは私の方で読ませていただくことになりました。
聖堂での奉納の儀の開始
控室での準備を終えて、聖堂に移動しいよいよ式が始まりました。
司祭もお越し下さり、式が執り行われて行きました。
最初は父が前に出て、父方の先祖代々、父方の祖父と祖母の人生の記録を読んでくれました。
読んでくれている間に、この期間に集めた写真も放映されてゆきました。
懐かしい写真が映し出されて、親族の皆さんも昔のことを様々思い出されているようでした。
次に母が前に出て、母方の先祖代々、母方の祖父と祖母の人生の記録を読んでくれました。
母方の祖父の人生史を読んでいる時に、ちょっとトラブルがあったのですが、そのことに対する不満の思いが溢れてきてしまいました。
怒りの感情のルーツの発見
ちょうど、前回の御供養の時に、不満でいっぱいになった祖父だったのですが、祖父の怒りの感情と、自分の怒りの感情が本当に瓜二つで一つになっていることを改めて感じました。
私は、小さい頃に母の怒りの感情にずっと怯えてきたのですが、そのルーツは母の父である、祖父から流れ込んできていることを実感しました。
自分自身が普段怒りの感情に飲まれているときは、祖父の感情をコピーした状態になっているんだなと思いました。
怒りの感情は私自身の大きな弱点のひとつなんですが、祖父は、怒りの感情のルーツが祖父であることを教えてくださったんじゃないかと思いました。
なんとか、怒りの感情を調御しつつ、最後の取り組みである、叔父さんの人生の記録を私が読ませて頂く番がやってきました。
叔父さんの人生の記録の朗唱
母に変わって、私が前に出させていただいて、叔父さんの人生の記録を朗唱させていただきました。
人生の歩みをずっと辿っていったのですが、最後に特別供養を通して、先生に地獄の底から救っていただいた感謝の思いをお伝えさせていただきました。
その時に、後ろに座っている母の感情が私自身に流れ込んできました。
叔父さんと母の先生への感謝の思いで満たされてしまい、私自身も感謝の思いが溢れ、一瞬声が出なくなってしまいました。
Jおばさんもきっと涙されていたんじゃないかと思います。
感謝の思いで一杯になりながらも、なんとか最後まで読み切って、無事に全員分の人生記録を奉納させて頂きました。
式の最後に訪れたビッグクロスとの邂逅
式の最後の方で、ご供養した御霊を、光の柱に結んでゆく祈りがあったのですが、先祖代々のお一人お一人の名前も呼ばれてゆきました。
次第に、圧倒的な光が天上の星から溢れてくるように感じられてきて、天上の星が、神様の光そのものとなってゆくように感じました。
言葉で表現できないのですが、この世のものとは思えない、神様の光のエネルギーそのものが現れ、先祖のお一人お一人が、その光の柱と一つとなってゆかれるように感じました。
内側深くからは、「このことがしたかった」という深い情動が溢れてきました。
魂として、この世界に生まれる前に抱いていた願い、、、幾転生かけて願っていたことが成就されてゆく、稀有なる場を体験させていただいている・・・。
きっとそのような場になっていたんだと思います。
ブログを続けてきたのも、この瞬間のことを書きたかったのかもしれないなと思うくらい、大願が成就する場となりました。
参加くださった親族の感想
式が終わった後で、感想を聞かせて頂きました。
とても大きかったのは、この期間、『新 祈りのみち』を深められていたJ姉ちゃんでした。
叔父さんが亡くなってしまった時に、親族間で様々な不和が生じたことをきっかけに、J姉ちゃんは、母に対して深い恨みを抱くようになっていました。
それが、式の最中に母への恨みがなくなってしまったと言われていました。
何か、本当に奇跡が起きたとしか表現できないのですが、事前に送付させていただいた『新 祈りのみち』が手放せない本となってしまい、怒りや恨みの感情をどうすればいいかわかり、スッキリしたと言われていました。
そういった事前の心の耕しがあり、更にご供養の場で、叔父さんを救ってくださった先生、神様の愛に触れ、母の深い後悔に触れ、恨みが溶かされていったんじゃないかな?と思いました。
本当に、奇跡のような転換へと導かれたことを感じました。
また、K叔父さんに感想をお聞きすると、自分たちの供養のためだけに、こんなにも多くの方がボランティアとして支えてくださって、特別なご供養の場を持ってくださったことに驚かれていました。
善光寺に行った時に、お賽銭を投げて、20秒くらいお祈りをしていましたが、もしかするとそのような場をイメージされていたのかもしれません。
お一人お一人の魂が、本当に大切にされている、GLAのご供養の場に触れて純粋に驚かれていたようです。でも、全然違和感はなかったと言われていました。
次なる出会いへの約束
ご供養が終わって、おじさんたちを松本空港にお届けさせていただきました。
父と母は、そのまま残って、人生の記録の収録をしてもらうことにしました。
途中で諏訪湖で休憩しつつ、おじさんたちを車で松本空港にお届けしました。
空港で、旅の感謝と、高橋先生の講演会にも来ていただきたいと話すと、「事前に連絡頂戴」と言われていました。
K叔父さん達が住んでいる実家は、新しく開所した佐賀ターミナルから100mほどしか離れていないので、佐賀ターミナルにもお越しいただいて、秋の先生講演会にも誘ってゆきたいと思いました。
こうして無事に、奉納の儀を環に結ぶことができました。
buyanさんの素晴らしいのは何と言っても実行力です。この現象世界に生まれてくるのは何かを具体的に「する」ためだと思います。頭で考えてるだけなら実在界でも出来ます。周波数も境地も違う人達との交流の場としての現象界での行動力は本当にうらやましいです。
実行力ですが、光転すればいいですが、暗転するととんでもないところに行ってしまいますね。
現象界で光も闇も経験させていただいていることは、ありがたい修行を頂いているんじゃないかな?と思いますが、もし、神理に出会ってなかったら、本当に大変なことになっていたと思います。
闇が深かった分救われた光も大きく感じられますね。
長いこと共同体には居るのですが、ここまでのお話を、ブログで読ませていただくとは思ってもいませんでした。さっと書いて居られるようですが、皆さん一人一人の魂が響きあっている姿が感じられます。
また、そこに至る歩みが積み重ねられてこその奉納だったのかもしれませんね。
名前も存じ上げません。お顔もわかりません。が、詳細な歩みの記録を読ませていただいたことに感謝、合掌です。ありがとうございました。
続けてのコメントありがとうございます。
>長いこと共同体には居るのですが、ここまでのお話を、ブログで読ませていただくとは思ってもいませんでした。
先生の直弟子として、頂いているかけがえのない体験を、少しでも後世の、先生とは出会えない同志の皆さんにお伝えしたい、、、と願い、続いてきていますね。
>また、そこに至る歩みが積み重ねられてこその奉納だったのかもしれませんね。
特別供養のカテゴリーにまとめています。お時間あれば、、、
https://buyan77.com/blog/category/%e3%82%bb%e3%83%9f%e3%83%8a%e3%83%bc%e5%8f%82%e5%8a%a0%e5%a0%b1%e5%91%8a/%e7%89%b9%e5%88%a5%e4%be%9b%e9%a4%8a